先週の道長の歌。
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば
ドラマでは藤式部(紫式部)の歌に呼応しているのでしょうね。
めづらしき光さしそふ盃はもちながらこそ千代もめぐらめ
ドラマでは藤式部(紫式部)が、
中宮様という月の光に皇子様という新しい光が加わった盃は、
今宵の望月のすばらしさ そのままに千代もめぐり続けるでありましょうと、
説明していました。
で、
そんなことは知らない昨夜放送の四納言の感想。
源俊賢・藤原斉信は、
何もかも思いのままだという栄華を歌い上げているのかな。
でも藤原公任と藤原行成は、
道長は皆の前で驕ったような歌を披露するような、
人となりではない。
と意見が分かれました。
さてドラマから離れてみれば、
大昔歴史で道長のこの歌を知った時、
なんて傲慢な人なんだろうと思っておりましたが、
でも次第に、
少し違う解釈をするようにもなっておりました.。
この世とこの夜が掛詞になってるとしたら、
少し意味合いがやわらかくなって、
望月の夜に娘の3后がそろっていい気分だな~
というような歌にとか。
道長の『御堂関白記』には私は和歌を詠んだ。
人々はこの歌を詠唱したとしか書かれておりません。
歌が書かれてませんから、
「世」なのか「夜」なのかわかりません。
3人もの后を出した家はありませんから、
ほろ酔い気分で我が世と思ってもおかしくはないですけどね。
でも私は最近ではそれ程、
道長は傲慢な人ではなかったのではと思うのですけどね。
史実では、
道長は身体が弱く何度も辞表を出しておりますし、
兄たちがみまかってしまいやむなく押されたこともあったわけですし、
次々起こる幾多の困難も切り抜けねばならなかったのですし、
あんがい「わが世」だなんて思わなかったのかもと。
実資は日記の中で(小右記)、
道長は傲慢な歌を歌ったなんて書いておりません。
皆で唱和したとあるだけです。
(歌の文字は世)
でも、
この歌が、
実資の日記に残されているということだけで、
道長は非常に傲慢な人だったと後世に取られてしまうのですから、
「史料」と言うものの怖さを想います。
でも、
書き残した実資さまをお恨みしているのではありません(汗)
さて、
私も子孫に誤解されないように、
色々片付けていかねば(笑)
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第45回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
さて藤式部(紫式部)と道長。
そして倫子。
何があったのだ。
これ以上手に入らぬお方のそばにおるのも・・・
ここらで違う人生を歩んでみたくなったのでございます。
お前とはもう会えぬのか。
会えたとしてもこれで終わりでございます。
藤式部が旅に出るといい、
賢子が道長の娘とわかり(それは混乱の極みでしょうね)、
出家をするという道長に倫子は、
お休みになりたければ、私のもとで、
現世でお休みくださいませ。
今際(いまわ)の際でもありませんのに、
ご出家なぞあり得ませぬ。
でも聞き入れられず、
道長と心が通じ合わぬ倫子の悲しそうな表情。
道長が髪をおろし剃髪にするとき流した倫子の涙と、
道長の涙は交じり合わないものでした。
辛い正妻の倫子ですが、
また大らかな気持ちで皆を包んでいくことでしょう。
でも何だか倫子が可哀そうすぎました。
そして今回、
2度ほど道行く庶民たちの映像が映りました。
藤式部がまひろと呼ばれていたころの時代より、
30年以上の年月がたっているでしょうか。
道行く庶民の衣装が小ぎれいで、
人々の顔つきもにこやかでした。
足元は素足に草鞋(わらじ)か藁草履(わらぞうり)。
民が幸せになる政。
まひろ(藤式部・紫式部)が願った世。
道長の努力もあり、
少し進んだのかななんて観てましたけどね。
藤式部(紫式部)が旅に出、
おつきの乙丸が越前の海を思い出しますね~なんていう先には、
この周明(ジョウミン)が。
今回もやっぱり影像が美しかったです。
彰子の衣装の色重ね・藤式部邸の几帳の色は桜色に変わっていて、
海の波は日本画で描かれたような感じで、
ずっと見て居たかったです。
あと3回ですね。
ではまた来週。