白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/蛇に睨まれた蝦蟆(かへる)と資本主義を忘れた日本政府

2021年02月12日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

或る夏の日、三人ほどの貴人が連れ立って「染殿(そめどの)」の庭の築山の木陰で涼みながらおしゃべりに興じていた。その中に三善春家(みよしはるいへ)という男性がいた。蛇が大の苦手。ゆえに前世は蝦蟆(かへる)ではと囁かれていた。官職は「山城(やましろ)ノ介(すけ)」=「山城国次官」。なのでこの時も同行の友人・知人らは「殿上人(てんじやうびと)・君達(きむだち)」らである。「染殿(そめどの)」は藤原良房(よしふさ)の邸宅を指す。今の京都御苑の東北部分にあった。京都御苑の東側に隣接して「染殿町(そめどのちょう)」の名が残る。

築山は結構色々な樹木が植えてある。時折は蛇も顔を出すだろう。けれどもこの時はよりによって春家が座ってくつろいでいたすぐ傍を、音もなくにょろにょろと這い出してきた。「三尺許(ばかり)ナル烏蛇(からすへみ)」。やや小型の縞蛇(しまへび)。縞蛇は幾筋も入った縞模様が美しく無毒で、全長は平均的なもので約150センチ。中には黒い色素が多い個体もあり、その場合はほぼ真っ黒に見えることから「烏蛇(からすへみ)」と呼ばれる。

ところがこの時に春家の座っていた場所からは見えない。一人の君達が蛇に気づき、そなた、ちょっと見てみなさいと教えた。何のことかと春家は周囲を見回す。と、烏蛇は既に裾から30センチほどの至近距離に迫っている。あまりの事態に春家の顔色はたちまち「朽シ藍(あゐ)」=「腐ったような藍色」と化した。堪え難い。思わず叫び声を上げたが上手く立ち上がることもできない。

「春家ガ居タリケル傍(かたはら)ヨリシモ、三尺許(ばかり)ナル烏蛇(からすへみ)ノ這出(はひいで)タリケレバ、春家ハ吉(え)不見(み)ザリケルニ、君達ノ、『其レ見ヨ、春家』ト云ケレバ、春家打見遣(うちみやり)タルニ、袖ノ傍(かたはら)ヨリ去(のき)タル事一尺許ニ、三尺許ノ烏蛇ノ這(はひ)行クヲ、見付テ、春家、顔ノ色ハ朽シ藍(あゐ)ノ様(やう)ニ成テ、奇異(あさまし)ク難堪気(たへがたげ)ナル音(こゑ)ヲ出(いだ)シテ一音(ひとこゑ)叫(さけび)テ、否(え)立(たち)モ不敢(あへ)ズ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十二・P.256」岩波書店)

逃げようと焦るが二度も転倒してしまう。かろうじて起き上がり、「沓(くつ)モ不履(はか)ズ」走って逃げ出した。ここで本文は一字分が欠字になっている。が、「沓(くつ)モ不履(はか)ズ」、さらに蝦蟆(かへる)の生まれ変わりではと噂されていたことから、欠字は脚注で示唆されているように「跣(はだし)」で間違いないだろう。春家はまず染殿の東門から飛び出した。今の寺町通に出たわけだ。そこから一条通まで北上。西へ折れて「西(にし)ノ洞院(とうゐん)」通へ向かい、西の洞院通をさらに南下。春家は「土御門(つちみかど)西ノ洞院」にある自邸へ転げ込む。「土御門(つちみかど)西ノ洞院」は現・京都市上京区上長者(かみちょうじゃ)通と西洞院(にしのとういん)通との交差点付近。

家にいた妻子らは一体何があったのかと尋ねるが春家は転げ込んでくるや一言も言わず着物も脱がず、うつぶせのままばったり倒れ込んだ。

「家ハ土御門(つちみかど)西ノ洞院ニ有ケレバ、家ニ走テ入タリケルヲ、家ノ妻子共(めこども、『此(こ)ハ何(いか)ナル事ノ有ツルゾ』ト問ヘドモ、露(つゆ)物モ不云(いは)ズ、装束(しやうぞく)ヲモ不解(とか)ズ、着乍(きなが)ラ低(うつふし)ニ臥(ふし)ニケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十二・P.256~257」岩波書店)

家の者らは心配してどうしたのですと聞き出そうとするけれど、春家は何一つ答えず突っ伏している。仕方なくともかく着物を脱がせようと、春家の体をころころと転がして装束を解いた。心ここにあらずの様子なので湯に溶かした薬を飲ませようとするも、春家は歯が折れるほどくいしばっているため湯を飲ませることもできない。体に触れてみると高熱が出ている。

「装束ヲバ、人寄テ丸(まろ)バス丸バス解(と)キツ。物ヲ不思(おぼえ)ヌ様(やう)ニテ臥タレバ、湯(ゆ)ヲ口ニ入ルレドモ、歯ヲヒシト咋合(くひあは)セテ不入(い)レズ。身ヲ捜(さぐ)レバ、火ノ様ニ温(ぬるみ)タリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十二・P.257」岩波書店)

余りにも唐突な事態なので妻子はどうすればよいのかわからず戸惑うばかり。春家の逃走のことは春家が連れて来ていた従者さえ物陰にいたためさっぱり気づいていない。ただ、宮家の役人の位置からはそれが丸見えだった。これは面白いと思いながら、かといって放っておくわけにもいかず、春家が走り去った後を追いかけた。ようやく春家の邸宅に到着、事情を説明する。「蛇が出たのです。連れてらした従者方もいたのですが従者の定位置からはそれが見えない様子。で、私が後を追いかけたわけです。ところが春家殿は途方もない俊足でらして、追いつこうとしたのですが追いつくことができずとうとうここまで来てしまいました」。

「蛇ヲ見給テ、逃テ走給ツレバ、御共(とも)ノ人も皆冷(すず)ムトテ、隠(かくれ)ノ方ニ候ヒテ否(え)知リ不候(さぶらは)ザリツレバ、己(おの)レガ送(おく)レ不奉(たてまつら)ジト走リ候ヒツレドモ、否(え)走リ不着奉(つきたてまつら)デナム」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十二・P.257」岩波書店)

妻子らは「あ、それ、いつもの癖です」とわかり笑ってしまった。家に残っていた従者らも殿様の例の癖が出たなとわかって笑った。染殿で一緒に涼んでいた貴人とその従者らも春家の姿が急に消えたので後からぞろぞろやって来た。

次に、どんな珍妙な光景だったろうと書かれている。五位の次官が真昼間の大通りを車も使わず裸足で、なおかつ「指貫(さしぬき)ノ喬(そば)取テ喘(す)タキテ、七、八町ト走」り抜けたとは。

「実(まこと)ニ何(いか)ニ可咲(をかし)カリケム、五位許(ばかり)ノ物ノ、昼中(ひるなか)ニ大路(おほぢ)ヲ歩(かち)ニテ、跣(はだし)ナル者ノ、指貫(さしぬき)ノ喬(そば)取テ喘(す)タキテ、七、八町ト走ケムハ。大路ノ者、此レヲ見テ何(い)カニ咲ヒケム)」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第三十二・P.257」岩波書店)

「指貫(さしぬき)の袴(はかま)」を略して「指貫(さしぬき)」。その袴の両脇を手に持ち上げて裾もあらわに裸足で800メートルばかり疾走した。京の人々はどれほど笑っただろうかと。なるほど蝦蟆(かへる)に似てはいる。しかし相手が蛇なら鼠でもいいし、烏蛇は小鳥なども捕食する。だからこの説話もまた影の主役は稲作農耕の神としての水神・蛇こそがそうだと言えそうに思われるのである。さらに「指貫(さしぬき)」の常の風情について「枕草子」から。

「六月十よ日にて、あつきこと世にしらぬ程なり。池の蓮(はちす)を見やるのみぞ、いと涼しき心ちする。左右のおとどたちをおき奉りては、おはせぬ上(かん)達部なし。二藍(ふたあゐ)の指貫(さしぬき)直衣(なほし)あさぎのかたびらをぞすかし給へる。すこしおとなび給へるは、青鈍(あほにび)の指貫(さしぬき)、しろき袴(はかま)もいと涼しげ也」(新日本古典文学大系「枕草子・三十二段・P.43」岩波書店)

というふうに本来は風雅な衣装として用いられる。また類話ではないものの、異なる位置への移動が笑いを生じさせる説話は熊楠が「『摩羅考』について」で述べている。以前触れた。「今昔物語集・巻第二十八・弾正弼源顕定(だんじやうのひつみなもとのあきさだ)、出摩羅被咲語(まらをいだしてわらはるること)・第二十五」参照。

ちなみに、蛇が鮹(たこ)に化けて魚を食い、蟾蜍(ひきがへる)が魚に化けて鮹(たこ)に食われるという話が「甲子夜話」にある。次の通り。

第一に。

「蛇の鮹(たこ)に変ずるは、領内の者往々見ることあり。蛇海浜に到り、尾を以て石に触れば、皮分裂し、その皮迺(すなはち)脚となる。ーーー又蛇、首より中身のあたりは、皮翻り、鱗ある所腹内となり、皮裡却て身外となる。総じて鮹は紅白色なるに、蛇化の者は身純白、腹長ふして脚短く、その形尋常と殊なり。又游泳せずしてただ漂ふのみ。且その変ぜしあたり血色殷々海水を染て、方五、六尺にも及ぶと」(「甲子夜話5・巻七十六・二・P.259~261」東洋文庫)

第二に。

「因に云ふ。領海にアラカブと呼ぶ魚あり。頭口ともに大にして黒鱗なり。此地にある藻魚、メバルの類にして、多く海辺の石間にゐる。蟾蜍(ひきがへる)変じてこの魚となる。既に見し者往々あり。其言に曰く。蟾蜍の前二足、魚の前鰭となり、後足合寄りて魚尾となると」(「甲子夜話5・巻七十六・二・P.261」東洋文庫)

熊楠は長年の研究に基づいて粘菌の変態性を突き止めたが、その一方、類似(アナロジー)に基づいてであるにせよ、動物の中には変身するものもあると見た人々がまったくいなかったというわけでもない。古来、動植物は変化するということが前提として考えられていた形跡を認めないわけにはいかない。

ところで話題を変えよう。JOC会長辞任劇について。女性差別発言。もっともだろうと思う。しかしそれだけだろうか。国際世論に弾劾されて仕方なくというより、追い詰めたのは明らかに資本主義の鉄の自己目的ではないだろうかと思うのである。資本の人格化たる資本家・スポンサーや貴重なボランティアから被った圧力はなるほど大きいとは思う。けれども、資本主義は人間を人間とは見ない。労働力へ換算して方向を決めていく。都合次第でどんどん変更していく。例えば或る巨大企業の人事において、同じ時間内で、同じ労働条件で、或る男性より遥かに正確迅速に仕事をこなす別の女性がいるとしよう。配置転換の時期になり、両者を天秤に掛けた場合、前者の男性は整理対象として挙げられようが、一方、後者の女性が整理対象になることはまず考えられない。資本主義がじっと見詰めているのはもはや性別などではない。女性であろうとなかろうと、一定の条件のもとでどれほど利潤最大化に結びつく人員配置が速やかに行われるかどうかということであって、その限りで、差別する側も同様に裁き抜くようにできている。その意味ではこれまで何度も繰り返し見てきたことの反復に思える。

さらに。JOC会長を庇っていた人々について。その多くは政府与党の国会議員。とりわけ自民党だが、資本主義を押し進め、より一層強靭な資本主義体制を打ち立て更新したいと望む人々の集まりだとばかり思っていた。だが実態は違っていたようだ。自民党はもはや資本主義の守護神ではなくなっていた。では資本主義の守護神は自民党と共闘を組んできた公明党だったのだろうか。必ずしもそうとは限らないような気がする。むしろ前首相の任期中、資本主義の「いろは」さえ忘れ去られ崩れ去っていく風景が、マスコミを通してではあるものの、早いうちから目の前を展開していたように思う。

そして記者会見。社会問題だというのなら、日本の皇室を外に置いて語ることはできない。とりわけ皇后・雅子妃について。皇室に入る前は相当な女性キャリア官僚として活躍していたことは誰もが知っている。記者会見の場で今回のJOC会長女性差別発言について、JOC会長はどう考えているのか。問うた記者はいただろうか。答えられないなら責任者は誰か。今の首相だろうか。その辺りまでもっと突っ込んで問うてみてもよいのではと思っていたのだが。

BGM1

BGM2

BGM3