「桜色の頬のお姫様ものがたり」より
「桜風堂ものがたり」(村山早紀)は、良書を発掘する才能がある若き青年書店員を通じてリアル書店の実情を描く物語で、ストーリーの大半は書店の話題で占められるのだが、要所要所にアリスという名の愛らしい三毛猫が登場する。
この三毛猫は何度か迷い猫になったり捨てられたりという経験をしながらも、いつも本の側に居場所を見つけ、最終的には本屋「桜風堂」の猫となるのだが、その安住の地である朝 目覚め『今日は何だか、とてもいい日になるような気がする』としみじみ思う。
そう思った瞬間、一緒に暮らすオウムが高らかに声を上げるのだ。(『 』「桜風堂ものがたり」より)
『スベテヨハ、コトモナシ』
『スベテヨハ、コトモナシ』
猫のアリスは、その言葉の難しい意味は分からないが、『そうだ、今日はいい日だ』と心から思うのだ。
『誰も悲しい思いをすることがなく、さよならを聞かなくてすんで、こうして心地よい場所で風に吹かれながら、夢をみていられる。そんな日になるのだ』 と。
この『スベテヨハ、コトモナシ』という言葉は、実は私が皇太子御一家を応援する時いつも心に思い浮かべる詩の一節だ。
十年以上にも及ぶ激しい皇太子御一家バッシングほんの一端でも思い出せば、どれほど過酷な日々を御病気の雅子妃殿下が、まだ幼い敬宮様が、そしてお二人をお支えになる皇太子殿下が過してこられたかは、容易に想像がつく。この、遠くから拝見しているだけでも胸が塞がれるような悪質な報道を見るたび私の心に浮かぶのが、ブラウニングの「春の朝」なのだ。
もちろん敬宮様は、国民がそうあっていただきたいと願う宿命をお持ちだと信じているが、お一人の人間としてのお幸せを祈る時、この詩の「神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し」が胸に迫ってくる。
何気ない朝に感じる極上の幸せとは、金や名誉で満ち足りている状態を云うのではない。
露を受けて草木が輝き、鳥がなき、虫がたわむれる朝こそ、幸せなのだとブラウニングは詠っている。
『誰も悲しい思いをすることがなく、さよならを聞かなくてすんで、こうして心地よい場所で風に吹かれながら、夢をみていられる』そんな朝こそ最高の幸せだと、アリスは語りかけてくる。
この詩は、人としての真の幸せこそを祈らねばならないと私に気付かせてくれる、大切な宝物なのだ。
ご誕生以来常に多くの視線にさらされ、苦しみ立ち止まりながらも、その都度しっかり前を向いて立ち上がられてきた敬宮様が、この秋以降ご体調を崩されていた。 (「愛により破壊し、愛によ生まれる輝かしい世界」)
さまざまな転換期を迎えているということもあるだろうし、皇室内格差をとやかく批判される度ご自分が女子であることに苦しまれていたのかもしれない。
ご誕生以来の福々とした頬が、ほっそりされている御姿に、苦悩の深さを知らされる思いがしている。
写真出展 http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/02/activity02-ph3.html
だが、ご自身が苦しい時でも、小さい命を大切に育み続けておられる敬宮様。
写真の猫は、保護されている処を動物病院を通じて引き取り、「セブン」と名付けて敬宮様がお世話されているそうだ。
今年の5月に天上界の住猫となった「人間ちゃん」もまた、保護された猫だった。 (作文、「受け継がれる命を育む御心」)
初等科卒業文集の課題「夢」で、動物の殺処分がなくなることを書かれるほど命を大切にされる敬宮様だからこそ、期待してしまうことはあるのだが、今は御体を大切に、充実した学校生活を送って頂きたいと、心から願っている。
ところで、「桜色の頬のお姫様ものがたり」で、<名誉宮司は猫の「あいちゃん」 岡山・伊勢神社で参拝者の人気者>と「桜風堂ものがたり」の猫を話題にしていたので、猫を抱いておられる写真に嬉しい驚きを感じアレコレ検索していると、敬宮様の優しさが滲み出ている作文を見つけた。
「犬や猫と暮らす楽しみ」
私は、飼っている犬や猫と過す時間が、一日の中で心が和む楽しい時間です。犬や猫は、人間と同じように、一頭一頭 顔も性格も違います。この違いが、犬や猫などの動物の魅力でもあり、一緒にいることの楽しみでもあります。
今、私の家には、犬が一頭と猫が二頭います。犬の由莉は、私が二年生の春に保護され、生後二か月半位で私の家に来ました。来て数日で家にも慣れ、元気よく走り回っていたことを覚えています。成犬となった今も、子犬の時と同じように、家族が帰ってくると、しっぽを振りながらおもちゃをくわえて走り回り、喜びを表現しようとしています。
猫たちは、私が三年生の春に、家の庭で生まれた子猫とその母猫です。元は野猫だったので、慣れるのに時間はかかりましたが、今ではすっかり慣れ、甘えて鳴いたり、なでると目を細めてゴロゴロ言ったりしています。
犬も猫も、誉めながら教えるとよくしつけができます。特に由莉は、出された指示に従う時には、得意そうに目を輝かせてこちらを見て、とても可愛いです。猫のミーも、「お座り」や「お手」ができます。私は、こんな由莉や猫たちが大好きです。そして、由莉や猫たちがいるおかげで、家族の中の楽しい会話がいっそう増えるように感じます。
初等科時代にすでに「スベテヨハ、コトモナシ」を体得しておられた敬宮様
素晴らしい朝(あした)を重ねていかれることを心からお祈りしている。
「桜風堂ものがたり」(村山早紀)は、良書を発掘する才能がある若き青年書店員を通じてリアル書店の実情を描く物語で、ストーリーの大半は書店の話題で占められるのだが、要所要所にアリスという名の愛らしい三毛猫が登場する。
この三毛猫は何度か迷い猫になったり捨てられたりという経験をしながらも、いつも本の側に居場所を見つけ、最終的には本屋「桜風堂」の猫となるのだが、その安住の地である朝 目覚め『今日は何だか、とてもいい日になるような気がする』としみじみ思う。
そう思った瞬間、一緒に暮らすオウムが高らかに声を上げるのだ。(『 』「桜風堂ものがたり」より)
『スベテヨハ、コトモナシ』
『スベテヨハ、コトモナシ』
猫のアリスは、その言葉の難しい意味は分からないが、『そうだ、今日はいい日だ』と心から思うのだ。
『誰も悲しい思いをすることがなく、さよならを聞かなくてすんで、こうして心地よい場所で風に吹かれながら、夢をみていられる。そんな日になるのだ』 と。
この『スベテヨハ、コトモナシ』という言葉は、実は私が皇太子御一家を応援する時いつも心に思い浮かべる詩の一節だ。
「春の朝(あした)」
(ロバート・ブラウニング 上田敏・訳「海潮音」)
(ロバート・ブラウニング 上田敏・訳「海潮音」)
時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛 枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛 枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。
十年以上にも及ぶ激しい皇太子御一家バッシングほんの一端でも思い出せば、どれほど過酷な日々を御病気の雅子妃殿下が、まだ幼い敬宮様が、そしてお二人をお支えになる皇太子殿下が過してこられたかは、容易に想像がつく。この、遠くから拝見しているだけでも胸が塞がれるような悪質な報道を見るたび私の心に浮かぶのが、ブラウニングの「春の朝」なのだ。
もちろん敬宮様は、国民がそうあっていただきたいと願う宿命をお持ちだと信じているが、お一人の人間としてのお幸せを祈る時、この詩の「神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し」が胸に迫ってくる。
何気ない朝に感じる極上の幸せとは、金や名誉で満ち足りている状態を云うのではない。
露を受けて草木が輝き、鳥がなき、虫がたわむれる朝こそ、幸せなのだとブラウニングは詠っている。
『誰も悲しい思いをすることがなく、さよならを聞かなくてすんで、こうして心地よい場所で風に吹かれながら、夢をみていられる』そんな朝こそ最高の幸せだと、アリスは語りかけてくる。
この詩は、人としての真の幸せこそを祈らねばならないと私に気付かせてくれる、大切な宝物なのだ。
ご誕生以来常に多くの視線にさらされ、苦しみ立ち止まりながらも、その都度しっかり前を向いて立ち上がられてきた敬宮様が、この秋以降ご体調を崩されていた。 (「愛により破壊し、愛によ生まれる輝かしい世界」)
さまざまな転換期を迎えているということもあるだろうし、皇室内格差をとやかく批判される度ご自分が女子であることに苦しまれていたのかもしれない。
ご誕生以来の福々とした頬が、ほっそりされている御姿に、苦悩の深さを知らされる思いがしている。
写真出展 http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/02/activity02-ph3.html
だが、ご自身が苦しい時でも、小さい命を大切に育み続けておられる敬宮様。
写真の猫は、保護されている処を動物病院を通じて引き取り、「セブン」と名付けて敬宮様がお世話されているそうだ。
今年の5月に天上界の住猫となった「人間ちゃん」もまた、保護された猫だった。 (作文、「受け継がれる命を育む御心」)
初等科卒業文集の課題「夢」で、動物の殺処分がなくなることを書かれるほど命を大切にされる敬宮様だからこそ、期待してしまうことはあるのだが、今は御体を大切に、充実した学校生活を送って頂きたいと、心から願っている。
ところで、「桜色の頬のお姫様ものがたり」で、<名誉宮司は猫の「あいちゃん」 岡山・伊勢神社で参拝者の人気者>と「桜風堂ものがたり」の猫を話題にしていたので、猫を抱いておられる写真に嬉しい驚きを感じアレコレ検索していると、敬宮様の優しさが滲み出ている作文を見つけた。
「犬や猫と暮らす楽しみ」
私は、飼っている犬や猫と過す時間が、一日の中で心が和む楽しい時間です。犬や猫は、人間と同じように、一頭一頭 顔も性格も違います。この違いが、犬や猫などの動物の魅力でもあり、一緒にいることの楽しみでもあります。
今、私の家には、犬が一頭と猫が二頭います。犬の由莉は、私が二年生の春に保護され、生後二か月半位で私の家に来ました。来て数日で家にも慣れ、元気よく走り回っていたことを覚えています。成犬となった今も、子犬の時と同じように、家族が帰ってくると、しっぽを振りながらおもちゃをくわえて走り回り、喜びを表現しようとしています。
猫たちは、私が三年生の春に、家の庭で生まれた子猫とその母猫です。元は野猫だったので、慣れるのに時間はかかりましたが、今ではすっかり慣れ、甘えて鳴いたり、なでると目を細めてゴロゴロ言ったりしています。
犬も猫も、誉めながら教えるとよくしつけができます。特に由莉は、出された指示に従う時には、得意そうに目を輝かせてこちらを見て、とても可愛いです。猫のミーも、「お座り」や「お手」ができます。私は、こんな由莉や猫たちが大好きです。そして、由莉や猫たちがいるおかげで、家族の中の楽しい会話がいっそう増えるように感じます。
初等科時代にすでに「スベテヨハ、コトモナシ」を体得しておられた敬宮様
素晴らしい朝(あした)を重ねていかれることを心からお祈りしている。