何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

万葉一統の真ん中にある愛

2018-12-01 23:15:55 | ニュース
愛人者人恒愛之、敬人者人恒敬之
人を愛する者は、人恒に之を愛し、人を敬う者は人恒に之を敬す 
    

宮内庁ホームページ
http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/02/activity02-ph3.html


最近では本を読む時間もブログを書く時間もとれないのだが、思い入れ深い本の一部が幻冬舎を通じ配信されているので、敬宮様のお誕生日を契機に再び手にとってみた。

「愛子様が将来の天皇陛下ではいけませんか 女性皇太子の誕生」(田中卓)

著者の田中氏は、東京帝国大学文学部国史学科で学ばれ、皇學館大学で教授・学部長を経て学長を務められた古代史の泰斗である。
その田中氏が本書を世に出されたのは、皇太子御一家への見るに堪えないバッシングの最中であったこともあり、歴史学者としての論考の確かさは勿論だが、全編に人としての温かみを感じたことが、強く心に残っている。

強欲と盲信の攻撃に遭ってこられた敬宮様を御身を思えば、これ以上のご負担を願うべきではないのかもしれないが、昨日来の得手勝手狂想曲を祓うような敬宮様の福福とした佇まいを拝見していると、田中氏の論考の一部だけでも記しておくべきとの思いに駆られるので、幻冬舎の配信を次に全文引用させて頂きたい。




http://www.gentosha.jp/articles/-/6052
『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか』
女系天皇で問題ありません——国民の常識に呼びかける【リバイバル掲載】

田中卓先生(皇學館大学名誉教授)のご冥福をお祈りし、2016年に公開した試し読み記事を、6日連続でリバイバル掲載します。

 8月8日(月)、天皇陛下が生前退位のご意向を表明することが明らかになりました。これまで専門家や知識人に、皇統(こうとう)の前途についての議論はおまかせしてきた人が多いかもしれませんが、陛下のお気持ちを拝聴する前に(後でも)、私たちが知っておくべきことはいろいろあります。
「皇室典範の見直し」と「女帝・女系の公認」の立場から書かれた『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか ~女性皇太子の誕生』(田中卓著)から、今につながるこれまでの話を全6回でお届けします。

皇室典範の改正をめぐっての数年来の紛糾
 平成十七年(二〇〇五年)十一月二十四日、小泉純一郎首相に「皇室典範に関する有識者会議」から皇室典範についての改正報告書が提出された。
 その内容に“女性天皇”も認められるというので、本来、国体護持派のはずの一部学者の中に、もともと、皇統は“男系男子”でなければならないのに、これは“女系”天皇への途を開くもので、“未曽有の改悪” “皇統断絶” と叫び、これらの論者主導によるデモ行進や、テロを危惧する発言まで飛び出した。民族派の諸団体や保守政党の一部にも、それに同調し、反小泉の政局にからめる気配も出てきた。
 その結果、私の最も憂慮したのは、この問題で、皇族の間に意見の分裂がおこることであり、もしそのようなことがあれば、それこそ“内乱の勃発” “国体の破壊”となるので、緊急にこの一文を月刊誌『諸君!』に発表した次第である。
皇室の祖神、天照大神は女神
 先般(平成十七年十一月十五日)の紀宮清子(のりのみやさやこ)様と黒田慶樹(よしき)氏との御婚儀(こんぎ)の行われた帝国ホテルの特製神殿には、わざわざ伊勢神宮から奉遷(ほうせん)の「天照大神(あまてらすおおみかみ)が祭られ、神宮の北白川道久(きたしらかわみちひさ)大宮司(だいぐうじ)が自(みずか)ら斎主(さいしゆ)をつとめられた。
 天照大神は、いうまでもなく皇室の御祖神(ごそしん)であり、女神である。また日本神話の中の圧巻は、天照大神の弟のスサノヲの尊(みこと)が、ヨミの国に神去(かむさ)られた母神(イザナミの尊)を慕って泣き続けられる叙述である。生みの母を恋うのは神話に限らず、古今東西、人の子に共通の心情であろう。一方、古来より男性が外で働き、女性が内を守って、夫婦相和(あいわ)するというのは神の摂理であって、心身ともにそのように生成されている。
 そして私は、近来一部の論者の唱えるような過激な男女同権論に与(くみ)するものではない。しかし国家にせよ、家庭にせよ、場合や事情によっては、男に代わって──あるいは男と並んで──女が表に立つ必要もあり、それがかえって望ましいことのあることをも理解している。
 もともと男女に、知能の優劣や、尊卑の差別等があるわけではないからである。


http://www.gentosha.jp/articles/-/6063
「万世一系」の独り歩きを戒める【リバイバル掲載】 『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか』<女性皇太子の誕生>
*皇統はなにがなんでも“男系・男子”でなければならないと主張する立場から、盛んに言われる「万世一系」の伝統とは何か――。これまで紆余曲折してきた議論の流れの一端がわかります。『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか ~女性皇太子の誕生』(田中卓著)から、連載第2回です。

 女帝・女系反対派が、盛んに「神武天皇」以来の「万世一系」の伝統──「男系男子」──と強調し、それに共鳴して三笠宮寬仁(みやさのみやともひと)親王殿下が同様な御発言を繰り返されるのを見て、私には心中秘かに苦笑を禁じ得ないものがある。

 というのは『諸君! 』で別に連載した「祖国再建」(二十五回。まとめて青々企画より上下二冊の著書として平成十八年十二月に発行)の前半で、私が詳論したように、戦後の学界では、「神武天皇」の存在そのものを否定するのが通説であり、実在の証明されない神武天皇に因む “二月十一日建国記念の日” には断乎反対すると、東京大学の史学会総会で席をけって立ち去られたのが、他ならぬ、寬仁親王の御尊父・三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下であったからである(拙稿、『諸君! 』平成十七年八月号)。

 当時は皇統の「万世一系」も疑われて、王朝交替論が流行していたのに対し、私は四面楚歌(しめんそか)の中で「神武天皇」の実在を論証し、それ以降の皇室中心の「万世一系」を主張してきたのであった。

 しかし公平に見て、まだ学界では私の努力が完全に稔(みの)ったとは思えないのに、昨今のマスコミに、これほどまでに“神武天皇以来の万世一系”説が一般化したことは、私には面映(おもは)ゆい。

 同時に注意すべきことは、安易に「万世一系」が唱和され、それが国体讃美の合言葉として独り歩きをすると、一種の皇国美化史観になりかねないという危険性である。

 「万世一系」というのは、有数の歴代天皇の御徳望と、皇国護持に身命をささげた忠臣義士の誠忠の賜物(たまもの)であって、危機や辛苦なしに自然に導かれた国体の精華ではない。

 まして単に男系男子の皇統をつなぐために、一部の為政者が工夫をこらして皇統系譜の連続を図ったというような軽薄な政略ではない。初めに私は、この点を指摘しておきたいと思う。

 それとともに看過してならないのは、皇国美化史観的な「万世一系」論が、これまで眠れる獅子ではないが、レフト陣営の天皇制批判を目覚めさせ、奥平康弘氏の『「萬世一系」の研究』(平成十七年三月、岩波書店発行)等が、にわかに日の目を見るようになってきたことである。真に国体護持を考える学徒は、「女帝」問題に目を奪われるだけでなく、神武天皇の建国以来の国体の歴史について、今後はさらに深い研鑽に努めるべきであろう。


http://www.gentosha.jp/articles/-/6064
政府が皇室典範の改正を急ぐのは当然【リバイバル掲載】『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか』<女性皇太子の誕生>

天皇陛下の「お気持ち」の表明があるのは8日午後15:00。「広島、長崎の原爆の日にあたる8月6日と9日、全国戦没者追悼式の15日を避け」られ、リオ五輪の「競技日程と重ならない時間帯として設定」(「朝日新聞」2016年8月5日)されたといいます。
 生前退位のご意向で、必然的に出てくるのは、法律として1947年に制定された「皇室典範」(皇位継承と摂政に関する規律)の改正です。しかしこの話は、専門家の間で今よりもっと以前、「少なくとも小泉内閣成立以前の平成九年頃から始ま」っていました。『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか ~女性皇太子の誕生』(田中卓著)から、第3回をお届けします。

 *
周知のように、小泉内閣当時の皇室では、皇太子殿下の弟に当たられる礼宮文仁(あやのみやふみひと)殿下(秋篠宮あきしののみや)の御生誕(昭和四十年十一月三十日)を最後に四十年間も、男子が一人もお生まれになっておらなかった。

 このままでは、現皇室典範の規定によると、皇統が断絶してしまうことになる。この危機的な実情に対処して、「皇位は世襲のもの」という憲法(第二条)を遵守し、皇統永続の対策を考えるのは、当然、政府の責務であり、しかも今や緊急な対策を必要とする。

 女帝反対派の識者は、政府の態度が“拙速”であるとか、平成十七年十月の衆院選挙に大勝利をした小泉首相の驕(おご)りと悪口するが、これは時系列を無視した、非難のための言いがかりである。政府の準備は、少なくとも小泉内閣成立(平成十三年四月)以前の平成九年頃から始まり(毎日新聞の報道)、皇室史の専門家の集まっている宮内庁書陵部(しよりようぶ)の協力によって、すでに詳細な「参考資料」も作成され、これは今でも、インターネットの「首相官邸」のホームページに全文約五十ページが公開されているから見られるとよい。また「有識者会議」の設置決議は平成十六年の十二月二十七日であるが、この時は、まだ自民圧勝のはるか以前であり、当時、小泉首相は郵政民営化問題で苦境にあり、「勝(かち)さび」の心境からの驕りの余裕など、あるはずがない。



http://www.gentosha.jp/articles/-/6064
“初めに結論(女帝)ありき”でなぜ悪い【リバイバル掲載】『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか』<女性皇太子の誕生>
http://www.gentosha.jp/articles/-/6065
8月8日の天皇陛下のお気持ち――ご年齢と体力の面から、全身全霊を持って象徴の務めを果たすことが困難に――は、一言一句が重く響いてくるものでした。
 生前退位が実現すれば、現行の皇室典範では皇太子は不在になります。
 陛下のメッセージにもあった「皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう」にするには、皇位継承の問題をどう考えていけばいいのでしょうか。『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか ~女性皇太子の誕生』(田中卓著)から、連載第4回をお届けします。

 「有識者会議」の女性・女系天皇を容認した報告書に対し、反対論者は、これを “初めに結論ありきだ ”と批判する。

 しかしこれも、非難のためにする非難であって、上述のような危機的な現状のもとで、「わが国の象徴である天皇の地位の安定的継承」を維持するためには、先ず「皇長子」である愛子内親王(あいこないしんのう)を念頭に、女帝の是非を検討するのが、“第一の課題〈A〉”ではないか。

 有識者会議が、それ以外を考慮して、臣籍降下(皇族がその身分を離れ氏を与えられて皇族でなくなること)された旧皇族の復帰まで議題(“第二の課題〈B〉”)にすることは、“第一の課題”すなわち女帝そのものが、わが国の国体護持の上で不当ないし不可である場合において、その次に考えられることである。

 したがって、〈A〉の女帝が、日本の歴史・伝統の立場から、容認されると判断した有識者会議が、“〈B〉の課題”にまで踏みこまなかったのは、むしろ当然の成り行きである。

 それを“初めに結論ありき”と悪口するのは、“第一の課題〈A〉”を無視、あるいは否定して、“初めに旧皇族の復帰ありき”とする議論にすぎない。一体、今の時点でそれを主張する論者は、戦後六十八年、なぜ、もっと早くこの旧皇族の復帰の主張や運動をしてこなかったのか、私には、むしろその姿勢こそが疑われる。


http://www.gentosha.jp/articles/-/6065
女帝と女系とを分ける不遜な妄想【リバイバル掲載】
側室制度なき現代で、天皇という地位の〈男系男子の永続〉は考えられません。それを認めた“女帝反対論者”は「〈女帝〉はいいが〈女系〉は伝統に反する」と論旨を無意味に分けているといいます。どういうことでしょうか。
 『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか 〜女性皇太子の誕生』(田中卓著)から、連載第5回です。

 女帝反対論者も、ごく最近は、「純粋な男系継承を続けるということは非常に困難」であることを認め、それを成就(じようじゆ)するためには古来、「庶子(しよし)(正式の婚姻関係にない両親から生まれた子のうち父親に認知された者)継承」と「傍系継承」の「二つの安全装置」があった、という。

 しかし、さすがに「庶子継承」は、今の時代に無理と見て取り下げている。そして国民世論の支持率の高い敬宮(としのみや)愛子内親王を念頭に、このお方は男系だから女帝として容認してもよいが、その後の継承が「女系」となると、それは日本の伝統に反すると、論旨を、「女帝」と「女系」とに分けて論じ始めた。しかし、女帝が皇族以外の婿を迎えられれば、生まれた子は「女系」となるのであるから、結果的には同じであって、これは愛子内親王だけを女帝と認めるための弥縫(びほう)策(一時的な取り繕った方策)にすぎない。
 そして、彼らの本心は、愛子内親王が女帝となることにも、実は反対なのである。そこで嫡出の子に男子がなければ、次の「安全装置」である傍系のお方を迎えればよいとして、敗戦後に臣籍降下された旧宮家の方々の皇族復帰を盛んに提唱している。そしてその中から男子を選出して、愛子内親王はその皇后になられたらよい、と勝手な構想をえがく者さえもいる。実に不遜な妄想ではないか。



http://www.gentosha.jp/articles/-/6065
皇室には「氏」がないという特色を理解せよ【リバイバル掲載】 『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか』<女性皇太子の誕生>
田中卓先生(皇學館大学名誉教授)のご冥福をお祈りし、2016年に公開した試し読み記事を、6日連続でリバイバル掲載します。


 天皇陛下の「生前退位」のご意向を受けて皇位継承について考える時、問題にされる「男系」「女系」とは、そもそもどういう意味なのでしょうか。議論の対象になったのは、どうも明治以降のようです。『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか 〜女性皇太子の誕生』(田中卓著)から、連載第6回をお届けします。


 なぜ、「女系」が伝統に違反するといわれるのか。この点が一般に理解されにくい。

 一体、皇統に関して男系とか女系とか言い出したのは、西洋の学問を摂取した明治以来のことで、管見(かんけん)(私の考え)では、それ以前に議論の対象となったことはないように思う。

 特に旧『皇室典範』で「男系ノ男子」と見える、その対(つい)として「女系」が話題となるが、ふつう民間で「女系」という場合は、女から女へと相続の続く家系、婿養子(むこようし)が何代も続く家系、母方の系統、等の意味である。『皇室典範』での場合は、在位の「天皇」を中心として考えることになるので、男帝(甲)の場合は、皇族以外の皇妃(側室)との間に生まれた庶子でも、過去においては、すべて「男系の男子・女子」となる。なお現在は、「皇庶子(こうしよし)(庶子である天皇の男の御子)」は認められていない。

そして女帝(乙)の場合には、皇婿(こうせい)(女帝の配偶者)──この方が皇族(旧皇族を含む)であっても──その間に生まれた御子は「女系の男子〈A〉」または「女系の女子」となる。

 女系反対派は、この女系が皇位につかれることは従来の歴史になく、伝統に違反するというのである。

 しかし「女系の男子〈A〉」であっても、後に即位せられて「天皇」となり、娶(めと)られた皇妃(皇族出身者以外を含む)との間に「男の御子〈B〉」が生まれて、そのお方〈B〉が皇位につかれると、この系統は母方に当たる女帝(乙)の血をうけられているので、古来からの皇族の継承と見て、皇統は再び「男系」にかえると考えてもよい。

 この問題は、前例がないため、皇室法の学界でも定説はないようだが、歴史的には、皇祖神(こうそしん)の天照大神が「吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地」と神勅されている通り“天照大神を母系とする子孫”であれば、男でも女でも、皇位につかれて何の不都合もないのである。つまり母系にせよ、明瞭に皇統につながるお方が「即位」して、三種神器をうけ継がれ、さらに大嘗祭(だいじようさい)を経て「皇位」につかれれば「天皇」なのである。

 子供は父母から生まれるのであって、男系とか女系の差別より、父母で一家をなすというのが日本古来の考えだから、それを母系(または女系)といっても男系といっても、差し支えなく、問題とはならないのだ。

 この点が、ヨーロッパの王朝等とまったく違う。それは、日本の皇室にはもともと「氏」がないからである。

 これは日本の他国に異なる最大の特色の一つだが、なぜ、皇室に「氏」がないのかというと、古来、皇室は他の氏族と区別する必要がなく、建国以来、天皇(古くは大王)の家として断然隔絶されていたからである(皇后の場合は周知の通り、正田(しようだ)家御出身の美智子様でも正田皇后とは申し上げない。女帝に対する皇婿の場合でも、皇族ならば当然、初めから「氏」はないから、氏名で呼ぶことはないが、民間の出身者でも、皇室に入られると、新しく『皇統譜』に記載されて、今までの戸籍は消滅して「皇族」の一員としてお名前だけになられるから、謀叛(むほん)者による革命が起これば別だが、婚姻関係から皇室とは別の「氏」の王朝が、将来も誕生される可能性はない)。



つづきは「愛子様が将来の天皇陛下ではいけませんか」をお読みくださいで結ばれている幻冬舎の配信だが、
田中氏は日本が世界に誇るべきは、万葉一統であり、それを体現されるのは敬宮愛子内親王殿下だと明確に記されている。
得手勝手な世迷い事を見るにつけ、本書や幻冬舎の配信が世論を喚起する契機となることを願っている。

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