何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

素晴らしい朝(あした)重ねて

2016-12-01 23:21:15 | ひとりごと
「桜色の頬のお姫様ものがたり」より

「桜風堂ものがたり」(村山早紀)は、良書を発掘する才能がある若き青年書店員を通じてリアル書店の実情を描く物語で、ストーリーの大半は書店の話題で占められるのだが、要所要所にアリスという名の愛らしい三毛猫が登場する。
この三毛猫は何度か迷い猫になったり捨てられたりという経験をしながらも、いつも本の側に居場所を見つけ、最終的には本屋「桜風堂」の猫となるのだが、その安住の地である朝 目覚め『今日は何だか、とてもいい日になるような気がする』としみじみ思う。
そう思った瞬間、一緒に暮らすオウムが高らかに声を上げるのだ。(『 』「桜風堂ものがたり」より)
『スベテヨハ、コトモナシ』
『スベテヨハ、コトモナシ』
猫のアリスは、その言葉の難しい意味は分からないが、『そうだ、今日はいい日だ』と心から思うのだ。
『誰も悲しい思いをすることがなく、さよならを聞かなくてすんで、こうして心地よい場所で風に吹かれながら、夢をみていられる。そんな日になるのだ』 と。

この『スベテヨハ、コトモナシ』という言葉は、実は私が皇太子御一家を応援する時いつも心に思い浮かべる詩の一節だ。
「春の朝(あした)」
(ロバート・ブラウニング  上田敏・訳「海潮音」)

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛 枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。


十年以上にも及ぶ激しい皇太子御一家バッシングほんの一端でも思い出せば、どれほど過酷な日々を御病気の雅子妃殿下が、まだ幼い敬宮様が、そしてお二人をお支えになる皇太子殿下が過してこられたかは、容易に想像がつく。この、遠くから拝見しているだけでも胸が塞がれるような悪質な報道を見るたび私の心に浮かぶのが、ブラウニング「春の朝」なのだ。
もちろん敬宮様は、国民がそうあっていただきたいと願う宿命をお持ちだと信じているが、お一人の人間としてのお幸せを祈る時、この詩の「神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し」が胸に迫ってくる。
何気ない朝に感じる極上の幸せとは、金や名誉で満ち足りている状態を云うのではない。
露を受けて草木が輝き、鳥がなき、虫がたわむれる朝こそ、幸せなのだとブラウニングは詠っている。
『誰も悲しい思いをすることがなく、さよならを聞かなくてすんで、こうして心地よい場所で風に吹かれながら、夢をみていられる』そんな朝こそ最高の幸せだと、アリスは語りかけてくる。
この詩は、人としての真の幸せこそを祈らねばならないと私に気付かせてくれる、大切な宝物なのだ。

ご誕生以来常に多くの視線にさらされ、苦しみ立ち止まりながらも、その都度しっかり前を向いて立ち上がられてきた敬宮様が、この秋以降ご体調を崩されていた。 (「愛により破壊し、愛によ生まれる輝かしい世界」
さまざまな転換期を迎えているということもあるだろうし、皇室内格差をとやかく批判される度ご自分が女子であることに苦しまれていたのかもしれない。
ご誕生以来の福々とした頬が、ほっそりされている御姿に、苦悩の深さを知らされる思いがしている。

写真出展 http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/02/activity02-ph3.html

だが、ご自身が苦しい時でも、小さい命を大切に育み続けておられる敬宮様。
写真の猫は、保護されている処を動物病院を通じて引き取り、「セブン」と名付けて敬宮様がお世話されているそうだ。
今年の5月に天上界の住猫となった「人間ちゃん」もまた、保護された猫だった。 (作文、「受け継がれる命を育む御心」
初等科卒業文集の課題「夢」で、動物の殺処分がなくなることを書かれるほど命を大切にされる敬宮様だからこそ、期待してしまうことはあるのだが、今は御体を大切に、充実した学校生活を送って頂きたいと、心から願っている。

ところで、「桜色の頬のお姫様ものがたり」で、<名誉宮司は猫の「あいちゃん」 岡山・伊勢神社で参拝者の人気者>と「桜風堂ものがたり」の猫を話題にしていたので、猫を抱いておられる写真に嬉しい驚きを感じアレコレ検索していると、敬宮様の優しさが滲み出ている作文を見つけた。

「犬や猫と暮らす楽しみ」 
私は、飼っている犬や猫と過す時間が、一日の中で心が和む楽しい時間です。犬や猫は、人間と同じように、一頭一頭 顔も性格も違います。この違いが、犬や猫などの動物の魅力でもあり、一緒にいることの楽しみでもあります。
今、私の家には、犬が一頭と猫が二頭います。犬の由莉は、私が二年生の春に保護され、生後二か月半位で私の家に来ました。来て数日で家にも慣れ、元気よく走り回っていたことを覚えています。成犬となった今も、子犬の時と同じように、家族が帰ってくると、しっぽを振りながらおもちゃをくわえて走り回り、喜びを表現しようとしています。
猫たちは、私が三年生の春に、家の庭で生まれた子猫とその母猫です。元は野猫だったので、慣れるのに時間はかかりましたが、今ではすっかり慣れ、甘えて鳴いたり、なでると目を細めてゴロゴロ言ったりしています。
犬も猫も、誉めながら教えるとよくしつけができます。特に由莉は、出された指示に従う時には、得意そうに目を輝かせてこちらを見て、とても可愛いです。猫のミーも、「お座り」や「お手」ができます。私は、こんな由莉や猫たちが大好きです。そして、由莉や猫たちがいるおかげで、家族の中の楽しい会話がいっそう増えるように感じます。

初等科時代にすでに「スベテヨハ、コトモナシ」を体得しておられた敬宮様
素晴らしい朝(あした)を重ねていかれることを心からお祈りしている。


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桜色の頬のお姫様ものがたり

2016-12-01 00:00:00 | ひとりごと
その時、その本を読んでいなければ、何気なく通り過ぎてしまう風景というものがある。
このニュースも、その時その本を読んでいなければ、「かわいい猫ちゃんだね」とは思うものの、多くのニュースの一つに過ぎなかったのかもしれない。
<名誉宮司は猫の「あいちゃん」 岡山・伊勢神社で参拝者の人気者>山陽新聞2016年11月25日 22時50分 更新より引用
岡山市北区番町の伊勢神社に「名誉宮司」を任された猫がいる。「あいちゃん」と呼ばれる雄の6歳。人懐っこい性格とかわいいルックスで、参拝者の人気を集めている。
あいちゃんは、白と薄茶色の毛並みで、くりっとした大きな目が特徴の“美猫”。首輪に「伊勢神社 名誉宮司」「あいちゃん」と書かれた名札を着けている。
日課は境内と町内のパトロール。参拝者の多い正月には、授与所でお守りの授与を見守っているという。ファンが多く、交流サイト・フェイスブックや写真共有アプリ・インスタグラムによく写真が投稿されているそうだ。
あいちゃんが初めて神社に姿を見せたのは2010年。雰囲気が気に入ったのか、その後も頻繁に現れるように。その頃あいちゃんは近所の飼い猫で、神社の関係者が何度か飼い主の元に連れて行ったが、とうとうすみ着くようになったという。
参拝者が訪れると、一緒について回るなど愛想がいい。人気者になったことから、和歌山電鉄の「たま駅長」をヒントに、見垣安邦宮司(78)が3年ほど前に名誉宮司に任命した。あいちゃんに会うためだけに神社を訪ねる人もおり、見垣宮司は「皆さんの癒やしになっているようだ。長生きしてほしい」と話していた。
http://www.sanyonews.jp/article/452275

このニュースに特に心惹かれたのは、その時読んでいた本のおかげだ。
「桜風堂ものがたり」(村山早紀)  (『 』本書より引用)
本書は、「宝探しの月原」と呼ばれるほど良書を発掘する才能がある若き青年書店員を通じて、リアル書店の実情を描く物語で、ストーリーの大半は書店の話題で占められるのだが、要所要所にアリスという名の愛らしい三毛猫が登場する。
捨て猫なのか迷い猫なのか・・・行き場のない三毛猫は、まず、両親が猫を飼うことを禁じているという女の子の部屋にこっそり匿われ、アリスと名付けられる。
本を読むことが好きな女の子の膝で過ごすことに幸せを感じていたアリスは、本の匂いが好きになるが、やがて女の子が猫を隠し飼っていることは両親の知る所となり、母親の手により遠くに捨てられてしまう。
途方に暮れたアリスがトボトボ歩き、辿り着いたのが廃校となった学校だったが、本の匂いが好きなアリスは、多くの教室のなかでも図書館に居つくようになる。
食べるものがなく、お腹が背中にくっつきそうにぺったんこになっても、女の子の膝の上で感じた本の匂いが忘れられず、図書館で過ごすアリスに、「おいしい」ものをくれる男の子が現れた。
その男の子もまた、本の匂いがした。
アリスにとって本の匂いとは、優しく『埃っぽい匂いと、枯れかけた草木のような匂い。かすかに甘いような懐かしい』ものなのだが、そのような匂いを纏う男の子は、本屋の孫であった。生さぬ仲の義父の虐待を見かねた祖父により救い出され、書店の主である年老いた祖父と暮らしていたのだ。
この男の子は、本の匂いと同時に淋しい「さよなら」の匂いも持っているのだが、ここに月原が書店員として働き始めることで、田舎でひっそりとその役割を終えかけていた本屋が甦る。
その甦った本屋の名前が、本書の題名となる「桜風堂」なのだ。
物語の最後、桜風堂に引き取られ『さよならの匂いをさせない』居場所を見つけた猫は、ある朝目覚め『今日は何だか、とてもいい日になるような気がする』と思う。
そう思った瞬間、一緒に暮らすオウムが高らかに声を上げるのだ。
『スベテヨハ、コトモナシ』
『スベテヨハ、コトモナシ』
猫のアリスは、その言葉の難しい意味は分からないが、『そうだ、今日はいい日だ』と心から思うのだ。
『誰も悲しい思いをすることがなく、さよならを聞かなくてすんで、こうして心地よい場所で風に吹かれながら、夢をみていられる。そんな日になるのだ』・・・・・これは、「桜風堂ものがたり」の中の猫アリスものがたり。

時を同じくして読んだ<名誉宮司の猫の「あいちゃん」ニュース>と「桜風堂ものがたり」について、12月1日という日に考える時、まず心に浮かぶのは、生き物には生まれ持った定めというものがあるのかもしれない、ということだ。
何度か迷い猫になったり捨てられたりという経験をしながらも、いつも本の側に居場所を見つけ、最終的には本屋の猫となる「桜風堂ものがたり」のアリス。
飼主がいながら脱走を繰り返し、その度神社に居ついては、参拝者の癒しの存在となる猫のあいちゃん。

ニャンコならずとも、人間もある年齢になれば、住まう場所・出会う人・果たすべき役割などにおいて、宿命のようなものを感じることはある。
しかし、仮にそれが宿命として決定づけられているとしても、「平穏に見える日常は二者択一の連続で成り立っている」(「氷の轍」(桜木紫乃))という言葉があるように、人は選択しながら自分の人生を生きていると信じている。 
結果的にみて宿命だったと思えることであっても、「最初から選ぶ機会も選択肢もない」というのでは、自分の人生を生きていると実感しにくいのではないだろうか。  (参照、「落とす作業の一つ カツ丼」

そんな少女が、一人いらっしゃる。
最初から選ぶ機会も選択肢もないにも拘らず、女の子だという理由で陥れられ続けている少女が、一人いらっしゃる。

これらのニュースと本を読み、このように考えたのは今日が12月1日だからだと思う。
今日12月1日は、敬宮愛子内親王殿下の15歳の御誕生日だ。
御成婚から8年の年月の間には哀しい出来事もおありになったが、それを乗り越えられ、皇太子ご夫妻と国民待望の第一子が2001年12月1日に誕生した。
御懐妊の報を受けた直後から、女性天皇を希望する声は総理をはじめ国民からあがっていたので、御誕生された時には、この方が未来を繋いでいかれるのだと国中が期待した。
しかし、圧倒的な国民の期待とは裏腹に事はそうは進まず、その後何度も女性天皇議論が起こっては立ち消え、現在皇位継承権者はたった4方という心細い状態のまま時代の転換期を迎えようとしている。

敬宮様は、誕生される前から国民がそうと信じた宿命をお持ちだと、私は信じる。
この転換期にあって、それは愈々たしかな事と思えるが、それが宿命であるにもかかわらず定まらない混乱が、15歳の少女のみならず国の未来を苦しいものとしている。
本来ならば、国民一人ひとりが向き合わねばならぬ命の尊厳という問題の、それが宿命とはいえ、最前線に立たされている敬宮様。
敬宮様が幸せになられる世となることが、一人ひとりが尊重される希望ある国につながるので、お誕生日記念の今日がその新しいスタートとなるよう願っているが
何より、敬宮様のお幸せを心より祈っている。

敬宮様 御誕生日おめでとうございます


『スベテヨハ、コトモナシ』については、少々つづく

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