何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

優れた感性の根っこにあるもの

2015-11-21 19:08:18 | ひとりごと
「感謝の乾杯と祈りの献杯」「昼の星」(オリガ・ベルゴリツ)「星の王子さま」(サン=テグジュペリ)「星とたんぽぽ」(金子みすず)について書いたが、最近読んだ本にも同じことが書かれていたと思いだし、「流れ星が消えないうちに」(橋本紡)を再び手にとった。

あったあった。
「流れ星が消えないうちに」は、高2の文化祭をきっかけに交際を始めた加地君と奈緒子と、二人のキューピット役の巧の人間模様に、人生後半の生き方を迷う奈緒子の父を絡めた物語だが、絵的に綺麗に描かれている場面に、「昼の星、こころで見なきゃ」と同様の内容が書かれている。
学園祭の出し物でプラネタリウムの解説する加地君はその中で、牡羊座の奈緒子への想いを吐露する。
『皆さんの中には、牡羊座の方がいて、がっかりしてるかもしれませんね。確かに牡羊座は地味な星座です。
 でも、実はすごい星座なんです。ギリシャ神話では、牡羊座というのは黄金の羊のことです。
 そして、ギリシャ神話でもっとも偉い神様である、ゼウスの化身であるとも言われています。
 たとえ見かけは地味でも、本当はすごい星座なんです~中略~
 牡羊座にはもう一つ素晴らしい特徴があります。実は牡羊座は年に一度、大きな流星群の基点になるんです。
 ただ、牡羊座流星群は昼間に流れるので、目には見えません。でも、僕たちの目には見えていないだけで、
 本当はものすごくたくさんの星が流れているんです。僕は知ってます。
 たとえ星座自体が地味でも、流 星群が見え なくても、その素晴らしさを僕はちゃんと知ってます』

この時期になると、しし座流星群が話題となるのは天体ファンでなくとも耳にするところであるが、確かに牡羊座流星群というのは一般的には知られてはいない。
知られていないからといって、目に見えてないからといって、無いわけではない。
地味でも、目に見えていなくても、それをちゃんと知って、告白に用いるような加地君なので、高校生ではあるが何処か哲学的である。

学校や部活動という集団活動のなかで、人としてどうあるべきかを高校生にして語る、加地くん。
「部活でボコられることやハブられることは辛い」と言う巧に対し加地は説く。
『俺は一人でいられなくなる方が怖いけどな』
『人間ってさ・・・誰かに頼らないと生きられないんだよな。俺もちゃんとわかってんだ、そういうの。
 だけど、、一人で生きられるようにならなきゃいけないとも思ってる。
 でないと、結局、ただもたれ合うだけになっちまうだろう。それじゃ駄目なんだ。
 ちゃんと一人で立てる人間同士が、それをわかった上でもたれ合うからこそ、意味が生まれるんだ』

このような哲学的な加地君なので、頭で考えてばかりで行動的でない自分の性格について・・・・・考える。
そうして大学生になって出した答えが、物語の核となる。
『立ってる場所を変えることによって、見えるものが違ってくる。
 そういうのが本当に大切なことだって、ようやく気付いたんだ。』

物語の中核をなすこの言葉は加地君の言葉だが、巧を通して人生に悩む奈緒子の父に伝えられる。
『考えてばかりじゃ駄目だって。動いてこそ、見えてくるものがあるんだって。~略~
 状況は変わらないかもしれないですけど、それを見る目は変わるかもしれないですよ』

加地君が海外で(現地で出会った女性と)事故死したことを受け入れられずに苦しんできた奈緒子だが、元は加地君の言葉が巧君を介し父から語られるのを聞いたことで、『言葉や思いは、こうして巡って行くのだ』と気付き、新しい一歩を踏み出す決意をする。そこでこの青春物語は終わるのだが、当初何か違和感があったのは、「車輪の下」をおもしろいと表現する事に加え、高校生にしては思索的に過ぎると感じたからかもしれない。
(参照、「読書と応援の道」
自分の来し方を振り返り、高校時代にこのような難しいことを考えるのか?物語的にデキすぎではないか?と。

それを少し考え直させる話を聞いた。
普段は広辞苑など手にとりそうにない筋肉頭の子が何やら調べているので、「何を調べているのか」と訊くと、「現実的」という言葉の意味が知りたいという。
何故か?
中学年・高学年で活動している時に、将来の夢が話題となったそうだが、ある女子Aが「絶対に潰れない会社の社長と結婚したい」と言ったそうだ。
それに対し、ある男子は「なんと現実的なユメ」と呆れ、ある女子Bは「ぜんぜん現実的でないユメ」と呆れたそうだ。
現実的という言葉を、男子は「実態社会に即した生々しいもの」という意味で使い、女子Bは「実現可能性」という意味で用いているのだろう。筋肉頭としては、その微妙な違いが気になったため広辞苑で調べていたようだが、「そういうBちゃんのユメは、大金持ちになること。弁護士になっても医者にはかからなければならないし、医者になっても弁護士が必要になる。それよりは、大金持ちになって、医者と弁護士を顎で使った方が良いらしい、だけど、それだって現実的なんだか。頭がいいBちゃんなら、自分が医者が弁護士に成る確率の方が高いと思うけれど」と釈然としない様子である。

なるほど、子供であっても微妙な言葉のニュアンスを心に留め、子供なりに考えるものなのだと、子供時代をすっかり忘れていた自分は気付かされた。
であれば、高校生の加地君が、哲学的思索的であっても何の不思議なことでもないのだろう。
子供時代の自分があまりに能天気だったのか、多少はモノを考えていたとしても、それを忘れるくらい年をとってしまったのか?今の物差しで青春モノを読み、かってに違和感を抱いていたことを反省しながら、今夜は「流れ星が消えないうちに」を手に夜空を見上げようかと思っている。

「微妙な言葉のニュアンス」といえば敬宮様の感性はとても優れておられる。
平成20年、皇后陛下御誕生日の御言葉より一部引用
『この頃愛子と一緒にいて,もしかしたら愛子と私は物事や事柄のおかしさの感じ方が割合と似ているのかもしれないと思うことがあります。周囲の人の一寸した言葉の表現や,話している語の響きなど,「これは面白がっているな」と思ってそっと見ると,あちらも笑いを含んだ目をこちらに向けていて,そのような時,とても幸せな気持ちになります。』
この時、敬宮様はまだ小学校一年生の6歳である。
その6歳の敬宮様が、文才があると誉れ高い皇后陛下(当時74)と感じ方が似ておられるというから驚きでもあり、国民としては大きな喜びでもある。
そして、敬宮様の繊細で秀でた感性の根底にあるものが優しさであることが尚すばらしい。
敬宮様がまだごくごく幼く、雅子妃殿下の御病状がかなり重かった頃、お母様の体調を心配する敬宮様は、お母様を励ますお手紙を書いて枕元にお届けになっていたと、何かで読んだことがある。病人の枕辺を見舞うということが、時に病人の体調に負担をかけるということを理解した上で、お身舞の気持ちを届けたいという優しさに心がうたれる。
思春期を迎えた敬宮様は今は、歌番組を録画して楽しみ、学校ではジャニーズなどの話も弾まれるそうだが、その年齢に相応しい瑞々しい感性と御成長もまた嬉しい。
スポーツ選手やドラマや歌手などについては世代ごとに共有できる記憶があり、その時代や年齢に相応しい出会いと記憶を有すれば、後々同世代の輩と楽しい時間を共有できるというものだ。

三つ子の魂百までとも云う、御心の根っこに優しさをもたれた敬宮様が、優れた感性で以てご自身の時代を吸収され、何時の日かその優しさと知性が活かされることを心から願っている。

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