何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

「球道恋々」に、恋々③ ノーコンディションの巻

2017-10-11 20:00:00 | 
「ニーチェに優る野球、に優るワンコ」 「球道恋々に、恋々①」 「球道恋々に、恋々②」より

「球道恋々」(木内昇)は、主人公の銀平以外はほぼ実在の人物であり、彼らが残した著書が参考文献として挙げられているので、本書に記されている言葉は生きている。
その生きた言葉は、時代も相俟って、厳しく激しい。

一高が武士道野球を目指していたせいか、御一新からまだ数十年であり日露戦争に勝利したばかりという時代のせいか、味方同士でも「詰め腹を斬らせるぞ」と脅し合い(もとい)励まし合い、敵の投手を睨め付けては「奴の首級を挙げてやるぞなもし」と息巻き、負ければ「これが対露戦争、旅順の戦いであればどうだ。わが軍は全滅だ。君等は全員戦死しとる。負けるというのは本来そういうことだ」と選手を罵倒し、後を継ぐ後輩の軟弱を見かねては「のうのうと(東京帝国大学に)進学するのは、いかにも卑怯。敢えて落第を希望し後輩を育成する」と討ち入り前夜の大石内蔵助さながらに訥々と語りもする。

このような体育会系の憑かれたような情熱と言葉の数々を、私は基本的に好んでいる。
殊に、一高野球部黄金期を支えた一人 守山恒太郎投手の「ノー・コンディション」は、ともすれば上手くいかない言い訳を探しがちな私への戒めにしなければならないと思っている。(『 』「球道恋々」より)

『ノー・コンディション』
『風邪で高熱があろうが、怪我をしていようが、敵が加減してくれるわけではない。また逆の立場で敵に同情するのは愚だ。偽善だ。いついかなる時も、情け容赦なく正々堂々と戦ってこその野球なのだ。つまり試合に合わせて体調を整え、技を仕上げていくことも、君等選手の仕事である。プレーに関しても言い訳は一切無用。打球が変則的に跳ねたからと、失策をお目こぼしにするようなルールは野球にはない。試合中に起きたことはすべて己で背負う覚悟で臨まねばならん』

上記は、「一高野球部、宿敵三高に敗るる」の悲報に駆けつけた守山の言葉だが、この激しく厳しい言葉を、後輩たちが黙って受け入れているのは、守山が ただ’’先輩だ’’というだけの理由ではない。
一日千球 投げ込むことを自らに課していた守山は、捕手がバテると理化学教室の煉瓦壁相手に投げ続け、ついには塀に一尺角の穴があいたという。その穴の脇の「守山先輩苦心之蹟」の銘文は、投球練習のしすぎで曲がった腕を桜の木の枝にぶら下がって伸ばしたという逸話とともに、後輩の心に刻まれている。
それ故に、後輩も読者も守山の激しい叱咤も受け容れているのだが、そして、そのような激しさを常の私ならば好むのだが、このところの弱った自分と背番号をもらえなかった野球小僧には、守山達のような鋼の精神は眩しすぎる。

だが本書は、そんな強い男の対極に、主人公をおいている。
野球をすれば万年補欠、帝大進学直前に父が病で倒れたため跡(表具屋)を継がねばならなくなり、にもかかわらず不器用ゆえに表具師にもなれず、流れ流れて業界紙の編集長に甘んじている、主人公・銀平。

このような主人公・銀平だからこそ、コーチとなった時に、正選手になれずに泣く者や 負けて泣き崩れる者の「努力が報われないこともある」という悔しさと嘆きに耳を貸すことができるのだが、本書に惹かれる理由は、強気一方の猛者たちが、銀平の良さを十分に理解し慕っているところと、忸怩たる思いを抱える銀平が後輩の成長を見守ることで自分自身の生き方に答えを見つけていくところだと思う。

自分と野球小僧に届けたい、銀平の想いと言葉は次回に記して完結とする。

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