何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

讃良の方さで考えよう

2016-07-19 20:55:55 | 
不敬であることを承知で云わせて頂きたい。
「皇太子様 <ささらほうさら>だねえ」
「雅子妃殿下 <ささらほうさら>だねえ」
「敬宮様 <ささらほうさら>だねえ」

「ささらほうさら」とは、「桜ほうさら」(宮部みゆき)で主人公にかけられる言葉である。 (『 』「桜ほうさら」より引用)
『あんたも<ささらほうさら>だねえ』
『甲州弁でね、あれこれいろんなことがあって大変だ、大騒ぎだっていうようなとき、言うんだよ』 

宮部みゆき氏の本は、発売から程なく読むことにしているのだが、どういうわけか「桜ほうさら」は読みそこなっていた。
それをこのタイミングを読んだのも何かの縁だと感じるのは、本書の肝が「家族」と「言葉の真贋」にあるかからもしれない。  

先週13日にNHKのスクープで始まった「天皇陛下生前退位」報道。

<天皇陛下 「生前退位」の意向示される> 7月13日19時00分NHKより一部引用
天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。数年内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められています。

平素は放送後にネットに配信される記事が、放送と同時に配信されたことからもNHKの力の入れようが伺えるが、いつの間にか、それは無いものとなっている。

<生前退位意向 宮内庁長官「お話しになられた事実はない」> 毎日新聞2016年7月14日19時44分より一部引用
宮内庁の風岡典之長官は14日、定例会見で、天皇陛下が生前退位の意向を示されたとの報道について「具体的な制度についてお話しになられた事実はない」と述べた。「従来陛下は憲法上のお立場から、制度について具体的な言及は控えている」と繰り返し、皇室典範など制度に関する陛下の発言はないことを強調した。

<天皇陛下、早期退位想定せず 公務「このペースで臨む」> 2016/7/16 02:00共同通信より一部引用
天皇陛下が皇太子さまに皇位を譲る生前退位に向けた法改正を政府が検討していることを巡り、天皇陛下自身は早期退位の希望を持たれていないことが15日、政府関係者への取材で分かった。


今上陛下の御心は拝察しようがないので、陛下の御言葉について、ここであれこれ書くつもりはないが、曲がりなりにも公共放送が大々的に報じたことが、たった数日で引っくり返るところに、この国が抱える問題の根源をみる思いでいるとき、「桜ほうさら」の内容は、なかなかに示唆に富んでいるように感じられるのだ。

「桜ほうさら」は、父・宗左右衛門の汚名を雪ぐべく江戸へ出てきた上総国搗根藩の小納戸役の次男坊である古橋笙之介が、町人や長屋の人の手をかりつつ事件を解決するという人情ものだが、その事件とは。
ある時、野良犬一匹斬れぬという理由で「不犬流」と嗤われるほどに優しい父・宗左右衛門に、賄賂を受け取ったという疑いがかかる。
身に覚えがないにもかかわらず賄賂を受領したという嫌疑を逃れることができず、蟄居閉門から切腹へと至ったのは、宗左右衛門自身も自分のものとしか思えないほどの手跡の(賄賂の)証文が見つかったからだが、この偽文書騒動の裏には、藩主の跡目争いが絡んでいたために、江戸留守居役の協力のもと、笙之介が事の次第を探るというのが本書の大筋である。
そして、その過程で重要な視点となってくるのが、「言葉の真贋をみる目」と「家族」だと思うので、言葉が二転三転するニュースとその根っこにある家族について思いを巡らせることになったのだ。

笙之介は父の汚名を雪ぐべく、父の手跡を真似て偽の賄賂の証文を書いた代書屋を探すが、広い江戸で手掛かりすら見つからないまま上巻が終わるので、読んでるこちらまで焦ってくる。だが、焦りを募らせた時に笙之介が思い出す老人や国元の老師の言葉には考えさせられるものがある。

『(真似られた当人にも見分けがつかぬ程そっくりに、他人の手跡を真似て書くことができる人物がいるとすれば)、真似る手跡の主に合わせて、ころころと眼を取り替えることのできる人物』 という老人の言葉から、偽の文字(言葉)を操るのは「真似る主に合わせて心を取り替える」ことができる人物だと笙之介は気付く。
『人は誰でも目でものを見る。だが、見たものを留めるのは心だ。
 人が生きるということは、目で見たものを心に留めてゆくことの積み重ねであり、心もそれによって育っていく。
 心が、ものを見ることに長けてゆく。
 目はものを見るだけだが、心は見たものを解釈する。
 その解釈が、時には目で見るものと食い違うことだって出てくるのだ。』

心を取り替え、解釈を違え、たった一週間たつかたたずかで、ころころ報道が変わったのは、それを言わせたい人の都合に合わせるからだろうし、いくら向こうさんの都合に合わせようとしても、こちら側との解釈とは異なってくることもある。
元の言葉が迷走しているので、受け留めるこちらも真実がどこにあるのか分からないが、分からない時の対処法も本書には示されている。

笙之介は、よろずの学び事に向き合うとき国元の老師の言葉を常に浮かべていた。
『分からないことに直面したときには、焦ってはいけない。
分からぬものを強いて分かろうと、いきなり魚を捌くようにしてしまえば、分からなかったものの本体がどこかへ逃げ去ってしまう。
故に、分からぬものに遭遇したら、魚をいけすで飼うようにそれを泳がせ、よくよく見つめる事が、正しい理解へ至る大切な道筋だ』

しかし、よくよく見つめて笙之介が辿り着いた真実は、残酷だった。
自身の出世栄達のためなら、父の命を売り、兄弟の命を絶ち切ろうとする者もいる。
自分だけの出世栄達を願い、代々続く「家」を破壊し、自身を新たな「家」の始まりとしようとする者もいる。
本書は、最近はやりの「絆」を信じる者には残酷な現実と真実を突き付けてくる。
『人の世では、親子でも相容れないことがある。解り合えないことがある。気持ちが食い違い、許し合えないことがある。
どれほど思っても、通じあえないことがある。立場と身分が、思いの真偽を入れ替えることがある。
誰かが大切に守っているものが、別の誰かに弊履の如く捨てられることがある』

そして、このような利己主義に固まった者は得てして常日頃から嘘にまみれた生活を送っている。
自分が得をするための「嘘」、誰かを陥れるための「嘘」、自らを実際以上の人物に見せかけるための「嘘」、そんな「嘘」は釣り針に似ていると、父・宗左右衛門は言う。
『釣り針の先には、魚の口に引っかかったら容易に外れぬように、返しがついている。
 嘘というものにも返しがついている。
 だから人を引っかけるには容易だが、一度引っ掛かったらなかなか抜けない。
 自分の心に引っかけるのも容易だが、やはり一度引っ掛かったらなかなか抜けない。
 それでも抜こうと思うならば、ただ刺さっているときよりもさらに深く人を傷つけ、己の心も抉ってしまう。』
父はこうして、「嘘」をつくことの怖さを教えるが同時に、利己主義にまみれた「嘘」に対抗するための手段としての「嘘」も教えており、この教えが最終的に笙之介の生きる道を示すことになる。
『嘘は、一生つきとおそうと覚悟を決めた時だけにしておきなさい』

言葉が二転三転するということは、そこかしこに「嘘」が紛れているとまではいえないにせよ、真実でないものが混じっていることは確かだ。
言葉の主、その主(の心)に合わせる代弁者、それぞれ思惑と解釈が二転三転し分からない今、早急に答えを出す必要はない。
よくよく見つめ、よくよく考え、時間をかけて正しい理解へ至れば良い。

不敬を承知で再度いう。
「皇太子御一家 <ささらほうさら>だねえ」

だが、本書の後書きにもあるように、『「あんたも<ささらほうさら>だねえ」 -そういわれたら、肩の力が抜け、ちょっとだけ荷物も軽くなる』 
歩いてみなければ未来が茨の道か光の道かは分からないが、その背中には大きな荷物が乗っかっているとしても、『いつかきっと、大切な人たちと「<ささらほうさら>だったねえ」と笑い合える日が来る』と信じさせてくれる「桜ほうさら」

人を導く八咫烏と人を勝利に導く金鵄に導かれ、明後日21日神武天皇稜を参拝される皇太子御一家。
今は茨の道を歩んでおられるかもしれない皇太子御一家だが、八咫烏と金鵄のお導きで、『いつかきっと、大切な人たちと「<ささらほうさ>だったねえ」と笑い合える日が来る』と信じている。

皇太子御一家と国民が、「<ささらほうさら>だったねえ」と笑い合える日が来ることが、日本が明るい光の道へと歩むことに繋がると信じている。

参照、「導きの神」 「祝号外 八咫烏と金鵄が導く明るい未来」

人生に生きる野球道を!

2016-07-17 12:30:23 | ひとりごと
この時期は忙しい。
全国各地から送られてくる情報を分析せねばならないからだが、個人的な理由で今年は’’力’’が入っている。

<マー君が球団専門誌の表紙飾り斎藤佑との対決語る> 日刊スポーツ 7月17日(日)10時1分配信より引用
ヤンキース田中が、後半戦最初の登板となる17日(日本時間18日)のレッドソックス戦に向け、本拠地で投球練習を行った。
変化球を交えて23球を投げ、前回10日のインディアンス戦から中6日と休養十分で今季19度目の登板に臨む。また球団専門誌「ヤンキース・マガジン」の7月号で2度目の表紙を飾った。田中特集も9ページにわたって掲載され、甲子園での日本ハム斎藤との対決なども回顧。「自分のすべてを出し切った高校3年間だった」などと語っている。


チビ子チームで一番ショートだったせいか、とりあえず甲子園はつけっぱなしで、見ているうちに贔屓のチームをつくり応援する家風で育ったせいか、この時期には、地元代表校でなくとも母校でなくとも頑張っている選手を見ると応援の虫がウズウズ騒ぎ出し、本を持つ手を新聞スポーツ面に変え、かぶりつくように読んでいる。
だが、今年の’’力’’の入れようは又一段と違っている。

甲子園に出場できそうなチームを応援しているわけでは、ない。
リトルリーグに初めて入った小3の頃から野球にあけくれた子が、この夏の大会を最後にとりあえず一時野球から離れるので、一試合でも多く戦わせてあげたいと、心の底から応援しているのだ。
ハイシーズンになれば朝は5時から夕方7時まで泥と汗にまみれて練習してきた集大成の夏が終われば、また野球に関わるために受験勉強に打ち込むという。
「野球が教えてくれたことを教えたいから、中学校の教師を目指す」と言うほどに素晴らしい野球道を歩んだ子が、一回戦に勝利し、次の試合に備えている。
次の対戦相手は、自身が希望していた進学校。複雑な思いもあるだろうが、頑張れR君!

今年初めての夏の大会を迎える子もいる。
野球も勉強もかなりできる彼は、学力で進学したうえで、甲子園を目指す野球部に入部した。
どちらからも突き上げを食らい、苦労しているようだ。
そのうえ、この三連休で戦う対戦相手には、リトルリーグからの野球仲間が目の色をかえて在籍している。
最近の甲子園出場校の傾向を見ていると、文武両道では出場が難しいのは確かで、それでは高校野球が目指す趣旨が(少し)歪んでくるのではないか、とも思ってはいる。
ともあれ、10時過ぎに重いからだを引きずり帰宅するなり勉強を始めるJ君。
一年生の君には、もちろん出番はまだないが、その頑張りが人生の糧になる、頑張れJ君!

怪物マー君は「自分のすべてを出し切った高校三年間だった」と言っているが、私がマー君のその言葉を信じ立派だと思うのは、何も史上二校目の夏連覇を目指して戦い、しかも再試合となる決勝戦を二日間にわたって投げたからではない。
甲子園のマー君というと、剛腕ばかりが有名で、彼の夏が彼自身の一振りで終わったことはあまり語られてはいないが、甲子園決勝の最後のバッターボックスに立ったのは、マー君だったのだ。
だが、「ハンカチ王子」に三振を取られることで(試合が)終わったマー君の笑顔は、記憶の残るほど良かった。
ベンチに引き揚げる間際、二日間にわたって戦った「ハンカチ王子」をほんの一時見つめ、照れたような笑いを浮かべて、爽やかにバッターボックスを後にした、マー君。
あのマー君の笑顔が、その後の彼の生き方にも通じているような気がしてならない。

負けるが勝ち、負けても勝ち

今日も汗と泥にまみれて白球を追っている全国の球児よ 頑張れ!
R君 J君 頑張れ! 

知性の声は小さい

2016-07-15 12:53:11 | ニュース
昨日7月14日は、パリ祭だった。

13日遅くに帰宅したため二ユースをよく知らないままだった私が翌日の新聞の一面で目にしたものは、「天皇陛下生前退位のご意向」の大文字だった。
<天皇陛下、生前退位の意向>  2016年07月14日 01時29分読売新聞より一部引用
天皇陛下が生前に天皇の地位を皇太子さまに譲る「退位」の意向を持たれていることが宮内庁関係者の話でわかった。

衝撃的な見出しの上にあるある日付を見て私の頭に浮かんだのは、このセンセーショナルな記事が掲載された日が、パリ祭の日だということだった。
それが、どのような心象に繋がっていくのかを書くのは難しいが、皇族の方々、皇族方と宮内庁、皇室(関係者)と政府、皇室と国民、この間合いを上手くはからねば大変なことになるという漠とした不安を感じたことは記しておかねばならないと思う。

「王妃 マリー・アントワネット」(遠藤周作)
7月14日に思い入れがあるためにパリ祭に関心をもっていた私が、その関連本として初めて読んだのは、「ベルサイユのばら」(池田理代子)だったと思う。
そもそもオスカルと云う人物からして存在しないので、「ベルばら」で繰り広げられた恋愛模様を期待して「王妃 マリー・アントワネット」を読めば肩透かしをくらうが本書だが、刻々と変わる「生前退位」のニュースとそれへのネット上のコメントを見ながら読み返していた。

皇室についての目を覆いたくなるような罵詈雑言が、ネット上では放置され続けている。
炎上といわれる状態すら、実はごく少数の人間が仕立てあげているケースが多いとは分かっていても、架空空間の節度の無い明け透けな物言いに実態社会の方が引きずられるという恐ろしい事態が起こっている。
群集心理が時に正常な判断力を奪ってしまうこと、狂暴化した群集心理の前にあっては知恵ある声や心ある眼差しは無力であることを、本書は書いているように思う。

「もうすぐで、お前の首はなくなるぞ」という言葉と唾を吐きかけられながら断頭台への道をゆくマリー・アントワネットを見つめる群衆を、ルイ・ダヴィッドという画家が観察している場面がある。(『 』「王妃 マリー・アントワネット」より引用)

『怯えたような顔がある。何かに耐えているような顔がある』 その表情から一目で元貴族だと分かる人々は、『彼女の最期の運命を彼らは耐えながら見るため』、王妃を待っている。

『可哀想に・・・・・』という顔もある。
『その素朴な顔はこれから起こる悲劇に深い同情を寄せた顔だ。しかし彼等にはそれを口にする勇気はない。もしそれを口にすれば彼等もまた捕えられ、足蹴にされ~引っ立てられるからだ』

そして、も一つ別の顔があった。
『残酷な大衆の表情だ。彼等は今、言いようのない快感を味わいながら死に曝された女を待っている。』 『不平等。不合理のすべての原因だった女。その女が今日この晴れあがった日に永遠に抹殺されるのだ。殺されて当然なこの女の死を、楽しみつつ見物するのが何故いけないのだろう』 と一人の女性の死を快感に酔いしれながら待ち望む大衆の顔。

そして、一人ぼっちのマリー・アントワネットの顔。
『眼をつむっているアントワネット。まるで彼女には群衆の声も聞こえぬようだ。死を前にして祈っているのかもしれぬ。あるいはこれらの大衆など信じていぬことをその表情で示そうとしているのかもしれぬ。だがいずれにしてもそこに描かれたマリー・アントワネットはまったく一人ぼっちである。一人ぼっちであることがそのスケッチから分かる』

彼女の最期を耐え忍びながら見守る穏健な人々の声も、可哀想にと同情する心優しい人々の声も、生き血に飢えた大衆の大声の前には無力だ。

しかし、断頭台が近づくにつれ、加害者であるマリー・アントワネットの気高さに対して、被害者であるはずの大衆の醜さと脆さが露呈してくる。

本書は、国民の困窮に目もくれず享楽的に贅沢三昧の毎日をおくるマリー・アントワネットの対極に、マルグリットという貧しい境遇に虐げられた女性を描いている。
断頭台にまさに首を差し出さんとしながらも瞑目したまま美しい姿勢を崩さないマリー・アントワネットの姿が、マルグリットには強情極まりないように思え、『あんたがいなかったら、わたしは自分の惨めさに気付かなかったかもしれない。でもあんたをあのストラスブールで見てから、私は自分の惨めさや、この世の不公平をたっぷり知ったわ』 と腹の中で毒づくのだが、すべてが終わり、死刑執行人が元仏蘭西王妃マリー・アントワネットの首をつかんで高々と持ち上げながら断頭台の周りを回り、歓声と拍手が広場をうずめたとき、マルグリットは故知らぬ涙を流す。

何故だか分からないけれど流れて仕方ない涙を、この後、多くの人々が少しずつ胸に溜め込んでいったような気がしてならない。

時は今、世界でも日本でも、憑かれたような熱情で一方向に傾れ込んだり、どこからか垂れ流される世論誘導にまんまと乗せられてしまう傾向がある。

リークなのかブラフなのか分からないが、世論を伺ったり世論を誘導したりと大衆心理を弄んでいるうちに、抜き差しならない事態になりかねない。
「うっかり、いたしましたのよ」と微笑みながら元仏蘭西王妃は天に召されたが、一時の熱情でうっかり失ってしまっては取り返しのつかない大切なものがある。

宮内庁幹部、政府高官が匿名で現れては二転三転する状態を見ていると、空恐ろしい気がしてならない、パリ祭の日であった。

乙女は頂上(てっぺん)に立つ

2016-07-12 20:55:55 | ニュース
世界七大陸の最高峰制覇者をセブンサミッターというが、今日その最年少記録更新という嬉しいニュースが飛び込んできた。

<南谷さん7大陸最高峰制覇 19歳女性、日本人最年少>  2016/7/12 00:34共同通信より一部引用 
早稲田大2年で19歳の南谷真鈴さんが、日本人最年少で世界7大陸の最高峰制覇に成功したことが11日、分かった。最後の一つとなっていた北米大陸のデナリ(旧称マッキンリー)山(6190メートル)の登頂に成功したと、同日までに支援する博報堂DYスポーツマーケティングに連絡が入った。
同社によると、7大陸の最高峰を極める「セブンサミッター」の従来の記録は2004年の故渡辺大剛さんの22歳だった。南谷さんの公式サイトを手がけるゼロスタート社によると、デナリには今月4日に登頂した。
http://this.kiji.is/125214981343297539
(マッキンリー改め「デナリ」となった件につき参照 「偉大なる山」 「偉大なる人の山」

「一歩一歩」を掛け声にしながら、「3歩登って5歩下がる」を地で行くような歩みの私なので、この快挙を心から讃えたい。

19歳の彼女が何時から山に目覚めたのかは分からないが、「山ガール」という言葉が巷で聞かれるようになりつつあった数年前は、まだそこは中高・高・高年登山の世界だった。

数年前のある夏、奥穂からの下山中、旅行会社が企画したらしき20~30人ほどの団体登山の集団とすれ違った。
登り優先だの下り優先だのと文句を言うつもりはないが、中高年の団体登山の人達は、総じて多勢に無勢で「自分達優先」を決め込んでいるように見受けられる。この時も多勢に無勢的ご一行だったので、てっきり中高年onlyの登山団体だと思っていたら、中高年のなかに20才前後と思しきイケメンな男子たちが数人いて、しかも彼らは(団体の通過を)待ちくたびれている登山者に道を譲るため山側にへばりついていたのだ。「こんにちは。ありがとうございます」と声をかけながら彼らの装備を見ると、山初心者であることが明白なことから、なぜ彼らは中高年登山団体に交じりながら穂高を目指しているのだろうか、と訝しく思ったその時、彼らのボヤキ声が耳に届いた。
「山ガールなんて、いないな。アウトドア派のイケテル女子に会えると思ってキメて来たのに」

あれから数年で、山はいっきに若返り、山ガールだけでなく山ボーイも山を闊歩する時代となった。
そして、総じて若者はマナーが良い。
そんな若者の象徴のようなニュースに心を沸き立たせながら、かつての「山ガール」の本を手に取った。

「山を楽しむ」(田部井淳子)
本書は、女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる田部井氏が2002年・国際山岳年を記念して書かれたもだが、そこには今につながる指針が記されている。

国際山岳年のスローガンは’’we are all mountain people’’であり、活動指針は「脆弱な生態系の管理、持続可能は山岳開発」だったそうだが、国土の7割が森林である日本にもかかわらず、その指針は活かされていない。
間伐・伐採など森林の手入れがなされないために荒廃がすすみ、本来ならば山が有していたはずの「自然のダム」としての機能が失われてしまったことが、昨今の土石流災害に繋がっている事や、森林の荒廃や異常気象のために山で食糧が賄えない熊などが、里に出没して甚大な被害を及ぼしている事を考えると、国際山岳年から遅れること14年目の今年ようやっと制定される「山の日」が果たしていかねばならない役割は、ただ観光業の旗振り役だけではないはずだと改めて気付かされる。

また、国内の記録を「女性」が塗り替えたという点から本書をみれば、「森の女性会議」という章で紹介されている女性の生き方は、昨年成立した女性活躍推進法の先駆けともいえ、励まされるものがある。
ある女性。
家庭の事情で大学進学を断念し、二年間のスチューワーデス勤務のあと専業主婦となったが、母の糖尿病と癌にはじまり、夫の癌さらに父の入院と、「私の半生は看病ずくめだった」という人生にあって、通信教育で大学を卒業し、46歳で司法試験に合格する。何回も何回も不合格を繰り返し、母の死に続き父が亡くなった時には、火葬場でさえ基本書を読んでいたという。
46歳で司法試験に合格し、検事となったその女性は「本当に継続は力よ」と「森の女性会議」で語ったという。

人生は山に例えられることがあるし、山を歩くことが人生に重ねられることもある。
一歩を踏み出さなければ、一歩一歩を重ねていかなければ、山も人生も前へ進まない。

弱冠19歳で偉業を達成した南谷氏の功績を讃えながら、人生という山でも先駆者となって欲しいと願っている。

南谷氏に先んじること14年、2002年に史上最年少でセブンサミッターとなったのは、現役東大生(23歳)だった。
史上最年少のセブンサミッターとなった山田淳氏は経済学部卒業後、外資系企業に就職し、現在は自身が立ち上げたベンチャー企業(山道具のレンタルなど)を運営されているが、著名な若者が手掛けた「山道具のレンタル」が山への間口を広げた、という面があると思う、多分。

南谷氏は19歳、これから大いに学び大いに登り、かつての「山ガール」が切り開いた道を、更に高みへと続かせて欲しいと願っている。

乙女は、人生でも山でも、てっぺんに立つのだ!



乙女猫の小豆ちゃん

今日も、かりかりさんを食べましたか?

アナログ人間なためブログの流儀を知らず、御挨拶もせぬまま読者登録させていただき、毎日ご機嫌麗しい小豆ちゃんに、ほっこりさせていただいていました。
今や、小豆ちゃんのおっさん顔と、ママしゃんとお姉ちゃんのツブヤキにメロメロで、小豆ちゃんがカリカリさんお代わりをねだる熱視線と同じくらいの熱い視線で、小豆ちゃんを見つめています。
「ママしゃん、変な人がじっと見つめてる」と心配しないで下さいね、熱い視線を感じたら、それは3106moriranです。

ママしゃんの背中をかけあがり、今では小豆ちゃん家の頂上(てっぺん)に君臨している小豆ちゃんが元気に楽しく過ごしていかれることを心から祈っています。

これからも、どうぞ宜しくお願いいたします。


反省の追記
中高・高年登山者団体のマナーをあれこれ書いたが、今となっては自分もりっぱな中年登山者。だかたこそ自戒の気持ちをこめて厳しい意見を書いてみた。
田部井氏が本書で記している「野外には野外のマナーがあることを子供に教えるためには、まず大人や親がそれを知らなければならない」の言葉を胸に、今年も山を歩こうと思っている。

常ならぬもの故の輝きをカメラに納めたい

2016-07-10 23:35:07 | ひとりごと
参議院選挙の結果を見て、政というものは「世襲」という言葉だけで片づけることのできないものだと、つくづく思う。
今日の結果に晴れやかな笑顔の総理が、やはり総理であった祖父の路線を引きついていることばかりが有名だが、その横でにっこり笑う幹事長もおそらく祖父の思想的系譜は引いているのだろうし、この祖父と「あなたとは違うんですよ」総理の父も大陸政策では交わるところがあったという。そして、戦前の大陸政策から戦後外交の真ん中を現副総理の祖父のドクトリンが貫いているのだから、もはや「世襲」という言葉だけで語られるものではなく、情念の世界なのかもしれない。

選挙結果を、一代では片付かない「政の情念」という観点から見たのには理由がある。
最近、政敵の奸計に陥った勘定奉行である父とその息子の身を処し方について考えさせられる本を二冊続けて読んだからだ。

「辛夷の花」(葉室麟)の主人公・志桜里の父は、家老三家の悪事をあばく役目を任されるほど殿の信頼が篤い勘定奉行だが、ワロモノ家老たちは反省するどころか逆に勘定奉行を奸計に陥れ一族皆殺しを謀ろうとする。
一族皆殺しを避けるため、自ら切腹することで事を収めようとする勘定奉行に意見するのが、同じく殿の信頼厚い半五郎という隣家の侍だ。  「<奸>言に打ち勝つ女子の義」

『それは短慮と申すものです。なるほど、澤井さまが切腹されれば、三家が屋敷に討ち入ることはなくなるやもしれませんが、勘定奉行として賄を受け取ったという汚名は残ります。されば家はとりつぶされ、新太郎殿(勘定奉行澤井家の嫡男)始めご家族はよくて領外への追放にございましょう。あるいは新太郎殿は切腹か遠島を申し渡されるかもしれませんぞ』

この進言を受け入れ澤井家は、勘定奉行とその嫡男はもとより出戻りの長女から幼い妹まで一族挙げて屋敷に立てこもり家老三家の討ち入り勢と戦うものの、娘っこが投げつける目くらましの粉団子に対して、家老方は御禁制の鉄砲まで持ち出し多勢に無勢で攻撃を仕掛けてくる。だが、見かねた近隣のあちこちの武家屋敷から「助太刀できぬまでも、事の詳細はしかと見極める」との支援ともとれる声があがるようになり、そうこうしているうちに、家老三家が「新たに幼い君主を立てる」と息巻く城から殿が救い出だされ、一気に形勢が逆転するというのが、「辛夷の花」だ。

そして、これと真逆の道を転がり落ちるのが、「風聞き草墓標」「其の一日」(諸田玲子)で描かれる、勘定奉行として実在した荻原重秀とその息子源八郎だ。
同じ勘定奉行とはいえ、一藩と幕府を預かる身では重みが違うのは当然だが、収賄の嫌疑という同じ奸計に陥れられたお家の顛末として、あまりの違いに驚きを禁じ得ない。

日銀券ジャブジャブの現在でなくとも、荻原重秀の評価は改められるべきではあろうが、朱子学が幅をきかせていたせいか、名前が清廉潔白なイメージをもつ新井白石の政敵であったせいか、重秀は収賄の嫌疑に断食で抗議し自害するという武士としても悲惨な最期を迎えただけでなく、最近までその財政手腕の評価も不当に低かった。
この重秀、自らの潔白を申し出て戦おうにも敵屋敷に押しこめられていたので如何ともし難かったのだが、抗議の断食自害の直前に息子・源八郎にあてた書状があったことが20年後に判明し、また時を同じくして当時の差配に疑義を申し立てる書が出回り始めたことから不穏な空気が漂い、関係者が次々殺害されていく。
重秀の自害をもってしても残った禍根と因縁による禍は、父・重秀の死後20年をへて、遂には息子に及び、江戸から遠く離れた佐渡で不審な死を遂げることになるのだ。

家のため家族のためにと黙って自らの命を犠牲にする道と、それでは禍根が残ると戦いに打って出る道と。
自分自身の都合だけで事を決することはできない、そこには必ず家族の行く末を案じる思いがあるゆえ、その思いや信念や因縁は繋がっていく。
まこと、政の因縁は一代に留まらない、そんなことを考えさせられる参議院選の夜であった・・・・・



と書けば何やら小難しいことを考えていたようだが、実際にはそうでもない。
この土日は私的には真剣勝負の日だったが、そうはいうものの、頭は金魚ちゃんで一杯だった。

七日七夕の夕刻、2012年9月16日から睡蓮鉢の住人だった金魚ちゃんの一匹が天に向け飛び跳ね、星になってしまった。
その数日前から時折聞えた飛び跳ねるような音も、姿形も色もきれいな金魚ちゃんのこと、元気な証拠だと安心していたのだが・・・天に向かって飛び跳ね星になってしまった。
朝、雨戸をあけ、身を寄せ合って泳ぐ二匹の真っ赤な金魚ちゃんを睡蓮鉢に見つけることが、今の私にどれほど元気を与えてくれていたか。
あれほど仲が良かった相棒を失った残りの金魚ちゃんのショックを考えると、夜もおちおち眠れず、8日早朝に睡蓮鉢を見に行くと、残りの一匹も飛び出している。
しかし、まだエラがピクピク動いていたので、急いで汲み置きの水に入れてやり、少し塩も加えて様子をみることにしたのが、8~9日。
この間、私は天王山を迎えていたのだが、家族の必死の協力もあり、持ち直してくれているようだ。

4年前の秋、ペットショップで「エサ用」とデカデカと張り紙されて売られていた、金魚すくいの金魚ちゃん。
子供の頃から金魚すくいの金魚をなかなか上手く育てることができなかった私だが、上等の熱帯魚の「エサ」として明日をも知れぬ命なら、私が一生懸命に世話しようと迎え、4年近くを我庭で過した金魚ちゃん。
朝、エサをくれとばかりに水際に浮かびより、口をパクパクさせていた金魚ちゃん。
諸行無常を感じることばかりの、今年だけど、
持ち直してくれた金魚ちゃんを大切に大切に育てるから、安心してワンコと一緒にこっちへ遊びにおいでよ。

諸行無常
生き物も植物も命あるものは、巡り巡ってまた出会えるとしても、姿をかえてしまう。
大切な記憶を記録しておくのに最適なデジカメに挑戦しようかと考えたりもしていた週末でもあった。
ほぼ半世紀前のNIKONが今も現役でいい感じの写真が撮れるせいか御大は最近までフィルム派で、それを元写真部の家人の言葉が補強していた。家人曰く「フィルムには100年を超える歴史があるが、デジカメにはそれがない。カードでもディスクでも温度・湿度・光の管理具合で全てがお釈迦になることがあるのがデジカメ、その点フィルムは安心」と。
だが、可愛いわんこやニャンコや美しい自然で溢れている写真ブログや、丹精込めて育てる野菜の成長を記録しているブログを毎日楽しく拝見していると、そろそろ文明の利器に目を向けても良いのではないかと、デジカメを検索している。

無常を痛切に感じるからこそ、今を大切にしつつ、愛おしいものを記憶し記録しておきたいと考えたりする週末であった。