おやじとクソおやじの間(はざま)で

おやじになった自分から見た、クソおやじ像を考える

父の日

2006-06-18 18:56:52 | 春夏秋冬 季節の出来事
今日は父の日である。ところで、父の日、母の日って誰が決めたのだろうか?米国の習慣が原点らしいが、カーネーション屋の策略か?

昨日、長男の幼稚園で家族(父親)参観があった。父の日ということで、子供から親にプレゼントを渡すというイベントが行われた。

同じクラスで2・3人、都合で父親が出席できない子供がいた。母親やお兄ちゃんが代わりにプレゼントを受け取っていた。その子供たちを見て、感心した。5・6才の子供が自分の父親が今日来れないことを一応納得して登園しているからである。他の家の父親は出席しているのだから、子供心に“お父さんが行けないなら、今日は幼稚園に行きたくない”と普通思うのではないか。

年小の時は、父親が欠席の子供はいなかったような気がするが、欠席している子供が何人かいた。年中の時は、今回ほどではなかったが、母親が参加しているのを見かけた。そして今回。幼稚園に3年も通えば、大人の事情を察し、登園できるように成長するのだろうか?それとも慣れか?

普段見れない、幼稚園での我が子の姿を父親に見てもらうという企画はよいと思う。しかし、サービス業に従事している人など、中には様々な都合で土曜日でも父親が出席できない子供もいるのだから、そのような事を考慮して企画を考え直してもよいのではないだろうか。

僕が幼稚園の頃、父親参観の記憶はない。なかったような気がする。小学校の頃は父親参観があったが、父親が来た記憶がない。多分母親か、祖母が見にきていたと思う。小学校だから、父親と何かするというイベントもなかったので、特にその日に学校に行きたくない、という気持ちはなかった。

逆に、当時からウチの父親はハゲていたから、出席できないことにほっとしていたのかもしれない。

“子供が小さいうちはハゲないぞ!”少なくなった髪に誓う僕である。

コメント
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