何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

大切なものを運び伝える

2015-08-07 23:43:10 | ひとりごと
じっくり長編を読む気力がないのでハズレのない短編を探していて出会ったのが、
「かばん屋の相続」(池井戸潤)

この題名でピンとくる人も多いと思うが、あの一澤帆布の相続争いに着想を得た作品であることは、その設定が父の残した遺言書をめぐり元銀行員の兄と家業に従事してきた弟が争うものであることからも明白だと思われる。

着想にヒントを得ただけのフィクションだと分かってはいても、一澤帆布には思い入れがあったため、あの騒動を残念な思いで見ていた自分としては、結末を読んでも尾をひく感情がある。

一澤帆布の鞄には、白地に赤い糸で「京都市東山知恩院前上ル 一澤帆布製」と縫い取りがされたワッペンがあった。
この住所にある知恩院に御縁があり、我が家は年に数度は知恩院にお参りすることにしているが、知恩院の三門をくぐり東山通りを少し(北へ)上がると見えてくる小ぢんまりとしたお店が「一澤帆布」だった。なんの変哲もない帆布の鞄にもかかわらずけっこうなお値段だったが、実用一点張りのシンプルなフォルムがかえってデザイン性を高めていることや、京大山岳部の全盛期を支えたというエピソードや地の利もあって、熱心なファンも多く、私も京都を訪れる時は必ずお店に立ち寄り、いくつも鞄を購入していた。

そんな一澤帆布のお家騒動は、世間の関心が後継者・継ぐ・相続といった事柄に集まっている時期と重なったからだろうか、京都の一かばん屋の相続問題という以上に、耳目を集めた。そんなこともあって作者も着想を得たのかもしれないしが、「事実は小説より奇なり」は真実である。一時は、東山通りを挟んでほぼ向い合せに兄弟(長男と三男)が店舗を構えて争い、さらに同じ東山通りを(南へ)下った所には四男の店舗があるという異常な事態が現出した。
清水さんから八坂さんを経て知恩院前という京都のメインストリートに渦中の店が軒を並べる姿は奇異ではあったが、話題性と物珍しさも相俟って観光客にはウケているようだ。が、長いファンは寂しさを感じていた。

受け継がれるべきものと(その)イメージが確立しているものを、時代に即して変化させつつブランドイメージを傷つけないのは難しい。

決して奇を衒わない質実剛健な鞄には父と子と職人さんの息遣いが感じられ、それが受け継がれていく伝統のように感じていたので、デザインなどに変化が感じられたのも寂しかったが、商売物が鞄という大切なものを持ち運びするものだけに、親子兄弟で相続争いをするというのは、長年のファンには後味の悪いものでもあった。

真に受け継がねばならないものは何か。
ブランドイメージを覆してでも改革していかねばならないものは何か。
伝統や家族の絆(協力)でうっているものは、その見極めが難しい。

今年は、戦後70年と盛んに言われるが、戦争から70年というだけでなく、戦後の日本経済を支えてきた団塊の世代がほぼ現役から退く時でもあり、そういった意味でも様々な分野で転換点となる大きな節目を迎えており、各分野で軋みが生じている。

「かばん屋の相続」の「松田かばん屋」の主人義文の言葉
『仕事はゲームだと思え。真剣に遊ぶゲームだ。いつもうまくいくゲームなんかつまらないじゃないか。
 成功七割、失敗三割。そのくらいの人生の方が絶対に楽しいぞ。おれだってそうだ』

1人の人間の仕事や人生では、成功七割失敗三割はちょうど良い塩梅かもしれないが、引き継いでいかねばならないものがある仕事や家での歩合の勘定は複雑で難しい。

「かばん屋の相続」でも、父は技を守るために敢えて一旦は店を閉じる算段でいたのだ。
真に伝えるべきものを守るためには、枠組みを壊すことも、生き残る道。

戦後七〇年、様々な分野で考えねばならないことだと思っている。