日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その289)

2008-03-01 14:08:02 | Weblog
○昭和63年6月21日(火)曇。
 又、大入島にミーコ(長女)と一緒にサイクリングでグルッと回った。46分、ノンストップで。ミーコも50分前後で付いてこれた。もうちょっと頑張れば、45分で回れるかも知れないなあ。持久力をつけるにはいいと思う。
○昭和63年6月22日(水)曇。
 ヨガに行った。対称に運動するのが体にいいとのことで、水泳やヨガは、とてもいいらしい。ゴルフは不対称なので、あまり良くないのかな?!いろんなポーズがある。気持ちがいいなあ。
○昭和63年6月23日(木)雨。
 お茶に行った。盆を使う一番易しい点前を最後まで教わったが、予習をしてなくて(私の場合は、高校の英語の授業の予習をする感じで、お茶に行く前に必ず予習をして行った!)、なかなか上手く行かなかった。次の時には、バッチリできる様になっておこう。体ごと覚えるしかないと思う。頑張れば、上手に出来そうな気がする。
○昭和63年6月24日(金)雨。
 英会話の日だった。(外科の)池田先生、英会話上手だなあ。自分はまだ駄目だ。上手になりたいなあ。(○代先生が明日は休みなので、断ることなく24時間、小児科に来た患者さんを全て診る為に、泊り込んだ)
○昭和63年6月25日(土)雨。
 当直でよく眠れなくて、少しフラフラしていた感じだ。午後は○代先生に診療を任せて、ミーちゃん(長女)の合唱(長女が佐伯市の子ども合唱団に入っていた。その後、次女も)の参観の為に、ワコ(次女)と伸(長男)の子守りをした。これが結構疲れるのだ。
○昭和63年6月26日(日)晴。
 9:00過ぎに小学校に行った。ミーコの授業参観日だった。その後、講演があった。OBSの女性のアナウンサーの人が講演した。小さい時から子どもを持って仕事をする生き方を説き、それには男性の支えが大切との内容であったが、自分が思うに、やはり小さい時、それも子ども同士で遊べない2歳までは、やはり母親が傍にしっかり付いて愛情をタップリと与えることが大切だと思う。この考えが不自然と思いたくない。母親が仕事に専念している為に、多くの子どもが(愛情不足でその寂しさが自律神経に影響を与えて現実に)病気になっているではないか。ヒトが高等動物なのに、他の動物と違って生まれた時に何も出来ない。それは、母親の介護を必要とし、母性を育てる為だと思う。スキンシップを初めとして強固な母性が子どもには必要だ。
○昭和63年6月27日(月)曇。
 朝4:30に(病院に)行ったら、日曜に入院した1ヶ月の子どもを○代先生がルンバール(腰椎穿刺)していた。又、外来に急性腎炎の子が来ていた。ホント、二人は3人力(リキ)だなあ。せっかく病院で待機しているので、もっと4:30から来ないかなあって感じだ。ワコが中耳炎になっているので、少し心配。
○昭和63年6月28日(火)曇。
 明日、胃の内視鏡の検査を○田先生からしてもらうことにした(長いこと、時々チクチク腹が痛んできている為)。シュバイツァーの様に、精一杯働いて、ストンと亡くなるのがいいのかなあ。死んでしまえば灰になるだけだから、献体することも考えておこう(母の兄は、献体のことで私の所に相談に来て、その後、大分医大に献体された)。
○昭和63年6月29日(水)曇。
 採血し、負荷心電図を取り、内視鏡の検査をしてもらった。痛み止めのせいか、少しフラフラしていた。結構きついなあ。少し赤くなっている、急性胃炎と言われた。同級生の循環器内科の○岡から、左脚の前肢ブロックがあると言われた。そして、めまいがあれば、ペースメーカを入れてあげると言われたが(本気かなあ?!)。

*今の内容は、集文館刊の5年間日記の内容。しかし、昭和63年7月までで記載が終わりになっている、後が空白になっている。何故書いていないのか、思い出せない。空白の期間、お茶とエコーの勉強に没頭していた。医大派遣が2年間あった後、医大から急に派遣がなくなり、再び独りとなり、あちこちと頑張ってみたが医師確保が不可能と察知して、体の限界の為に平成2年の11月に開業した。
 毎日の出来事をMRさんからもらった1年単位の手帳に気軽に書いていた様に記憶していたが、探すが見当たらない。次に記録がしっかりと残っているのは、博文館の3年間日記に平成5年から記載したもの。一体この間、ホントに全く書いてなかったのかなあと不思議な気もするが、・・・もう20年近く前のことなので、ホントに記憶にございません。



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為になるかも知れない本(その289)

2008-03-01 13:04:04 | Weblog
○昭和63年6月21日(火)曇。
 又、大入島にミーコ(長女)と一緒にサイクリングでグルッと(近道で)回った。46分、ノンストップで。ミーコも50分前後で付いてこれた。もうちょっと頑張れば、45分で回れるかも知れないなあ。持久力をつけるにはいいと思う。
○昭和63年6月22日(水)曇。
 ヨガに行った。対称に運動するのが体にいいとのことで、水泳やヨガは、とてもいいらしい。ゴルフは不対称なので、あまり良くないのかな?!いろんなポーズがある。気持ちがいいなあ。
○昭和63年6月23日(木)雨。
 お茶に行った。盆を使う一番易しい点前を最後まで教わったが、予習をしてなくて(私の場合は、高校の英語の授業の予習をする感じで常に予習をして行った!)、なかなか上手く行かなかった。次の時には、バッチリできる様になっておこう。体ごと覚えるしかないと思う。頑張れば、上手に出来そうな気がしてならない。
○昭和63年6月24日(金)雨。
 英会話の日だった。池田先生、英会話上手だなあ。自分はまだ駄目だ。上手になりたいなあ。(○代先生が明日は休みなので、断ることなく24時間総て診る為に、泊り込んだ)
○昭和63年6月25日(土)雨。
 当直でよく眠れなくて、少しフラフラしていた感じだ。午後は○代先生に診療を任せて、ミーちゃん(長女)の合唱(長女が佐伯市の子ども合唱団に入っていた。その後、次女も)の参観の為に、ワコ(次女)と伸(長男)の子守をした。これが結構疲れるのだ。
○昭和63年6月26日(日)晴。
 9:00過ぎに小学校に行った。ミーコの授業参観日だった。その後、講演があった。OBSの女性のアナウンサーの人が講演した。小さい時から子どもを持つ生き方を説き、それには男性の支えが大切との内容であったが、自分が思うに、やはり小さい時、それも子ども同士で遊べない2歳までは、やはり母親が傍にしっかり付いて愛情をタップリと与えることが大切だと思う。自分のこの考えを変え様とは思わない。母親が仕事に専念している為に、多くの子どもが(愛情不足でその寂しさが自律神経に影響を与えて現実に)病気になっているではないか。ヒトが高等動物なのに、他の動物と違って生まれた時に何も出来ない感じになっているのは、母親の介護を必要としているからだと思う。
○昭和63年6月27日(月)曇。
 朝4:30に(病院に)行ったら、日曜に入院した1ヶ月の子どもがルンバール(腰椎穿刺)していた。又、外来に急性腎炎の子が来ていた。ホント、二人は3人力(リキ)だなあ。せっかく病院で待機しているので、もっと4:30から来ないかなあって感じだ。ワコが中耳炎になっているので、少し心配。
○昭和63年6月28日(火)曇。
 明日、胃の内視鏡の検査を○田先生からしてもらうことにした(長いこと、時々チクチク腹が痛んできている為)。シュバイツァーの様に、精一杯働いて、ストンと亡くなるのがいいのかなあ。死んでしまえば灰になるだけだから、献体することも考えておこう(母の兄は、献体のことで私の所に相談に来て、その後、大分医大に献体された)。
○昭和63年6月29日(水)曇。
 採血し、負荷心電図を取り、内視鏡の検査をしてもらった。痛み止めのせいか、少しフラフラしていた。結構きついなあ。少し赤くなっている、急性胃炎と言われた。同級生の循環器内科の○岡から、左脚の前肢ブロックがあると言われた。そして、めまいがあれば、ペースメーカを入れてあげると言われたが(本気かなあ?!)。

(この5年間日記は、昭和63年7月までで記載が終わりになっている。何故書いてないのか、思い出せない。その間、お茶の世界にかなり没頭していた。医大派遣が2年間あった後、医大から急に派遣が出来なくないと言うことになり、再び独りとなり、医師確保も不可能と察知して、体の限界の為に平成2年の11月に開業した。毎日の出来事をMRさんからもらった1年単位の手帳に気軽に書いていた様に記憶していたが、探すがない。次に記録がしっかりと残っているのは、(博文館の3年間日記に)平成5年から記載したもの。一体この間、ホントに全く書いてなかったのかなあと不思議な気もするが、・・・)



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