趣味真っ盛り!!

人生これから! 元気に趣味を楽しんでいます。

八重山諸島・離島観光-西表・由布島-1

2011年10月04日 | 旅行
て、昨日の眠さも熟睡したためか快適な朝を迎える
2日目のメニューは西表島、由布島、竹富島観光である
石垣港を8時10分発
朝食はAM6:30から...
ツアーバスの迎えが7時15分に来ると言う事で忙しい

時起床
空は青く今日もいい天気
部屋の中はクーラーで25℃程度であるが外に出るとジメッとする
朝食を済ませ身支度を整えてロビーにて待つ

スに乗り石垣港に向かう
石垣港は朝早いのに大勢の観光客
最も週末に近いから目的は皆同じ



垣港は離島を結ぶメイン・ハーバー。
石垣港から竹富、小浜、鳩間、波照間、黒島、西表島行とターミナルになっている


て、観光船に乗りまず最初の目的地である西表島に向かう
西表島と言えばやはり思いだすのは『やまねこ』
鬱蒼と茂ったジャングルを思いだす
そんな事を考えながら遠ざかる石垣島を見ていた


垣島から高速船で約40分
西表島が見えてくる
高速船のエンジン音が頭の中で唸っている
西表島は沖縄県内で2番目に大きい島と言う
約9割が亜熱帯のジャングルと言うから思っていた通りである



西表島到着
そこで観光船に乗り換えて...
西表島大原港から仲間川マングローブクルーズの始まりである

間川...うぅん...仲間由紀恵
あのテンペストに出ていた...。
そう言えば出身沖縄県だったよなぁ
けど彼女、沖縄県浦添市だから沖縄本島だよなぁ。
なんてつまらない事考えながらまたまたエンジン音を聞くのであった



熱帯だけあってマングローブが林立している
鳥の鳴き声や蝉の鳴き声が聞こえてくる
今日も暑い
31℃あると言う
暑いわけだ。
これじゃなきゃ...なんて考えながら
汗が流れ落ちる



光船は船着場に到着
これから『サキシマスオウノキ』を見ると言う
小道を少し入ったところに日本最大と言われる「仲間川のサキシマスオウノキ」がある
この木はかって船の舵に利用したり建築材として用いられたと言う。





70分に渡るクルージングも終わり美原港に戻る。
美原港は由布島に近い港。
ここからバスに乗り由布島観光である。
途中にイリオモテヤマネコ発見
と言ってもヤマネコの行動は夜である
ヤマネコの通り道にヤマネコの横断標識が何箇所も掲げられている。
ヤマネコ、様さまである

うこうしていると由布島に到着。
と言っても由布島の入口である
ここから水牛に乗り由布島に渡る



牛車はゆったり、のんびり...
三線(さんしん)を爪弾き「安里屋(あさどや)ユンタ」を...
サァ 君は野中の茨の花か サァユイユイ~
時折、水牛の水を切る音...





が和む
南国情緒、いっぱいである
由布島に到着。



布島は島全体が熱帯植物園
当然、路地である
ハウス等では囲ってない
この島にはハブはいないから安心と言う。
遊歩道沿いに植えられている花ばな


れを見ても色鮮やか
ムラサキカタバミと言うらしい


の花も蘭系だろう
淡い花の色が素敵だ






はり南国と言えば椰子の木
八重山椰子が天を突く


ぞろ歩いているとお昼時
ツアーの中に昼食が入っているからレストハウスへと向かい昼食をとる

八重山諸島旅行記-2

2011年10月03日 | 旅行
て、川平湾に車を走らせる
信号機は見当たらない
人が道路の真ん中を歩いていたり自転車に乗った人が
車道一杯にあっちにフラフラこっちにフラフラ
全くのどかと言うか...なんて言うか

、トロピカル・フルーツの文字が...
おっと、これを見逃すわけにはいかないって訳で...
途中で道草を...



ぁ、農園である
そこでのフルーツパフェ
パイン、マンゴー、ドラゴンフルーツ等などが入っている



っくりとトロピカルな味を楽しみ川平湾へ...。
石垣島で1番の景勝地といえばここ川平湾
日本百景にも選ばれている
湾内には小さな島が点在し季節、天候によって変化するという海の色
美しい風景を作り出している



っ青な海と青い空
船底がガラス張りのグラスボートが何社も出ていて
色鮮やかな熱帯魚と珊瑚礁を観察することが出来る



この砂浜はサンゴ礁から出来ている
砂が白い
透き通る海水
綺麗だ



平湾でのトロピカルジュース
赤いドラゴンジュースが目を引く。
飲んでみようって事で早速注文。
あま~い
これは美味しい



て、ドラゴンフルーツって...
サボテンに実が付く。
赤く熟れると食べごろ
甘い果実になる



りにも原色で見慣れないので...。
最初ちょっと躊躇
しかし美味しい



平湾を後にして今日の宿泊先のフサキリゾートビレッジに戻る
ここはウミガメが産卵に訪れる美しい天然白砂ビーチ
桟橋から眺める絶景サンセットと南洋の花々と...。
ガーデンに散在する沖縄伝統の赤瓦コテージ。
ガーデンに点在するコテージが有る



ラワーガーデンの中にコテージが有る雰囲気
玄関先や通路脇には色とりどりの花が植えられている



を惹くのは黄色も鮮やかなアリアケカズラ
至る所に咲く



のかな香りとラッパ状の花
南国の花アリアケカズラである



く細かな花のサンダンカ



紫に咲くグンバイヒルガオの花



ブーゲンビリアやハイビスカス
まことに花真っ盛り
夏真っ盛りってとこである





慣れないこんな花も
艶やかな色に目を惹く



も西に傾きいよいよとサンセットの時間が迫る
大勢の宿泊客がビーチを訪れる
陽が西に沈む
素晴らしい光景
ジッと目を凝らして見つめる
いい風景と...



て、石垣島に来ればやはり島唄と泡盛
夕食に石垣市内へ繰り出す
夕食は島唄ライブの琉歌。
知る人ぞ知るの穴場。
琉歌の詳しくはここをクリックして下さい。

垣市内には島唄と三線
それに美味しい島料理



勢の観光客と地元の人たち
八重山の人達は陽気である
島唄が始まるとお客さん、従業員みんなでスタンディングで踊りだすさ~
飲んで唄って大盛り上がり
楽しい一時を過ごす
こうして眠くてなが~い一日が終わったのである



デジブック 『南洋の楽園・石垣島編』


八重山諸島旅行記-1

2011年10月03日 | 旅行
月29日
羽田空港から那覇経由で石垣空港へ
石垣空港に着くと空が眩しい
それもその筈。
寝てない
そして南国特有の高温多湿
頭のテッペンから照りつける陽射し
暑い


ンタカー会社の送迎でレンタカーを借りる
今日の予定はレンタカーで石垣島めぐり。
石垣市周辺はここら辺の街並みと同じくらいの繁華街
しかし郊外に出ると信号機は思いだした程度
のどかで道路際には原色の花が咲き乱れる
街路樹は椰子の木
南国の風景である


て最初に向かったのは唐人墓
その昔、中国がアメリカに労働者貿易(体のいい奴隷ですね)をしていたころ、
アメリカへ移送される途中で労働者があまりの扱いに腹を立て船上で暴動が起きる
船長以下数名を殺害しやがて船は石垣に流れ着き座礁してしまう。
300人ほどの中国人を石垣島の島民は仮住まいを提供し保護したそう
それを知ったアメリカやイギリスは数度にわたって兵隊を上陸させ
島中追いかけまわして100人以上を殺害


き残った中国人を哀れに思った石垣島民は、密かに食料の提供をする
その後、琉球王朝は仲立ちを行い生き残った中国人を船を仕立てて中国に返す。
その後、島内に散在していた死者の墓をこの地に集め「唐人墓」として弔いの場所とした
石垣島の綺麗な自然の風景と色彩の中で異国の色彩と建物が一際その悲しい歴史を際立たせている。



て、石垣島観光の拠点としてフサキリゾートビレッジでの3連泊
この唐人墓とは歩いて5分の距離にある。
そろそろお昼時
まずはそこの食堂でお昼。
『冷やしゴーヤ麺トマトソース島野菜添え』。
初めて味わう
まいう~



事も終わりフサキリゾート目の前の海
うわ~あ
綺麗だ
青い海に青い空



も、雲も夏空
今日の気温は32℃。
暑い...
だけど綺麗
見惚れる



こまでも続く白い砂浜
いいなぁ
こんなとこ



んて思いながら散策していると...。
結婚式の前撮りの二人
幸せに輝いている
ブーゲンビリアやハイビスカスの花咲く中で...



言うわけで石垣島の中でも風景がダントツと言われる川平湾へと向かう

久々の旅行

2011年09月27日 | 旅行
から相変わらずの秋空
10月1日は雨の模様
29日から待っていた石垣島へ
石垣島、西表島、竹富島、由布島などを観光予定。
石垣島内はレンタカーで移動

日の夜、出発。
天気予報を見ると曇り/雨の予報
台風17,18号はフィリピン方面に行ったからいいものの...。
その東に熱帯低気圧が。
台風のたまご

の影響で曇り/雨になるらしい
先週でなくて良かったが...
台風が気がかり
まぁ台風にならなければいいが


竹島弁財天と三河湾食べ歩きツアー

2010年12月14日 | 旅行
日の朝方は金星が望める程の天気であったが...
時間が経つにつれ高曇りの天気
バスは土岐ジャンクションから東海環状へ。
蒲郡音羽インターで下り『えびせんとちくわ共和国』とやらへ。
ここで買い物タイム



気はかろうじて持っている感じ
今にも雨が降り出しそう
バスは竹島弁財天に向かう



島に向かう桟橋



辺ではカモメに混ざりオナガガモの姿も



財天を祭ってある八百富神社
竹島の守り神だけあり島の海岸に幾つもの燈篭が立っている



橋を渡りきると神社境内に続く長い石段
息を切らして登る



参りを済ませ竹島を後にした頃から小雨が降って来る
次に向かうのは鮮魚センター
鮮魚センターでは予めくじで当選した人が真鯛1匹を網ですくいゲット
1本2500円相当とか...。



スの棚も買い物の袋で溢れかえりバスのトランクルームへ入れる始末。
家では買い物が目的でないので余り荷物は増えない
バスの中はワイワイガヤガヤの賑やかさ
オレンジファームに到着
まずは昼食
昼食付きだから大広間は人で一杯
昼食後、蒲郡温室ミカンのミカン狩りを楽しむ
温州みかんが主流と言う。
三ケ日ミカンも持って行ったので食べ比べると
三ケ日ミカンの方が多少甘く感じる



路4時頃には雨も止み、神坂パーキング辺りでは
黒い雲の隙間から時折青空が顔を出す
ところが恵那山トンネルを通り抜け阿智に向かうと天候は一変
雨降り状態
恵那山の県境で天気はがらりと変わる。
7時には帰宅出来ゆっくりの買い物ツアーで有った

『岐阜公園の昼桜と夜桜と...』

2010年04月07日 | 旅行
本桜と薄墨桜を見て今日の宿泊先に到着。
岐阜公園の横の旅館。
3階の部屋からは桜の花に手が届きそう。

夜桜見物に行くと昼間の表情とまた違う趣。
あちらこちらで花の宴が始まっている。

デジブック 『岐阜公園の桜』


山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ
『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどでした。

信長は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、
「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。



望台の西からは伊吹山・養老山脈、南には伊勢湾などが連なる壮大な眺望。




望台の眼下に長良川と岐阜市内が一望。


岐阜県千本桜公園と薄墨桜

2010年04月06日 | 旅行
月4日に岐阜県に観桜に行く
千本桜公園は武芸川にあり丁度七分咲き。
道路を挟んで桜並木が続いている。
その数2000本の桜と言う。
何処を見ても桜、さくら、サクラ。

キィレイ!!
観光客は感嘆の声を上げる。
平日にもかかわらず大勢の人が来ている。

行ってみて思った。
噂通りの桜並木。

その足で根尾の薄墨桜を見に行く。
日本三大桜は、山高神代桜、根尾谷淡墨桜、三春滝桜。

淡墨桜(岐阜県本巣郡根尾村=本巣市)は、
エドヒガンの樹齢1500余年のお婆さん桜
蕾のときは薄いピンク、満開時は白色、散りぎわに淡い墨色になる。
今年は一週間程度遅れているらしい。
まだ三分咲き。
薄いピンク色をした薄墨桜。
ここでも10台以上の観光バスが来ている。
賑やかい。


薄墨桜の由来は
第26代の皇位を継承し継体天皇(507~531)と称せられたが、
この地を去るにあたり形見にこの桜を植え、
次の歌と共に残されたと伝えられている。

身の代(しろ)と遺(のこ)す桜は薄住よ 千代に其の名を栄盛(さか)へ止むる








白糸の滝と休暇村富士の旅(2)

2010年03月10日 | 旅行
士休暇村に着くと目の前に田貫湖が広がっている。
晴れていれば全室から富士山の眺望が素晴らしいという。
今日は残念ながら雲が厚く富士山の形も見えない。

仕方ないので田貫湖畔を散歩する。
馬酔木の花がきれいに咲いている。
猫柳も綺麗だ。
もうウグイスの鳴き声も聞こえる。

田貫湖にはオオバンやカモ類がいる。
遊歩道沿いにはシジュウカラやヤマガラもチッ、チッと鳴いている。





風呂は温泉かけ流しで気持ち良い風呂。
晴れていればお風呂からも富士山が見えると言う。

夕飯はバイキング料理。
美味しかった。

次の朝、6時半から野外を案内してくれると言うので参加。
約30分遊歩道沿いに野鳥の種類等を説明してもらう。
ウグイスが鳴いている。
まだまだ鳴き方も上手ではない。

朝食バイキングを食べ部屋に戻ると凄い吹雪。
帰りはどこにも寄ってこれなく帰宅する。
家から田貫湖まで約2時間半。
今度は朝の天気を確認してからリベンジをする予定。


休暇村富士と田貫湖.wmv


白糸の滝と休暇村富士の旅(1)

2010年03月09日 | 旅行
貫湖に映る富士山白糸の滝を見に行こうという事で1カ月前から計画
3月8日は晴れの特異日なのでこの日に計画。

田貫湖畔の休暇村富士に宿泊予約。
休暇村富士はなかなか空室がなくやっと予約する。

am9時半出発。この日は薄曇り。
高速の韮崎辺りでいつもなら富士山が見えるがこの日は全然見えない
甲府南で下り精進湖、本栖湖経由で白糸の滝に到着。

駐車場の管理人が言うのに晴れていれば滝に虹がかかり、富士山も見えて良いが
今日はちょっと無理
ざんね~ん。
一応、白糸の滝を見に行く。




白糸の滝を見た後、音止の滝まで歩き道沿いに駐車場まで歩き休暇村富士に向かう。

白糸の滝.wmv


東京・横浜の旅②

2010年01月27日 | 旅行
京丸の内南口より出ているはとバスツアーで横浜ダウンタウンに向かう。
まず最初は横浜山手に有る三渓園。
国指定名勝の日本庭園だけあって落ち着いた雰囲気を醸し出している。



母屋造りの萱葺き屋根。
鶴翔閣。
三渓と交流のあった横山大観らが出入りした場所。
見ているだけで昔を思い出させる。



華街は外国人居留地が発展した街。
安政4年にペリー提督が浦賀に来訪したときに徳川幕府が横浜を貿易港として定めたのが始まりとされている。
当初の中国人は1,000人ほどだったが、年を追うごとに貿易も盛んになって来る。
中国人の数も増え、不慣れな日本食や洋食ではなく、中国料理を食べれるように考え、外商に勤める料理人が独立し主として中国人を対象に商売を行ってきたという。




浜中華街には現在、10基の牌楼(門)が建っているという。
大通りにある善隣門は、テレビや雑誌などでよく見かける。



りを歩いて行くと超ド派手の霊廟がある。
"横浜媽祖廟"と言う。
参拝の方法があり5つの香炉を巡り参拝するらしい。
境内で縁起物を売っている。



由時間がゆっくり取れていたので中華街の主になる牌楼4門を見物。



浜マリンタワーに向かう。
マリンタワーは1961年開業、2009年5月リニュアルオープンしたという。
タワーは山下公園近くに有り見上げなければ展望台が見えない位。
マリンタワーの高さは106mあり展望台からの眺望は素晴らしい。



浜ランドマークタワーやヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルが一望。



浜港大桟橋に大きな豪華客船が停泊している。
インフォメーションに聞くと飛鳥Ⅱという。
飛鳥Ⅱと言えば2006年2月26日(飛鳥IIとして) 就航。
総トン数約5万トンの横浜港を船籍とする大型外洋クルーズ船。



室が462室。
料金もいい。
最高一泊20万円~最低6万5千円。
乗客定員約800名で乗組員も440人いるという。



浜赤レンガ倉庫までミニクルーズをして到着。
横浜はすごい。
赤レンガ倉庫(パーク)までスポットにする観光目玉が一杯ある。
地方も古いものを壊すのではなく観光事業に変えていく元気を見習わなくては。




京駅南口に戻り山手線で新宿西口に。
京王百貨店8fで夕食。
ヨドバシカメラでポータブルHDD500GBをゲット。
PM7:20高速バスのお客になりPM10:30帰宅。
天気も小春日和
楽しい思い出の旅であった。

東京・横浜の旅①

2010年01月26日 | 旅行
1月24日に高速バスで新宿に出る。
新宿着が10時30分。
それから山手線で原宿へ。
目指すはNHKホール。
明治神宮前では明治神宮鎮座90年祭「とことん青森2010」のイベントをしている。
ネブタが飾ってある。



日はお伴でNHKホールで行われる俳句大会に来た。



場には3000人位の人が集まっている模様
中の様子はNHK教育テレビで後日放映される。



4時30分頃終了。
御徒町まで移動して鈴本演芸場で落語、漫才を鑑賞。
抱腹絶倒の3時間半。
不忍池近くの宿に泊まる



日、朝6時半散歩に出かける。
不忍池には弁天堂がある。
開祖である慈眼大師・天海は不忍池を琵琶湖に見立て竹生島になぞらえて弁天島(中之島)を築かせ、弁天堂を作った。
出勤前のサラリーマンの大勢の人たちが手を合わせ頭を下げ参拝していく姿がある。



忍池から上野恩賜公園に行き西郷さんの銅像を見物。



縁坂を右に見て旧岩崎邸園前を通る。
まだ時間が早いため開園はしていない。



島天満宮まで足を延ばす。
古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れるという。
普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せるという。



格祈願の絵馬が鈴なりになっている上で"湯島の白梅"ではないが白梅が咲いている。


モレラ岐阜と墨俣一夜城・国立木曾三川公園

2009年11月22日 | 旅行
日はどこまで行っても高速道路1000円乗り放題の日
以前より家族で計画していた岐阜方面のショッピングと観光を兼ねた小旅行に行く。
朝6時頃岐阜県本巣市にある大型ショッピングセンターのモレラ岐阜に向かう。
三連休初日のためか高速道路は普段に比べ混んでいる。
モレラ岐阜へは2006年4月にオープンしてから何回も足を運んでいるがショッピングと観光を兼ね計画。
モレラ岐阜の中には約240店舗が入っていてショッピングはもちろん、映画館、グルメ、お医者さんまで有る。
本巣市は富有柿が有名で街の通りでは柿農家の人が無人販売所を出して販売している。
着いたのが9時30分頃、10時になるのを待ちかねてお客さんが並ぶ。
今日は朝から大行列2000人近くの人が並んでいる。
何の行列か聞くと"今や若者の間では大人気のHIP HOPグループのFUNKY MONKEY BABYSがモレラにやって来るとのこと。
遠くは福岡から来たそうでビックリ。



店と同時に店内に
約240店舗が入っている店内は外の行列に比べまだまだ人が少ない。
11時頃になると店内は混雑してくる。



内には2階を貫く大きなクリスマスツリーが飾ってあり購買意欲をかりたたせている。
ここでショッピング組と観光組に分かれ午後6時まで自由行動。




光組はまづ墨俣一夜城へと向かう。
国道31号線が長良川を渡る長良大橋から川沿いに行くと、犀川が2つに分かれる。その三角形の股の部分が墨俣城跡である。
金の鯱(しゃちほこ)が目を惹く五階の天守を築いて「墨俣一夜城歴史資料館」となっている。
木下藤吉郎が築いた墨俣城は木造の砦であり、この資料館とは全然違うが資料館の中には木下藤吉郎の一夜城築城の様子をはじめ、墨俣の歴史資料などが展示されている。
秀吉の「天下人」への出発点になった古き昔に思いを馳せた一刻。 



俣一夜城は小公園になっていて、ちょっと寒かったが紅葉が綺麗。
この川の流れを秀吉も見ていると思うと栄枯盛衰、時の流れを感じる。



こから美濃(岐阜)の稲葉山城(岐阜城)まで距離は12キロ。
今でも肉眼でその城のある金華山は十分見る事が出来る。
「交通の要である州俣(墨俣)を制するものは美濃(今の岐阜県)を制し、美濃を制するものは天下を制す」と...。




でこそ岐阜の街にはビルが立ち並ぶが、昔はこうだったかも
ビッ、ビルがなくなっとる



柵を境に斎藤軍と藤吉郎を総大将とする尾張方軍の攻防が続いた




ひょっとしてこんな感じだったかも...。




こでちょっと真面目に歴史談義。

永録3年5月、桶狭間で今川義元を討ち取った織田信長は、その勢いに乗じて墨俣に塁を築き美濃攻めを行うが増水のため敗退。当時墨俣は無数の大小河川・沼地・深田で囲まれており、孫子の兵法に「死地又生地なり」とある通り築城は至難の業であった。永録8年暮れ、信長は密かに秀吉を呼び寄せ「短期間に少数の兵で築城をやれ」と蜜令。秀吉は直ちに蜂須賀小六の所へ行き「この機会を失えば、この世に出る機会もなしと存ずる次第、何卒御諒承あれ」と協力を依頼、ねねの弟・小一郎の頼みが加わるが、小六暫時口を閉じて語らず、しばらくして口開き、「墨俣のこと御引き受け申す」と。かくて墨俣陣の首脳である藤吉郎、小一郎、小六、長康の命を賭けた同盟関係が成立する。
墨俣押出惣勢子
一、前野長康 312人 
一、日比野六太夫 250人 
一、稲田大炊介 656人 
一、山方衆 是は八層衆七層衆を含むものなり 河口久助 156人 梶田隼人 187人 長江半之丞 222人 
一、草井船頭衆 48人 
一、犬山船頭衆 75人 
一、大工棟梁方 26人
 一、青山新七 足軽鉄砲隊 74名 
一、蜂須賀小六 手の者 133人 
一、惣大将 木下藤吉郎 
一、メ惣勢子 2140人是有。
永録9年1月2月3月七層八層の山々で桧と松を切り出し、4月5月6月に雪解け、五月雨、梅雨前線を利用し木曽川の支流・飛騨川を筏で流す。7月8月には松倉(川島町)において2間半と1間半に製材し、組立するばかりにした。9月12日午前2時、のろしを合図に松倉瀬上より、木曽川の一大分流・境川を墨俣まで川舟・田舟を使い綱で引張る。15粁のとろこを10時間かかって正午に着く。直ちに築城と戦いの準備に入る。昼間は馬柵、夜は城作り。「至極難儀に候。生涯30の砦、50の城を攻めたが、これほど苦しいことはなかった」と秀吉は述懐している。翌9月13日、小雨の中東北より稲葉山軍の500人ばかり攻め来る。9月14日、馬柵が大略出来上がる。敵軍2000の兵が攻め来るも、馬柵と鉄砲で守り通し敵は退却、築城と戦いは成功したが、尾張方は15%の戦死者を出す激しい戦いであった。
墨俣築城の規模は下の通り。
一、高やぐら・・・・・・5棟、これは2層、高さ21尺、間口4間半、奥行2間半
一、平やぐら・・・・・・3棟、これは高さ14尺、間口7間、長屋にて武者溜まり
一、土居・・・・・・・・・250間、これは高さ6尺。
一、高塀・・・・・・・・・136間、東北に向い取付け。木組の上、ぢかべに堅固に構える。高さ5尺。
一、馬止め柵・・・・・1800間、高さ6尺。前野長康受持。昼夜分かたず働く。
一、堀切り・・・・・・・350間。幅10尺ばかり。稲田の手の者仕る。在郷百姓衆合力600人。
一、信長公座敷・・・間口3間半、奥行2間半。
一、城木戸・・・・・・・大手、搦手口2カ所。
天の時を待つばかりとなった翌年の永録10年(1567年)8月1日、信長一斉に宿願の稲葉山城攻略の陣触を出す。8月15日秀吉の組は沢井左衛門・山内一豊等の寄騎衆と共に、30余艘の舟で長良川を攻め上がり、水の手谷道より駆け登る。搦手の門より突入し、一番乗りを上げる。柴田勝家等の主力部隊は七曲道より二の丸を経て本丸へ。稲葉山城は早朝からの攻撃で、午前10時に落去。信長入城。信長は父信秀以来30有余年遠き道であった美濃攻略を果たす。
かくて天下平定の道は信長と秀吉この二人の英雄によって開かれ、戦国時代より安土桃山時代へと時は移りゆき、中世から近世へと日本史は転換してゆくことになる。

   (墨俣一夜城歴史資料館発行資料参照)


外には栴檀(せんだん)の木の実が太陽に輝いて光っている。
すごくキレイだ


俣一夜城を後にして木曾三川公園に向かう。
もうお昼を回りお腹も空いてきたので"道の駅クレール平田"で昼食
ここでウナギ卵とじ定食で舌鼓。
食事終了後、店内で深紅の山茶花と柘植の鉢植えをゲット



曾三川公園に到着
風がさむ~い
イルミネーションの飾りつけで職員は忙しそう
寒くて外には観光客はあまりいない。



上65mの展望タワー木曾三川と濃尾平野が一望できる。
展望タワー入場料 大人600円 子供300円。
ビジターセンター内では木曾三川流域の公園、名所、観光スポットを紹介している。



望タワーからの眺望はすばらし~ぃ
木曾川、長良川、揖斐川が行儀よく綺麗に三本並んでいる。
洪水の治水対策した結果だ
昔は洪水が頻繁に起きていた。堤を築き今や平静の河川になった。
それぞれの大河の水の輝きが綺麗だ


りは大垣に回り樽見鉄道沿いに海津でミカンをゲット
午後6時モレラ岐阜に到着
午後10時帰省走行距離550kmの日帰り旅行を満喫した。