白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/深山幽谷と大阪城「人柱」伝説

2021年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

普段から何頭かの犬〔狗〕を飼っておき、訓練し、猟師は山の奥深くに入る。鹿や猪を見つけると、連れて来た猟犬を巧みに操り獲物を咋殺(くひころ)させて生業にする猟師のことを「狗山(いぬやま)」といった。山間部に入る時は何日分かの食料を揃えて出かける。時には二、三日ほど家を空けることも稀ではない。次の説話は或る「狗山(いぬやま)」がいつものように山に入り数日間家を空けた時に起こった出来事に関する。

この狗山には若い妻がいた。山奥の一軒家で若妻は夫の帰りを待っていた。その時、山岳地帯を修行中の僧が家を尋ねてやって来た。各地の霊場を巡り歩き修行に励んでいる様子。家の前に立った僧はまず始めに通例通り読経してから食物を乞うた。一人で家にいた狗山の若妻は僧の容貌の凛たるすがすがしさを見て、これはただ単なる物乞いではないだろう、まず間違いないと思い、読経も立派なものに思えて、家の土間ではなく上に上げた。僧はいう。わたしは仏の道に随ってあちこちの霊場を巡り歩き修行に励んでいる者です。打ち続く流浪生活のため食料を所望したいと思います。ただ単なる偽坊主や乞食風情ではご座いません。

「僧ノ形(かた)チ糸清気(いときよげ)也ケレバ、無した(むげ)ノ乞食(こつじき)ニハ非(あら)ヌナメリト思(おもひ)テ、女主(をむなあるじ)、経ヲ貴(たふと)ムダエ、上ニ呼上(よびあげ)テ物ヲ供養スルニ、僧ノ云ク、『己(おのれ)ハ乞食(こつじき)ニハ不侍(はべらず)。仏ノ道ヲ修行シテ、所々(ところどころ)ニ流浪(るらう)スルガ、糧(かて)ノ絶(たえ)タレバ、来テ此(か)ク申ス也』ト」(「今昔物語集5・巻第二十六・第二十一・P.83~84」岩波書店)

ありがたく思った女性は食物を準備して僧に与えた。さらに僧は、仏道はもとより陰陽道にも通じていると述べ、陰陽道に則った祭儀も行ってみてはいかがかと勧めた。その効能を聞かされた女性は心を動かされ、僧に勧められるまま「神に捧げる幣(みてぐら)・白米(しらげよね)・旬の菓子(くだもの)・油など」を用意して全身を洗い清め精進に励み出した。僧がいうには、この祭儀は神聖なものであって、「深ク浄(きよ)キ山」へそなた独りで赴いて行う必要がありますと。そして三日が過ぎた。僧は祭具一式できれいに整えられ、聖域化された場所に入り祭文(さいもん)を読んで祭儀を終えた。女性は夫が出かけている間に大変めでたい出来事に遭遇できたことに感謝し、さっそく家に帰ろうとした。僧がその可憐な姿形を見送ろうとしたが、全身にたちまち愛欲の焔が燃え上がり自分を見失った。僧は帰ろうとしている女性の手をとっさに握り捕らえて言う。「わたしは未だかつて経験したことのない愛欲に駆られてしまっているようだ。そなたを見ているともう三宝のお咎めもどうでもよい、抑えきれない思いを遂げたいと思う」。いきなりのことに女性は丁寧に断ってさっさと逃げようとしたが、僧はいつの間に用意していたのかわからないが刀を抜き放っていう。「そなた、わたしの言うことを受け入れないつもりなら、突き殺すまでだ」。女性はおもう。ここは深山幽谷の地。助けを呼んだとしても人っ子一人いない。もはや僧の激情を受け入れるしかないのかと。僧は女性を藪の中に引きずり込むや早くも抱きついて性交し始めた。もう拒むことはできず、既に女性の逃げ道は閉ざされ、僧の思うがままになるほかなかった。

「僧、女ノ若クテ清気(きよげ)ナルヲ見(みる)ニ、忽(たちまち)ニ愛欲ノ心発(おこり)テ、万(よろづ)ノ事忘レヌ。然レバ、女ノ手ヲ捕ヘテ云ク、『我、未ダ不習(ならはむ)事也ト云ヘドモ、君ヲ見(みる)ニ既ニ三宝ノ思食(おぼしめ)サン所ヲ知(しら)ズ。本意ヲ遂(とげ)ント思フ』ト。女、辞(いなひ)テ遁(のが)レントスレバ、僧、刀ヲ抜(ぬき)テ、『君、此(これ)ヲ不用(もちゐず)ハ突殺(つきころし)テン』ト云ヘバ、女、人モ無キ中ナレバ、為(す)ベキ方(かた)モ無(なく)テ有(ある)ヲ、僧、薮ノ中ニ引入(ひきいれ)テ、既ニ懐抱(くわいはう)セント為(す)レバ、女、難辞得(いなびえがた)クシテ、僧ノ本意ニ随(したが)フ」(「今昔物語集5・巻第二十六・第二十一・P.84~85」岩波書店)

さて、猟のために三日ほど家を空けていた夫が狗どもを連れながら獲物を求めて歩いていると、近くの藪の中で何かがさわさわと律動している音がする。夫は考える。さてはこの藪の中にいるのは鹿に違いないと。夫は磨き抜かれた鉄の先端部を装着した狩猟用の一撃必殺の大きな「利雁箭(とがりや)」を持っている。悟られないようそれを静かに弓につがえて藪の中でさわさわと音を立てている辺りに狙いを定め、ずばりと射た。すると薮の中から人間の声が一つ漏れ聞こえた。鹿か何かに違いないと思っていたのに声は確かに人間のもの。怪しく思って藪の中に入ってみると見知らぬ僧が女性の上に折り重り、「利雁箭(とがりや)」はその僧の体の真ん中を深々と射抜き、僧は即死した様子。その下を見ると何と自分の若妻。思いがけない事態に夫は目の錯覚かと考えて女性の姿をよくよく見直してみた。すると明らかに自分の妻以外の誰でもない。若妻は夫が留守にしていた間に起きた事情を説明した。周囲を見るとなるほどものものしい祭具が色々と散らばっている。そういうことだったかと納得した夫は僧を谷底に棄て、妻を連れて帰宅した。

「薮ノ中ニ、者ノソヨリソヨリト鳴(なり)テ動(はたらき)ケルヲ見テ、夫立留(たちとまり)テ、此薮ノ中ニ鹿ノ有(ある)也ケリト思テ、大キナル利雁箭(とがりや)ヲ番(つがひ)テ、弓ヲ強ク引テ、動ク所ニ指宛(さしあて)テ射タリケレバ、人ノ音(こゑ)ニテ『ア』ト許(ばかり)云フ音(こゑ)有リ。驚キ怪(あやし)ムデ、寄テ草ヲ掻去(かきのけ)テ見レバ、法師ノ、女ノ上ニ重(かさな)リタル最中(もなか)ヲ射タル也ケリ。奇異(あさまし)と思テ、寄テ法師ヲ引去(ひきのく)レバ、若僻目(おしひがめ)カト思(おもひ)テ引起(ひきおこ)シタルニ、現(あらは)ニ其(それ)ナレバ、『先(まず)、此(こ)ハ何(いか)ナリツル事ゾ』ト問(とふ)ニ、妻、事ノ有様ヲ委(くはし)ク語ル。傍(かたはら)ヲ見レバ、実(まこと)ニ御幣(みてぐら)・御供(ごく)ナド糸事々(ことごと)シクテ有リ。其時(とき)ニ、法師ヲバ谷ニ引棄(ひきす)テ、妻ヲバ掻具(かきぐ)シテ家ニ返(かへり)ヌ」(「今昔物語集5・巻第二十六・第二十一・P.85」岩波書店)

説話を読むと、たまたま猟師の夫が現場を押さえたため女性は助かった形になってはいるものの、逆にそうでない話はしばしばあっただろうと思う。中世ならなおさら、とも思う。「狗山(いぬやま)」の場合、獲物を追ってかなり深い山間部へも入り込むため、或る種特別な技術を身に付けることができる。だがそれは貨幣のように何にでも変化可能な《身体》ではない。この説話を見ても若妻の上を通り過ぎる男性は、男性A(夫)から男性B(僧)へ変化する。けれども忽ち男性A(夫)へ返されてくる。貨幣の場合、そうではなく、男性Cへとどんどん変容し続けて行く。深い山岳地帯で特殊な技術を発揮する「狗山(いぬやま)」でさえそうすることはできない。しかし問題は、若妻の置かれた位置が不倫か強制性交かはさておき、現場が「深ク浄(きよ)キ山」とされている点。むしろそうでなくてはならないかのような、あるいはそうであって始めて成立する説話形式を取っている事情にあるだろう。

普段の感覚では説明の付かない事態はいつも、ほとんど人の寄り付かない場所で起こる。この説話では「深ク浄(きよ)キ山」が条件。僧の態度が一変したのもその場において始めてである。そして「狗山(いぬやま)」を生業とする夫が若妻を救うのもまたその場においてであり、もし救う機会があるとすればその場をおいて他にない。ところで、日本のような山岳地帯ばかり多い地域で、このような深山幽谷は少なくなく、逆に大半は山間部が占めていた。だが説明不可能な事態の発生条件《としての》「深ク浄(きよ)キ山」は時として都会の真ん中にも発生する。

熊楠は「人柱の話」の中で、大阪城内に出没する謎の山伏について触れている。元和一年(一六一五年)五月、徳川方の総攻撃によって大阪城は落城。豊臣家の天下だった時には少しもなかった奇妙な珍説が、なぜかちょうど大阪城落城にぴたりと合わせたかのようにこの話は出現している。「甲子夜話」にこうある。

「或人曰。大阪の御城代某候、初て彼地に赴(おもむ)かれしとき、御城中の寝処は、前職より誰も寝ざる所と云伝(いひつたへ)たるを、この候は心剛なる人にて、入城の夜その所にねられしが、夜更(ふけ)て便所にゆかん迚(とて)、手燭をともし障子をあけたれば、大男の山伏平伏して居たり。候驚きもせず、山伏に手燭を持て便所の導(みちびき)せよと云はれたれば、山伏不性げに立て案内して便所に到る。候中に入て良(やや)久しく居て出たるに、山伏猶(なほ)居たるゆゑ、候手水をかけよと云はれたれば、山伏乃(すなはち)水をかけたり。候又手燭を持せて寝処へ還られ、夫より快く臥(ふさ)れし。然るに後三夜の程は同じかりしかど、夫よりは出ずなりしと。総じて世の怪物も大抵その由る所あるものなるが、この怪は何の変化せしにや人その由を知らず。又此候は、本多大和守忠堯と云はれしの奥方、相良氏〔舎候の息女〕、後、栄寿院と称せし夫人の徒弟にてありける。此話もこの相良氏の物語られしを正く伝聞す」(「甲子夜話2・巻二十六・十五・P.160」東洋文庫)

さらに、大阪城内に「開かずの間」があることを知っているかという噂が駆け巡っている。それもまた大阪城落城の際、自害して果てた女性がいたのだが、以来この「開かずの間」に不用意に入った者は必ず死ぬか少なくとも何らかの怪異な事態に遭遇するという内容。「甲子夜話」の著者・松浦静山は大阪城「開かずの間」について両論併記するに留めている。

「大阪の御城内、御城代の居所の中に、明けずの間とて有りとなり。此処大なる廊下の側にあり。ここは五月落城のときより閉したるままにて、今に一度もひらきたることなしと云。因て代々のことなれば、若し戸に損じあれば版を以てこれを補ひ、開かざることとなし置けり。此は落城のとき宮中婦女の生害せし所となり。かかる故か、後尚(なほ)その幽魂のこりて、ここに入る者あれば必ず変殃を為すことあり。又其前なる廊下に臥す者ありても、亦怪異のことに遇ふとなり。観世新九郎の弟宗三郎、かの家伎のことに因て、稲葉丹州御城代たりしとき従ひ往たり。或日丹州の宴席に侍て披酒し、覚へず彼廊下に酔臥せり。明日丹州問(とひて)曰く。昨夜怪(あやしき)ことなきやと。宗三郎、不覚のよしを答ふ。丹州曰。さらばよし。ここは若(もし)臥す者あればかくかくの変あり。汝元来此ことを不知。因て冥霊も免(ゆる)す所あらんと云はれければ、宗三聞て始て怖れ、戦慄居る所をしらずと。又宗三物語(ものがたり)しは、天気快晴せしとき、かの室の戸の透間(すきま)より窺ひ覦(み)てば、其おくに蚊帳と覚しきもの、半ははづし、半は鈎にかかりたるものほのかに見ゆ。又半挿(はんざふ)の如きもの、其余の器物どもの取ちらしたる体に見ゆ。然れども数年久(ひさし)く陰閉の所ゆゑ、ただ其状を察するのみと。何(い)かにも身毛だてる話なり。又聞く。御城代某候、其権威を以てここを開きしこと有しに、忽(たちまち)狂を発しられて止(やみ)たりと。誰にてか有けん。此こと林子に話せば大笑して曰。今の坂城は豊臣氏の旧に非ず。偃武の後に築改(きづきあらため)られぬ。まして厦屋(かをく)の類は勿論皆後の物なり。総て世にかかる造説の実らしきこと多きものなり。其城代たる人も旧事詮索なければ、徒(いたづら)に斉東野人の話を信じて伝ること、気の毒千万なりと云。林氏の説又勿論なり。然ども世には意外の実跡も有り。又暗記の言は的證とも為しがたきなり。故にここに両端を叩て後定を竢(まつ)」(「甲子夜話2・巻二十二・二十八・P.64」東洋文庫)

だが熊楠は大阪城落城に伴う「山伏」出没の件も女性自害に伴う「開かずの間」の件もどちらも取り上げ、こう述べる。

「人柱とちょっと似たことゆえ、書き添えておく」(南方熊楠「人柱の話」『南方民俗学・P.247』河出文庫)

ちなみにヨーロッパに目を転じてみる。或る時期に絶大な権力を振るった王たちが築いた数々の古城。そのすべてとは言わないが、時代が代わって山間部の中にほとんど打ち棄てられ、荒れ果てて放置され古城と化した巨大な城にいつからか「若い美女の影」が出現するのを見たという話が広がりを見せる。逆に言えば、「若い美女の影」の出現が始めて新しい時代への転換を告げるのだ。そして彼らこそ「城の守護神」ではないかと。人柱あるいは殉死。死んで守護神となる説話は日本だけでなく広く世界中で見られる。日本だけを見ても、例えば柳田國男が紹介した「ザシキワラシ」とは一体何だったのか。

「旧家にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。この神は多くは十二、三ばかりの童児なり。折々人に姿を見せることあり土淵村大字飯豊(いいで)の今淵勘十郎(いまぶちかんじゅうろう)という人の家にては、近き頃高等女学校にいる娘の休暇にて帰りてありしが、ある日廊下にてはたとザシキワラシに行き逢い大いに驚きしことあり。これはまさしく男の児なりき。同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり縫物しておりしに、次の間にて紙のがさがさという音あり。この室は家の主人の部屋にて、その時は東京に行き不在なれば、怪しと思いて板戸を開き見るに何の影もなし。暫時(しばらく)の間坐りておればやがてまたしきりに鼻を鳴らす音あり。さては座敷ワラシなりけりと思えり。この家にも座敷ワラシ住めりということ、久しき以前よりの沙汰(さた)なりき。この神の宿りたもう家は富貴自在なりということなり」(柳田國男「遠野物語・十七」『柳田國男全集4・P.22~23』ちくま文庫)

そういう風習は近代日本になってなお地方に行けば残っていた。そして現在、少なくとも日本で人柱の風習は消えた。消えたけれどもそれに代わって年齢性別国籍を問わず、売買春を始めとする「人身売買」が大いに流行しているのはなぜだろうか。

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