昨夜遅く、山から帰ってきた。
このところ色々諸々あり、それは山へ出発する直前まで襲ってきたため「今年の山は諦めるしかないのか!?」と一時は危ぶまれたが、どうにか装備を整え山の日の夜、「いざ奥穂高へ!」と出発した。
その記録は後日写真の整理かたがた掲載していくとして、今日は帰宅し何日かぶりに新聞に目を通し、いきなり目に飛び込んできた大きな文字について書いておきたい。
「2017山の日特別企画 この山の本がすごい!
あなたが選ぶ次に来る新名著 ヤマケイオンライン調査 2017年4月~5月」
この企画の第一位が、七つの山をめぐる連作集 「山女日記」(湊かなえ)だという。
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この広告を見て驚き慌てて検索したところ、10位までのうちの7冊を読んでいたのだが、10位までの結果を知り、もう一度驚いている。http://www.yamakei-online.com/yk/special2/yamabook_01.php
調査が「次に来る新名著」であったからかもしれないし、それが時代の趨勢というものかもしれないが、かつて日本の山岳会が世界をリードしていた頃に世に出た山の名著とは、明らかにその傾向が異なっている。
一位の「山女日記」を紹介する新聞記事には一際目立つ大文字で「私の選択は間違っていたのですか。 真面目に懸命に生きてきた。なのに、なぜ。誰にも言えない苦い思いを抱いて、女たちは一歩一歩、頂を目指す。悩める7人の胸に去来するものはー」とあるが、それは他の本にも共通するものである。
例えば、4位の「八月の六日間」(北村薫)を紹介するアマゾンの書評には「仕事は充実しているが忙しさに心擦り減る事も多く、私生活も不調気味。そんな時に出逢った山の魅力にわたしの心は救われていき……。じんわりと心ほぐれる連作長編」とあるし、八位の「春を背負って」(笹本稜平)の書評には「美しい自然に囲まれたこの山小屋には、悩める人を再生する不思議な力があった。傑作山岳小説『還るべき場所』の作者が描く登山の魅力。」とある。
最近では数少ない本格的な山岳小説を書く笹本氏の作品のなかで一番世に受け入れられているのが、「春を背負って」だということに少なからずショックを受けているのだ。
これら三冊については過去にここでも取り上げており、それぞれの良さと 少しの 違和感を書いてもいるのだが、こうまでも「自然に癒されたい疲れ切った日本人」という内容が世にウケるのを見ると、少々不安になってくる。
このように感じるのは、私が山岳小説に出会った頃に貪るように読んだのが、’’世界初’’の冠を次々と打ち立てている登山家たちの本だったからかもしれない。
世界初のアルプス三大北壁冬期登攀者・長谷川恒男氏、同じくアルプス三大北壁女性初の登攀者の今井通子氏や、チベット・ネパール両側からの世界初のエベレス登頂者の加藤保男氏や、女性初のエベレスト登頂者の田部井道子氏、あるいは、それらの山と壁と山岳会に挑み続けた森田勝氏について書かれたものであったため、命をかけて大自然に挑み、命をかけて自己実現を図るエネルギーに満ちた世界を描いてこその山岳小説だと思い込んでいるフシが私にはある。
だから、「人生に行き詰まった人が、大自然に身をおき、自分のチッポケさを認識したうえで癒され、再生していく」的な話ばかりがウケルことに違和感を感じるのだが、実際のところ現在の山はどうなのだろうかと云えば、山が 人生に倦み疲れた人の専売特許でないことは明白だ。
今回の山でも、流行の山ガールのみならず、なかなかのイケメン若者グループも多く見受けられたし、中高生の登山グループも幾つも見かけた。
なにより背負子におチビちゃんを担ぐ強者母や、両親より遙かに健脚な小学校中学年と思しきチビッ子たちも多くいた。
そんな人々が、すれ違う度に にこやかに挨拶を交わし励まし合い登っていく’’山’’は活気に満ち溢れていた。
とは云え、私自身 年に一度北アルプスに登ることを「魂の洗濯にゆく」と言っているのだから、ヤマケイオンライン調査の結果が現実であることは、身をもって感じてはいるのである。
だが、それだけに、それでいいのか日本!?とも思うのだ。
長谷川恒男氏や田部井道子氏・今井通子氏、加藤兄弟、森田勝氏ら世界をリードしていた頃の日本は、登山界だけでなく日本の全てが、ひたむきに努力し真っ直ぐ上を目指すエネルギーに満ち溢れていたと思うのは、自分のことを棚に上げた身勝手な感想だろうか?
そんな思いを込めて、涸沢小屋に飾られていた長谷川恒男氏による写真を掲載しておきたい。
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お山の話はまだまだ続く
このところ色々諸々あり、それは山へ出発する直前まで襲ってきたため「今年の山は諦めるしかないのか!?」と一時は危ぶまれたが、どうにか装備を整え山の日の夜、「いざ奥穂高へ!」と出発した。
その記録は後日写真の整理かたがた掲載していくとして、今日は帰宅し何日かぶりに新聞に目を通し、いきなり目に飛び込んできた大きな文字について書いておきたい。
「2017山の日特別企画 この山の本がすごい!
あなたが選ぶ次に来る新名著 ヤマケイオンライン調査 2017年4月~5月」
この企画の第一位が、七つの山をめぐる連作集 「山女日記」(湊かなえ)だという。
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山をめぐる7編の連作のうち唯一私が登ったことがある、槍ケ岳
平成25年8月12日登頂
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♪アルプス一万尺♪で有名な子槍
この広告を見て驚き慌てて検索したところ、10位までのうちの7冊を読んでいたのだが、10位までの結果を知り、もう一度驚いている。http://www.yamakei-online.com/yk/special2/yamabook_01.php
調査が「次に来る新名著」であったからかもしれないし、それが時代の趨勢というものかもしれないが、かつて日本の山岳会が世界をリードしていた頃に世に出た山の名著とは、明らかにその傾向が異なっている。
一位の「山女日記」を紹介する新聞記事には一際目立つ大文字で「私の選択は間違っていたのですか。 真面目に懸命に生きてきた。なのに、なぜ。誰にも言えない苦い思いを抱いて、女たちは一歩一歩、頂を目指す。悩める7人の胸に去来するものはー」とあるが、それは他の本にも共通するものである。
例えば、4位の「八月の六日間」(北村薫)を紹介するアマゾンの書評には「仕事は充実しているが忙しさに心擦り減る事も多く、私生活も不調気味。そんな時に出逢った山の魅力にわたしの心は救われていき……。じんわりと心ほぐれる連作長編」とあるし、八位の「春を背負って」(笹本稜平)の書評には「美しい自然に囲まれたこの山小屋には、悩める人を再生する不思議な力があった。傑作山岳小説『還るべき場所』の作者が描く登山の魅力。」とある。
最近では数少ない本格的な山岳小説を書く笹本氏の作品のなかで一番世に受け入れられているのが、「春を背負って」だということに少なからずショックを受けているのだ。
これら三冊については過去にここでも取り上げており、それぞれの良さと 少しの 違和感を書いてもいるのだが、こうまでも「自然に癒されたい疲れ切った日本人」という内容が世にウケるのを見ると、少々不安になってくる。
このように感じるのは、私が山岳小説に出会った頃に貪るように読んだのが、’’世界初’’の冠を次々と打ち立てている登山家たちの本だったからかもしれない。
世界初のアルプス三大北壁冬期登攀者・長谷川恒男氏、同じくアルプス三大北壁女性初の登攀者の今井通子氏や、チベット・ネパール両側からの世界初のエベレス登頂者の加藤保男氏や、女性初のエベレスト登頂者の田部井道子氏、あるいは、それらの山と壁と山岳会に挑み続けた森田勝氏について書かれたものであったため、命をかけて大自然に挑み、命をかけて自己実現を図るエネルギーに満ちた世界を描いてこその山岳小説だと思い込んでいるフシが私にはある。
だから、「人生に行き詰まった人が、大自然に身をおき、自分のチッポケさを認識したうえで癒され、再生していく」的な話ばかりがウケルことに違和感を感じるのだが、実際のところ現在の山はどうなのだろうかと云えば、山が 人生に倦み疲れた人の専売特許でないことは明白だ。
今回の山でも、流行の山ガールのみならず、なかなかのイケメン若者グループも多く見受けられたし、中高生の登山グループも幾つも見かけた。
なにより背負子におチビちゃんを担ぐ強者母や、両親より遙かに健脚な小学校中学年と思しきチビッ子たちも多くいた。
そんな人々が、すれ違う度に にこやかに挨拶を交わし励まし合い登っていく’’山’’は活気に満ち溢れていた。
とは云え、私自身 年に一度北アルプスに登ることを「魂の洗濯にゆく」と言っているのだから、ヤマケイオンライン調査の結果が現実であることは、身をもって感じてはいるのである。
だが、それだけに、それでいいのか日本!?とも思うのだ。
長谷川恒男氏や田部井道子氏・今井通子氏、加藤兄弟、森田勝氏ら世界をリードしていた頃の日本は、登山界だけでなく日本の全てが、ひたむきに努力し真っ直ぐ上を目指すエネルギーに満ち溢れていたと思うのは、自分のことを棚に上げた身勝手な感想だろうか?
そんな思いを込めて、涸沢小屋に飾られていた長谷川恒男氏による写真を掲載しておきたい。
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お山の話はまだまだ続く