何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

自己に打ち勝たせる希望

2017-04-19 00:05:05 | 
「本当のことを乗り越えさせる希望」 「’’虚栄’’が打ち砕く希望」より

現在、健康に関する一般書籍やテレビ番組は多いが、毎月毎週発売される雑誌の類でも、健康に関するものは多い。
事程左様に健康問題にマスコミが食い込んでいるだけに、本書「虚栄」(久坂部羊)には「医師と癌治療」だけでなく「マスコミと医学の報道」というテーマもあると思われる。

「あの食品・サプリメント・運動が良い」と報道されても、しばらく経つと真逆の報道が出てくるのが常なので、素人は何を信じれば良いのか分からないが、本書でも「がんの凶悪化」の原因として、過剰検査による医療被曝説(日本人特有らしい)や電磁波説が詳しく説明されている。

がん凶悪化、医療被曝 犯人説・・・日本は海外に比べて放射線関係の検査が多く、専門家の間では’’医療被曝大国’’と呼ばれているとし、放射線によるDNA障害が癌の増殖反応の引き金となっている(という説)。
(『 』「虚栄」より引用)
『アメリカとスウェーデンの大規模調査で、年一回の胸部レントゲン撮影では、肺がんの死亡率は下がらないことが証明されています。有効だとされる乳がんの検診でも、40歳以上は、検診で死亡率が下がることより、検診に伴う不利益の方が大きいので、アメリカでは積極的に行わないと、政府機関から報告がありました。なのに日本は、今も医療界と厚労省が口をそろえて、がん検診の受診率アップを図っています。これって変だと思いませんか』
この疑問に対しての科学部の記者の答えは、「無用な検査で莫大な利益を挙げることができる、検診業界の圧力」ということになっている。

これだけ読めば、海外のデーターは気になるものの今流行りの陰謀論にも思えるが、本書では珍しい良心的医師の次の言葉を読むと怖ろしい。
『(医師は癌検査を受けるのか、と問われ)毎年受けている医者は、ほとんどいないでしょうね。放射線科の知人は、胸のレントゲンと胃のバリウム検査を毎年受けていたら、がんになる危険性は確実に高まると言ってました』
この言葉は、作者が現役の医師であることを念頭において読むと更に薄ら寒さを増させるものである。
・・・・・。

本書には もう一つがん凶悪化の原因として取り上げられているものがある、電磁波である。
本書によると、総務省のホームページでは「弱い電磁波を長時間浴びることによる発がん性の有無について、動物実験などの研究が行われていますが、現在のところ有害性は確認されていません』と安全性ばかりが強調されているらしいが、世界的に見れば その認識は些か正確性に欠けるようだ。

アメリカのワシントン大学、ヘンリー・ライ博士の報告
『2・45ギガヘルツ(日本で使用される周波数よりやや高い)の電磁波を、頭部に二時間照射したラットの脳細胞で、DNAが切断される現象が多く見られた。DNAの損傷は二と情的に怒るが、通常は修復機能が働いてがん化を防いでいる。電磁波を照射されると、この修復機能が低下すると考えられる』

フランスのボルドー大学国立科学研究所センター、ピエール・オービノー博士の報告
『ラットの脳に0・9ギガヘルツ(ヨーロッパで使用される周波数)の電磁波を二時間照射したところ、脳内のタンパク質が血管から髄膜に漏れ出ていることが確認された。その際、局所SARが2W/kgで、「血液脳関門」からの流出が起きている』(SAR値 2W/kgを、日本の総務省は安全としている)

2011年5月、WHOの「国際がん研究機関」が、『ケータイの電磁波に、限定的ながら「発がんの可能性がある」との分析結果を発表した』のは、『イギリスやスウェーデンなど、さまざまな国で行われた疫学的研究で、ケータイを長時間使用する人に、神経膠腫という脳腫瘍の発生が多いことが判明した』からだという。

ヘンリー・ライ博士やピエール・オービノー博士は実在の人物であり、本書に記載されている報告内容は事実であるし、WHOの分析結果の公表も事実である。
これらの説は一頃 日本でも話題となった記憶があるが、喉元過ぎれば何とやらで今現在、電波を取り締まる総務省は「有害性は確認されていません」と宣っている。

だが、『ある調査では、従来のケータイに比べ、スマホになってから、メールの送信回数は1.5倍、下むの使用は3.5倍、ツイッターやブログを見る時間は4.5に増えた』という事実を突き付けられれば、「お上の事には間違はございますまいから」と言いながらも、「がん凶悪化、電磁波犯人説」にも一票を投じたくなる。

このような説に戸惑う素人の不安を煽るのがマスコミだが、そのマスコミが、多くの医師の反論にも拘らず世に問い続けている説があり、それが本書でも大きな問題提起をしている。
「がん放置療法説」
本書でも、「外科医が手術で治したと思っている患者はすべて’’偽がん’’なので手術しなくても死ななかった。一方で’’真がん’’なら手術しても助からないので、外科的侵襲は却って寿命を縮めるだけであり放置するべし」という「真がん・偽がん」説が登場する。

この「真がん・偽がん」説を取る医師は、自身に肺がんが確認されたときにも放置療法を選択する。
『(自らの癌が)「偽がん」なら、このまま放っておいても大丈夫だ。むやみに検査したり、放射線を当てる方が危険なんだ』
『(もし真がんだったら)その時は何をやっても無駄さ。細胞レベルでは肺以外の臓器にも既に転移しているだろうから。手術や検査で刺激すると、癌が活発化して、急性増悪する危険が高い。だから、何もしないのが一番なんだ』
・・・・・。

過去に処方された風邪薬でキツイ薬疹がでたことがあるので、私は病院にも治療にも少し懐疑的なものを持っている。
だから、今までの私なら「無用な治療はすべきではない」という説に諸手をふって賛成するだろうが、上司が胃癌の治療に前向きに取り組もうとされているのを目の当たりにしている現在、放置療法賛成とは言い難い自分に気が付いている。

本書では、「G4」プロジェクトを取材するマスコミの視点も詳しく描かれているが、主要なマスコミ人の二人が厄介な癌に冒されるため、そこに患者の視点も加えられ、読者の思考を喚起してくれる。
医師の「メディアの人間は、効きもしない治療を無責任にもてはやし、偽りの希望を持たせて、結果、患者を失望させて知らん顔だ』という言葉は、表紙裏に刻まれる『当てにならない希望と、辛いけれど本当のこと。どちらがいいですか』という言葉に繋がるのだと思う。
それは、職業柄、日常的に多くの生死の現場に立ちあう医療関係者の正しい見識なのだと思うが、医師が十把一絡げにする患者の、一人一人にとっては、癌の診断・治療は人生に何度もない一大事なのだ。
だから、癌患者となったマスコミ人が、治療の選択に悩みながらも希望をすてず、最後まで闘う姿勢を貫くことに、今は特に今は共感して読んでいた。

ただ、生きとし生ける者は、必ずや最期の時を迎える。
それは、天寿を全うするものであっても、事故であっても、変わることはない。
だからこそ、癌とくに凶悪化した癌の存在について述べる件は、考えさせられる。
『(どれほど医療が進歩しても癌が克服されないどころか凶悪化までしていることについて)がんは自己だからですよ。19世紀ベルリンの病理学者、ルドルフ・ウィルヒョウはこう言ってます。「がんは成長しなければならないという、謎めいた未知の衝動に憑りつかれているかのようだ」とね。言い換えれば、がんは人類のためにあるということです』
『日本の超高齢社会のひずみと、進み過ぎた医療の矛盾。寝たきり老人、施設での老人の飼い殺し、チューブと器械に生かされる尊厳のない命、そんな’’悲惨な長生き’’を避けるため、無意識の恐怖が圧力を強めて、がんを凶悪化させたとは考えられませんか。がんは私達の一部なのですから』

この言葉に今は、諸手をあげて賛成することはできない。
命と真剣に向き合っておられる姿を目の当たりにしている現在、進み過ぎた医療の矛盾の結果を’’悲惨な長生き’’と切って捨てることは到底できないからだ。
だが、社会問題として一般論として考える時、若い我々の世代がこれから受けることのできる医療サービスの、その世代間の公平という視点は、かなり深刻な問題として、そう遠くない将来顕在化してくると思われる。

命について考えることは、生き方について考えること・・・・・
上司の治療が最大限の効果をあげると信じ、祈りながら、自分にできることを精一杯していこうと思っている。

’’虚栄’’が打ち砕く希望

2017-04-17 17:55:55 | 
「本当のことを乗り越えさせる希望」より

今現在、癌治療の最前線にいながら椅子取り合戦に興じている医学界特有の愚かしさをエンターテイメント性高く書いている本について云々する元気は あまり無いのだが、今だからこその感想だけは記しておこうと思っている。

「虚栄」(久坂部羊)
作者自身が国立浪速大卒の医師であるため、本書でも、最先端の癌治療や医療の限界が描かれてはいる。
だが、本書の帯に『がん治療開発の国家プロジェクトは、覇権争いの場と化した。現代医学の最先端にうずまく野望と、集学的治療の罠。医学界とメディアの欺瞞をえぐり出す、医療サスペンス!』とあるように、その主眼とするところは別にあり、日頃はそれを大いに楽しむだが・・・・・。

医師が描く医療小説は、大体においてヒューマニズムに富んでいるというよりは、医師という人種の傲慢さや愚かさや医学界の問題点を強調するものが多い。それは、東大にまつわる諸々を滑稽に批判する「赤頭巾ちゃん気をつけて」(庄司薫)を書いているのが元東大生であるのと同様で、其処を知っているからこそ描き出せる面白さというものは、確かにある。
が、こと命に係わる医学界においては、いつまでたっても「白い巨塔」では、医師を頼るしかない患者は困るのだ・・・と、今回ばかりは躊躇いと憤慨の気持ちで読んでいた。

本書「虚栄」は、がん家系の総理が自らも癌に冒されることを恐れ、癌撲滅のための「G4」という国家プロジェクトを立ち上げるところから物語は始まる。
「G4」とは、手術、抗がん剤、放射線科、免疫療法の4グループが一致協力して癌撲滅を目指すプロジェクトだが、プライド高きことエベレストの如き医師たちに、「一致協力」という言葉は、無い。

「G4」第一回会合では、プロジェクトリーダーとなる東帝大の内科教授が素晴らしい挨拶をする。
『集学的治療とは、各グループが互いの欠点を補いつつ、相乗効果を目指すものであります。アメリカでは、「NIH」(国立衛生研究所)が医療に強大な権限を持ち、予算も年間三兆一千億円という膨大さです。日本は縦割り行政で、予算配分も生命科学全体で、年間三千二百億円という貧弱さです。この差は大きい。がんの凶悪化は、今後世界中に広がるでしょう。我々は、日本医療の面目にかけても、がん撲滅を成し遂げなくてはなりません。万一、アメリカに先を越されたら、莫大な医療費をアメリカに支払わなければならなくなります。逆に、日本が先にゴールすれば、世界中の医療費が日本に流れ込みます。がん治療の完成は、患者を救うばかりでなく、日本経済にも計り知れない効果があるのです』

患者からすれば、内科でも外科でも放射線科でも免疫療法科でも何でもよいから協力し合い、癌撲滅の治療方法を確立してくれれば有難いが、そうはいかない。

集学的治療の重要性を声高に説く内科教授は、自身の教室の内科医(準教授)の「癌の転移を抑える研究」が佳境に入っていることが、気に食わない。
なぜなら、転移を抑えることはできるが原発巣には効果がない研究では、「原発巣は手術するしかない」という事実を明らかにすることに繋がるため、外科にデカイ顔をされたくない内科としては許しがたいのだ。
結果、集学的治療を説きながら、「原発巣は外科が除去し、内科が転移を抑える研究」をする准教授を徹底的に疎んじる。
そのくせ内科教授は、自身が癌に冒されたと知るや逸早く名医を求めてアメリカに渡り、秘密裏に ''手術'' を受けるという選択をする。

その愚かしさは外科も同様だ。
癌患者だった母親が手術により心理的に救われた経験をもつ阪都大の外科教授の「手術至上主義」の信念は固く、自身の教室の外科医の研究が、やはり気に食わず、成功まで あと一歩のところまで来ている研究にストップをかける。
若き研究医(外科医)の研究は「あらゆる癌を薬で抑えることができる」というものだが、それを、(阪都大)外科首脳陣は「将来性のない研究」だと切って捨てる。しかも、将来性云々は、研究の内容ではなく’’外科グループの存続にとっての将来性’’だという。
曰く
『今の抗がん剤では癌は治らない。外科グループにとっては、それが重要だ。君の研究が完成して、万一、万能抗がん剤のようなものができてしまうと、あらゆる癌が薬で治るようになりかねない。そうなれば、がん患者は手術を求めなくなるだろう。外科医の権威は、がんの手術で保たれているんだ。これまで多くの先達が、苦労して築き上げてきた外科の栄光が、君の研究で失なわれてしまうのだ。そんな代物がうちの医局から出たとなると、玄田先生(外科教授)は日本全国の外科医に顔向けができなくなる』

日本の内科医のトップも外科医のトップも、自身の教室から、内科外科が一致協力すれば癌撲滅の可能性が格段にあがる治療法が世に出ることを、徹底的に阻もうとする。
患者にとって夢のような治療法が、内科と外科の権威や予算の奪い合いの末 日の目を見ないのは、医療の真ん中にいながら医師を頼るしかない患者にとって、これほど不幸なことはない。

では、放射線科と免疫療法科は粛々と治療に専念しているのかといえば、そうではない。
膨大な研究費や施設を要する両方の科は、マスコミや政治家を取り込むのに必死であるし、京御大の放射線科教授は自身に癌の疑いが生じた時、占星術で治療方針を決めようとさえする。

著者自らが医師であるがゆえに詳細に描かれる医学界の滑稽な生態は、この手の本を好む私をいつも楽しませてくれるが、上司が胃癌の治療法を相談されている最中にあっては、怒りを通り越し虚しさが込上げてくる。

本書は他にも、現在マスコミを賑わせている学説の紹介や、それを取り上げるマスコミの無責任な体質も描いているが、それについては、次回へつづく。

本当のことを乗り越えさせる希望

2017-04-14 17:55:55 | ひとりごと
例年この時期は忙しいのだが、先日来その忙しさに加え、心身共に堪えることがあり、参っている。

私のブログは、応援や共感の気持ちを認めたり、ワンコや庭いじりや読んだ本の記録であったりするのだが、ブログという形態をとる以上、完全な私的空間ではなく、少なからず人様の目には触れるものだ。そこへ、自分自身の私的な出来事は兎も角、知人のことを書くのは御法度だとは分かっている。だが、忙しいなかポツポツと読んでいる本が、追い打ちをかけるように身に堪えている その理由を記しておかないことも、何か違うと考えるので、少しだけ・・・・・。

「虚栄」(久坂部羊)
本書は、癌家系の総理が自らも癌に冒されることを恐れ、がん治療開発の国家プロジェクト「G4」を立ち上げるところから物語は始まる。
東帝大からは内科グループが、阪都大からは外科グループが、京御大からは放射線グループが、慶陵大からは免疫療法グループが召集され、名目上は「国の絶大な支援のもと、日本の知力のすべてが協力して癌を撲滅する」ということになるのだが、そこは「白い巨塔」(山崎豊子)の神前五郎氏(もとい、財前五郎)が辣腕をふるっていた浪速大で外科医と麻酔科医をされていた作者のこと、医学部内部の事情と医師の虚栄心と脆さをテンポよく描写することで滑稽さを感じさせる、内容の重さ深さは兎も角もエンターテイメント性の高い作品でもあった・・・・・はずだった。

だが、本書を読んでいる最中に直面した問題を考えると、表紙裏に刻まれた言葉が、心に痛い。
『当てにならない希望と、
 つらいけどほんとうのこと。
 どちらがいいですか。』

今週はじめ、上司に胃癌の診断が下された。
仕事を始めて以来、そのノウハウや心構えのかなりの部分を教わり、私的な相談もさせて頂いている、今では身内のように感じている上司だった。
今年度は、そこから一歩前に進みステップアップを促されてはいたものの、それも上司のバックアップあってのことだと思っていたのだが、その上司が突然に胃癌の宣告を受け、それがかなり重篤な状況だと知らされた。
日々の業務の引き継ぎに加え、ステップアップのスピードをあげねばならないことによる物理的な厳しさも勿論あるが、業務の引き継ぎでは、治療経過の厳しい局面を想定しなければならず、それが意味するところを考えると、精神的に本当に参ってしまったのだ。

最近では、インフォームドコンセントということで、かなり率直に病気の説明がなされる。
医師側の理屈で云えば、それにより患者への治療方針の説明が容易になるため信頼関係が築きやすく、結果的には治療効果も上がるということらしいし、患者側としても、真実を知ることで自ら治療を選び又より良いQOLを考えられるとされている。

実際、上司はかなり冷静に事態を受け留め、これからについての指示も的確にされてはいる。
それは、「当てにならない希望と、辛いけど本当のこと」の塩梅を上手くつけておられるからだと思われるが、その心情を思うと、傍にいる人間も辛い。

おエライ医師様は、「当てにならない希望と、辛いけど本当のこと、どちらがいいですか」と言いながら、エベレスト並に高いプライドを満たすための椅子取りゲームに興じておればいいが、命がかかっている一人一人の患者は、「どちらがいいですか」と突きつけられても困るのだ。

もちろん日々真面目に懸命に医療に携わっている医師も多く知っているので、本書で描かれる医師界が医師の全てだとして批判しているわけではない。
ただ、このタイミングで読んでいるため、本来なら本書が面白おかしく滑稽に描いている医師の傲慢な虚栄心を、とてもじゃないが笑って読み進めることができないのだ。
本書のそのあたりについては、また書くかもしれないが、今日の今は、ここまでとする。

参照、 神(財)前五郎氏については「k・Yは遠かった」に。

末広がりと煩悩の鬩ぎ合い?そして、融和

2017-04-11 00:00:05 | ひとりごと
「あぁ勘違い人生論ノート①」 「あぁボケ人生論ノート②」 「花見るまでの心なりけり」 「頑張れ お空組&一心同体組」より

途切れ途切れになってしまったが春の広島・山口の旅の写真の締めくくりをしておこうと思う。
本来は、その一番の目的であった広島原爆ドームと平和記念資料館について一番に記すべきであったし、桜の時期に「戦争と平和」を考えるのに打ってつけの本も見つけていたのだが、今は長編を読み通す時間がない。

「また、桜の国で」(須賀しのぶ)
最初の20ページほどを読んだだけで、「これはいけない」と思った。
もちろん内容がいけないのではない。
本書は、第二次世界大戦前にポーランドに派遣された外務書記官を主人公とする物語のようだが、最初の20ページくらいを読んだところで「総統の防具」(帚木蓬生)を思い出したのだ。
「総統の防具」には、ドイツが近隣諸国を蹂躙していく様や、それに現地の日本人外交官が不信を募らせながらも、大使館内で日に日に力を増していく大島大使を始めとする武官に追随していかざるをえない様が詳しく描かれており、読み応えがあったが、それと同様の空気を「また、桜の国で」の冒頭に感じた為、これは時間がある時に本腰を入れて読まねばならない本だと思ったのだ。
という訳で、本書は「総統の防具」と併せて時間をかけて読むことになると思うので、原爆ドームと平和記念資料館の写真も、8月6日前後に掲載するつもりである。

さて旅の最終章、宮島・厳島神社
曇天のせいで海に浮かび立つ朱色の大鳥居が映えないが、「終日雨との予報が外れただけでも儲けものだ」と嬉々としてフェリーに乗り込んだ。だが、ここから少し異変はあった。

御大以外の家族は皆、原爆ドームも平和資料館も厳島神社も訪れたことがあったのだが、とくに昨年秋にそれらを訪れたばかりの家人の説明が、少しずつ御大の気に障り始めていたのかもしれない。
「宮島口から宮島へは二社のフェリーが運航しているが、大鳥居の近くを通るJRの方がお勧めだ」
「回廊の床板には隙間があるのだが、何故だと思う? 
 回廊の柱の間隔は8尺で、その間の床板は8枚、では回廊の柱は全部で何本?」
何もない時には他愛のない話なのだが、自分の都合で突然の訪問を決めた御大にとっては、再訪を強調するウンチクに感じられたのかもしれない、日頃から気難しい横顔が更に難しくなりかけていた、その時、近くから大きな声があがった。

「それは、当てこすりか!」
見れば、御大と同年配の前期高齢者(後半)と思しき ご夫婦のうちの夫が、4~5歳の女の子を連れた若い夫婦を睨みつけている。

この年配夫婦は、回廊の欄干に腰掛け代わる代わる写真を撮り合っていた。
これを見た参拝者の多くは、必ずしも いい顔をしていたわけではなかったが、誰もが黙って通り過ぎていた。
そんななか、この年配夫婦の真似をしようと思ったのか、4~5歳くらいの女の子も欄干に腰掛け写真のポーズをとろうとしたのだが、それを若い両親が「神様のお家だから、そこへ座ってはいけません」と窘めた。
これが、年配夫婦の気に障り、「当てこすりか!」の大声に繋がったのだ。

年配夫婦の明らかに理不尽な「当てこすりか!」の言葉は、御大だけでなくウンチクを垂れていた家人にも何某かの気付きを与えたのかもしれない。
この言葉で我が家に流れていた空気が変わり、それ以後は穏やかに会話も進み、最終的には清々しい気持ちで参拝することができた。

ところで、一度訪ねたことがある場所でも、年齢や社会情勢により心に残るものは異なってくる。
  
この、天皇陛下の勅使だけが渡ることを許されるため「勅使橋」とも云われる「反橋」も、境内のそこかしこ にある後白河院や平清盛についての説明書きも、以前訪問した時にもあったのだと思うが、あまり印象に残っていない。
だが、生前退位が現実味を帯び、院政を思い起こさせる「上皇」(上・皇后??)という言葉が頻繁に聞かれる現在では、それが与える印象は、生々しいと云えなくもない。

そんな一抹の心配を感じながらも、厳島神社を後にする時にはワンコによく似た鹿さんの見送りを受け、幸せな気持ちで宮島から岐路についた。
やっぱりワンコだな 
そう思える春の広島・山口の旅行であった、ありがとう ワンコ

追記
回廊の床板に隙間があるのは、台風の時などに海水で床が押し上げられ外れてしまうのを防ぐため。
また、厳島神社は神仏習合の影響を受けているためか、末広がりの「8」だけでなく、除夜の鐘の「108」という数も多く見られる。家人が問うた「柱の数」もそうだが、社殿の釣り灯篭も参道の石灯篭もそれぞれ108基あるという。

祝号外 敬宮様ご入学  (9日 追記)

2017-04-08 08:55:55 | ひとりごと

3月14日 
皇太子御夫妻の御成婚を祝して誕生したシンビジュームの「プリンセスマサコ」の蕾は、今年も美しく咲いてくれることを予感させものではあるが、まだ固かった。

        
       3月22日 敬宮様ご卒業の日
       固く閉じていた花びらが、恥じらうように花開き始めた。

                         
                         4月8日 御入学の朝 満開を迎えている

敬宮様 高等科御入学 おめでとうございます

卒業式へと向かわれる敬宮様の笑顔と素晴らしい卒業文集を思い起こせば、この晴れの日に、情けない大人の醜い思惑など今更蒸し返す必要もないが、命にもかかわる悍ましいバッシングの渦中にあって敬宮様は「世界の平和を願って」おられたということが、敬宮様のお心の崇高さをより示していると思うので、ここに再度、作文を掲載させていただきたい。
敬宮様の作文については「祝号外 敬宮様ご卒業」 「敬宮様の青い空 15の心」でも記してきたが、英訳されたものを見つけたので、「JAPAN Forward」から転載させて頂きたい。
出展 https://japan-forward.com/princess-aikos-yearbook-essay-praying-for-peace-in-the-world/

“Praying for Peace in the World”
One winter morning not long before graduation, I was hurrying through the front gates of the school when I happened to glance up at the sky. It was a perfectly clear day—there was not a single cloud anywhere to be seen. I have my family to look after me. I am able to go to school every day to learn. I have friends who are waiting for me… “How happy I am! And how peaceful,” I thought quietly to myself as I looked up at the blue sky. I began to think very differently about just how happy and peaceful my world is after I visited Hiroshima in May, during my third year of junior high school.

As I gazed up at the ruined dome directly under which the atom bomb exploded, I suddenly found that I was unable to move. It was as though I was standing at that spot on August 6, 71 years ago. I had seen the dome in pictures before, or at least what is left of it: the iron framework and part of the outer wall. But I was shocked to see it in person. It is so wretchedly horrifying and real. In the Hiroshima Peace Memorial Museum I saw the charred remains of lunchboxes which children killed in the blast had been holding. I saw many other exhibits, too, about the damage that heat rays and radioactivity cause to the human body, and about the after-effects of the bombing. I couldn’t believe my own eyes—could this really have happened? I could not view it all and maintain my presence of mind. More than anything else, I felt anger and sadness at the hundreds of thousands of lives taken by the bomb. And what about those who survived? How did they get through each day having lost their families, the people who took care of them, and even the will to go on living? How did they feel? I could not even begin to imagine it.

It was only when I first felt myself somehow back there that August day seventy-one years before that I began to know something of the suffering, the deep regret experienced by those who were in Hiroshima when the bomb was dropped. This was an invaluable experience—something that it is impossible to understand unless one has actually gone to the scene where the bomb fell and exploded more than seventy years ago.

Two weeks after I went to Hiroshima, the American president, Barack Obama, also went to the site of the bombing. While there, he expressed his desire to work together for greater peace, and to have the courage to pursue a world without nuclear weapons. President Obama folded two origami cranes himself while praying for peace, quietly placing them in the Peace Memorial Museum. We also offered the thousand-crane strand that we had all folded together. But there were thousand-crane offerings from many others who had come to Hiroshima, and from all over the world. When I saw all of these thousands upon thousands of folded cranes, I felt, anew, that everyone is united in the same desire.

In the Peace Memorial Park in Hiroshima there is the Flame of Peace which has been burning continuously since 1964. This flame was lit with the hope that one day there would be no more nuclear weapons in the world, and it will go on burning until that day comes. As a symbol of peace, this flame has been used in a variety of ceremonies. As I stood before the Memorial Cenotaph, I could see the skeletal dome beyond the Flame of Peace. But the dome that had appeared unspeakably cruel when I saw it up close now looked different. It was protected by the arch-shaped cenotaph, beneath which nestled all of the profound hopes and prayers of people from around the world. It was at this precise moment that I first asked myself, “What is peace?”
There is no one who does not wish for peace. This is why we speak of it so often. However, to speak of peace is one thing, but to achieve it in the world is not so easy. There are millions around the world who even today suffer from conflicts and wars. How should we work to make peace a reality? What should we do?

I glanced up unthinkingly at the blue sky as I entered my school gate that winter day. But I cannot take it for granted—the sky is not always blue. Likewise, I cannot take for granted that I am able to live each day in peace and security, free from strife. During the war, no one was able to take these things for granted, for peace and security were nowhere to be found. Perhaps, peace begins with each one of us, showing our regard for one another and giving thanks for each kindness we receive, each tiny moment of every day.

We who were born in Japan were born into the only country ever bombed with nuclear weapons in a war. I believe that it is incumbent upon us, as Japanese, to tell the world what he have seen with our own eyes and felt in our own lives. We cannot wait for somebody else to create peace—we each must act thoughtfully and responsibly in order to bring it about ourselves.

I would like to visit Hiroshima again in order to deepen my understanding of the meaning of peace. I know that I will find the beginnings of new appreciations of peace there. I pray with my whole heart that soon, in the not distant future, the world will be rid of nuclear weapons, so that the Flame of Peace in Hiroshima can finally be blown out.

追記 
終日外出予定なので、入学式については追記する予定。


4月9日追記


我が家のシンビジュームは、一般的な開花時期より、おそらくかなり遅い。
それは、12月いっぱいはベランダにおき(寒気にあて)、1月から(暖のない屋内)縁側に置くため、一般的な開花時期より遅れるのだろうが、このようにして咲く花は、可憐ななかに強さがあり、何より開花期間が長いのだ。
これは、「シンビジューム・シーサイド・プリンセスマサコ」を何年も大切に育てている私の実感である。

もちろん、寒気に当てすぎては花茎は縮こまり萎れてしまうこともあるが、寒さを恐れるあまり早くから温かい室内に置くと、開花は早くとも、その花は弱々しい。
その塩梅は難しいが、寒気にさらされた後の花の強さと美しさに、より心惹かれるものがある。

敬宮様の卒業式以来、美しく咲く「プリンセスマサコ」に、激寒の時期を見事に乗り越え柔らかな笑顔を浮かべておられる敬宮様の御姿が重なった。
誕生された直後から「女の子か」という失望の声を聞き、たった4歳で「笑わない愛子様」などというバッシングに遭われたのは、ひとえに東宮の唯一のお子様が皇位継承権をもたない女子であるからに他ならない。その後も数えきれない仕打ちに遭ってこられたが、ここ数か月のそれは命や人格すべてを否定するものとも云え、悍ましいほどの悪意であった。
だが、その渦中にあって青い空を見上げて「世界の平和を願って」おられた敬宮様は、高等科ご入学という新たなスタートラインに、強く美しく立っておられる。
私は、この精神の強さと美しさにこそに敬愛の誠を捧げたい。

複雑怪奇な状態に突入する これから、敬宮様はその優秀さと美しさ故に、情けない大人の醜い思惑に対して脅威となり、より困難な事態が待ち受けているかもしれないが、その度に必ずやそれを乗り越え、より強く美しく大きく成長されると信じている。
その一つ一つの過程を心をこめて応援し続けたいと思っている。

敬宮様の新たな学校生活が、実り多いものとなられるよう心からお祈り申し上げる。