
英会話まあまあ。さ来週には、コスタリカの山本さんの紹介で、オーストラリアからナースの人が来ることになった。どうなることやら。ボブさんのお姉さんの場合は、何とかなったが。自分の副鼻腔炎、少しは前よりはいいみたいだ。運動不足で体がなまっている。6月からは、2人体制になるのは確実みたいだが。
○昭和63年4月2日(土)雨。
小児科の先生も、○代先生(現在、開業されている)と決まった。今まで自分独りでよくやって来れたと思う。どういう体制を取ればいいのか、具体的にしていかないといけないなあ。
○昭和63年4月6日(水)晴。
6月からは、本来の朝型人間になろう。20:00~21:00までに寝て、4:00に起きて、5:00までには病院に行って、朝音楽を聴いたり本を読んだり、ビデオを何度も見たり(テコムのビデオの教材で、小児科シリーズをしばしば見ていた)、今までと全く違った感じで過ごしたい。夏の暑い時だったら、4:30までに、冬は5:00までに必ず病院内にいる様にすれば、(常に24時間小児科医が診ることになって、今までの様にトラブルも少なくなって)何かにつけていいいと思う。嬉しいことは、勉強がバッチリ出来ることだ。このままだとヤブ医になってしまうなあ。
○昭和63年4月7日(木)晴。
人間なんて、周りを見ていると、この先どうなるのかサッパリ分からない。何が起きても平静であるべきだ。出来事は偶然ではなく、それは必然なのだ。決められた運命なのだ。それが人生そのものなのだ。自分に納得の出来る生き方をしたい。自分がこの世にしっかりと生きていると実感したい。その為には、やはり努力しないとけいないと思う。遊んでばかりでは、怠けてばかりでは、後で後悔するだろう。人生わずか80年間。自分は既に半分を使ってしまった。後半分しかない。時間は元に戻らない。今が全てなのだ。1日1日を如何に充実して生きるかにかかっている。自分をもっともっと磨けば、もっと他人の為に尽くすことができるはずだ。苦しいことも人生。本当の楽しさを味わう為には、苦しまなければいけない。
○昭和63年4月17日(日)晴。
大分の県医師会で学会があった。始まってから直ぐに寝ている人がいる。いびきをかいている人が3人もいた。威張った感じで知ったかぶりに言う人もいるし、いちいちいちゃもん付ける感じの人もいる。目上の人に対しての言葉使いも知らない感じで言う人もいる。皆が困って問題にしているはずの救急の話が全く出てこない。何か変な集団って感じに思えた。
○昭和63年4月18日(月)晴。
17:00過ぎに急患が来て、送ろう送ろうと思いながらも、病名もはっきりしないままで処置に追われて送れなかった。頻拍で、多呼吸で喘鳴があり、気管支喘息と思いその治療をした。肝臓も少し大きかった。来てから息抜く暇もなく汗だくだくになってした。この日が結婚記念日ということを完全に忘れていた。ふと気が付くと、20:00を過ぎていた。どうしても良くなって行かず、(小児外科専門にしていた)○○先生の力も借りたが、どんどん悪くなって行った。(泊まり込む)
○昭和63年4月19日(火)晴。
午後の乳児健診中に心臓が止まって死んでしまった。後で(同級生の)循環器の○○から、心臓(PAT?)ではなかったのかと言われて、そうかとも思った。ネオフィリンを使ったのがいけなかったのかも知れない。急に肺水腫になった感じがした。救急では、やはり心臓が怖い。心臓疾患と思って、その薬を積極的に初めから使っていたら助かっていたかも知れない。悔いが残る。(ガックリ落ち込む)
○昭和63年4月28日(木)晴。
来年の今頃は、1週間程、遠くの所に行きたいなあ。外国でもいいし。シンガポール辺りがいいかも知れないなあ。オーストラリアもいいかも知れないなあ。時差ぼけがあると困るなあ。
○昭和63年4月29日(金)晴。
天皇誕生日、87歳。長寿だ。病気なのに、長生きしている。今年一杯、大丈夫そうだ。亡くなると昭和でなくなるのだなあ。次は何になるかなあ。昭和になれると、これが一番いいって感じになれるから不思議だ。も一人小児科医が来ても、採算合うのかなあ。心配。
○昭和63年4月30日(土)晴。
150人ちょっと来た。例年よりも少ない。ゴルフをしなくなった。月火水は少し元気だが、木金土に落ち込む感じだ。来年の今頃は、ずっと元気でいられるかなあ。
