何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

血と汗の、夏

2015-08-23 22:27:00 | 
桜島から重い宿題を頂き頭を抱えているが、本日の桜島。

<桜島の避難勧告を解除、1週間ぶり帰宅>TBS系(JNN) 8月23日(日)9時24分配信より一部引用
桜島では噴火警戒レベルが4に引き上げられた今月15日以降、3つの地区の51世帯77人に避難勧告が出されていました。しかし、火山噴火予知連絡会が「規模の大きな噴火が発生する可能性は下がっている」との見解を示したことなどから、22日、避難勧告が解除され、3つの地区のうち2つの地区は「避難準備情報」に切り替えられました。
桜島では噴火警戒レベル4の避難準備が継続しています。


このまま大噴火などおこらず収束してくれることを願いつつ「隼人盾もて祈り守れよ」 「桜島に忠誠を捧げる」 「ペンと法でチェスト行け!」からの続きを考えている。
考えているが、考えれば考えるほど、どう考えればよいのか分からなくなる、東京裁判。

「二つの祖国」(山崎豊子)は東京裁判について、かなりのページをさいており、そこからは膨大な資料をあたった足跡が伺えるだけに、小説であるということを差し引いても伝わる事実がある。

主人公賢治は日本語と日本文化への造詣が深いことから東京裁判での通訳が適切かを吟味するモニターの任に就くのだが、裁判が進むにつれ疲労と焦燥の色が濃くなっていく。それは、それまでは他者から突き付けられてきた「あなたの祖国は」という質問が、東京裁判と原爆投下後の広島を目の当たりにすることで、自問自答に変わっていったからだと思われる。
自由と正義の名の下に東京裁判を正当化しようとするアメリカ。
アメリカのその正当性をより担保するため、証言(言葉)の背景にある日本の精神をも加味した正確な通訳を心がけるという賢治の姿勢は、またぞろアメリカへの忠誠心を疑われる原因となる。アメリカ兵として命を懸けて戦って尚、忠誠心を疑われる苦しみは、日系人の葛藤を共有しあえる心の支えである女性が広島原爆の後遺症で亡くなることで、耐えられないものとなる。
原爆病の死の床で綴られた賢治への遺書には、失望と願いが記されている。
『死を前にして、私の心を一番しめつけているのは、自分が生まれた国、アメリカが落とした原爆によって被爆し、生命が絶たれねばならないことです。小学校から「合衆国よ永遠なれ」と心の底から国家を唄い続けて来たこの私は、アメリカの敵だったのでしょうかー。~中略~
どうか父なる国日本と、母なる国アメリカとの二つの国の架け橋として、生涯を全うして下さい』

しかし、賢治が二つの国の架け橋として生涯を全うすることはない。

心の支えである女性を失っただけでなく、自由と正義の国への抜き難い不信が、生きる場所を見つけることを止めさせてしまうのだ。

自由と正義の国であるはずの母なる国への不信、東京裁判。

上中下の三巻のほぼ半分を占める東京裁判の過程を書き記す知識も歴史観も技量も自分には、ない。
夏の終わりに「二つの祖国」を読み、この夏もまた漫然と過ごし馬齢を重ねてしまったと恥じる私に思い出される句がある。
「あすなろ物語」(井上靖)の「漲ろうの水の面より」より、主人公鮎太の旧制高等学校時代の友人が出征するにあたり残していった短冊
『この夏は血も汗もただに弁えず』

ところで、戦後70年、2015年の夏
敬宮様は学習院女子中等科2年生となられ、我が国の歴史と近代社会の歩みを十分にご理解される年齢となられたこともあり、御両親とともに7月26日に特別企画展 戦後70年「昭和20年という年~空襲、終戦、そして復興へ~」(昭和館(千代田区))を、8月22日には戦後70年企画展「伝えたい あの日、あの時の記憶」(昭和館(千代田区)、しょうけい館(同)、平和祈念展示資料館(新宿区)による合同企画)を御覧になった。

近年、皇室と政治の距離や戦没者の慰霊との向き合い方が問題となるが、戦争そのものが持つ悲惨さは次の世代にしっかり伝えながらも政治的影響力とは距離をとり、半歩ずつでも未来志向で歩んでいこうとされている(と拝察される)皇太子御一家を、私は信じている。

連日の猛暑日に無駄に汗ばかり流していたことを反省し、血も汗もただに弁えず夏を過した先人に思いを致しながら「二つの祖国」から東京裁判を考えてみたいと思っている。

つづく