スーザンはここで一挙に生成変化を遂げる。
「『でも私は誰なのかしら。ーーー時々(まだ二十にはなっていないわ)私は女でなくって、この門の上に、この地上に落ちる光のような気がするの。私は季節なの、時々そう思うわ。一月で、五月で、十一月で、泥で霧で暁なの』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.96」角川文庫)
スーザンは「女でなく」なり、「地上に落ちる光」へ「季節」へ「一月」へ「五月」へ「十一月」へ「泥」へ「霧」へ「暁」へ、変化する。この速やかな変化過程。最も高速で変態を遂げているときの商品形態の諸系列を想起しないわけにはいかない。まず、無限に延長される諸商品の系列という貨幣商品を含む実際の動きがすでに社会的行為として全土に行き渡り前提されていなくてはならない。
「B 《全体的な、または展開された価値形態》ーーーz量の商品A=u量の商品B、または=v量の商品C、または=w量の商品D、または=x量の商品E、または=etc.(20エレのリンネル=1着の上着、または=10ポンドの茶、または=40ポンドのコーヒー、または=1クォーターの小麦、または=2オンスの金、または=2分の1トンの鉄、または=その他.)
ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現われる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表わされているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてのこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現われる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現われてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表わされようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.118~120」国民文庫)
次に流通過程での貨幣を介した諸商品の変態が一定の速度を維持した状態で実現されていなくてはならない。
「商品流通では、一方では商品交換が直接的生産物交換の個人的および局地的制限を破って、人間労働の物質代謝を発展させるのが見られる。他方では、織職がリンネルを売ることができるのは、農民が小麦をすでに売っているからこそであり、酒好きが聖書を売ることができるのは、織職がリンネルをすでに売っているからこそであり、ウイスキー屋が蒸留酒を売ることができるのは、別の人が永遠の命の水をすでに売っているからこそである、等々。それだから、流通過程はまた、直接的生産物交換のように使用価値の場所変換または持ち手変換によって消えてしまうものでもない。貨幣は、最後には一つの商品の変態烈から脱落するからといって、それで消えてしまうものではない。それは、いつでも、商品があけた流通場所に沈殿する。例えばリンネルの総変態、リンネルー貨幣ー聖書では、まずリンネルが流通から脱落し、貨幣がその場所を占め、次には聖書が流通から脱落し、貨幣がその場所を占める。商品による商品の取り替えは、同時に第三の手に貨幣商品をとまらせる。流通は絶えず貨幣を発汗している」マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.201~202」国民文庫)
流通貨幣は徐々に広がる市場で機能していくによってそれぞれに違った諸商品からそれぞれに固有の差異を徹底的に捨象する。互いにまったく違っている諸労働の同等性は、ただ、諸労働の現実の不等性の捨象にしかありえない。すなわち、諸労働が人間の労働力の支出、抽象的人間労働としてもっている共通な性格への還元にしかあり得ない。したがって流通貨幣の機能は、それぞれの商品に見られる種々の違いの抹消とそれら諸商品を等価物として交換関係の中に置き、商品交換を暴力的に貫徹することである。だから次のように諸商品は互いにまったく異質な労働力によって生産された諸商品を交換できるものとして諸商品のあいだにあるあらゆる「相違を消し去る」。貨幣を介して。
「貨幣を見てもなにがそれに転化したのかはわからないのだから、あらゆるものが、商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなる。流通は、大きな社会的な坩堝(るつぼ)となり、いっさいのものがそこに投げこまれてはまた貨幣結晶となって出てくる。この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物にいたっては、なおさらである。貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去っているように、貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去るのである」マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.232」国民文庫)
こうして諸商品の急速な変態がすでに常識化しているところではどこでも、商品の生産に費やされた人間労働力もまた貨幣との交換を通してすべて同等のものとして受け取られるようになる。だから労働力の実現を通して等価性を獲得した人間が次々と他のものへと変態していくということも、資本主義においては、何ら不思議な風景ではないのである。
と同時にスーザンは様々な変態を遂げていく一方、スイスの学校ですでに社会的文法を学び身につけてもいる。「何か堅いもの」を身につけた。それの力によってスーザンは「静かに漂うことも、他人と混り合うことも」できないとつぶやく。
「『抛り上げられたり、静かに漂ったり、他人と混り合ったりできないわ。何かがスイスの学校でできたんだわ、何か堅いものが、溜め息でも笑い声でもなく、廻り巡る巧妙な文章でもなく、私たちの肩越しに私たちを見て通る、あのローダの妙な通行でもなく、ジニーの爪先立ちに急回転する全く一体な、手足や身体でもないんだわ。私が与えるものは残忍なの。静かに漂うことも、他人と混り合うことも私にはできない』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.96」角川文庫)
スーザンは「私が与えるものは残忍なの」という。学校教育の場で学ぶ「何か硬い」と同時に「残忍な」ものとは何だろうか。それは物事を一緒にするのではなく逆に仔細に切り分けるナイフのような社会的文法化=分節化の能力である。ぼんやりした風景の中から無数の事物を切り抜き切り分け分類してみせる能力。かつてよりも一層高度化された認識能力だ。それは自分と他人との境界線を明確にし、自分の輪郭をも他人の輪郭をも明確にする能力を獲得したということでもある。そしてこの輪郭こそ、その把握の程度によって、認識する人間が自分自身の行動の素描を決定する重要な要素になる。
「それらの対象は、だから私の身体に対して、鏡がそうするように、生じうる身体の影響を送りかえしてくるのだ。対象群は、じぶんの身体の有する〔影響を与える〕力が増減するのにしたがって秩序づけられる。《私の身体を取りまく対称群は、それらの対象に対する私の身体の可能な行動を反射するのである》」(ベルクソン「物質と記憶・P.41」岩波文庫)
「知覚とは、私たちの理解するところでは、事物に対するみずからの可能な行動を計るものであり、逆にじぶんに対して事物がおよぼすことの可能な作用を測るものにほかならない」(ベルクソン「物質と記憶・P.111」岩波文庫)
「私たちの感覚が知覚に対して有する関係は、だから、じぶんの身体の現実的行動がその可能的あるいは潜在的行動に対して有している関係とひとしい。私の身体の潜在的行動は、それ以外の諸対象にかかわり、それらの対象群にあって素描されている。その現実的な行動はじぶんの身体そのものに関係し、したがって身体のうちで描きだされているのである。すべてはかくして結局のところ、あたかも現実的行動ならびに潜在的行動が、その適用される点に、あるいはその原点へと真に回帰することをつうじて、外的イマージュが、私たちの身体によってそれを取りかこむ空間中に反射され、現実的行動はこの身体をつうじてその身体の実質の内部に留保されるかのように生起することだろう。またこのゆえにこそ、身体の表面ーーーこれが内部と外部とに共通する境界であるーーーは、知覚されると同時に感受される〔身体という〕延長のただひとつの部位なのである」(ベルクソン「物質と記憶・P.112~113」岩波文庫)
「われわれがある対象に割り当てるはっきりとした輪郭は、その対象に個別性を与えているが、それらの輪郭は、われわれが空間のある点で及ぼしうるある種の《影響》の素描でしかない。つまりそれらは、われわれが起こすことになるかもしれない行動の計画である」(ベルクソン「創造的進化・P.30~31」ちくま学芸文庫)
「諸物体の眼に見える輪郭とは、それらに対するわれわれの可能的な行動の素描なのである」(ベルクソン「創造的進化・P.131」ちくま学芸文庫)
「われわれの知覚は、事物そのものの素描よりも、その事物に対するわれわれの可能的な行動の素描を与える。われわれが対象に見つける輪郭が示しているのは単に、その対象のうちで到達できるもの、変化させることができるものでしかない」(ベルクソン「創造的進化・P.240」ちくま学芸文庫)
ここでベルクソンが述べている「輪郭」とはどういうことか。ベルクソンはしばしば「可能的」あるいは「潜在的」という用語を用いて述べる。たとえば、犯人が鴨川を渡るとしよう。犯人が実際に鴨川を渡ったがゆえに、逆に犯人が鴨川を渡らなかった場合の「可能的」あるいは「潜在的」様態についてさまざまな選択肢の素描が一挙に下描きされるという意味で、事物の輪郭はいつも可能的あるいは潜在的な世界を事後的に出現させるということを意味する。だんだん輪郭がはっきりしてくるとともに可能的あるいは潜在的な可能的選択肢が計画としての輪郭をはっきりさせていくということも、あくまで対象についての輪郭がはっきりしてくるにつれて、に限ってのことに過ぎない。
さて、ジニーはいう。
「『私と同じ年頃の女の人が沢山。その人たちを見ると敵対心に燃える抜き放たれた立派な剣を感じるわ。みんな仲間なんだから。私はこの世界に産れたもの。ここに私の危険があるんだわ。私の冒険があるんだわ』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.102」角川文庫)
ジニーがおもう「危険」。それは同時に「私の冒険」でもある。認識に関わる。それは自分の地盤を安定したものにしておくとともに、しかし認識する主体としてはありとあらゆる冒険に出向いていかなければけっして手に入らないものだ。ニーチェはこういっている。
「さまざまな困難が途方もなく増大してしまっているような生涯というものがある、思想家の生涯がそれである。ここでは、その生涯について何かが物語られた場合には、ひとは、注意深く、耳を傾けざるを得ない、というのは、それを聞いただけで幸福と力が溢れて来、しかも後に来たる者の生活に光が照射されるような、そうした《生の諸々の可能性》について、ここでは語られるのを聞き取り得るからである、ここでは、一切のものが、極めて発明的で、熟慮に充ち、大胆で、絶望的で、しかも充ち溢れる希望で一杯であり、あたかもいわば最も偉大なる世界周航者の旅路に似た観があって、また実際に、生の最も辺鄙なかつ最も危険の多い領域の周航と、同じような趣きをもったものだからである。このような生涯において驚嘆すべきことは、異なった方向に向かって突き進む二つの敵対的な衝動が、ここでは、いわば《一つの》軛(くびき)の下で進むように強制されているという事柄のうちにある。つまり、認識を欲する者は、人間生活が成り立っている地盤というものを、何度でも繰り返し離れ去って、不確実なるものの中へと冒険的に突き進んで行かねばならないし、また、生を欲する衝動の方は、その上に立脚できるほぼ確実な立場というものを求めて、何度でも繰り返し探索してゆかねばならない」(ニーチェ「哲学者の書・P.404~405」ちくま学芸文庫)
このことは言い換えれば「危険に生きる」ことでもある。しかもそうでなければ現在の自分に与えられている知識・認識の圏外へ出て新しい認識を獲得することが不可能になるような生き方なのだ。ちなみにそのような「危険に生きる」ことでまったく新しい世界認識を獲得した人々はまったくいなかったわけではない。獲得した人々は少ないながらもいた。ニーチェ自身がまずそうだ。そしてマルクス=エンゲルスがそれに先行する形でそのための方法を提示している。
「《『漂泊者』は語る》。ーーーわれわれのヨーロッパの道徳性を一度遠くから眺められるようにするためには、それを過去あるいは将来の別な道徳性と比べて見るためには、ある町の塔の高さのほどを知ろうとする漂泊者のやりかたと同じことをやらねばならない、ーーーつまり、それをやるために漂泊者はその町を《立ち去る》。『道徳的先入見についての考察』には、それが先入見に関する先入見に堕さないようにするためには、道徳《外》に位置することが、われわれがそこまで昇り・攀(よ)じ・飛翔すべき何か善悪の彼岸といった位置が、前提となる」(ニーチェ「悦ばしき知識・P.451」ちくま学芸文庫)
「哲学的誇大広告ーーーこれがお上品なドイツ市民の胸にさえ慈悲深い国民感情を奮い起こさせるのだがーーーを正しく評価するためには、また、《こうした青年ヘーゲル派運動総体の》狭量さ<と>、地方的偏狭さを、<そして>《とりわけ》これらの英雄たちの実際の業績と業績に関する幻想との間の悲喜劇的なコントラストを明瞭にするためには、この騒動全体をいったんドイツの外なる見地から眺めてみることが必要である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.36」岩波文庫)
次のセンテンスは大変重要である。
「『お池がこの世界とは別のところに在って大理石の柱を映しているわ』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.103」角川文庫)
「池」。そして「ダロウェイ夫人」で描かれたセプティマスの「池」への投身自殺。ウルフはウルフの分身であるダロウェイ夫人を自殺させないためにわざわざセプティマスを登場させ、セプティマスを「池」へと投身自殺させることでダロウェイ夫人を生の世界に繫ぎとめると同時にウルフ自身の自殺を阻止することに成功した。もっともダロウェイ夫人は一度自分自身の身体ではなく「一シリングをサーペンター池へ投げこんだことがある」わけだが。何かが代理されている。それにしても「波」の場合、着目すべきは「池」についてはっきりと「この世界とは別のところに在」るとローダにいわせている点だろう。思索型のローダならではといえるかもしれない言葉だ。こうもいう。
「『私、私は慕わしい、大理石の柱やお池、この世界とは異った側の、燕が羽根を浸しに来るお池が』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.103」角川文庫)
登場人物の中でローダは最も「ぼんやり性」が強く現われるタイプだ。ローダの「ぼんやり性」のうちに出現してくる世界の変容は大変魅力的でもある。しかしそれはローダが自分で自分自身の輪郭を流れの中へ溶融させてしまっているときでもある。この事態は小説家ウルフが特にローダに特権的に託した溶解だ。なるほど他の登場人物にもそれなりの「ぼんやり性」は与えられている。だがローダ独特の「溶ける」感覚。これはローダを死に追いやりかねないものでもあり、同時にウルフの願った全体的な「流れ」へ溶け込んでいく個別的な「生」の融合という「夢」の試みでもある。セプティマスは自殺するとき、「中心部に通じようとする企て」として「死は中心部へ至るための挑戦」として実行する。さらにセプティマスには若い妻がいた。セプティマスの妻は夫の狂人化にもかかわらず離婚など考えない。急速に狂人化していく夫とともに生きるほうを選んでいる。それはすぐさま貧困へ転がり落ちる選択でもあった。だがセプティマスの妻はセプティマスの狂気を自分の身に引き受けつつともに歩んでいく。そこに悲劇を見るのは間違っているだろう。セプティマスの妻は献身的というべきだろうか。そうではない。第一次世界大戦後のイギリス戦後不況の中で、そのようなことはしばしば見られたありふれた事情であり、セプティマスの妻だけが献身的だったというわけではない。しかも当時のイギリスではすでに女性は男性に対して常に献身的でなくてはならないといったような思想など埃をかぶったかび臭いものでしかなくなっていた。急速に狂人化していく夫とともに生きるということが、そしてそのすぐ先に夫の自殺が目の前にぶらさがっていることが自明であったとしても、まだ若い妻にとって、その若さにもかかわらず、ともに生きていくということは何ら他人からの同情を買うべき生き方ではなかったのだ。それは悲観主義ではなく、或る種の諦めを漂わせつつも、なおニーチェのいう「運命愛」に似ている。
「《然りへの私の新しい道》。ーーー私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭(いと)うべき側面をもみずからすすんで探求することである。氷と沙漠をたどったそうした彷徨(ほうこう)が私にあたえた長いあいだの経験から、私は、これまで哲学されてきたすべてのものを、異なった視点からながめることを学んだ、ーーー哲学の《隠された》歴史、哲学史上の偉大なひとびとの心理学が、私には明らかとなったのである。『精神が、いかに多くの真理に《耐えうる》か、いかに多くの真理を《敢行する》か?』ーーーこれが私には本来の価値尺度となった。誤謬は一つの《臆病》であるーーー認識のあらゆる獲得は、気力から、おのれに対する冷酷さから、おのれに対する潔癖さから《結果する》ーーー私の生きぬくがごときそうした《実験哲学》は、最も原則的なニヒリズムの可能性をすら試験的に先取する。こう言ったからとて、この哲学は、否定に、否(いな)に、否への意志に停滞するというのではない。この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、《ディオニュソス的に然りと断言すること》にまでーーー、それは永遠の円環運動を欲する、ーーーすなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。哲学者の達しうる最高の状態、すなわち、生存へとディオニュソス的に立ち向かうということーーー、このことにあたえた私の定式が《運命愛》である」(ニーチェ「権力への意志・第四書・一〇四一・P517~518」ちくま学芸文庫)
そのときローダのそばをそっと動く生き物がいる。猫だ。
「『夜が煙突の上を少し向うへ移ってしまったわ。この人の肩越しに窓からちっとも迷惑そうでない猫が見えるわ。明りに溺れてもいず、絹に身を縛られてもいず、勝手に休み、気ままに伸び、それから又動いて』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.103」角川文庫)
「灯台へ」でもそうだったが、猫は人間を人間自身のもとに連れ戻してくる「作用」として、人間の周囲に位置する類まれな「対象」であると感嘆せざるをえない。
「私たちの周囲に位置している対象は、私たちに対しさまざまな程度にあって、じぶんが事物に対して遂行しうる作用か、あるいはその事物からこうむることになるはずの作用をあらわしている」(ベルクソン「物質と記憶・P.286」岩波文庫)
そしてローダは猫の力によってしばし「夢」のようでもあり同時に現実と記憶の《あいだ》の世界を行き来するのだ。たかが夢とはいえ、しかし人間は自分の細胞の可能性について今なおほとんど知っていないように、夢についてもほとんど知っていない。
「すべての細胞はその一個一個が、われわれ一個人の生命と同等、もしくはそれ以上の意識内容と霊能を持っている一個の生命である。だから、すべての細胞は、それが何か仕事をしている限り、その労作に伴うて養分を吸収し、発育し、分裂、増殖し、疲労し、老死し、分解し、消滅して行きつつあることは近代医学の証明しているところである。しかもその細胞の一粒一粒自身が、その労作し、発育し、分裂し、増殖し、疲労し、分解し、消滅して行く間に、その仕事にたいする苦しみや、楽しみをわれわれ個人と同等に、否それ以上に意識しているーーーと同時に、そうした楽しみや苦しみにたいして、われわれ個人が感ずると同等もしくはそれ以上の連想、想像、空想等の奇怪、変幻をきわめた感想を無辺際に逞(たくま)しくして行くことは、あたかも一個の国家が興って亡びていくまでの間に千万無量の芸術作品を残していくのと同じ事である。この事実を端的に立証しているものが、すなわちわれわれの見る夢である。そもそも夢というものは、人間の全身が眠っている間に、その体内のある一部分の細胞の霊能が、何かの刺激で眼を覚まして活躍している。その目覚めている細胞自身の意識状態が、脳髄に反映して、記憶に残っているものを、われわれは『夢』と名づけているのである」(夢野久作「ドグラ・マグラ」『日本探偵小説全集4夢野久作集・P.376~377』創元推理文庫)
BGM
「『でも私は誰なのかしら。ーーー時々(まだ二十にはなっていないわ)私は女でなくって、この門の上に、この地上に落ちる光のような気がするの。私は季節なの、時々そう思うわ。一月で、五月で、十一月で、泥で霧で暁なの』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.96」角川文庫)
スーザンは「女でなく」なり、「地上に落ちる光」へ「季節」へ「一月」へ「五月」へ「十一月」へ「泥」へ「霧」へ「暁」へ、変化する。この速やかな変化過程。最も高速で変態を遂げているときの商品形態の諸系列を想起しないわけにはいかない。まず、無限に延長される諸商品の系列という貨幣商品を含む実際の動きがすでに社会的行為として全土に行き渡り前提されていなくてはならない。
「B 《全体的な、または展開された価値形態》ーーーz量の商品A=u量の商品B、または=v量の商品C、または=w量の商品D、または=x量の商品E、または=etc.(20エレのリンネル=1着の上着、または=10ポンドの茶、または=40ポンドのコーヒー、または=1クォーターの小麦、または=2オンスの金、または=2分の1トンの鉄、または=その他.)
ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現われる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表わされているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてのこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現われる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現われてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表わされようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.118~120」国民文庫)
次に流通過程での貨幣を介した諸商品の変態が一定の速度を維持した状態で実現されていなくてはならない。
「商品流通では、一方では商品交換が直接的生産物交換の個人的および局地的制限を破って、人間労働の物質代謝を発展させるのが見られる。他方では、織職がリンネルを売ることができるのは、農民が小麦をすでに売っているからこそであり、酒好きが聖書を売ることができるのは、織職がリンネルをすでに売っているからこそであり、ウイスキー屋が蒸留酒を売ることができるのは、別の人が永遠の命の水をすでに売っているからこそである、等々。それだから、流通過程はまた、直接的生産物交換のように使用価値の場所変換または持ち手変換によって消えてしまうものでもない。貨幣は、最後には一つの商品の変態烈から脱落するからといって、それで消えてしまうものではない。それは、いつでも、商品があけた流通場所に沈殿する。例えばリンネルの総変態、リンネルー貨幣ー聖書では、まずリンネルが流通から脱落し、貨幣がその場所を占め、次には聖書が流通から脱落し、貨幣がその場所を占める。商品による商品の取り替えは、同時に第三の手に貨幣商品をとまらせる。流通は絶えず貨幣を発汗している」マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.201~202」国民文庫)
流通貨幣は徐々に広がる市場で機能していくによってそれぞれに違った諸商品からそれぞれに固有の差異を徹底的に捨象する。互いにまったく違っている諸労働の同等性は、ただ、諸労働の現実の不等性の捨象にしかありえない。すなわち、諸労働が人間の労働力の支出、抽象的人間労働としてもっている共通な性格への還元にしかあり得ない。したがって流通貨幣の機能は、それぞれの商品に見られる種々の違いの抹消とそれら諸商品を等価物として交換関係の中に置き、商品交換を暴力的に貫徹することである。だから次のように諸商品は互いにまったく異質な労働力によって生産された諸商品を交換できるものとして諸商品のあいだにあるあらゆる「相違を消し去る」。貨幣を介して。
「貨幣を見てもなにがそれに転化したのかはわからないのだから、あらゆるものが、商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなる。流通は、大きな社会的な坩堝(るつぼ)となり、いっさいのものがそこに投げこまれてはまた貨幣結晶となって出てくる。この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物にいたっては、なおさらである。貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去っているように、貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去るのである」マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.232」国民文庫)
こうして諸商品の急速な変態がすでに常識化しているところではどこでも、商品の生産に費やされた人間労働力もまた貨幣との交換を通してすべて同等のものとして受け取られるようになる。だから労働力の実現を通して等価性を獲得した人間が次々と他のものへと変態していくということも、資本主義においては、何ら不思議な風景ではないのである。
と同時にスーザンは様々な変態を遂げていく一方、スイスの学校ですでに社会的文法を学び身につけてもいる。「何か堅いもの」を身につけた。それの力によってスーザンは「静かに漂うことも、他人と混り合うことも」できないとつぶやく。
「『抛り上げられたり、静かに漂ったり、他人と混り合ったりできないわ。何かがスイスの学校でできたんだわ、何か堅いものが、溜め息でも笑い声でもなく、廻り巡る巧妙な文章でもなく、私たちの肩越しに私たちを見て通る、あのローダの妙な通行でもなく、ジニーの爪先立ちに急回転する全く一体な、手足や身体でもないんだわ。私が与えるものは残忍なの。静かに漂うことも、他人と混り合うことも私にはできない』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.96」角川文庫)
スーザンは「私が与えるものは残忍なの」という。学校教育の場で学ぶ「何か硬い」と同時に「残忍な」ものとは何だろうか。それは物事を一緒にするのではなく逆に仔細に切り分けるナイフのような社会的文法化=分節化の能力である。ぼんやりした風景の中から無数の事物を切り抜き切り分け分類してみせる能力。かつてよりも一層高度化された認識能力だ。それは自分と他人との境界線を明確にし、自分の輪郭をも他人の輪郭をも明確にする能力を獲得したということでもある。そしてこの輪郭こそ、その把握の程度によって、認識する人間が自分自身の行動の素描を決定する重要な要素になる。
「それらの対象は、だから私の身体に対して、鏡がそうするように、生じうる身体の影響を送りかえしてくるのだ。対象群は、じぶんの身体の有する〔影響を与える〕力が増減するのにしたがって秩序づけられる。《私の身体を取りまく対称群は、それらの対象に対する私の身体の可能な行動を反射するのである》」(ベルクソン「物質と記憶・P.41」岩波文庫)
「知覚とは、私たちの理解するところでは、事物に対するみずからの可能な行動を計るものであり、逆にじぶんに対して事物がおよぼすことの可能な作用を測るものにほかならない」(ベルクソン「物質と記憶・P.111」岩波文庫)
「私たちの感覚が知覚に対して有する関係は、だから、じぶんの身体の現実的行動がその可能的あるいは潜在的行動に対して有している関係とひとしい。私の身体の潜在的行動は、それ以外の諸対象にかかわり、それらの対象群にあって素描されている。その現実的な行動はじぶんの身体そのものに関係し、したがって身体のうちで描きだされているのである。すべてはかくして結局のところ、あたかも現実的行動ならびに潜在的行動が、その適用される点に、あるいはその原点へと真に回帰することをつうじて、外的イマージュが、私たちの身体によってそれを取りかこむ空間中に反射され、現実的行動はこの身体をつうじてその身体の実質の内部に留保されるかのように生起することだろう。またこのゆえにこそ、身体の表面ーーーこれが内部と外部とに共通する境界であるーーーは、知覚されると同時に感受される〔身体という〕延長のただひとつの部位なのである」(ベルクソン「物質と記憶・P.112~113」岩波文庫)
「われわれがある対象に割り当てるはっきりとした輪郭は、その対象に個別性を与えているが、それらの輪郭は、われわれが空間のある点で及ぼしうるある種の《影響》の素描でしかない。つまりそれらは、われわれが起こすことになるかもしれない行動の計画である」(ベルクソン「創造的進化・P.30~31」ちくま学芸文庫)
「諸物体の眼に見える輪郭とは、それらに対するわれわれの可能的な行動の素描なのである」(ベルクソン「創造的進化・P.131」ちくま学芸文庫)
「われわれの知覚は、事物そのものの素描よりも、その事物に対するわれわれの可能的な行動の素描を与える。われわれが対象に見つける輪郭が示しているのは単に、その対象のうちで到達できるもの、変化させることができるものでしかない」(ベルクソン「創造的進化・P.240」ちくま学芸文庫)
ここでベルクソンが述べている「輪郭」とはどういうことか。ベルクソンはしばしば「可能的」あるいは「潜在的」という用語を用いて述べる。たとえば、犯人が鴨川を渡るとしよう。犯人が実際に鴨川を渡ったがゆえに、逆に犯人が鴨川を渡らなかった場合の「可能的」あるいは「潜在的」様態についてさまざまな選択肢の素描が一挙に下描きされるという意味で、事物の輪郭はいつも可能的あるいは潜在的な世界を事後的に出現させるということを意味する。だんだん輪郭がはっきりしてくるとともに可能的あるいは潜在的な可能的選択肢が計画としての輪郭をはっきりさせていくということも、あくまで対象についての輪郭がはっきりしてくるにつれて、に限ってのことに過ぎない。
さて、ジニーはいう。
「『私と同じ年頃の女の人が沢山。その人たちを見ると敵対心に燃える抜き放たれた立派な剣を感じるわ。みんな仲間なんだから。私はこの世界に産れたもの。ここに私の危険があるんだわ。私の冒険があるんだわ』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.102」角川文庫)
ジニーがおもう「危険」。それは同時に「私の冒険」でもある。認識に関わる。それは自分の地盤を安定したものにしておくとともに、しかし認識する主体としてはありとあらゆる冒険に出向いていかなければけっして手に入らないものだ。ニーチェはこういっている。
「さまざまな困難が途方もなく増大してしまっているような生涯というものがある、思想家の生涯がそれである。ここでは、その生涯について何かが物語られた場合には、ひとは、注意深く、耳を傾けざるを得ない、というのは、それを聞いただけで幸福と力が溢れて来、しかも後に来たる者の生活に光が照射されるような、そうした《生の諸々の可能性》について、ここでは語られるのを聞き取り得るからである、ここでは、一切のものが、極めて発明的で、熟慮に充ち、大胆で、絶望的で、しかも充ち溢れる希望で一杯であり、あたかもいわば最も偉大なる世界周航者の旅路に似た観があって、また実際に、生の最も辺鄙なかつ最も危険の多い領域の周航と、同じような趣きをもったものだからである。このような生涯において驚嘆すべきことは、異なった方向に向かって突き進む二つの敵対的な衝動が、ここでは、いわば《一つの》軛(くびき)の下で進むように強制されているという事柄のうちにある。つまり、認識を欲する者は、人間生活が成り立っている地盤というものを、何度でも繰り返し離れ去って、不確実なるものの中へと冒険的に突き進んで行かねばならないし、また、生を欲する衝動の方は、その上に立脚できるほぼ確実な立場というものを求めて、何度でも繰り返し探索してゆかねばならない」(ニーチェ「哲学者の書・P.404~405」ちくま学芸文庫)
このことは言い換えれば「危険に生きる」ことでもある。しかもそうでなければ現在の自分に与えられている知識・認識の圏外へ出て新しい認識を獲得することが不可能になるような生き方なのだ。ちなみにそのような「危険に生きる」ことでまったく新しい世界認識を獲得した人々はまったくいなかったわけではない。獲得した人々は少ないながらもいた。ニーチェ自身がまずそうだ。そしてマルクス=エンゲルスがそれに先行する形でそのための方法を提示している。
「《『漂泊者』は語る》。ーーーわれわれのヨーロッパの道徳性を一度遠くから眺められるようにするためには、それを過去あるいは将来の別な道徳性と比べて見るためには、ある町の塔の高さのほどを知ろうとする漂泊者のやりかたと同じことをやらねばならない、ーーーつまり、それをやるために漂泊者はその町を《立ち去る》。『道徳的先入見についての考察』には、それが先入見に関する先入見に堕さないようにするためには、道徳《外》に位置することが、われわれがそこまで昇り・攀(よ)じ・飛翔すべき何か善悪の彼岸といった位置が、前提となる」(ニーチェ「悦ばしき知識・P.451」ちくま学芸文庫)
「哲学的誇大広告ーーーこれがお上品なドイツ市民の胸にさえ慈悲深い国民感情を奮い起こさせるのだがーーーを正しく評価するためには、また、《こうした青年ヘーゲル派運動総体の》狭量さ<と>、地方的偏狭さを、<そして>《とりわけ》これらの英雄たちの実際の業績と業績に関する幻想との間の悲喜劇的なコントラストを明瞭にするためには、この騒動全体をいったんドイツの外なる見地から眺めてみることが必要である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.36」岩波文庫)
次のセンテンスは大変重要である。
「『お池がこの世界とは別のところに在って大理石の柱を映しているわ』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.103」角川文庫)
「池」。そして「ダロウェイ夫人」で描かれたセプティマスの「池」への投身自殺。ウルフはウルフの分身であるダロウェイ夫人を自殺させないためにわざわざセプティマスを登場させ、セプティマスを「池」へと投身自殺させることでダロウェイ夫人を生の世界に繫ぎとめると同時にウルフ自身の自殺を阻止することに成功した。もっともダロウェイ夫人は一度自分自身の身体ではなく「一シリングをサーペンター池へ投げこんだことがある」わけだが。何かが代理されている。それにしても「波」の場合、着目すべきは「池」についてはっきりと「この世界とは別のところに在」るとローダにいわせている点だろう。思索型のローダならではといえるかもしれない言葉だ。こうもいう。
「『私、私は慕わしい、大理石の柱やお池、この世界とは異った側の、燕が羽根を浸しに来るお池が』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.103」角川文庫)
登場人物の中でローダは最も「ぼんやり性」が強く現われるタイプだ。ローダの「ぼんやり性」のうちに出現してくる世界の変容は大変魅力的でもある。しかしそれはローダが自分で自分自身の輪郭を流れの中へ溶融させてしまっているときでもある。この事態は小説家ウルフが特にローダに特権的に託した溶解だ。なるほど他の登場人物にもそれなりの「ぼんやり性」は与えられている。だがローダ独特の「溶ける」感覚。これはローダを死に追いやりかねないものでもあり、同時にウルフの願った全体的な「流れ」へ溶け込んでいく個別的な「生」の融合という「夢」の試みでもある。セプティマスは自殺するとき、「中心部に通じようとする企て」として「死は中心部へ至るための挑戦」として実行する。さらにセプティマスには若い妻がいた。セプティマスの妻は夫の狂人化にもかかわらず離婚など考えない。急速に狂人化していく夫とともに生きるほうを選んでいる。それはすぐさま貧困へ転がり落ちる選択でもあった。だがセプティマスの妻はセプティマスの狂気を自分の身に引き受けつつともに歩んでいく。そこに悲劇を見るのは間違っているだろう。セプティマスの妻は献身的というべきだろうか。そうではない。第一次世界大戦後のイギリス戦後不況の中で、そのようなことはしばしば見られたありふれた事情であり、セプティマスの妻だけが献身的だったというわけではない。しかも当時のイギリスではすでに女性は男性に対して常に献身的でなくてはならないといったような思想など埃をかぶったかび臭いものでしかなくなっていた。急速に狂人化していく夫とともに生きるということが、そしてそのすぐ先に夫の自殺が目の前にぶらさがっていることが自明であったとしても、まだ若い妻にとって、その若さにもかかわらず、ともに生きていくということは何ら他人からの同情を買うべき生き方ではなかったのだ。それは悲観主義ではなく、或る種の諦めを漂わせつつも、なおニーチェのいう「運命愛」に似ている。
「《然りへの私の新しい道》。ーーー私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭(いと)うべき側面をもみずからすすんで探求することである。氷と沙漠をたどったそうした彷徨(ほうこう)が私にあたえた長いあいだの経験から、私は、これまで哲学されてきたすべてのものを、異なった視点からながめることを学んだ、ーーー哲学の《隠された》歴史、哲学史上の偉大なひとびとの心理学が、私には明らかとなったのである。『精神が、いかに多くの真理に《耐えうる》か、いかに多くの真理を《敢行する》か?』ーーーこれが私には本来の価値尺度となった。誤謬は一つの《臆病》であるーーー認識のあらゆる獲得は、気力から、おのれに対する冷酷さから、おのれに対する潔癖さから《結果する》ーーー私の生きぬくがごときそうした《実験哲学》は、最も原則的なニヒリズムの可能性をすら試験的に先取する。こう言ったからとて、この哲学は、否定に、否(いな)に、否への意志に停滞するというのではない。この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、《ディオニュソス的に然りと断言すること》にまでーーー、それは永遠の円環運動を欲する、ーーーすなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。哲学者の達しうる最高の状態、すなわち、生存へとディオニュソス的に立ち向かうということーーー、このことにあたえた私の定式が《運命愛》である」(ニーチェ「権力への意志・第四書・一〇四一・P517~518」ちくま学芸文庫)
そのときローダのそばをそっと動く生き物がいる。猫だ。
「『夜が煙突の上を少し向うへ移ってしまったわ。この人の肩越しに窓からちっとも迷惑そうでない猫が見えるわ。明りに溺れてもいず、絹に身を縛られてもいず、勝手に休み、気ままに伸び、それから又動いて』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.103」角川文庫)
「灯台へ」でもそうだったが、猫は人間を人間自身のもとに連れ戻してくる「作用」として、人間の周囲に位置する類まれな「対象」であると感嘆せざるをえない。
「私たちの周囲に位置している対象は、私たちに対しさまざまな程度にあって、じぶんが事物に対して遂行しうる作用か、あるいはその事物からこうむることになるはずの作用をあらわしている」(ベルクソン「物質と記憶・P.286」岩波文庫)
そしてローダは猫の力によってしばし「夢」のようでもあり同時に現実と記憶の《あいだ》の世界を行き来するのだ。たかが夢とはいえ、しかし人間は自分の細胞の可能性について今なおほとんど知っていないように、夢についてもほとんど知っていない。
「すべての細胞はその一個一個が、われわれ一個人の生命と同等、もしくはそれ以上の意識内容と霊能を持っている一個の生命である。だから、すべての細胞は、それが何か仕事をしている限り、その労作に伴うて養分を吸収し、発育し、分裂、増殖し、疲労し、老死し、分解し、消滅して行きつつあることは近代医学の証明しているところである。しかもその細胞の一粒一粒自身が、その労作し、発育し、分裂し、増殖し、疲労し、分解し、消滅して行く間に、その仕事にたいする苦しみや、楽しみをわれわれ個人と同等に、否それ以上に意識しているーーーと同時に、そうした楽しみや苦しみにたいして、われわれ個人が感ずると同等もしくはそれ以上の連想、想像、空想等の奇怪、変幻をきわめた感想を無辺際に逞(たくま)しくして行くことは、あたかも一個の国家が興って亡びていくまでの間に千万無量の芸術作品を残していくのと同じ事である。この事実を端的に立証しているものが、すなわちわれわれの見る夢である。そもそも夢というものは、人間の全身が眠っている間に、その体内のある一部分の細胞の霊能が、何かの刺激で眼を覚まして活躍している。その目覚めている細胞自身の意識状態が、脳髄に反映して、記憶に残っているものを、われわれは『夢』と名づけているのである」(夢野久作「ドグラ・マグラ」『日本探偵小説全集4夢野久作集・P.376~377』創元推理文庫)
BGM