国家戦略担当大臣:古川元久さんと新春を祝う会に参加した。
例年、中日パレス・名古屋国際ホテル・ルブラ王山の3会場で開催される。
私は日程の都合で本日の名古屋国際ホテル会場に参加した・・・開始は11時30分から。
受付で名前を記入したチケットを渡し、名札を受け取る・・その名札にテーブル番号を書いてあるので、そこに座る。
本日の参加者は約300名。
参加者は比較的高齢者が多い。私は、そこがまたすごいな、、、と思う。
自分の息子と同じような年齢の古川さんに、何を期待して集まっているのか!?
私は後援会に入って5年目を迎えるので何となくわかるが・・・みんな、古川さんの「ファン」なのだ。
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来賓挨拶では、いつもの盟友、大塚耕平さんに続き・・・
今回特定議員のパーティーに始めて参加した・・という前名古屋市長の松原武久氏が挨拶した。
何となく"臨戦体制"に突入しつつある気配がした。
古川さんが挨拶をする前に、
ステージの下に座っている"前"県議に気付き、ステージにあがるよう声をかける場面があった。
彼らは、1年前の地方選挙で自ら落選したことを謙虚に受け止めステージの下に座っていたのだろうが、
古川さんは「みんな仲間じゃないですか!」といって上にあげた。
このあたりが、人間:古川元久の魅力の素である。
古川さんは挨拶の中で、東日本大震災直後に東北に行ったが、おそらく終戦直後の日本もこのような状態だったのではないか、と想像したそうだ。
戦後日本が焼け野が原から復興したように、震災から復興するためには、当時の日本人と同じような気持ちで立ち向かわなければならない。
終戦復興でGHQと折衝にあたった白洲次郎氏の言葉
「おそらく吾々(われわれ)の余生の間には、大した好い日も見ずに終わるだろう。
それ程事態は深刻で、前途は荊(いばら)の道である。
然し吾々が招いたこの失敗を、何分の一でも取返して吾々の子供、吾々の孫に引継ぐべき責任と義務を私は感じる」
我々は自分のために何ができるのかではなく、次世代のために何ができるのかを問わなければならない。
参加者に古川さんが問いかける。
「ここに集まっている人の中には、十分日本の発展に貢献してきたんだから残りの人生はゆっくり、楽に生きたいと思っている方もいるでしょう。
ですが皆さん、子や孫の世代のためにもう一汗かこうではありませんか!」
復興に必要なのは、細かい政策ではない、信念だ!!そう強く感じた。
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参加者ひとりひとりと丁寧に会話をする古川さん・・まさに「万人のリーダーとなる人は、万人に頭を垂れる人だ」
奥様も丁寧に会話をしてまわっていた。私のことも知っていてくれて感動した。