日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

それが正解かな・・・

2008-03-05 18:54:35 | Weblog
 次女と長男の二人の子どもを見ていると、自分と全く違った価値観で生きている感じだ。自分の場合は、人間の限界の様に、受験の時から競争の中でもまれ、職場に入っても、朝早くから遅くまで馬車馬の如くに仕事をしてきた。それもストレスを抱え、運動不足で、イライラしながら。
 笑わない、話さない、直ぐ怒るって感じの医者のイメージの時代が長く続いた。その結果、中性脂肪やLDLが上がり、心電図にも異常が見られ、血圧も薬なしではコントロールが出来ない状態となり、体ボロボロって感じになってしまって、もう、壊れた体は元に戻れない。周りにも仕事のし過ぎで亡くなってしまった同業者を沢山見てきた。
 一方、二人の子どもは、(正職員でなくて)仕事は安月給でその日暮らしみたいな感じだが、生きる上で趣味(次女はバイオリン、長男(高卒)はギター)が楽しくてしょうがない感じで、人と競争することなく、毎日(友達と一緒に時々演奏していて)楽しそうに過ごしているし、ニコニコして周りからも好かれ、友達も多く、とても幸せそうだ。これが生き方としては正解かなあとも思う。
 医者がイライラしていれば、患者さんはホントに不幸だと思う。その時は、一生懸命にしてきた様に思ってきた自分の医療が、実際は、患者さんをかえって悪くしていた例も多かったのではと思っている。自分の難しい顔が免疫力を落とす様に働いたのではないか、不必要な抗生物質で耐性菌を作ってきたのではないか、検査をし過ぎていたのではないか、不必要な入院をさせたのではないか、医療費で生活を苦しくさせたのではないかなどと思って、自責の念に駆られています。

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為になるかも知れない本(その293)

2008-03-05 08:38:35 | Weblog
 以下は、西田病院に勉強に来た医学生の手紙の内容。彼は、無事国試卒後に沖縄県立中部病院に行き、初めの1年間のラウンドを終えた後に小児科で研修。

 西田病院小児科研修記(その1)
 M3(○○○○)
 専門3年になって、実際に医療の現場を見たいという希望から、夏休みに向けての計画を練り始めたのが4月であった。手始めにいろいろな先輩に話を聞いたり、研修病院の本を広げたりもして自分の希望と予算の事などを考えた。その結果「続・為になるかも知れない本」という本で知った、田原正英先生のいる西田病院小児科で、一週間の自習が受けられることになった。
 鹿児島出発の日、時間を間違えて予定より二時間ほど後の汽車で無事大分県佐伯市に到着した。佐伯駅からタクシーで10分位行くと西田病院に着いた。病院の前の店で電話して着いた事を知らせると、しばらくして田原先生が現れた。私の見た第一印象は、思っていたよりもやせた先生だということだった。
 その後小児科部長室に案内され、一週間の計画表を渡され、簡単な説明の後、早速外来見学が始まった。既に数名の子どもが診察を待っていた。ホットする暇もなく次々と診察しながらの医学講義が始まった。それに、患者さんが実に多い。聞けば先生がこの病院に来た当初は一日に10人くらいしか患者さんが来なかったそうである(それまでは西田病院には小児科はなかった)。それが今では1日100人ぐらいは普通になっている。
 さて、一週間の実習の中で特に肺の聴診の仕方と心エコーについて学ぶことになった。それまでが不勉強だったせいもあって、先生の考えておられた到達目標におよそ届かなかったが、鹿児島に戻ってから、小児科や循環器に対しての苦手意識がかなりなくなっていたのには自分でも驚いた。また勉強の仕方としては、小児科部長室にあるビデオを使って概略を掴んで、その後で実際の検査を見学されてもらった。今は医学教育用のビデオがかなり作られていて、ここの病院では、医師や看護婦さんの教育に利用しているそうである。実際、田原先生自身外来の合間をぬってビデオで勉強されていた。
 また、診察時間が朝7時半から始まるというのも初めてのことだった(ここでは、小児科と外科は、朝7時半より外来が始まる)。私は朝7時に小児科に来て、夜10時頃に帰るという生活をしていた。今は、宮崎医大や大分医大から医師を派遣してもらって12時間交代でされているそうであるが、それまでは一人で小児科をされていたそうである。もともと西田病院は、救急患者に対する24時間体制をとってきた所であるが、田原先生もまた、ある時は、急患を診る為に外来に寝泊まりしていたこともあると言う。その上、新生児未熟児センターや入院患者の方も診ている。
 診察も早い。聴診器のあて方が何でそのスピードで判るのかなあというほど早いので、自分でやってみたところ、いくらやってもそんなに速くできなかった。「神風診療」と先生はおっしゃっていたが。と同時に看護婦さんがよくトレーニングされているという印象を受けた。
 そうこうしている内に予定の一週間はアッと言う間に過ぎ、帰る頃になって来る前にも少し勉強しておけばよかったと思った。そして、機会があれば、再び勉強に行きたいと思っている。

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