平安時代の貴族は、
『古今和歌集』がお好きだったようです。
古今和歌集 平安時代(905年とも914年とも)
日本最初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)
醍醐天皇(だいごてんのう)の命令で紀貫之(きのつらゆき)らが編集
(約1100首)
『古今和歌集』は二つの序文を持っていて、
仮名で書かれた仮名序。
やまとうたは、人のこころを種にして、
おおくのことばとなったものである・・・・
そして漢文で書かれた真名序とがあります。
仮名にしろ漢文にしろ読めません。
平仮名は平安時代にできたため、
奈良時代までは日本語を表記する文字は、
漢字しかなかったようです。
なお
万葉仮名(まんようがな)というのは、
仮名と言っても漢字を、
本来の意味から離れ仮名的に用いた文字のことだそうで、
特に万葉集(現存する日本最古の歌集)に多く用いられているので、
この称があるとのことです。
古事記・日本書紀・懐風藻・万葉集・古今和歌集・風土記・
伊勢物語・大和物語・土佐日記・枕草子・源氏物語他。
奈良時代平安時代の書物。
こうして訳された本であっても読めるのは、
保存してくださった方々のお陰もありますね。
古今和歌集の紀貫之の歌
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香(か)ににほひける
歌の意味合いから少しずれますが、
花でなくも、
1000年以上たっても香ってくるような昔の書物。
日本の宝です。
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第43回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
昨晩観終わって感じたのは人の成長・変化でした。
三条天皇は即位3年というのに身体に異変が起き、
譲位を迫られお気の毒でなりません。
敦康親王は母と慕った彰子に、
お変わりになられましたねと言っておられましたが、
彰子は本当に堂々としてこられました。
(この時の彰子の袿?は母親の倫子が着ていたものですね)
倫子は、
道長の長男頼通(よりみち)に子ができないことに、
覚悟をお決めなさい。
父上のようにもう1人の妻を持てばいいのです。
倫子も悩みぬいて己の歩む道に光を見出したのですねえ。
でもね~倫子さま。
私だって色いろ考えておりますのよ。
ですからたまには私のほうもご覧くださいませね。
おほほほほほ・・・
これはひとこともふたことも余計かな(笑)
夫君は貴女様を貴女様が思う以上に大事にされてたようですよ。
そして藤式部宅の乳母のいと。
藤式部宅に出入りする双寿丸を見る目がきついものだったのに、
いつの間にか目が優しくなってたし。
(前回、双寿丸にお料理を誉められたせいかな)
大宰府へ行くという隆家が、
清少納言になにか佇まいが変わったなと言ったけれど、
清少納言も確かに噛みつくような物言いではなく、
以前より柔らかさが出てきてました。
人は良いにつけ悪いにつけ変化するものなのですね。
道長と実資の「政問答」は興味深かったです。
まひろ(藤式部・紫式部)伝授の、
政とは民が幸せになる世を作ることという道長。
実資
民の幸せとは?
左大臣殿に民の顔なぞ見えておられるのか!
幸せなどというあいまいなことを求めるのが我々の仕事ではない。
朝廷の仕事は何かことが起きた時、
まっとうな判断が出来るようにすること
道長
志を持つことで私は私を支えてきた
実資
志を持つものが力を持つと志そのものが変わっていく。
それが世の習いでございます。
何だか実資に軍配が上がりましたが、
また来週。