田舎主婦の日日是好日

今日も生きてることに感謝かな。

出家:光る君へ第44回

2024年11月18日 | 趣味・本・テレビ他

出家ってなんでしょう。

 

仏道に励み極楽往生を願うことのようですが、

明子の子息は若くして出家しましたし、

道長の父親の兼家も晩年に出家でしたね。

昨夜のドラマでは、

藤式部(紫式部)の父の為時も出家でした。

 

42回では、

藤式部(紫式部)が出家しようかしらなんて言ってましたし、

詮子(一条天皇の母)は円融法皇が崩御した後に出家。

定子は出家しながら内裏へ出入りしてました。

(実資の日記には批判が書かれてありましたよ)

彰子は万寿4年(1026年)39才で出家してますが、

母親の倫子は長歴3年(1039年)75才で出家と遅いのです。

 

以下の青文字は、

NHK「光る君へ」の冊子コラムからお借りいたしました。

 

平安時代中期になると、

貴族たちは極楽浄土へ行くことにこだわるようになっていました。

そのための方法の一つが出家です。

 

出家には、

極楽浄土にいる御仏に仕える身となって奉仕し、

少しでも極楽へ行けるようにという願いが込められているんですね。

 

なので晩年に自分の意志で出家する人もいましたし、

病気で倒れた方の死を覚悟し、

家族が当人の極楽往生を願って、

剃髪(ていはつ)を受け入れることもあったようです。

 

当時の貴族たちは「必ず極楽へ行きたい」という、

純粋な願いから出家をしていました。

 

若者の場合には寺で修行のようですが、

大人の場合は在家出家で、

出家しても政の相談にはのっていたようですし、

現世(現生)とキッパリ手を切ってということではないのですね。

 

昨夜放送でも藤式部の娘の賢子が、

出家をするという為時に、

家に居て会えるなら、

おじじさま、それでは何も変わらぬのではないですか。

などと言ってましたね。

 

良くわからない平安時代の出家ですが、

出家すると男性は剃髪(ていはつ)にしたようです。

このドラマでは、

道長の父の兼家・花山天皇・一条天皇・

三条天皇・藤式部の父の為時が剃髪でしたねぇ。

 

女性が出家の場合は直ぐに剃らず「尼削ぎ(あまそぎ)」という、

肩くらいの長さで切りそろえた状態にするのだそうです。

そして後に、

男性のように剃髪されることもあったらしいです。

 

出家してない女房たちの長い髪は大変だったでしょう。

髪の毛は御盆のような箱に入れて寝てますね。

(以前の放送)

 

男性にせよ女性にせよ、

髪を切るって神聖な行いなのですね。

 

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第44回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

昨夜も盛沢山。

 

三条天皇の姫皇子を道長の嫡男頼通(よりみち)の妻にと言う、

三条天皇からの申し出に頼通は、

そのようなことを私にお命じになられるなら、

私は隆姫を連れて都を出ます。

 

道長と藤式部(まひろ)もかってそういうことがありましたね。

ふたりで藤原の家を出て遠い国へ行こうと。

 

道長はそのような自分の若き日の苦悩を想いだしたのか、

婚姻を断るために頼通に病になれ怨霊のために重病だと噂を流し、

嫡男の頼通を守ります。

 

文句言うな隆姫を守るためじゃ。

大声で頼通に言うところにはちょっぴり胸を打たれました。

 

まひろ(藤式部)と父・為時。

わしは官人にはむいておらぬゆえ皆には苦労をかけたなぁ。

父上長らくご苦労様でございました。

 

月明かりの中の二人の対話は、

いつもしみじみとしていい感じですね。

 

暮のあいさつに参ったと藤式部の房を訪ねた道長。

 

道長さまの想いが頼通さまに伝わらなくも、

次の代その次の代と、

一人で成せなかったことも時を経れば成せるやも。

 

このドラマの伏線のような話をしましたね。

(私にはそう感じられたのですが)

この時の道長の顔つきは、

とても安堵しているような落ち着きが出てました。

でもそこへ倫子さま。

 

えっ?殿の物語を書いてほしい?

赤染衛門に頼むのではなく?

何だか嫌がらせのように見えましたけど、

彼女はみんなお見通しですものね。

 

場面が変わり、

闇だ・・・

闇でない時はあったかのう。

闇を共に歩いてくれて嬉しかったぞ・・・

三条天皇は無念であられたことでしょう。

 

敦明親王(あつあきらしんのう)も父である三条天皇に亡くなられ、

先行きに不安を覚え、

自ら申し出て東宮を降りることになり、

後一条天皇(道長の孫)の弟の敦良親王(道長の孫)が、

東宮の座に就いたのですね。

 

このことには棚ぼただったというような気持ちの、

道長だったことでしょう。

 

そして、

道長の娘の威子が後一条天皇の中宮になり、

それを祝う宴席。

彰子が太皇太后、妍子が皇太后、威子が中宮と3つある后の席が、

道長の娘。

 

道長の息子は後一条天皇の摂政ですから、

「全て満たされた」という想いはあったでしょうね。

 

かがり火のなかでの頼通と教通の兄弟の舞は良かったです。

雅楽は琴・太鼓・笙(しょう)でした。

二人の衣装も華やかでしたし、

盃を回すときの音楽が良かったですね~

美しい品のある旋律が印象的でした。

宴席より月に向かって歩いて行く道長が、

月を観ながら歌を詠むのですが、

このドラマでは若き頃、

廃邸でまひろ(藤式部)と見た月とも重なり合ってるのですね。

 

そして以前、

めずらしき光さしそう盃はもちながらこそ千代もめぐらめ

藤式部(紫式部)が若宮の祝宴で詠んだ歌に対して、

道長は、

よい歌だ。覚えておこうといっておりました。

 

ですので、

藤式部(紫式部)の歌に呼応する形で、

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば

と、

詠まれたのだとドラマではなってるのかな。

 

長くなるので、

この歌の部分は次回へ持ち越します。

 

ではまた来週。

 

 

 

 

コメント (10)
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