<イチロー2安打、ルースに並ぶ=通算2873安打―米大リーグ> 時事通信 5月19日(火)11時33分配信
【マイアミ時事】米大リーグは18日、各地で行われ、マーリンズのイチローはダイヤモンドバックス戦に8番中堅で出場し、4打数2安打でメジャー通算2873安打とした。ヤンキースなどで活躍した強打者ベーブ・ルースが持つ大リーグ歴代42位の記録に並んだ。
このニュースを「神様と並んだ」「イチローまた金字塔」「伝説に追いついた」と伝えている。
イチローが鈴木一郎という高校球児だった頃から知っている身としては、この間の時間の長さはよくわかり、
それだけに技術と精神力が維持できていることに驚きと感動を覚えている。
高校野球が好きで、母校でなくとも贔屓のチームを作っては地方大会にも足を運んでしまう自分としては、熱血甲子園の熱気のなかにあってクールなイチロー選手は、チームとしては強くなかったにもかかわらず、印象に残る選手だった。
その印象は、プロ野球の選手になって拍車がかかった。
無類の野球好きだが、野球を扱った本はあまり読んではいない。
実物を観戦する方が断然面白いにきまっているし、思い入れをもってみれば、どのチームにもどの選手にも物語はあり、それは作り物の野球小説よりも感動的だからだが、東野圭吾氏の「魔球」は印象に残っている。
プロの呼び声も高い高校屈指の投手・須田武志の周辺で起る事件だが、本人も右腕を切断された姿で遺体として発見される。
東野氏だけに熱血スポ魂ものではなくミステリーだが、事件の鍵となるのが、試合を決める場面で投げられた題名にもなる「魔球」なのだ。
この魔球を投げ、最期には腕を切断されて発見される投手須田の野球への真摯な取り組みと孤高の姿が、どこかイチロー選手を思い出させたので、この小説は印象に残っているのだ。
それは、この小説で重要な要素となる家族関係では、もちろんない。
イチロー選手が、幼少時から父ローの全面的バックアップと家族の協力のもと野球に邁進してきたのに対して、
小説の須田は、複雑な事情を抱えグローブ一つ買うのを躊躇うほど金銭的に厳しいなか、家計を少しでも楽にするためにとプロ野球の選手を目指す。
部活動として仲間と楽しい思い出ができれば満足な他の部員と、家計を助けるとためプロを目指し過酷な練習を自分に課す須田とでは、ともに甲子園に出場してさえチームプレーの一体感が生まれないのは止むを得ないかもしれないが、家族の協力のもと陽のあたる野球人生の王道を歩きながらも孤高の一匹狼を感じさせるイチロー選手の野球への原動力は何なのか、この言葉を知るまで不思議だった。
『 少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事 』
イチロー選手は中学時代の担任に「真面目に勉強すれば東大にも合格できる。不確定なスポーツよりも勉強をしろ」と期待されるほど優秀だったという(今手元にないが、「イチロー」著佐藤健に書いてあったと記憶している)。
「一芸に秀でた者は多芸に通じる」という通り、イチロー選手はどの道を選んでも抜きん出たかもしれないが、イチロー選手が人間を磨くために選んだのは、野球。
野球はイチロー選手にとって、人間修行の一つであり自己実現の一つなのかもしれない。
そんなイチロー選手を、野球の神様も選んだのかもしれない。
長年イチロー選手の活躍を見ている我々からすれば、ベーブルースに並ぶ記録も多くの伝説の通過点の一つかもしれないが、年齢的には限界に近いところを「少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事」と自らを励まし何年も踏ん張っていての、今日の快挙だと思うと、この言葉は重みを増してくる。
継続することの大切さと、少しずつの進歩が大きな一歩につながるのだということと・・・・・
野球の神様はイチロー選手を通じて、まだまだ伝えたいものがありそうなので、イチロー物語はまだまだ続く。
ところで敬宮愛子様も野球がお好きなのだと思う。
皇太子ご夫妻がWBCを観戦されたことから野球にご関心をもたれ、小2の夏には神宮に足を運ばれたこともあるほどだが、小学校高学年ではバスケットボールをされていたので野球熱は冷めたかに思われたが、そうではなかった。
この春の学習院での校内球技大会では、ソフトボールにチームリーダーとして三番ショートで出場されたそうだ。
学校行事のこの試合に向けて、東宮職とだけでなく皇太子ご夫妻ともご一緒に練習を重ねられ、その甲斐あって第一打席でヒットを放ち、守備では併殺を取るなど活躍された。
残念ながらチームは4対5でサヨナラ負けとなったが、それもまた良し。
これまでの話と多少矛盾するようだが、東宮のお姫様がチームプレーを正々堂々と戦われるのは、良いことだと思っている。
敬宮様の充実した学校生活を願っている。
蛇足ながら、小学生の頃、一番ショートであった私は、高校時代は応援団として高校球児を応援していた。
今でも、人知れず頑張る人を応援するのが習い性である。
応援する皆さんが、心からの笑顔になるように、これからも心を込めて応援していこうと思っている。
【マイアミ時事】米大リーグは18日、各地で行われ、マーリンズのイチローはダイヤモンドバックス戦に8番中堅で出場し、4打数2安打でメジャー通算2873安打とした。ヤンキースなどで活躍した強打者ベーブ・ルースが持つ大リーグ歴代42位の記録に並んだ。
このニュースを「神様と並んだ」「イチローまた金字塔」「伝説に追いついた」と伝えている。
イチローが鈴木一郎という高校球児だった頃から知っている身としては、この間の時間の長さはよくわかり、
それだけに技術と精神力が維持できていることに驚きと感動を覚えている。
高校野球が好きで、母校でなくとも贔屓のチームを作っては地方大会にも足を運んでしまう自分としては、熱血甲子園の熱気のなかにあってクールなイチロー選手は、チームとしては強くなかったにもかかわらず、印象に残る選手だった。
その印象は、プロ野球の選手になって拍車がかかった。
無類の野球好きだが、野球を扱った本はあまり読んではいない。
実物を観戦する方が断然面白いにきまっているし、思い入れをもってみれば、どのチームにもどの選手にも物語はあり、それは作り物の野球小説よりも感動的だからだが、東野圭吾氏の「魔球」は印象に残っている。
プロの呼び声も高い高校屈指の投手・須田武志の周辺で起る事件だが、本人も右腕を切断された姿で遺体として発見される。
東野氏だけに熱血スポ魂ものではなくミステリーだが、事件の鍵となるのが、試合を決める場面で投げられた題名にもなる「魔球」なのだ。
この魔球を投げ、最期には腕を切断されて発見される投手須田の野球への真摯な取り組みと孤高の姿が、どこかイチロー選手を思い出させたので、この小説は印象に残っているのだ。
それは、この小説で重要な要素となる家族関係では、もちろんない。
イチロー選手が、幼少時から父ローの全面的バックアップと家族の協力のもと野球に邁進してきたのに対して、
小説の須田は、複雑な事情を抱えグローブ一つ買うのを躊躇うほど金銭的に厳しいなか、家計を少しでも楽にするためにとプロ野球の選手を目指す。
部活動として仲間と楽しい思い出ができれば満足な他の部員と、家計を助けるとためプロを目指し過酷な練習を自分に課す須田とでは、ともに甲子園に出場してさえチームプレーの一体感が生まれないのは止むを得ないかもしれないが、家族の協力のもと陽のあたる野球人生の王道を歩きながらも孤高の一匹狼を感じさせるイチロー選手の野球への原動力は何なのか、この言葉を知るまで不思議だった。
『 少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事 』
イチロー選手は中学時代の担任に「真面目に勉強すれば東大にも合格できる。不確定なスポーツよりも勉強をしろ」と期待されるほど優秀だったという(今手元にないが、「イチロー」著佐藤健に書いてあったと記憶している)。
「一芸に秀でた者は多芸に通じる」という通り、イチロー選手はどの道を選んでも抜きん出たかもしれないが、イチロー選手が人間を磨くために選んだのは、野球。
野球はイチロー選手にとって、人間修行の一つであり自己実現の一つなのかもしれない。
そんなイチロー選手を、野球の神様も選んだのかもしれない。
長年イチロー選手の活躍を見ている我々からすれば、ベーブルースに並ぶ記録も多くの伝説の通過点の一つかもしれないが、年齢的には限界に近いところを「少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事」と自らを励まし何年も踏ん張っていての、今日の快挙だと思うと、この言葉は重みを増してくる。
継続することの大切さと、少しずつの進歩が大きな一歩につながるのだということと・・・・・
野球の神様はイチロー選手を通じて、まだまだ伝えたいものがありそうなので、イチロー物語はまだまだ続く。
ところで敬宮愛子様も野球がお好きなのだと思う。
皇太子ご夫妻がWBCを観戦されたことから野球にご関心をもたれ、小2の夏には神宮に足を運ばれたこともあるほどだが、小学校高学年ではバスケットボールをされていたので野球熱は冷めたかに思われたが、そうではなかった。
この春の学習院での校内球技大会では、ソフトボールにチームリーダーとして三番ショートで出場されたそうだ。
学校行事のこの試合に向けて、東宮職とだけでなく皇太子ご夫妻ともご一緒に練習を重ねられ、その甲斐あって第一打席でヒットを放ち、守備では併殺を取るなど活躍された。
残念ながらチームは4対5でサヨナラ負けとなったが、それもまた良し。
これまでの話と多少矛盾するようだが、東宮のお姫様がチームプレーを正々堂々と戦われるのは、良いことだと思っている。
敬宮様の充実した学校生活を願っている。
蛇足ながら、小学生の頃、一番ショートであった私は、高校時代は応援団として高校球児を応援していた。
今でも、人知れず頑張る人を応援するのが習い性である。
応援する皆さんが、心からの笑顔になるように、これからも心を込めて応援していこうと思っている。