趣味真っ盛り!!

人生これから! 元気に趣味を楽しんでいます。

デジタル一眼レフ マクロレンズ

2010年04月30日 | 写真
誌のグラビアで見かけるような花のクローズアップ写真。
そのような写真を撮ろうと思い庭に出る。

クロレンズは虫眼鏡のように拡大した画像を見ることが出来る
有名観光地の圧倒的迫力の風景もいいが、私たちの足元にも、
自然が息づいている。

に咲くニリンソウ、鈴蘭水仙、海棠の花を
マクロレンズ+クローズアップフィルター+4を装着して撮影


EOS kissX3 マクロレンズEF-S 60mm+クローズアップフィルター+4へC-PLフィルター
シャッター速度1/60 F9.0 ISO400


かなか難しい。
まだまだ修行が足りない。

諏訪大社  龍神伝説

2010年04月29日 | 日記
日の諏訪大社下社秋宮は賑やかい。
某銀行関係の里曳き勢揃い。
花笠踊り連、長持ち連の勢揃いと奉納。



訪大社には以前より龍神伝説があるという事を聞いたことがある。
そんな中で諏訪人の諏訪信仰について調べてみる。

「諏訪大明神画詞(えことば)」は室町時代初期に、
幕府の要職にあった諏訪円忠が編さん。

もとは絵画が描かれた絵巻物だったが現在は所在不明で、
詞書(ことばがき・文章)部分だけが写本として伝わっているという。

訪大明神(諏訪大社)のもともとの姿が龍神である。

下社手水



という伝説は古くからいわれており中世の日本において、
この諏訪を中心にして龍神信仰(諏訪信仰)が大きな勢力を
誇っていたのは間違いないようだ。

訪大社御柱のルーツでも書いたが諏訪大明神には神無月がないと言われている。

濃の民話の中の龍伝説にはこう書かれている。

年十月になると神様が出雲国へ集まって国造りの相談をすることになっていました。
十月はどこの国の神様もお留守になり、
神様がいない月というので神無月と言う様になりました。

ころがある年のこと、
信濃国の諏訪の龍神様の姿だけがどうしてもみえません。
「信濃の神さまはどうした、病気か、遅刻か、いつまで待たせる気だ。」
と、神々たちがさわぎ出しました。

訪の龍神様は言いました。「信濃国は遠いので、龍の姿でやってきたのだ。」

神々たちは龍神様に言いました。
「信濃は遠くて大変であろう。これからはどうかお国にいて下さい。
会議の模様や相談はこちらから出向いて知らせに行く。」と、

訪明神は黒雲に乗って信濃国の諏訪湖へ帰り、湖の底深く姿を消しました。
だから、信濃国には神無月はないと言います。

と言う民話です。

色々な夢があり、ロマンがあり調べていると夢中になります。


国際宇宙ステーションと満月

2010年04月28日 | 天文
夜8時02分南西から北東に野口宇宙飛行士が乗っている国際宇宙ステーションを見る。
最初は淡い光。

真上に来ると眩しい位の光になる。
北東側にに消えていった。




日は満月。
良く見ると右下にティコ(クレーター)が放射線状に輝いている。
その上に雲の海。
中央左下にコペルニクス(クレーター)が同じように光り輝いている。





※画像をクリックして2分30秒余りの安らぎを...。

諏訪大社と上田城とのつながり

2010年04月27日 | 日記
月25日(日)、快晴の天気。
"昼過ぎ急に上田に行ってみよう"ってことになり上田城に行く。

度、上田城は上田城千本桜祭りの最終日。
広場では太鼓連が賑やかに演奏している。
太鼓祭りらしい。
子供太鼓から御諏訪太鼓まで来ている。




園内では猿回しが来て観客に愛嬌をふりまいている。



田城と城内の真田神社を見て諏訪大社とのつながりがあるか調べてみる。


上田城は天正11年(1583年)真田昌幸が築城した平城で、
徳川の軍勢を二度撃退した歴戦の名城として知られている。


長5年(1600)、関ヶ原の合戦で真田昌幸・幸村父子は西軍に加勢する。
戦のために西下しようとする家康の次男秀忠の大軍36000人を
わずか2500人ほどの兵で迎撃。
秀忠軍を6日間も足止めさせる。

このため、秀忠は家康にひどく叱責され
しばらくの間面会を許されなかったといわれている。


の上田城には天守閣がない。
戦術的に上田城の位置は千曲川が南櫓のすぐ下を流れる。
南からの敵の攻めに対し、格好の自然の防衛とした。








田昌幸・信幸と諏訪大社の関係を調べてみる。

真田氏は昌幸の父幸隆の代から武田氏の家臣となる。
武田信玄の信州攻略には多大な貢献をしている。
昌幸自身も信玄の側近として仕える。

武田信玄を始め真田昌幸・信幸をはじめ歴代上田城主が、
上田の生島足島神社社殿の再建や社領の寄進を行っている。

やはり建御名方命(たけみなかたのみこと)は戦勝の神であり、
真田三代も生島足島神社に神頼みしたと思われる。


訪大社と生島足島神社とのつながりは

諏訪の神様は建御名方命(たけみなかたのみこと)という神。
建御名方命がこの地にとどまり生島神足島神の庇護を受けたとの伝説。
建御名方命はたいそうこれに感謝し、
生島足島の神に粥を自ら作って奉じたとされる。

生島足島神社にも御柱祭がある。
生島足島神社においては、御柱祭も生島足島伝説にちなんだものだとされている。
諏訪神が生島足島神に感謝の意を表すためにおこなっているとされている。

デジタル一眼レフ 1200mmスポッティングスコープ

2010年04月26日 | 写真
回のスポッティングスコープレンズテストでで風景を撮った。
スポッティングスコープで月を撮ろうとしたが天気が
良くなくて今まで撮れなんでいた。
今日の月は06時00分:月が最接近(367,140km)になるという。


ポッティングスコープにマウントを付けてそこにカメラを付ける。
いわゆるデジスコとしての使用。


は明るいので、大都会の真ん中でも撮影できる天体。
どちらかというと天気や気流が良いことが多い都会の方が、
郊外よりも綺麗に撮れる対象という。
が、長野県の高原から見る星空は格別なものだよな~。

メラもコンパクトカメラで十分綺麗に撮ることができる。
長時間露出の必要がないため、ノイズの影響が出ないため。


になって
月齢9.6の上弦の月が出ていたのでデシスコで月を撮ってみる。
以前の月の写真は250mm望遠レンズでトリミングをして
拡大したが、デジスコで撮るとそのままでトリミングはしていない。

露出:F22 シャッター速度:1/15 ISO:100


※画面をクリックすると動画が見れます。

諏訪大社下社 御柱祭 今昔...

2010年04月25日 | 日記
真の整理も終わり、以前より持っていた陶器に描かれていた御柱祭の
古絵巻が出てくる。


のものは寛政11年(1799年) 湖淳洲と言う人が描いたという。
寛政11年頃に活躍していた人はどんな人がいるのか調べる。

・ 葛飾 北斎
1760年〜1849年(宝暦10年〜嘉永2年) 39才
江戸後期の浮世絵師。代表作「富嶽三十六景」「北斎漫画」など。


・ 十返舎 一九
1765年〜1839年(明和2年〜天保10年) 34才
『東海道中膝栗毛』。江戸町人独特の歯切れのよい洒落とユーモアを描いた。


・雷電 為衛門
1767年〜1825年(明和4年〜文政8年)  32才
勝率何と9割以上。それでも横綱になれなかった無敵の大関。
信濃国小県郡大石村(現長野県東御市)生まれの江戸時代の大関。
本名:関太郎吉(爲右衛門)。


・喜多川 歌麿
1753年〜1806年(宝暦3年〜文化3年) 46才
江戸後期の浮世絵師。鳥山石燕(せきえん)に学ぶ。
美人大首絵に独自の様式を展開、多大な人気を博し、
後世の美人画に大きな影響を与えた。
代表作「当時全盛美人揃」「娘日時計」など。

と、かなり有名な歴史上の人物がいる。
写真を見ると浮世絵風。

このころの絵師は葛飾北斎、喜多川歌麿等の浮世絵師の
影響は大であったと思われる。


諏訪大社下社 御柱祭 山出し今昔...。

2010年04月24日 | 日記
訪大社下社御柱の木落としの写真の整理をする。

回の山出しは人が多かったこと
536000人の人が下社山出しに訪れたという。

特に2日目は天候にも恵まれ234000人の人出
木落とし坂周辺は人で埋め尽くされた



落としの行われる坂上も身動きが取れない状態。
手をあげたら下ろせない状態。



真を整理していると今から42年前(7回前)の山出しの写真が出てきた。
今の山出し風景と比較してみる。

当時、1968年の山出しは今の様に派手な衣装でなくて
黒の法被に背中には"岡谷"の文字

消防団が主になって曳き綱、テコ等を掛け持ち。
曳き子も曳き綱に充分に付ける。
今に比べて「のんびり」の曳行



回の棚子場からの曳行は曳き綱がない状態。
曳き子が多すぎて綱に入る余地がない。
狭い山道は"カニ歩き"の状態

そこに観光客。
押し合い、へし合い。



前の昼食風景。
今の様に○○地区休憩場なんてない。

時間になったらその場でお昼。
仲間で車座になって談笑。



は○○地区休憩所を陣取ってあり、そこまで曳き昼食。
見ての通り大勢の曳き子たち。
曳き綱に付けないわけだ。



落とし坂に着くと、消防団の人たちが主になって周りを固める。
以前のカメラは現在の様に"ズーム機能"がないがここまで近寄って
撮れるのは今の様に混雑していなかった。



は元綱係、テコ衆、追っ掛け綱係等があり以前の十数倍の人たちで
御柱周辺を固める。

又、以前に比べ観客数がけた違い。
ショー的な要素が大きい。



て、いよいよクライマックスの木落とし
華乗りは各御柱一人、元綱も余り開かなく、元綱係もいなく、
下の方で曳き子が一気に引っ張る。

この写真はかなり近くで撮ったもの。



は見ての通り。
この御柱は華乗りを含め5人も乗っている。

あの木落とし坂を豪快に転がり、御柱に振り落とされるスリルを
観客も望み、また諏訪人の心意気を発揮できる見せ場であるから。


キャノンEOSデジイチ動画変換MOV~AVIに

2010年04月23日 | 写真
キャノンEOSの場合、動画はMOVファイルで、
windows Liveムービーメーカーでの編集が出来ない。

た、MOVファイルの場合You Tubeへの貼り付けが出来ないため、
どうしても動画モードをAVCHDかAVIファイルに変換しなければ
windows Liveムービーメーカーを使用する事が出来なかった。

MOVファイルのいい所は画質は100万画素と落ちるが、
良いシーンの静止画が抽出できるとこ。

料の変換ソフトは色々あるがフリーソフトで変換ソフトがないか
ベクター窓の杜等のフリーソフトを扱っているwebを検索してみる



MOV 変換はQuick Time MOV 動画ファイルを
AVI、MPEG、WMV、DivXフォーマットに高速高画質に変換するほかに、
MOV MP3変換などMOVファイルを音声ファイル形式MP3、WAV、WMA、AACに
変換することが出来なければならない。

換をする操作が難しかったり海外のフリーソフトでは意味がわからない。
2~3種類の変換フリーソフトを試した。

在使用しているMOV変換フリーソフトはなかなかの優れ物で高速変換してくれる。
AVIファイルに変換した後はwindows Liveムービーメーカーでの
編集も出来るようになった。

現在、You Tubeに載せている作品で1200回余り閲覧されている

諏訪大社御柱祭 下社春宮四 勇壮に木落とし



はMOVファイルを変換したものである。


Panasonic DMC-TZ7ルミックス の動画ファイルはAVCHD Liteのため
変換をしなくてwindows Liveムービーメーカーを使用できる。
が、静止画の抽出は出来ない。



先日、御柱木落としの動画をキャノンEOS x3で撮っていたが、
バッテリーがなくなり3本目の上諏訪担当の秋二の木落としは
ルミックスの動画で撮り編集した。
これも現在450回余り閲覧されているが両方ともに画質は
変わらない。

諏訪大社御柱祭 下社秋宮二 木落とし 御柱の下に人が! 諏訪市上諏訪



現在持っているデジイチ、コンデジ共に動画が撮れるので、
静止画、動画を撮り楽しみたい。



上海万博開催で思う事...

2010年04月22日 | 日記
国の上海万博がいよいよ2010年5月1日〜10月31日(184日間)開かれる。
上海万博のPRソングが、日本のシンガー・ソングライター、
岡本真夜さんのヒット曲「そのままの君でいて」の盗作ではないかとの疑惑が出たり、
上海の警察当局が外国人に万博期間中の「夜間外出禁止令」を出すという噂が流れたりで
中国のお国柄なんだろうか?

から40年前には大阪万博が開かれ動く歩道、
電気自動車等その頃では夢であったものが現実になって来ている。

あの頃はまだ若くて何回も大阪万博に行った。
岡本太郎氏の太陽の塔。



メリカ館は長蛇の列。
観衆の目的は、あの頃アポロ宇宙飛行船が月の石を持ってきたものを展示。
一目見ようと2~3時間並んだものである。



れと万博って言えばいつも気になっていることがある。
大阪万博の時タイムカプセルを5000年後に取り出そうと言うイベントで
それを展示してあった。

後、4960年。
気の遠い話である。
5000年後地球は、人類はどうなっているだろうか?

それまでは生きていられない。
SFの世界である。

子々孫々平和で、地球がなくなっていなければいいが...。


ジャガイモとネギの植え付け

2010年04月21日 | 家庭菜園
日買ってきた種イモ(ジャガイモ)。
キタアカリ 北海道産 19個入り(約1kg)240円。中は黄色
アンデス  岡山産  12個入り(約1kg)390円。皮は赤、中は黄色



仁田のネギ 1kg 800円
植え付けをしてると「その苗何処で買ってきたか?」と聞かれ
「昨日伊那のグリーンファームで...」と言うと
市内種苗店では予約で扱っていて飛び込みでは購入出来ないらしい。



10時頃より畝を深く起し、牛フンを肥料として入れる。
その上から約10cm程度土をかけ30cm間隔で種イモを置いて行く。
又、その上に10cm程度土をかけて植え付け終了。



ギも同様に深く畝を掘り起こし、牛フンを入れる。
その上から約10cm程度土をかける。
畝の側面を手で叩き硬くしてからネギ苗を置いて行く。
この後、畝側面とネギの間にワラを置きネギ苗の又に
土がかからないようにする。


『諏訪湖周辺 桜の名所』の編集

2010年04月20日 | 写真
からぐずついた天気。
先日、畑をおこし苗物の準備をする。
今日はジャガイモの種イモとネギ苗を買いに
伊那市まで出向く。

も満開。
晴れていればいいけどなぁって思いながら出かける。

日以降天気が良ければ植え付け予定。
何処に植えるかはまだ考え中。

日の諏訪湖周辺を観桜した時の画像をデジブックにまとめる。

デジブック 『諏訪湖周辺 桜の名所』



箕輪町中曽根集落の権現桜

2010年04月19日 | 日記
日は薄曇りだったが午後から太陽が覗き、
晴れてきたので箕輪町の権現桜を見物に行く。

現桜はエドヒガンザクラで樹齢約1,000年(平安時代) 
地上1.3mのところで大きく東と西に枝分かれしている。
分岐点より更に枝を10mから15mと四方に張っている。


曽根では夫婦桜とも呼ばれる権現桜!
二本に分岐してからというだけでなく、 一方の花は赤く、
他方は白く咲くというのでこの名前が付いている。
この色の違いは、開花する時期のずれが理由で、
西方から出た幹の方が2~3日早めに咲くため白く感じる。




諏訪湖周辺 桜花の見て歩き...

2010年04月18日 | 日記
日の朝はドカ雪に見舞われたが午後になると風は冷たいが快晴。
近郊の桜名所を見物に行く。

の船魂社のしだれ桜。
2006年7月の豪雨、土石流に襲われながらも倒れなかった。
湊の地区民が言う"神のシダレザクラ"。
1本であるが存在感は絶大。

島城。
まさに満開。
駐車場は一杯。
お花見と花の宴をする人が結構いる。

雲禅寺。
落ち着きの中静かな佇まい。
苔むした山門から入ると桜が満開。

河川。
朝方の雪も溶け暖かさにより満開。
朝の雪はどこに行ってしまったのか...。

竜公園。
諏訪湖と雪の被った八ヶ岳に桜。
アングルは最高。
岡谷市も観光面で釜口水門等でのPRがあればもっと活性化されるかも?





春なのに...

2010年04月15日 | 家庭菜園
う四月も中旬と言うのに今朝起きると屋根が雪で白くなっている。
今年の天気は昨日飯田では25℃位まで上がる。
今日は10℃台。
寒暖が激しい。

今年も家庭菜園の準備を始める
去年トマトを作った所にジャガイモを。

また、去年はハウスの中にトマトを作ったが、
ハウスの高さが低くてトマトの木が上にくっついてしまったので
今年は高くする

10坪程度の家庭菜園ではあるが今年もトマト、ナス、キュウリ等の
スタンダードの野菜と珍しいものも作ってみたい。


借りている家庭菜園の一画 真中にハウスを作ってみた。
昨日は風が強く、心配で夜、見に行く。