「那古野 なごや ではない①」、「那古野 なごや でもよい②」より
次回は、このところ振り返っていた名古屋城(写真)の続きをと思っていたが、大急ぎで見て回ったこともあり良い写真が撮れなかった、という言い訳が通用しなことが判明し、続きを掲載するのを躊躇っていた。
なにせ、どこをどう歩いて本丸御殿・天守閣に辿り着いたのかさえ、私は分かっていなかったのだ。
「那古野 なごや でもよい②」の末尾に、「(おそらく)一の門も二の門も越え、本丸御殿に向かった、それについては、つづく」などと書いたが、情けないことに一之門は空襲により焼失している、しかもそれを説明する木札を写してさえいる。
そんな訳なので、せっかくの素晴らしい本丸御殿のお宝を、私の無知で下手な写真で汚す必要はないだろうと思い、名古屋城写真は打ち止めにするつもりだった。
だが、こんな記事を見つけてしまったからには、下手な写真でも残しておきたいと、思うもの。
<【南海トラフ】伊勢湾〜三重県で最大M4.5の低周波地震と地殻変動を観測>
ハザードラボ2018年5月12日 23時05分 更新より引用
南海トラフ巨大地震について検討している気象庁は、先月中旬から下旬にかけて、伊勢湾から紀伊半島のプレート境界付近で深部低周波地震を観測したと発表した。同時期には、複数の観測点でわずかな地殻変動もあったという。
四国の南から駿河湾にかけて伸びる南海トラフ沿いでは、今後30年以内に70%の確率でマグニチュード(M)8を上回る巨大地震が発生する可能性があるとされる。気象庁は今月9日に定例の検討会を開き、先月13日~21日にかけて、伊勢湾から三重県にかけてのプレート境界付近の深さ10キロ以内を震源とするM3.6~M4.5の深部低周波地震があったと発表した。
このうち4月14日には、愛知県西部で相次いだ2回の地震で、いずれも震源の深さは6キロ、西尾市や高浜市などで最大震度4の揺れを観測したほか、愛知県から静岡県、長野県、三重県、滋賀県、奈良県など広い範囲で震度2以上の揺れがあった。
また、愛知県と三重県では、ほぼ同時期に複数の観測ポイントでわずかな地殻変動を観測しているという。
これらの深部低周波地震と地殻変動について、検討会では南海トラフ地震の想定震源域のプレート境界の深部で「短期的なスロースリップ」が起きているのが原因だと推定しており、現時点では、「巨大地震発生の可能性が平常時と比べて相対的に高まったと考えられる特段の変化はない」と結論づけている。
「スロースリップ」とは、地下のプレートの境界付近の断層がゆっくりとずれ動く現象で、南海トラフ地震の想定震源域では、海洋プレートの沈み込み地帯で繰り返し起こることがこれまでの調査で明らかになっている
「巨大地震発生の可能性が高まったわけではない」と言いつつ、「スロースリップは、南海トラフ巨大地震想定震源域では起こるもの」で記事を終えるあたりが、何ともズルいと思うが、リスク管理という点からみれば、この表現が精一杯なのかもしれない。
あとは日本人が得意とする、「言外を察する」でいくしかないのかもしれない。
名古屋城は幾多の災難に見舞われている。
西南隅櫓は大正10年(1921)の暴風雨により石垣もろとも崩壊してしまったし、天守閣と本丸御殿は昭和20年5月(1945)空襲により焼失してしまった。
そこを乗り越え、後に再建されたものもあれば、災難を見越して事前に守られたものもある。
そんなお宝(模写ではあるが)を、掲載しておきたい。
私でも一目で狩野派と分かる、見事な襖絵
竹と虎の取り合わせは有名だが、それは竹とともに虎を描くことで、虎の獰猛さを更に強調しながら、高潔なイメージを伝えることが出来るからだと何かで読んだことがある。
だが、虎と云うと、まず「山月記」(中島敦)が浮かぶ私は、虎に猛々しさや王者ゆえの孤独というよりも、もっと違う何かを感じてしまう。
そんな気持ちに合う説を見つけた。
それは臨済宗の御住職の御法話だ。(注、襖絵と御法話は無関係)
猛獣な虎でさえ、群れをなした象には勝てないという。
そこで逃げこむ処が竹薮の中。
巨体の象は竹薮に入られず、また、竹薮に入ると象牙にヒビが入るため、その昔、杣人は象牙のパイプを竹薮へは持って入らなかったという。
青竹に象牙は禁物。
従って、虎には竹薮が何よりの安全地帯であり、依所であるという。
以下の言葉で終える、この御法話が心に染み入る。
牡丹に唐獅子 竹に虎
三百数十年の時を越え、
「あなたにとって、依所となる安住の地は何処ですか。」
と問いかけます。
http://www.rinnou.net/cont_04/rengo/2003-10.html
自分にとっての日々の精神的な拠り所は何だろうかという思いとともに、拙い写真を掲載する切っ掛けとなった「南海トラフ地震」のような大災害が起こったとして、何を拠り所にすれば立ち上がれるだろうか?と考え込んでしまう休日の午後である。
お宝は、つづくよ
次回は、このところ振り返っていた名古屋城(写真)の続きをと思っていたが、大急ぎで見て回ったこともあり良い写真が撮れなかった、という言い訳が通用しなことが判明し、続きを掲載するのを躊躇っていた。
なにせ、どこをどう歩いて本丸御殿・天守閣に辿り着いたのかさえ、私は分かっていなかったのだ。
「那古野 なごや でもよい②」の末尾に、「(おそらく)一の門も二の門も越え、本丸御殿に向かった、それについては、つづく」などと書いたが、情けないことに一之門は空襲により焼失している、しかもそれを説明する木札を写してさえいる。
そんな訳なので、せっかくの素晴らしい本丸御殿のお宝を、私の無知で下手な写真で汚す必要はないだろうと思い、名古屋城写真は打ち止めにするつもりだった。
だが、こんな記事を見つけてしまったからには、下手な写真でも残しておきたいと、思うもの。
<【南海トラフ】伊勢湾〜三重県で最大M4.5の低周波地震と地殻変動を観測>
ハザードラボ2018年5月12日 23時05分 更新より引用
南海トラフ巨大地震について検討している気象庁は、先月中旬から下旬にかけて、伊勢湾から紀伊半島のプレート境界付近で深部低周波地震を観測したと発表した。同時期には、複数の観測点でわずかな地殻変動もあったという。
四国の南から駿河湾にかけて伸びる南海トラフ沿いでは、今後30年以内に70%の確率でマグニチュード(M)8を上回る巨大地震が発生する可能性があるとされる。気象庁は今月9日に定例の検討会を開き、先月13日~21日にかけて、伊勢湾から三重県にかけてのプレート境界付近の深さ10キロ以内を震源とするM3.6~M4.5の深部低周波地震があったと発表した。
このうち4月14日には、愛知県西部で相次いだ2回の地震で、いずれも震源の深さは6キロ、西尾市や高浜市などで最大震度4の揺れを観測したほか、愛知県から静岡県、長野県、三重県、滋賀県、奈良県など広い範囲で震度2以上の揺れがあった。
また、愛知県と三重県では、ほぼ同時期に複数の観測ポイントでわずかな地殻変動を観測しているという。
これらの深部低周波地震と地殻変動について、検討会では南海トラフ地震の想定震源域のプレート境界の深部で「短期的なスロースリップ」が起きているのが原因だと推定しており、現時点では、「巨大地震発生の可能性が平常時と比べて相対的に高まったと考えられる特段の変化はない」と結論づけている。
「スロースリップ」とは、地下のプレートの境界付近の断層がゆっくりとずれ動く現象で、南海トラフ地震の想定震源域では、海洋プレートの沈み込み地帯で繰り返し起こることがこれまでの調査で明らかになっている
「巨大地震発生の可能性が高まったわけではない」と言いつつ、「スロースリップは、南海トラフ巨大地震想定震源域では起こるもの」で記事を終えるあたりが、何ともズルいと思うが、リスク管理という点からみれば、この表現が精一杯なのかもしれない。
あとは日本人が得意とする、「言外を察する」でいくしかないのかもしれない。
名古屋城は幾多の災難に見舞われている。
西南隅櫓は大正10年(1921)の暴風雨により石垣もろとも崩壊してしまったし、天守閣と本丸御殿は昭和20年5月(1945)空襲により焼失してしまった。
そこを乗り越え、後に再建されたものもあれば、災難を見越して事前に守られたものもある。
そんなお宝(模写ではあるが)を、掲載しておきたい。
私でも一目で狩野派と分かる、見事な襖絵
竹と虎の取り合わせは有名だが、それは竹とともに虎を描くことで、虎の獰猛さを更に強調しながら、高潔なイメージを伝えることが出来るからだと何かで読んだことがある。
だが、虎と云うと、まず「山月記」(中島敦)が浮かぶ私は、虎に猛々しさや王者ゆえの孤独というよりも、もっと違う何かを感じてしまう。
そんな気持ちに合う説を見つけた。
それは臨済宗の御住職の御法話だ。(注、襖絵と御法話は無関係)
猛獣な虎でさえ、群れをなした象には勝てないという。
そこで逃げこむ処が竹薮の中。
巨体の象は竹薮に入られず、また、竹薮に入ると象牙にヒビが入るため、その昔、杣人は象牙のパイプを竹薮へは持って入らなかったという。
青竹に象牙は禁物。
従って、虎には竹薮が何よりの安全地帯であり、依所であるという。
以下の言葉で終える、この御法話が心に染み入る。
牡丹に唐獅子 竹に虎
三百数十年の時を越え、
「あなたにとって、依所となる安住の地は何処ですか。」
と問いかけます。
http://www.rinnou.net/cont_04/rengo/2003-10.html
自分にとっての日々の精神的な拠り所は何だろうかという思いとともに、拙い写真を掲載する切っ掛けとなった「南海トラフ地震」のような大災害が起こったとして、何を拠り所にすれば立ち上がれるだろうか?と考え込んでしまう休日の午後である。
お宝は、つづくよ