田舎主婦の日日是好日

今日も生きてることに感謝かな。

有職故実:光る君へ第42回

2024年11月04日 | 趣味・本・テレビ他

いつも有職故実(ゆうそくこじつ)に詳しい、

藤原実資(ふじわらのさねすけ)書いているのですが、

昨晩の放送でも「立后(りっこう)の儀式」を、

三条天皇に頼まれてましたね。

 

実資は天徳元年~長徳元年まで生き(957~1046)、

90歳という長命でした。

 

有職故実って「有職」と「故実」を組み合わせた語で、

(ゆうそく)は、

本来は有(ゆうしき)と表記するそうです。

 

以下青文字はNHK大河ハンドブックより抜粋です。

 

有職とは、

知識を持つ人の意味である。

 

ただし、

その知識は故実の知識であり故実の知識を多く持つ、

あるいは多く持つ人が有識である。

 

一方、故実は行動の規範、

つまり現代で言えばマニュアルに相当する。

 

この有職故実は、

公家故実(くげこじつ)と武家故実(ぶけこじつ)に大別でき、

公家故実は摂関時代に成立し、

武家故実は鎌倉時代に成立した。

 

有職公卿(ゆうそくくぎょう)と言われる藤原実資は、

村上天皇冷泉天皇

円融花山一条三条天皇に仕え、

以後も後一条後朱雀後冷泉天皇と仕えます。

 

『小右記』には88才の時、

致仕(ちし)を請うも聴されず(ゆるされず)とありますが、

(致仕とは禄位を返上するの意味)

実資は最後の最後まで有能な有職公卿だったのです。

 

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第42回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

明子の息子:顕信(あきのぶ)が出家をしたのは、

明子にとっては子供を殺されたのも同然だったのでしょうね。

 

明子の兄の源俊賢は妹を慰めました。

顕信は残念なことであったが内裏の権力争いから逃れて、

心穏やかになったのではないか

それも一理あると思います。

四納言としてブレずに道長を支えてます。

 

実資は最初に書いたように立后の儀を、

三条天皇に頼まれ止む無く引き受けるしかなかったのですが、

天皇側にも道長にも媚びているのではありません。

お困りの天皇に忠義を尽くしただけなのです。

 

ですので、

天皇にお褒めに与ったと喜んでいる息子に、

浮かれるなと一喝。

なんとも小気味よい場面でした。

娘?孫?をあやす実資はなんともユーモラスでしたね。

 

かたや道長は心労が重なり辞表を出し伏してしまいます。

 

左大臣様のお命は長くはもちますまいという清少納言。

憎々し気な怖いお顔でした。

彰子は父親の道長が倒れたのは自分のせいではないかと、

心を痛めるのですが祖母にこういわれるのです。

信じた道をおいきなさいませ。

父上は皇太后さま(彰子)を誇りに思っておいでですよ

この言葉も胸に響きました。

 

祖母役の石野真子さんいいですね~

宇治で療養の道長のもとへ、

百舌彦(もずひこ)に頼まれて藤式部(紫式部)がやってきます。

宇治川ですか?別の川での撮影ですか?

情緒あふれる光景でした。

 

もうよろしいのです。

私との約束はお忘れくださいませ

お前との約束を忘れれば俺の命も終わる

ならば私も一緒に参ります

たわむれをもうすな

この世に私の役目は終わりました

この時の藤式部の表情は良かったですね。

 

お前は俺より先に死ぬな 死ぬな

ならば道長さまも生きてくださいませ

道長さまが生きていてくだされば私も生きられます

 

その言葉に泣く道長。

散楽の直秀を葬ったときも、

まひろ(紫式部)の前で泣きましたよね。

 

そして『宇治十帖』が始まりました。

『源氏物語』も終わりに近づいてきています。

 

ではまた来週。

 

 

 

 

 

コメント (20)
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