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白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/或る財務官僚と猫密室

2021年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

平安時代半ば、藤原道長が政治権力の全盛期を誇っていた頃。「大蔵(おほくら)ノ大夫(たいふ)」(大蔵省五位の者)に藤原清廉(きよかど)という財務官僚がいた。実在人物。権力闘争には大変強い一方、猫が大の苦手。世間では「猫恐(ねこおぢ)ノ大夫」と噂されていた。

清廉(きよかど)は山城(やましろ)・大和(やまと)・伊賀(いが)と、いずれも稲作農耕が活発に行われていた肥沃な土地をどんどん開発して一躍大富豪に躍り出る。京の都で大手を振って歩き廻り、あれこれ政界工作に余念がない。同じ頃、藤原輔公(ふじわらのすけきみ)という人物が大和守(やまとのかみ)の任に当たっていた。だが輔公には業務遂行上、捨てておけない不満があった。大富豪になり羽振りももはや天下取りかとばかりの清廉が、割り当てられた租税を大和国に納入したことは一度たりともなかったからである。輔公の在任中ずっとだ。このまま放っておけば裁かれるのは大和守輔公の側だ。かといって、相手は首都一円で顔が利く清廉。単純に捕縛して牢屋にぶち込むというわけにもいかない。何か妙案はないものかと考え込みながら数日を経た。そんな或る日、清廉の側から輔公のもとへ出向いてきた。輔公は警護の武士の夜間の詰所である「宿直壺屋(とのゐつぼや)」へ清廉を案内した。二間ほどの部屋で「極(いみじ)ク全(また)ク」(どこも塞がれ)密閉されている。中には輔公たった一人。

「守、可謀様(はかるべきやう)ヲ案ジテ、侍(さぶらひ)ノ宿直壺屋(とのゐつぼや)ノ極(いみじ)ク全(また)クテ二間許(ふたまばあかり)有ル所ニ、守一人入テ居(ゐ)ヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十一・P.252」岩波書店)

清廉は思う。いつもは機嫌悪そうな輔公なのに今日はどういうわけかにこにこしているではないか。タイミングが良かったかもと。一方、輔公は清廉を近づけて言った。わたしの大和守としての任期はもう残すところあと僅か。今年一杯で終わる。にもかかわらず、この在任中、そなたは一度たりとも納付すべきものを納付していない。どういうつもりなのか。

「守ノ云ク、『大和ノ任ハ漸(やうや)ク畢(はて)ヌ。只今年許(ばかり)也。其レニ、何(いか)ニ官物ノ沙汰ヲバ今マデ沙汰シ不遣(やら)ヌゾ』ト、『何(いか)ニ思フ事ゾ』ト」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十一・P.252」岩波書店)

輔公から見れば清廉は「盗人ノ心有奴(あるやつ)」=「用意周到な策略家」である。思った通り、下手に出て言葉巧みに丸め込もうとしてきた。こういう。「異折(ことをり)」(他人の在任中)ならともかく、まさか殿様の在任中にそのような疎かな態度で過ごしてしまおうなどとあるはずがありませぬ。でもこんなに遅くまで納付しないとなればさぞやご心配のこととお察しします。今こそ科された額面通りに弁済いたしましょう。そもそもそう思ってやって来たところですのに何とお考えなのでしょう。わたしはわたし自身情けない気さえします。どれほどの大金であろうとも納税義務違反の罪に問われるなど考えられましょうか。何年間か掛けて分相応の貯蓄も許されて参りました。それがここまでお疑いの目で見られていたとは。

「異折(ことをり)ニコソ此(と)モ彼(かく)モ候(さぶら)ハメ、殿ノ御任(ごにん)ニハ、何(い)カデカ愚(おろか)ニハ候ハム。此(かく)マデ下申(さがりまうし)テ候(さぶらふ)コソ、心ノ内ニハ奇異(あさまし)ク思給(おもひたま)ヘ候(さぶら)ヘ。今ハ、何(いか)ニテモ仰セニ随(したがひ)テ、員(かず)ノママニ弁(わきま)ヘ申テムト為(す)ル物ヲバ、穴糸惜(あないとを)シ。千万石(ごく)也ト云フトモ、未進(みしん)ハ罷(まか)リ負(おひ)ナムヤ。年来(としごろ)随分(ずいぶん)ノ貯ヘ仕(つかまつり)タルハ、此(かく)マデ疑ヒ思食(おぼしめ)シテ仰セ給フコソ口惜(くちをし)ク候ヘ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十一・P.252~253」岩波書店)

だが内心はこう思っている。何を言うかな、この憐れむべきけち臭い奴。「屁ヲヤハヒリ不懸(かけ)ヌ」=「大勢の見ている前で必ず大恥をかかせてやらぬわけにはいくまい」。伊賀へ帰ってすぐ東大寺の荘園内に入ってしまえば大和守の肩書きといえども何一つ手を出せまい。考えてもみろ、高麗国の者が大和国に納税するか?これまでずっとこれは天の分・あれは地の分と上手くごまかしてきて、納付したことなどこれっぽっちもないというのに。それを確実に納付せよ?たわけた野郎が。ここは天下の大寺の荘園ばかりで何かと紛争続き、上手なやりくりなどとても出来そうにない大和国。そんな部署へ配置転換されるような出来もしない奴だろう。知れたものだ。笑わせるにも程がある。

「此(こ)ハ何事云フ貧窮(びんぐう)ニカ有ラム。屁ヲヤハヒリ不懸(かけ)ヌ。返ラムママニ伊賀ノ国ノ東大寺ノ庄(しやう)ノ内ニ入居(いりゐ)ナムニハ、極(いみじ)カラム守(かみ)ノ主(ぬし)也トモ、否(え)ヤ責(せ)メ不給(たまは)ザラム。何(いか)ナル狛(こま)ノ者ノ、大和ノ国ノ官物(くわんもつ)ヲバ弁(わきま)ヘケルゾ。前々(さきざき)モ、天ノ分(ぶん)・地ノ分ニ云成(いひな)シテ止(やみ)ヌル物ヲ、此ノ主(ぬし)ノ、シタリ顔(がほ)ニ此(か)ク慥(たしか)ニ取ラムト宣(のたま)フ、嗚呼(をこ)ノ事也カシ。大和ノ守ニ成給(なりたま)フニテ、思ヱ(おぼえ)ノ程ハ見ヱ(え)ヌ。可咲(をかし)キ事也カシ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十一・P.253」岩波書店)

清廉の意識の流れを読んでいたかのように輔公はいう。執念深い策略家さん、そなたの言っていることは口ばかりのきれいごとだ。もしそなたが家に帰ったとして、では使いの者をよこせば出てくるとでもいうのか。納税などどこ吹く風と、わかっているよ。だから納税の件、今日この場で決着を付けようではないか。納めるものを納めないで帰してもらえるとでも?

「盗人ナル心デ、否(いな)、主(ぬし)、此(か)ク口浄(くちきよ)クナ不云(いひ)ソ。然(さ)リトモ、返(かへり)ナバ使(つかひ)ニモ不会(あは)ズシテ、其ノ沙汰ヨモ不為(せ)ジ。然レバ、今日其ノ沙汰切(きり)テムト思フ也。主(ぬし)、物不成(なさ)ズシテ、否不返(えかへ)ラジ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十一・P.253」岩波書店)

清廉はややたじろぎながらも言い返す。今月中には納付しますよ。でも一度家に帰らないとわからないこともあるしと。だが輔公は重ねていう。もう数年来の知人同士ではないか。お互い恥ずかしいことはしたくないと思う。頭の良いそなたのことだ。わかっていよう。そう言って輔公はやおら立ち上がり険しい表情で声を荒げた。今日この時に至ってなお納付するつもりはないと言うのか。なら、そなた目がけて一閃死んでもよい。もとより命は惜しむまい。

「主(ぬし)、然(さ)ハ今日不弁(わきまへ)ジトヤ。今日輔公、主ニ会テ只死ナムト思フ也。更ニ命不惜(をしか)ラズ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十一・P.253」岩波書店)

輔公は待機していた警護の武士どもを呼び付けて言った。「儲(まうけ)タリツル物共取テ詣来(まうでこ)」=「用意しておいたものを持って来い」。清廉には何のことやらわからないが、動じる気配一つ見せず輔公を見詰めてじっと様子を窺っている。たかが大和守風情が今のおれに向かって何ができる、ここで拘束などできるわけがなかろうに、という算段がある。

「我レニハ否(え)恥(はぢ)ハ不見(み)セジ物ヲ、何事ヲ何(いか)ニセムトテ此(かく)ハ云フニカ有ラム」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十一・P.254」岩波書店)

武士どもが急いで持ってきたのは何と猫。「灰毛斑(はひけまだら)ナル猫ノ長(た)ケ一尺余許(あまりばかり)ナル」。それが五匹。注意したいのはその「眼」。「赤クテ虎珀(こはく)ヲ磨(みが)キ入(いれ)タル様(やう)」。何度か触れてきたように古来ずっと、鬼の目は「赤色」とされており、さらに登場した猫どもはいずれも磨き上げたかのような「虎珀(こはく)」の眼(=異類異形の〔ものの怪〕の特徴)を持ち、鬼同様に「大声(おほごゑ)ヲ放(はなち)テ鳴ク」。

「清廉見遣(みや)レバ、灰毛斑(はひけまだら)ナル猫ノ長(た)ケ一尺余許(あまりばかり)ナルガ、眼ハ赤クテ虎珀(こはく)ヲ磨(みが)キ入(いれ)タル様(やう)ニテ、大声(おほごゑ)ヲ放(はなち)テ鳴ク。只同様(おなじやう)ナル猫五ツ、次(つづ)キテ入ル」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十一・P.254」岩波書店)

すっかり気が動転してしまい自分を見失った清廉。声も人が変わった様子。汗びっしょりで生きた心地がせず、心細げに目をしばたたいているばかり。輔公はいう。「どうする。納付するかしないか。決めるのは今しかない」。清廉はぶるぶる震える声で答える。「ただちに、ただちに仰せの通り。何より命はおしゅうご座います。後日には必ず」。

「清廉、汗水(あせみづ)ニ成(なり)テ、目を打叩(うちたたき)テ、生(いき)タルニモ非(あら)ヌ気色ニテ有レバ、守、『然(さ)ハ、官物(くわんもつ)不出(いだ)サジトヤ。何(い)カニ。今日其ノ切(きり)テム』ト云ヘバ、清廉、無下(むげ)ニ音(こゑ)替(かは)リテ、篩々(ふるふるる)フ云ク、『只仰セ事ニ随(したが)ハム。何(いか)ニモ命ノ候(さぶら)ハムゾ、後ニモ弁ヘシテモ候ベキ』ト」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十一・P.254」岩波書店)

そう聞いた輔公は間髪入れず紙と硯とを持ってこさせ清廉に詰め寄り渡した。そして次のように朗々と述べ立てる。納付すべきは既に五百七十石に立ち至っている。そのうち七十石は家に帰って計算すればよい。ただし五百石については正式な納付書を発行すべし。それも伊賀国へ納付するのではない。というのは、伊賀はもはやそなたの支配下にあるも同然だからな。虚偽報告など無意味である。そなたの自邸のあるこの「大和ノ国ノ宇陀(うだ)ノ郡(こほり)」の「稲・米(よね)」を直に納付するようこの場で文書をしたためてもらおう。断ればさきほどのようにここに猫を入れる。さらにわたしは部屋から出て扉を閉じ、外から縄で厳重にぐるぐる巻きのまま放置する。

「可成(なすべ)キ物ノ員(かず)ハ、既ニ五百七十余石(よこく)也。其レヲ、七十余石ハ、家ニ返テ算(さん)ヲ置テ吉(よ)ク計(かぞ)ヘテ可成(なすべ)キ也。五百石ニ至(いたり)テハ、慥(たしか)ニ下文(くだしぶみ)を成セ。其ノ下文ヲバ、伊賀ノ国ノ納所(なふしよ)ニ可成(なすべ)キニ非(あら)ズ。此許(かばかり)ノ心ニテハ、虚下文(そらくだしぶみ)モゾ為(す)ル。然レバ、大和ノ国ノ宇陀(うだ)ノ郡(こほり)ノ家ニ有ル稲・米(よね)ヲ可下(くだすべ)キ也。其ノ下文を不書(かか)ズハ、亦(また)有ツル様(やう)ニ猫を放チ入レテ、輔公ハ出(いで)ナム。然(さ)テ、壺屋ノ遣戸ヲ外(と)ヨリ封結(ふうむすび)ニ籠(こめ)て出(いで)ナム」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十一・P.255」岩波書店)

始めはのらりくらりとふてぶてしく嘯いていた清廉だが、もはやこれまでと、言われたように納付を命じる文書を書き上げて輔公に手渡した。輔公は文書を受け取ると部下の者にそれを持たせ、清廉を宿直壺屋から出してやり、部下の者どもを清廉の邸宅のある宇陀郡まで同行させその場で文書とまったく違わずことごとく納付させた。話の顚末を聞いた世間はこぞって大笑いしたという。ちなみに清廉は都の有力政治家や資産家に金をばら撒いて爵位を買い取ることで有名だった。平安京の東方向(説話では山城・大和・伊賀)へどんどん権力網を築き上げていったため俗に「東国の猛者(もさ)」の異名を取った。

ところで清廉は猫アレルギーだったのだろうか。そうではない。説話では「鼠の生まれ変わり」と噂されている。要するにこの説話の根底をなしているのは稲作農耕社会を継続的に成立させていくためになくてはならない諸条件である。鼠駆除と猫との関係なのだ。他の説話には猫以外の動物が登場する。それはまたの機会に述べたい。しかしまた、この説話で猫は、京(みやこ)で強権を振るう藤原清廉(きよかど)と、或る意味左遷人事を喰らったに等しい藤原輔公(すけきみ)とを出会わせるだけでなく、猫出現と同時に両者の社会的立場の転倒が発生している。或る人物と他の人物とを出会わせること。同時に両者の立場の移動を発生させること。「源氏物語」の次の箇所もそうだ。柏木(かしわぎ)の目に女三宮(おんなさんのみや)の立ち姿を対面させたのは不意に飛び出してきた二匹の猫だった。猫はその場その場でいかようにも状況を変容させる。あたかも貨幣のように。

「唐猫(からねこ)のいとちひさくをかしげなるを、すこし大(おほ)きなる猫(ねこ)おひつづきて、にはかに御簾(みす)のつまより走(はし)り出(い)づるに、人々おびえさわぎて、そよそよとみじろきさまよふけはひども、衣(きぬ)のをとなひ、耳(みみ)かしかましき心(ここ)ちす。猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱(つな)いと長(なが)くつきたりけるを、ものに引(ひ)きかけまつはれにけるを、逃(に)げんとひこしろふほどに、御簾(みす)のそばいとあらはに引(ひ)きあけられたるを、とみに引(ひ)きなをす人もなし。この柱(はしら)のもとにありつる人々(ひとびと)も心あわたたしげにて、物おぢしたるけはひどもなり。木丁(きちやう)の際(きは)すこし入(い)りたる程(ほど)に、袿姿(うちきすがた)にて立(た)ち給へる人あり。階(はし)より西(にし)の二の間(ま)の東(ひんがし)のそばなれば、まぎれ所もなくあらはに見入(みい)れらる」(新日本古典文学大系「若菜上」『源氏物語3・P.296』岩波書店)

その「唐猫(からねこ)」はもしかしたら、或る種の妖怪〔鬼・ものの怪〕の仲間だったのかも知れない。

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