少し前の話ですが…
とある研究会から,突然
「研究誌に掲載したいので,論文を寄稿してほしい」
との依頼がありました。
昨年度,その教科に関して本校が研究公開を開き,そのとき私が研究主任で,また公開授業の授業者であったので,お声がかかったのでしょう。
声をかけてくださったのは,大学の附属小学校の先生でした。
その研究会のリーダーですね。
連絡は文書で来ました。
もちろん一手間ですが,
「光栄なことです。。。」
と,承諾し,論文を書くことにしました。
依頼文といっしょに,論文を書く際の詳しい形式などまで示してあったので,それに沿って書き,指定していたとおりにメールで送付しました。
その後すぐに附属小の担当の先生に電話連絡。
メールが届いたことの確認や,今後進めるであろう添削作業についても話をしておく必要があるだろうと。
しかし,その先生は不在で,その場では連絡がつきませんでした。
代わりの先生に
「またご連絡ください。」
と伝え,その場は終了。
そして,なんの連絡がないまま,時間が過ぎました。
附属小の先生だから,よほど忙しいんだろうと思っていました。
しかし,あまりにも連絡がないので,不安になってきました。
メールが届いてないんじゃないか?
あのときの代わりの先生がちゃんと伝えてくれてないんじゃないか?
それとも,送った論文があまりに出来が悪いために却下されたんじゃないか?
附属小の先生だから…
なんて思いうように。
そして,またさらに日が過ぎ,最近になり,私自身もこのことを忘れかけていたころに,一冊の冊子が届きました。
「○○研究会研究誌」
え,もしかして,これは…
あった!
私の論文が!
メールで送ったものが,そのまま載っているじゃないですか!
(はぁ… これでよかったんだぁ…)
冊子と一緒に,お礼の文書と,謝礼まで入っていました。
(謝礼がもらえるんだ。ラッキー)
と正直思いました。
が,すぐに首をかしげました。
(本当にこれでいいのか??なんか変じゃないか??)
だって,私はこの研究会には一切属しておらず,その存在すらよく知りません。
だから当然,研究会の人たちも私のことなんて一切知りません。
さらには
論文の寄稿を依頼してきた責任者の人とすら,私は一切の面識もなく,論文掲載にいたるまで一言も言葉を交わさなかったわけです。
肝心な論文に関しては,掲載に向けた中身の検討は一回もなかったんです。
なのに,私の論文が,その研究会の研究誌にでかでかと掲載され,その研究会のお金を謝礼としてもらっちゃったんです。
・・・・おかしいですよね?
お言葉ですが,これで本当にこの研究会は,研究が深まるんかい!
って思ってしまうのですが。
うーん,だからきっと,実情はこういうことでしょうね。
この研究会自体が活動が充実していないのは,言うまでもなさそうです。
論文を寄せる,寄せてくれる人を探すので苦労しているくらいで,なんとか顔も名も知らない私のような者を見つけて依頼することになった。
重要なのは今年も無事に冊子ができあがることのみで,その内容は二の次。
そういうことでしょう。
なんか,さびしいですねぇ
この研究会,そのネーミングから結構大きな規模の研究会です。
そんなところに論文が掲載され,さらに謝礼までもらって,私にはうれしい話題のはずなんですが,背景にあるものが見えるような気がして,またいろいろと考えさせられます。
でも,実際少なくないんでしょう。
この研究会のような団体は。
その存続のみが第一,という形になってしまっている教育に関する団体です。
一端発足してしまい,盛り上がった時期もあったでしょうが,その後はそれを運営する人手も不足し,なんとか一部の人で運営している。
会の存続のために,恒例の集会や冊子づくりだけは,形だけでもなんとかやっている。
そんな団体です。
どの先生も,学校の現場が忙しいんですよね。
どんどん,どんどん忙しくなっているんです。
仕事と離れて,別の場所で研鑽を積む余裕がなくなっちゃうんでしょう。
この現状をどうすればいいかは私にも分かりませんが,少なくともこのままでいいはずがありませんね。
思いがけず手にした謝礼に,困惑するとともに,苦笑いを浮かべてしまいました。