何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

糸魚川のために

2016-12-25 11:00:55 | ニュース
ニュースによると、今年はクリボッチで過ごす人が52%らしい。

「それでこそ成熟した大人の社会になってきたということだろう」と独り言ちながら、友達とでかけるとか旅行にでかけるとか、めんどくさいからという理由で家族から押し付けられた年賀状の束を前に、今現在も悪戦苦闘している。

そもそも家族の誰もが、「おめでとう」という気分でないため年賀状から逃げているというのが正直なところだと思うが、年賀状ごときを愚痴っていては申し訳ない惨事が起こってしまった。

<糸魚川大火30時間ぶり鎮火=延焼150棟、4万平方㍍-空だき原因か・新潟>時事通信2016/12/23-21:08配信より一部引用
新潟県糸魚川市の大規模火災で、市災害対策本部は23日、発生から30時間後の同日午後4時半に鎮火したと発表した。焼損家屋は約150棟に増え、延焼面積は約4万平方メートルに上った。

「地震、雷、火事、親父」とはよく云ったものだが、親父はともかく地震の恐ろしさは骨身にしみている私たちに、自然災害以外でも被災地が生まれうるという悲しく厳しい現実を突き付けてきた。
鎮火に30時間を要したため、延焼中にも刻々と新しいニュースが入ってきたが、「あちこちで火の手、空襲のよう」(朝日新聞)「戦場のよう」(日本経済新聞)と伝えていたのが、「何もかも燃えてしまった」(産経新聞)「何もかも失った」(共同通信)になり、「全滅、頭からっぽ」(朝日新聞)となるに至り、胸がつぶれる思いがする。

かなり以前のことになるが、自宅から数十メートル先で火災が起こった知人から、話を聞いたことがある。
火事をだした家は全焼し、両隣は壁が黒焦げ(保険的には半焼とも認定されず)、後ろ三軒は火は移らなかったが消火活動の水で家中が水浸しとなり、家財道具も畳もすべて使い物にならなくなった。
火元の原因は子供の火遊びだったが、全焼だったため、そうそうに新築の(火事前より)立派な家が保険で建てられた。
その一方で、壁を黒焦げにされた隣家も家じゅう水浸しにされた3軒も、何の補償もなかっただけでなく、そのうち何人かは心労から入院されてしまったという。

火事は、一瞬ですべてを焼き尽くしてしまう恐ろしさもあるが、延焼しそうな(していく)我が家をどうすることもできずに見つめているしかないという精神的苦痛と、その後の後始末の肉体疲労は、計り知れない。
火事の恐ろしさの一端を知っているだけに、この寒空のもと、何もかも失い焼け出された方々に、なんと声を掛けて良いのか分からないし、その言葉を本の中に探そうにも、火事を書いているものがすぐには浮かばないが、今読んでいる湊かなえ氏の著書には、火事で大きく人生を変えた若者が描かれているものがある。(今読んでいるのは「サファイア」

「Nのために」(湊かなえ)
この本を読んではいないので、そのドラマにあったセリフが、本にもあったのか分からないが、火事で何もかも失った青年と精神的に結ばれていた同級生(女子)が時々自分を励ますために呟く言葉は、今も印象に残っている。
「下は見ない。上を向く」
そして、これもドラマだけのセリフかもしれないが、苦労ばかりしてきた女子に下宿屋のおじいさんが掛ける言葉も、心に残っている。
「苦労はね、忘れるのが一番」

火事にかかわる様々な問題だけでなく、多々苦労を抱えて生きてきた若者たちの物語とそのセリフは、めったにドラマを見ない私に強く印象を残しているが、だからと云え、これらの言葉が被災から間もない現在に適したものと言えないことも分かっている。

だから、月並みかもしれないが、やはり心をこめて、この言葉を記しておきたい。

夜明け前が一番暗いが、明けない夜はない。
まして、混乱のさなかですら、『「互いを気遣う関係」死者ゼロに』(毎日新聞 12/24(土) 19:43配信より)という糸魚川の方々ならば、夜明けは遠くない。

その時に向け、どうかお体をお大事になさいますよう心からお祈りしています。

頑張れ! 糸魚川

悲しみと悪の素 万能感

2016-12-22 22:42:04 | ニュース
年の瀬も押し迫っているというのに、とんでもない事件がおこっている。

<保育園のさゆに高濃度塩素=警視庁に被害届―東京都江東区> 時事通信2016/12/21-23:33配信より一部引用
東京都江東区は21日、区立辰巳第三保育園で19日に乳児3人が口に含んだポットのさゆに、塩素剤と思われる異物が混入していたと発表した。乳児のうち1人は吐き出し、2人は飲み込んだが、体調不良などは起きていないという。
区保健所が、さゆを20日に調べた結果、1600ppmの濃度の塩素が検出された。学校のプールの消毒などで使っている塩素の濃度の約16~32倍に当たる。
19日午後5時ごろ、コップに移した状態でさゆを与えたところ、嫌がったり吐き出したりした。職員が確認すると、塩素系の臭気があったという。
同日午後3時ごろにも、同じポットを使って乳児にさゆを与えたが、異常は無かったという。
同保育園では、保育室に消毒用として液体の塩素剤を置いていた。棚に鍵は掛かっていなかった。
同保育園は21日、同署に被害届を提出した。同署は事件と事故の両面で調べを進める。

事件と事故の両面で調べを進めている現在進行形の出来事なので、これについて言及することは避けるが、これで思い出したのが、あの和歌山毒カレー事件の毒物鑑定をした医師を主人公とする本であったと書けば、事の顛末が明らかになったときに、支障がでるだろうか。

「悲素」(帚木蓬生)

’’この作家のBest3!’’を考えるとき、おそらく私が大いに悩む作家さんの一人が、帚木氏だと思う。
先進医療と倫理の問題を提起する「臓器農場」「受精」「授名」「インナーセックス」には、自分が知らないだけで、現実にはここまでイッてしまっているのではないかと思わせる怖さがある。
名も無き立派な百姓と心ある武士や庄屋に焦点をあてた「水神」「天に星 地に花」は感動を呼ぶし、私の大好きな安曇野と卑弥呼の繋がりを何代かにわたる使譯の目を通して伝える「日御子」も良かった。
だが、迷うと云いながら、キッパリ選ぶであろう三冊は、「総統の防具」「逃亡」「聖灰の暗号」だと思う。
この三冊は、私的帚木氏のBest3というよりは、私が選ぶBest10(こっそり訂正 古今東西すべてを網羅すると、Best30)に入る名作だ。

昨年は新年早々、ある殺人事件を端緒に名大生の過去のタリウム混入事件が次々と明るみにでて、世間を震撼させたが、それから半年後に帚木氏が書いたのが、あの和歌山ヒ素混入事件を鑑定受託者の立場から描いた「悲素」だった。(今、本が手元にないので正確なことは書けないが、読書備忘録と記憶に頼るしかないが、内容から鑑定人ではなく鑑定受託者であったと思う)
本書を読むことで、事件が起こった当初は青酸カレーと云われていた毒物が、いつのまにかヒ素に変わっていた理由などは分かったのだが、毒物専門の医師を主人公にした専門性の高い内容を、同じく医師が専門的かつ淡々と書いているため、かなり読みづく、ここに記すことができないままとなっていた。

だが、読みづらい理由は専門性の高さだけでなく、おそらく作者が、そして読者も、毒物混入を繰り返す人間の心情を理解しがたいからだと思う。

本書では、和歌山ヒ素事件を追う過程で、ヒ素以外の毒物や、古今東西の毒物混入事件についても詳しく書かれている。
作者がそれを追えば追うほど、読者が読めば読むほど、毒に見せられる人間の謎は深まるばかりだ。
帚木氏は、『十年にわたって裁判の真偽を続けたにもかかわらず、カレー事件に関する小林真由美の犯行の動機については不問のままであった。動機を詳らかにしないまま死刑判決を言い渡している』と怒りを露わにしているが、かといって、本書の中で動機が詳らかにされたとは思えない。

ただ、古今東西の毒物事件を検証することで、一つの答えには到達している。

『毒を手にした人間は、知らず知らずのうちに万能感を獲得する。
 万能感とともに、神の座に昇りつめた錯覚に陥る。
 こうなると、毒の使用はもはや一回ではやめられない。ましてその毒が誰も知らない秘薬となれば、なおさらである。
 こうして毒の行使がまた次の行為を呼ぶ。やめられない嗜癖に達する。』
『嗜癖状態にあると、人はそれ以外の事柄には無感動になる』

和歌山ヒ素事件を検証することで得た帚木氏の答えは、その半年前にまだ19歳という年齢で殺人や複数のタリウム混入事件を起こしていた名大生に通じるものがあるだけでなく、人の心の奥底に潜む究極の悪意にも通じるものと思われる。

人の命を左右できるというのは神と錯覚させるほどの万能感を与えるのだろうが、人はときに命よりも大切なものがある。
自分らしく生きる選択権を有すること、名誉を重んじ誇り高く生きること。
だからこそ、これらを思うがままにできる’’力’’を持つことは、毒物にも勝る万能感を与えることになるだろう。

その害悪が、近年あちこちで跋扈して世をすっかり悪に染めつつあることを、感じている。

来るべき新しい時代が、善を追求する人で成り立っていくことを、心から祈っている。

石より団子

2016-12-21 21:25:20 | 
例年ならカボチャを食べ柚子風呂に入れば、もう連休気分になるのだが、今年は仕事納めの28日までキッチリ忙しい。
だから、昨日20日にワンコ聖地へお参りできたこと、荒れ放題の庭に手を入れることができたことは、有難かった。

昨年はほとんど結実しなかった柚子が、今年は黄色の木と見まごうばかりに実をつけている。
柚子には、バラの棘が可愛く見えてしまうような、太くて長い棘がある。そのせいか近年、柚子の手入れをするのは私の役目となってしまっているのだが、時間がないのとやる気が起こらないのとで、放置したままになっていた。
だが、さすがに「明日は冬至」の声を聞き、かなりの数を収穫し、柚子風呂用にとご近所の配り、それでも残った数キロで柚子ジャムを作った。
このような時にネットは非常に便利で、「ゆず」と打ち込んだだけで、様々な柚子料理のページが現れる。
有難く最初のうちは真面目に読んでいるものの、外皮だけで作るのか薄皮(ワタ)も含むのか、砂糖とグラニュー糖どちらが好ましいのか、砂糖の分量も煮詰める時間もサイトごとに違うので、大雑把な私はテキトーな気分になり、テキトーに作ったのだが、これがけっこう美味しくできあがった。

最近は一冊の本を読み通す時間がないので短編をちょこちょこ読んでいるのだが、食べ物つながりで書いておきたい本がある。
「サファイア」(湊かなえ)
本書は題名から想像がつくように、7つの宝石の名が一話ごとのタイトルとなっている、宝石を巡る物語だ。
1話・真珠、ルビー、ダイヤモンドと、7話のうちの3話までを読んだところで感想を書くのは掟破りな気がしないでもないが、今のところ印象に残ったのが、宝石ではなく高級菓子の件なので、食べ物つながりということで記しておく。(本筋については、いずれ書くことがあるかもしれない)

それは、第二話の「ルビー」の1節にある。 (『 』「サファイア」より)
「ルビー」は、瀬戸内に浮かぶ小さな島の築50年の家に住む家族と、その隣にある老人福祉施設に住む人の交流から、50年以上前に忽然と消えた幻の宝石の行方が浮かび上がる話である。
この老人福祉施設は、ある種の曰く付のもので、全国各地で建設反対運動が起こった末に、小さな島の、しかも隣接地が一軒しかない所に立ったのだが、この施設の最上階に住んでいたのが、謎の富豪?おいちゃんである。
おいちゃんは毎朝窓から顔をだしては、庭(畑)仕事に精をだす隣家の主婦に声をかけ、又この主婦も、『島中の誰に訊いても、「いい人」だと答えるだろう』「いい人」なので、心に垣根をつくらず、おいちゃんと交流していた。
そのおいちゃんが、隣家に届けたのが「松月堂」の金箔入り和三盆糖なのだが、これは一箱3万はするという代物で、菊の花をかたどった一かけらが数千円もしかねない高級菓子だった。
物語は、謎の富豪おいちゃんの来歴を説くという形で進むのだが、私の印象に残ったのは、高級菓子をめぐる、隣家の姉妹の感想だ。
『我が家は昔から、贅沢というものに縁がない。高級なものを一人で食べるよりも、安いものを皆で食べる方が幸せに決まっている、というのが母の口癖だ。高級なものを皆で食べるという発想はない。』

高級菓子というと、私が育った子供時代は企業のお中元やお歳暮が派手だったせいか、今ではすっかり縁遠いものとなってしまったそれが身近にあった。ただ、根が、清貧と云えば聞こえは良いが実体としては貧乏性のせいで、子供心に高級菓子を長く楽しみたいと思い、かなり小分けにしながら食べていた、そんな記憶を、この件で思い出した。

ただ、それだけの事なのだが、氏の本には、日常の他愛ない一コマを切り取った表現のなかに、「アルアル」と思わせるものが多くある。それが次作を心待ちにさせる魅力でもあるが、「イヤミスの女王」と呼ばれる氏に近いものを有しているということは、私も相当にイヤな人間だということか。

「ルビー」には、その人間のイヤな心理をサラリと書いている場面がある。
誰に訊いても「いい人」と云われる主婦である母について、娘があれこれ思う場面である。
『母のことは、島中の誰に訊いても「いい人」だと答えるだろう。中には「偽善者」と心ない言葉を口にする人もいるかもしれない。そうだとすればおそらく、母と同姓、同年代の人のはずだ。しかし、その人の目に母が「偽善者」として映ってしまうのは、その人が努力して「偽善者」として振る舞っても親切にできない人達に対しても、母は他の人達と変わりなく、普通に接することができるからだ』

自分にできないような立派な行動をする人を「偽善者」と切って捨ててしまえば、あるいは、自分が遠く及ばない優秀な人を「頭でっかちの世間知らず」と扱下ろしていれば、お気楽な精神的安定は得られるかもしれない。
それは年代や性別を問わず当てはまる悲しい人間の性(さが)だが、今年のアメリカ大統領選を見れば、母と同姓で同年代の人達にその傾向はより強いのかもしれないと思わされる。
このような、人のイヤな部分をサラリと書くことで、人はイヤな部分を数多く持っていると知らしめる、氏。
そこに反応する私も、そうとうにイヤな人間であることは、間違いない。

このような御託を並べ、一向に年賀状の準備にも取り掛からないのは、どうにも「おめでとうございます」という気分ではないからだが、ワンコを思いながら登った山の写真を見ていると、「ありがとう」という言葉は浮かんでくる。
その思いを胸に、今夜か明日こそは、年賀状に取り掛かるつもりである。

心に刻み込まれている贈り物

2016-12-20 09:51:25 | ひとりごと
クリスマスに絵本をプレゼントする我が家の習慣を、ワンコは覚えているかい?
前を向いていかねばと思いながら、ワンコがいない季節が巡ってくるのが哀しくて、なかなか・・・ダメなんだな私は

今年は何を選ぶかかなり悩んだのだけど、慰めにも励ましにもなる絵本を見つけたよ ワンコ

「わすれられない おくりもの」(作・絵スーザン・バーレー 訳小川 仁央)

(『 』「わすれられない おくりもの」より)
賢くて物知りで 『困っている友達は誰でもきっと、助けてあげる』から皆に頼りにされていたアナグマと森の仲間たちの話だよ ワンコ

年をとって『体がいうことをきかなくなっても』、アナグマは、『死んで、体がなくなっても、心は残ることを、知っていたから』クヨクヨしていなかったんだって ワンコ
それよりも、『ただ後に残していく友達のことが、気がかりで、自分がいつか、長いトンネルの向こうに行ってしまっても、
あまり悲しまないようにと、言って』いたんだって ワンコ

そう書かれている最初の1ページを読んだだけで、堪らない気持ちになったよ ワンコ

血液検査やエコーで特に異常はないのに、ワンコの丑三つコーラスが始まった時、ワンコをよく知ってくれている上司は仰ったんだよ ワンコ
「ワンコは偉い」
「ワンコはきっと、その時のために心の準備をする時間をくれているんだよ」 と。

ワンコの若々しい男前は、年をとっても変わらないから、私達はワンコの年齢をあまり感じていなかったけれど、
10歳過ぎから心臓の薬を飲んでいて、自覚的に散歩の距離を減らしていったワンコは、少しずつ少しずつ、その時のことを考えていたのかい ワンコ  「めぐる季節に朝がくる」
庭だけ散歩になった頃、自分の体のことより、残される家族の気持ちを心配してくれたのかい ワンコ
だから、心準備のために丑三つコーラスを夜毎していたのかい ワンコ

ワンコ アナグマは『長いトンネルの向こうに行くよ さようなら アナグマより』という手紙を残して旅立つのだけど、
それは楽しい旅だったのだって ワンコ
暖炉の側で揺り椅子に揺られながら不思議で素晴らしい夢をみながら、旅立ったアナグマ。
 
『驚いたことに、アナグマは走っているのです。目の前には、どこまでも続く長いトンネル。
足はしっかりとして力強く、もう、杖もいりません。体はすばやく動くし、トンネルを行けば行くほど、どんどん早く走れます。
とうとう、ふっと地面から浮きあがったような気がしました。
まるで、体が無くなってしまったようなのです。
アナグマは、すっかり、自由になったと感じました。』

去年は暖冬だったけれど、あの数日だけ寒波が襲ってきたから、その前日は皆で一緒に温かくして寝たんだね ワンコ
いつもなら、丑三つ時と明け方にはコーラスをするワンコが、スヤスヤ気持ちよい寝息を立てているのが嬉しくて、私も久しぶりにゆっくり眠ったのに、
朝起きると、ワンコのぬくもりが減っているのに驚いて、ストーブの真ん前で必死でマッサージすると、
優しく目をあけて笑ってくれたね ワンコ
笑いながら眠りながら笑いながら、眠ってしまったね ワンコ
夢のなかでは、どんどん早く走れて嬉しかったのかい?
私がお星さまの約束を叫ぶから、犬星へも行こうと思ってくれたのかい?(「星は、朝づつ、犬星」 「ウンがついている」
ワンコは笑って旅立ってしまったね

アナグマがトンネルの向こうに行った次の夜、雪が降ったんだって ワンコ

しんしんと雪が降り積もり、
『雪は地上を、すっかり覆いました。けれども、心の中の悲しみを、覆い隠しては』くれなかったんだよ ワンコ
残された森の仲間たちは、みんな途方に暮れて、後から後から涙が零れて毛布はぐっしょり濡れてしまったんだよ ワンコ

でも、春が来て、皆が外に出てアナグマのことを語り合うようになったんだって ワンコ
モグラは上手にハサミを使うコツをアナグマに教えてもらったことを、
カエルは上手にスケートが滑れるようになるまでアナグマが見守ってくれたことを、
キツネはオシャレにネクタイを結ぶ方法を、
ウサギの奥さんは上手に料理する最初の一歩を、
アナグマから教わったと話し合ったんだって ワンコ
『みんな誰にも、何かしら、アナグマの思い出がありました。
 アナグマは、一人一人に、別れた後でも、宝物となるような、知恵や工夫を残してくれたのです。
 皆はそれで、互いに助け合うこともできました。』
『最後の雪が消えた頃、アナグマが残してくれたものの豊かさで、みんなの悲しみも、消えて』いったんだって ワンコ
『アナグマの話が出るたびに、誰かがいつも、楽しい思い出を、話すことができるように、なった』んだって ワンコ

あの日から、春も夏も秋も過ぎたのに、私はなかなか元気がでてこないよ ワンコ
ワンコ先生やワンコ実家の両親に、お礼やご挨拶に出かけると、きまって言われることがあるんだよ
「悲しんでばかりいたら、ワンコが悲しむ。
 ワンコと過ごした楽しい思い出を、家族が笑って話していたら、ワンコも喜ぶ」と。

ある暖かい春の日に、モグラは心のなかで「ありがとう、アナグマさん」と言った時、
『モグラは、なんだか、そばでアナグマが、聞いていてくれるような気が』したんだって ワンコ
『・・・ きっとアナグマに、聞こえたに違いありませんよね。』 だって ワンコ

ワンコも私達の会話を聞いているのかい?
ワンコを強く感じることもあるのだけれど (「星の宝物 ワンコ」)、
家人の上司のように携帯電話に連絡が欲しいよ ワンコ  (「それでも 逢いたい」) 
同僚のように葉書が欲しいよ ワンコ  (「約束の星はあるけれど」

ワンコ ワンコも楽しみにしていたクリスマスイルミネーション、
近年は少なくなったけれど、今年も盛大に飾っている家もあるんだよ 
イルミネーションを見るためにワンコと一緒に歩いた散歩道を、今は犬星を見上げながら歩いているよ
そんな時、やっぱりワンコの気配を感じるんだよ ワンコ
犬星から見守ってくれているようでいて、側を歩いているようにも感じるんだよ ワンコ

悲しみは無理に消さなくてもいいよね ワンコ
ワンコが与えてくれた優しさや愛は大きいから、そのうち悲しみも包みこんでしまうと思うんだよ ワンコ
ワンコの優しさと愛を胸に、少しずつ元気に歩いていくから、安心して遊びにおいでよ ワンコ

ありがとう ワンコ
遊びにおいでよ ワンコ

とは云え、山では笑う

2016-12-17 14:55:57 | 
「神坐す山の人々」でも書いたが、私が初めて山岳ミステリーに出会ったのは、代々木か駿台か河合か忘れたが、ともかく国語の模擬テストだった。
松本清朝氏の推理短編集「黒い画集」「ある遭難」から出題されている問題文を読み、合格したら必ず全文読もうと思ったのが、初めての出会いだった。

忙しい現在、本箱のどこかに埋もれている「黒い画集」を探す時間がないので、作者・松本氏の正確な言葉を書くことはできないが、松本氏が「ある遭難」(1958年10月~)を書く切っ掛けとなったのが、頻発する遭難事故だったという。当時は井上靖氏が「氷壁」(1956年2月~)を書かれていることからも分かるように、登山ブームが巻き起こっており、それだけに遭難事故も多発していた。
そこに目をつけ、その遭難のなかの幾つかには、事故ではなく事件が紛れ込んでいるのではないかと考えたのが、松本清朝氏だった。

それ以来、山には痴情のもつれ金銭関係のもつれ、私怨怨恨さまざまな動機が持ち込まれ、多種多様な事件が起こるようになった。
山は、完璧な密室と同様の状況を設定しやすく、未必の故意か明確な犯意かという心理戦も描きやすいせいか、山岳ミステリーの出版はあとを絶たないが、実際に山岳救助隊のなかに捜査一課のデカが配属される事態となっているなら、山はかなり深刻な状況だと思わせる本を読んだ。

「生還」(大倉崇裕)
本書は山岳ミステリーとして読めば、多少ひねりが足りない感じがしないでもないが、短編小説としては山の描写も山屋さんの心情や友情も上手く描かれているので、時間はないが何か読みたいという今のような時には、とても良い本であった。

本書の素朴な良さは兎も角、気になったのが、主人公・釜谷だ。 (『 』「生還」より引用)

釜谷は、長野『県警捜査一課の刑事でありながら、山岳遭難救助隊に志願したという変わり種だ。』
『年々増加する山での死亡事案。その中には、ごくわずかではあるが、状況に不審な点の認められるものもある。だが、現場が険しい山中である場合、救助活動や自然条件などによって、証拠は「汚染」されてしまう。
そうした状況に対応するため、特別に任命されたのが、釜谷であった。
遭難救助の過程で遺体を発見した場合、通常はそのままヘリなどで搬送され、検死、解剖へと回される。だが、現場で捜索隊等が不信を感じた場合、釜谷にお呼びがかかる。釜谷到着まで現場はそのまま保存されるのだ。
実験的導入から二年、釜谷一人であった特別捜査係に、増員が認められた。人選を一任された釜谷は、なぜか新人である原田を選んだ。』

山に捜一のデカが配属されるという実験的導入から、わずか二年で増員が認められるほど、山は乱れているのか。

素人山登り派の私は、夏に一度か二度、上高地から穂高や槍や蝶が岳に登るのを楽しみにしているので、長野県警山岳警備隊の方々をよく目にする 
朝5時の朝食時には、警備隊の方がその日の天気や注意点をレクチャーして下さるし、涸沢のヘリポートでは双眼鏡で絶えず岩を監視されているのも、知っている。
これらは全て不慮の事故に対処するためだと思っていたが、その中には事件も紛れ込んでいるかもしれないという。

「上高地は、夜にはゲートが閉まり外部からの侵入が不可能になるため、日本一安全安心な山だ」 というのは、我が家がいつもお世話になる上高地のホテルの方の話だが、ワロモノは何も闇夜に紛れてこっそり外から入って来るとは限らない。
昼間、堂々と登山者に紛れて入っているかもしれないのだ。
滑落や落石事故を装い、あるいは疲労凍死に追いやるという未必の故意もあるかもしれない(「ある遭難」)。

そう考えると、捜査一課のデカさんが山に常駐してくれているのは、残念で悲しいことだが、有難いことなのかもしれない。

ただ、今年の長野県警の山の警備は、これまでになく華やかで緊張感を伴うものだったと思う。
8月11日、上高地で行われた「第一回 山の日記念全国大会」に皇太子御一家が御臨席されたからだ。

 
揃いのTシャツで規制線を張ったり観光客を誘導する長野県警の方々も、それぞれラフなアウトドアのシャツに身を包みながらも眼光鋭く警備されるその道のプロらしき方々も、うまく上高地の自然のなかに溶け込みながら、警備されていた姿が印象に残っている。

そのような事を思い出させてくれた本に感謝しながら、年賀状につかう山の写真を探している、年の瀬の穏やかに晴れた午後である。
もしかすると、つづく

参照、「山では笑う」