何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

泥をかぶった りんごたち①

2020-02-11 23:42:35 | 
シンクロニシティというわけではないが、10日ネットにあがっていた記事で、最近読んだ二冊の本を思い出した。
そもそもその本を読んだのも、シンクロニシティというほどではないが、傷アリりんごの話から神戸の少年事件を思いだしたことが、きっかけだったのだ。
 
それは、知人が地方の道の駅で、傷ありりんご一盛りを嘘のように安い値段で買ったという話だった。
少しキズがあるだけで商品価値がなくなってしまった美味しいりんごに、知人は「これが人間なら、私も商品価値がない部類になってしまう」と感じたという。その話から、日本中を震撼させた、あの事件の加害少年が書いたということで、当時世間を賑わせた作文を思い出したのだ。
たしか ー 本物の花や果物は、キズもあり不完全なものなのに、いつのまにかショーケースに並べられた蝋で作った果物や花の姿を完璧・本物だと思うようになり、我々は果物や花はこうでなければならないと思い込んでしまっている ー という内容だったと思う。
 
こんなものを新聞社だか警察だかに送り付けたりしたので、犯罪心理学者とやらは訳知り顔で、犯人はおそらく高学歴の中年だろう、などと予測していたのだが、蓋を開けてみれば、中3になったばかりの男子生徒だったので、日本中が震撼したのだ。

知人との話題であの事件を思い出したところで目に付いたのが、この本だった。

「Aではない君と」(薬丸岳)

本の帯にはひと際大きな文字で「殺してないと言ってくれ」と書かれている。
本の帯より
『殺してないと言ってくれ
 自分の子が’’少年A’’になった。弁護士には何も話さない。
 苦悶する男が選んだのは「付添人」という道だった。
 子供が罪を犯した時、
 親にできることは何か。
 勤務中の吉永のもとに警察がやってきた。
 元妻が引き取った息子の翼が死体遺  棄容疑で逮捕されたという。
 しかし翼は弁護士には何も話さない。
 吉永は少法十条 に保護者自らが弁護士に代わって話を聞ける「付添人制度」があることを知る。
 生活がこんらんを極める中真相を探る吉永に、刻一刻と少年審判の日が迫る。』
 
やりがいあるプロジェクトを任されることが決まった高揚感と、そんなところに警察から連絡が入った緊張感から本書は始まるため、あっという間に本書の世界に引き込まれるのだが、おそらくそれは、こんな経験だけはしたくないと誰もが思う世界だ。
凶悪犯罪が起きると、犯人の親の顔が見てみたい、という声が聞かれるが、加害者の親を疑似体験することになる本書を読むと、そんな思いは吹き飛んでしまい、一瞬にして加害者の親になってしまった主人公とともにオロオロしなが読み進めると、親たるものの心構えらしき言葉が見つかる。(『 』「Aではない君と」より)
 
『物事の良し悪しとは別に、子供がどうしてそんなことをしたのかを考えるのが親だ』

しかし、この言葉を胸に刻んでも、加害少年の疑問に親も読者も容易に答えを見つけることはできない。
 
加害者は動物好きな優しい少年だったのだが、被害者少年による巧妙なイジメに遭い、大好きな動物を殺すことを強要され続けていた。
動物を殺すことに耐え切れなくなった少年の犯行。

加害者少年は父に、『どうして動物を殺すことは許されるのに、人を殺すことは許されないの?』『(動物を殺すことを強要されて)僕はあいつに心を殺されたんだ。それでもあいつを殺しちゃいけなかったの?』と問う。

『心を殺すのは許されるのにどうして体を殺しちゃいけないの?』
『心と体と、どっちを殺した方が悪いの?』

キズあり訳ありりんごが、きれいなリンゴを物色している大人に問いかけている。
 
本書を思い出させた記事と、それにより思い出した、もう一冊の本については、又つづく