白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/熊野の森と丹波への帰省

2021年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

パンデミック下の帰省を既に何度か経験した日本。にもかかわらずほとんど何一つ懲りていない日本。次に上げる説話は遥か一一〇〇年以上も前の日本で帰省中に起きたエピソード。

妻の実家は丹波国(たんばのくに)。夫は「竹菔(たかえびら)ノ箭(や)十許(ばかり)差(さし)タルヲ掻負(かきおひ)テ、弓打持(うちもち)テ」=「竹製の武具に矢を十本ばかり差し入れて背負い、弓を手に持ち」、妻を馬に乗せて丹波に向かっていた。大江山(今の京都府福知山市東北部)に差しかかった時、太刀と脇差とを身に付け見るからに頼もしげな若い男性と一緒になり、共におしゃべりしながら連れ立って歩くことになった。話していると若い男性は持っている太刀のことを語り出した。聞くと、名刀の産地「陸奥国(みちのくのくに)」伝来の名高い太刀らしい。刀身を抜いて見せてくれた。名刀というだけあって、なるほど実に美しく間違いのない上物だ。夫はその太刀に一目惚れしてしまった。様子を察した若い男性はいう。もし必要とお考えならそなたが持っておられる弓と交換しても構いませんが。

「此ノ大刀要(えう)ニ御(おは)セバ、其(そこ)ノ持給(もちたま)ヘル弓ニ被替(かへられ)ヨ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第二十三・P.343」岩波書店)

夫の持っている弓は実を言えばどこにでもある弓。それとこのような立派な太刀との交換なら大儲けしたも同然だ、とすぐさま交換した。随分得した気分でさらに若い男性の言葉に耳を傾ける。男性はいう。しかしわたしはただ単に弓だけを手にしているばかりで人目に見れば笑いものではあると思う。だからそなたの持っておられる箭(や)を二本ばかり譲ってはくれませんか。同行の士なのだから箭などどちらが持つにせよ同じことだし。

「己ガ弓ノ限リ持タルニ、人目モ可咲(をか)シ。山ノ間(あひだ)、其ノ箭(や)二筋(ふたすぢ)被借(かされ)ヨ。其ノ御為(ため)ニモ、此(か)ク御共(とも)ニ行ケバ、同事(おなじこと)ニハ非(あら)ズヤ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第二十三・P.344」岩波書店)

もっともな話なので夫は若い男性に二本の箭を譲り渡した。しばらくして昼食の頃合い。すぐそばの薮(やぶ)の中へ入って一緒に昼を取ることにした。とはいえ、あらわに人目に付く場所での会食は二人の関係の深さを変にじろじろと疑われる。そこで若い男性はもう少し山の奥へ入ろうと提案した。夫婦もそれに従って薮の奥へ進んだ。だいたい適当と思われる場所が見つかると食事の支度にかかる。夫は妻を馬から降そうと若い男性の側に背中を向けたところ間髪入れず、さきほど譲り渡した箭が自分の背中に狙いを付けてじっと動かない。男性はいう。「お前、ちょっとでも動いてみろ。射殺す」。夫は予想だにしていなかった事態にただ呆然と男性を見ているばかり。相手は畳み掛けていう。「もっと山奥へ入ってもらおうか、もっとだ」。夫は当然命が惜しい。若い男性のいうがまま妻を連れて7、800メートルほど奥へ入った。「太刀と脇差も、捨ててもらおう」とさらに言う。夫は太刀と脇差とを放り投げると男性はそれら武具をぐいと手元に掻き寄せ、馬の口に装着してある縄で夫の体を近くの樹木にぐるぐる巻きに縛り付けた。

「女ヲ馬ヨリ抱(いだ)キ下(おろ)シナド為(す)ル程ニ、此ノ弓持(ゆみもち)ノ男、俄(にはか)ニ弓ニ箭(や)ヲ番(つがひ)テ、本ノ男ニ差宛(さしあて)テ強ク引テ、『己、動(はたら)カバ射殺シテム』ト云ヘバ、本ノ男、更(さら)ニ此(かく)ハ不思懸(おもひかけ)ザリツル程ニ、此(か)クスレバ物モ不思(おぼ)エデ、只向(むか)ヒ居(を)リ。其ノ時ニ、『山ノ奥ヘ罷入(まかりい)レ、入レ』ト恐(おど)セバ、命ノ惜(をし)キママニ、妻ヲモ具(ぐ)シテ、七、八町許(ばかり)山ノ奥ヘ入ヌ。然テ、『大刀(たち)・刀(かたな)投(なげ)ヨ』ト制命(せいしめい)ズレバ、皆投テ居(ゐ)ルヲ、寄テ取テ打伏(うちふ)セテ、馬ノ指縄(さしなは)ヲ以て木ニ強ク縛リ付ケテツ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第二十三・P.344」岩波書店)

さらに若い男性は、樹木に縛り付けられて動けなくなっている夫の妻のそばへ近づき、じろじろと吟味する。確かに身分だけを考えれば下層階級の下賤な女には違いない。だがよく見るとまだ二十歳ばかりでなかなか魅力的な気品を感じさせるいい女だ。若い男性は奇妙にも情が移ってしまった。と、もう頭の中は空っぽになりたちまち女性の衣服を脱がせにかかった。女性は「早く脱げ」とせっつかれる。拒否すれば夫も自分もどんな目に遭わさせれるかわからない。仕方なく着ていた衣服を、命じられるがまま脱ぎ捨てた。若い男性は自分の服を脱いで裸になるや女性を押し倒し、女性のからだの中に男性器を押し込む。二人は性交し始めた。女性はもはや何も言うことができない。若い男性の命ずるがまま体をあずけ抱き合った。樹木に厳しく縛り付けられた夫の目前で妻と若い男性とが性交に耽っている。どんな思いでそれを見せつけられただろうか。

「女ノ許(もと)ニ寄来テ見ルニ、年二十余許(はたちあまりばかり)ノ女ノ、下衆(げす)ナレドモ愛敬付(あいぎやうづき)テ糸清気(いときよげ)也。男、此レヲ見ルニ心移(うつり)ニケレバ、更(さら)ニ他(ほか)ノ事不思(おぼ)エデ、女ノ衣(きぬ)ヲ解(と)ケバ、女、可辞得(いなびうべ)キ様(やう)無ければ、云フニ随テ衣ヲ解(とき)ツ。然レバ、男モ着物(きもの)ヲ脱(ぬぎ)テ、女ヲ掻臥(かきふ)セテ二人臥(ふし)ヌ。女、云フ甲斐無ク、男ノ云フニ随テ、本ノ男被縛付(しばりつけられ)テ見ケムニ、何許思(いかばかりおもひ)ケム」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第二十三・P.344~345」岩波書店)

やがて気が済んだのか、若い男性は立ち上がって服を着ると手早く「竹菔(たかえびら)」を背負い、その中に箭(や)を詰め込み、大刀(たち)を身に付け弓を手に持ち、夫婦が乗ってきた馬にまたがるとその妻に言った。「残念に思うけれど、こうするほかない。もう行くよ。その不甲斐ない奴を殺さずに許してやるのはそなたを思ってのおれの恋情ゆえ。だからといって、おれはおれで疾く逃げないと。馬を貰って行く」。

「糸惜(いとをし)トハ思ヘドモ、可為(すべ)キ様(やう)無キ事ナレバ、去(い)ヌル也。亦(また)、其(そこ)ニ男ヲバ免(ゆる)シテ、不殺(ころさず)ナリヌルゾ。馬ヲバ、疾(と)ク逃(にげ)ナムガ為ニ乗テ行(ゆき)ヌルゾ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第二十三・P.345」岩波書店)

女性はともかく縛り付けられたまま放置されている夫の縄をほどいてやった。夫は気を失っているわけでは決してないが、ただただ呆然自失しているばかり。妻はいう。「お前さんはなんて頼りない人なのでしょう。情けなくって言葉一つ見当たりません。この調子では今後もまるでろくなことはないでしょう。絶望的だわ」。

「汝ガ心云フ甲斐無シ。今日ヨリ後モ、此ノ心ニテハ、更(さら)ニ墓々(はかばか)シキ事不有(あら)ジ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第二十三・P.345」岩波書店)

本文を見る限り、その後、若い男性がどこへ行ったのか不明とされている。また夫婦は、帰省ゆえに丹波国で歩を進めたが二人の間にどのような会話が交わされたか交わされなかったか、何も書かれていない。しかしそれだけではなぜこのような、昭和の三流ポルノまがいのエピソードがわざわざ「今昔物語」に説話として収録されたのか意味不明に陥る。そうではなく、「今昔物語」の狙いは、中世の日本ならどこにでもごろごろ転がっていた「昭和の三流ポルノ」とはまったく異なる価値風土にある。さらに明治維新に伴う近代日本成立から原爆投下まで続く「日本近代ポルノ」とはまったく絶たれたそれこそ回復不可能な異次元の価値転倒を照射している。というのは、この説話に顕著な転回点は「七、八町許(ばかり)山ノ奥」である、と明記されているからだ。この場所移動。まったく明るい場所ではないにせよ、かといって逆にまったく何一つ目に見えない深々とした暗闇でもない。その《あいだ》。昼食の時間帯であるにもかかわらず少し街道を逸れれば忽ち薄暗く気味悪い「藪の中」への場所移動。日暮れでないにもかかわらず、そこはいつも黄昏時(たそがれどき)だ。そしてそこを通過した時すでに事情は転倒している。深い闇の中に何か妖怪〔鬼・ものの怪〕めいた物が出現する場合、それはほんのり灯された灯火のもとでどこまでも打ち続いているかのような陰翳を通してのみ、ゆらゆらと揺れて見える。言ってしまえば「源氏物語」所収「夕顔」の条が念頭に置かれている。

一夜たりとも間を置かず源氏に通い詰められ夜毎愛されるようになった夕顔。或る夜、暗闇の中に妖怪〔鬼・ものの怪〕めいた不吉な気配が漂う。その不吉さはありったけの威圧感であっという間もなく部屋一杯に満ち渡る。源氏は側近の者に「紙燭(しそく)」を持って来て周囲を照らし上げるよう命じる。一方、恐怖におののく夕顔は戸惑うばかり。一度に血の気が引き急速に衰弱していく。

「よひ過(す)ぐるほど、すこし寝入(ねい)り給へるに、御枕上(まくらがみ)にいとをかしげなる女ゐて、『おのがいとめでたしと見(み)たてまつるをば尋(たづ)ね思(おも)ほさで、かくことなることなき人をゐておはしてときめかし給(たまふ)こそいとめざましくつらけれ』とて、この御かたはらの人をかきおこさむとす、と見給(たまふ)。物におそはるる心(ここ)ちしておどろき給へれば、火も消(き)えにけり。うたておぼさるれば、太刀(たち)を引(ひ)き抜(ぬ)きて、うちおき給(たまひ)て、右近を起(お)こし給(たまふ)。これもおそろおしと思(おもひ)たるさまにてまゐり寄(よ)れり。『渡殿なる宿直(とのゐ)人起(お)こして『紙燭(しそく)さしてまゐれ』と言(い)へ』とのたまへば、『いかでかまからん、暗(くら)うて』と言(い)へば、『あな若々(わかわか)し』とうち笑(わら)ひ給ひて、手をたたき給へば、山彦(やまびこ)の答(こた)ふる声(こゑ)いとうとまし。人え聞(き)きつけでいゐらぬに、この女君いみじくわななきまどひて、いかさまにせむと思(おも)へり。汗(あせ)もしとどになりて、われかのけしきなり」(新日本古典文学大系「夕顔」『源氏物語1・P.122』岩波書店)

側近の右近も動くのをためらっている。しかし源氏はいう。「こういう時は身分とか定位置とか四の五の言わず、襲来した状況に応じて動くものだ、早くしろ」。そしてようやく灯火が持ち運ばれ部屋の中が照らし出された。加速的な衰弱を見せていた夕顔の姿も灯火の中に入った。ところが既に夕顔は息絶えて死んでいた。

「『御前(まへ)にこそわりなくおぼさるらめ』と言(い)へば、『そよ、などかうは』とてかい探(さぐ)り給ふに、息(いき)もせず。引(ひ)き動(うご)かしたまへど、なよなよとしてわれにもあらぬさまなれば、いといたく若(わか)びたる人にて、物にけどられぬるなめり、とせむ方(かた)なき心(ここ)ちし給(たまふ)。紙燭(しそく)持(も)てまゐれり。右近も動(うご)くべきさまにもあらねば、近(ちか)き御(み)几帳を引(ひ)き寄(よ)せて、『なほ持(も)てまゐれ』との給(たまふ)。例(れい)ならぬ事にて、御前(まへ)近(ちか)くもえまゐらぬつつましさに、長押(なげし)にもえのぼらず。『なほ持(も)て来(こ)や。所にしたがひてこそ』とて召(め)し寄(よ)せて見(み)給へば、ただこの枕上(まくらがみ)に、夢(ゆめ)に見(み)えつるかたちしたる女、面影(おもけげ)に見(み)えてふと消(き)えうせぬ。むかしの物語(がたり)などにこそかかる事は聞(き)け、といとめづらかにむくつけけれど、まづこの人いかになりぬるぞと思(おも)ほす心さわぎに、身の上(うへ)も知(し)られ給はず添(そ)ひ臥(ふ)して、『やや』とおどろかし給へど、ただ冷(ひ)えに冷(ひ)え入(いり)て、息(いき)はとく絶(た)えはてにけり」(新日本古典文学大系「夕顔」『源氏物語1・P.124』岩波書店)

問題は昼でもなく夜でもない。その間を不意に通り過ぎる「夕暮れ時・黄昏時」にある。近代以前は昼と夜との間には厳然たる区別があった。なるほど昼は様々な人々が支配する。一方夜は、妖怪〔鬼・ものの怪〕が支配する。両者の「棲み分け」が厳格に重視・厳守されてこその宮廷でもあった。そして確実に明るいわけでもなく確実に暗いわけでもない両者の間をふっと掠める「日暮れ」あるいは「七、八町許(ばかり)山ノ奥」という場所へ移動したその瞬間、ときおり何かが転倒する。「源氏物語」では夕顔の死。先に取り上げた「今昔物語」の説話では、夫の頼りなさの暴露、若い男性の強盗への変化、妻が身を張る男女逆転、妻の心変わり、絶望的将来への無力感。

とはいえ、近現代の資本主義はこれら「日暮れ」あるいは「七、八町許(ばかり)山ノ奥」が持っていた特権的変容可能性を資本主義自身の装置として組み込んだ。いついかなる時も世界は常に既に「日暮れ」あるいは「七、八町許(ばかり)山ノ奥」でなくてはならないという領域を全体化することに成功した。今や人間社会には真っ昼間もなければ真っ暗闇もない。世界はもはや茫漠たる砂漠の中へ放棄され、そこではただ、ますます目に見えなくなっていく資本主義の鞭の音だけが鳴り渡っているばかりである。これほど前方不明瞭な時期、にもかかわらず、なぜか東京五輪。世界的大資本でさえそろそろ五輪で儲けることをためらう傾向を見せつつある時代なのに。何ゆえ?

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