前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。
アメリカ留学中の熊楠が森林の中で植物を採集中、急な吹雪に襲われ走って逃げようとしている時。生後一ヶ月足らずほどの迷子の子猫を見つけて拾ったが何度もポケットから落ちて出てくるため、仕方なく通りかかった牧場の中へ放り込んで吹雪に埋もれるところを回避した話は前に引用した。
「小生二十二、三のとき、米国ミシガン州アナバという子市の郊外三、四マイルの深林に採集中、大吹雪となり走り廻るうち、生まれて一月にならぬ子猫が道を失い、雪中を小生に随い走る。小生ちょうど国元の妹の訃に接せし数日後で、仏家の転生のことなど思い、もし妹がこの猫に生まれあったら棄つるに忍びずと、上衣のポケットに入れて走りしも、しばしばそれより出て走る。小さいものゆえ小生に追いつき能わず哀しみ鳴く。歩を停めて拾い上ぐ。幾度も幾度もポケットに入れしも、やがてまた落ち出る。漢の高祖が敗走するに、その子恵帝と魯元公王とが足手まといになるとて、何度も何度もつき落とせしことを思い出し、終(つい)にその子猫をつかんで、ある牧場の垣の内へ数丈投げ込み、絶念して一生懸命に走り吹雪に埋もるを免れたり。その猫やがて雪中に埋もれ死せしことと今も惆恨致し候」(南方熊楠「女の後庭犯すこと、トルコ風呂、アナバの猫、その他」『浄のセクソロジー・P.496~497』河出文庫)
その時の悔恨を忘れられない熊楠は帰国後、熊野でずっと猫を飼って身近に置いたことは有名だ。さらに猫にまつわる説話に、十年以上も生きた猫は次第に人間の言語を習得することができるというものがある。これもまた以前に引用しつつ次のように述べた。
或る寺の和尚が、鳩を捕らえそこねた猫が「残念なり」というのを聞いて説明できるかと問う。猫はいう。
「猫の物をいう事、我らに限らず。十年余も生き候えばすべて物は申すものにて、それより十四、五年も過ぎ候えば神変を得候事なり」(根岸鎮衛「猫物をいう事」『耳袋1・巻の四・P.322』平凡社ライブラリー)
しかしこの寺を徘徊する猫はまだ十年も生きていない。なのにどうして物をいうことができるのかと和尚は重ねて問うた。猫は何でもない様子で答える。
「狐と交わりて生れし猫は、その年功なくとも物いう事なり」(根岸鎮衛「猫物をいう事」『耳袋1・巻の四・P.322』平凡社ライブラリー)
狐との混種なので十年に満たなくても物をいえるようになるとのこと。とても珍しい話に感心した様子の和尚はその猫にしばらくはここに居てもよいという。
「しからば今日物いいしをほかに聞ける者なし。われ暫くも飼い置きたるうえに何か苦しからん、これまでの通りまかりあるべし」(根岸鎮衛「猫物をいう事」『耳袋1・巻の四・P.322』平凡社ライブラリー)
許しを受けたにもかかわらずやがて猫は寺を出ていき、そのまま行方知れずになった。と、ここまで述べてきて、蛇、猫、狐、と共通して列挙することができるだろうと思う。すべて農耕文化の守護神として活躍する動物たちであるという点。さらに油成分の摂取という事情は現代の科学で明らかにされているように、古代・中世・近世の間、猫たちの餌は一貫して油成分の不足に悩まされていたと言われる。だから昔話に出てくる猫も狐も蛇も、しばしば油をなめる化け物の一種として考えられていたようだ。せっかく人間の米倉を守ってやっているのだから同等の価値を持っていてなおかつ身体にとって栄養となる食物に惹かれるのは自然生態系の維持にとって重要ではないかと。頭で考えているわけではなく、ニーチェのいうように人間のみならず、特に動物は、身体全体で考えているわけである。身体がそれを欲するのだ。
「より驚嘆すべきものはむしろ《身体》である。いくら感嘆しても感嘆しきれないのは、いかにして人間の《身体》が可能になったか、ということである。すなわち、〔身体を構成する〕各生命体は、依存し従属しながらも、しかも他方では、或る意味で命令し、そして自分の意志に基づいて行為しながら、そこに、これらかずかずの生命体のこのような巨大な統合〔としての身体〕が、全体として生き、成長し、そして或る期間存続することがいかにして可能であるのか、ということであるーーー、そして、これは明らかに意識によって起こるのでは《ない》!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・三四三・P.192」ちくま学芸文庫)
さて。昨日のことだが二月二十二日は「猫の日」でもあるらしい。いつからそうなったのか知らないが、言語の重層的使用・語呂合わせは日本語を用いる人々の得意分野とされる。例えば次の和歌。
「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」(「古今和歌集・巻第二・一一三・小野小町・P.45」岩波文庫)
歌の中に「ながめ」とある。
(1)眺め=見渡す
(2)長雨(ながあめ)
(3)眺め=物思いにふける
というふうに一言で意味が三重化されている。さらに言えば、「詠(なが)め」だけで既に「歌をつくる・吟じる」ことが含まれる。要するに言語は《貨幣のように》様々に変化する。言い換えれば、価値=意味を次々と置き換えていくことができる。ゆえに、二月二十二日は「猫の日」に《なる》ことができた。だからといってその逆に、猫自身の側は二月二十二日に《なる》ことはできない。二月二十二日に《なる》のは猫自身ではなくその「鳴き声」(=音声言語)だからだ。そしてまた音声言語は空気の振動の複合体であり、従ってそれは物質的なものである限りで始めて可能になる。
ところで、「踊る猫」のエピソードに触れておこう。一つは「手招きながら飛び跳ねる猫」、次に「二本の後足で立ち上がって踊る猫」を目撃したという話。この話が採集された「角筈(つのはず)村」は今の東京都新宿区新宿駅一帯の旧地名。江戸時代。第一は今の千葉県佐倉市でのエピソード。
「先年角筈(つのはず)村に住給へる伯母夫人に仕(つかゆ)る医、高木伯仙と云(いへ)るが話(はなせ)しは、我生国は下総(しもふさ)の佐倉にて、亡父或夜睡後に枕頭に音あり。寤(さめ)て見るに、久く畜(か)ひし猫の、首に手巾を被りて立(たち)、手をあげて招(まねく)が如く、そのさま小児の跳舞(とびまふ)が如し。父即枕刀を取て斬んとす。猫駭走(おどろきはしり)て行所を知らず。それより家に帰らずと。然(しかれ)ば世に猫の踊(をどり)と謂(いふ)こと妄言にあらず」(「甲子夜話1・巻二・三十四・P.36」東洋文庫)
次は角筈(つのはず)村に住んでいた女性の飼い猫が、夜になるとしばしば踊り出したらしいとの内容。
「猫のをどりのこと前に云へり。又聞く、光照夫人の〔予が伯母、稲垣候の奥方〕角筈(つのはず)村に住玉ひしとき仕(つかへ)し婦の今は鳥越邸に仕ふるが語(かたり)しは、夫人の飼(かひ)給ひし黒毛の老猫、或夜かの婦の枕頭に於てをどるまま、衾引かつぎて臥(ふし)たるに、後足にて立(たち)てをどる足音よく聞へしとなり。又この猫、常に障子のたぐひは自ら能(よく)開きぬ。是諸人の所知なれども、如何にして開きしと云(いふ)こと知(しる)ものなしと也」(「甲子夜話1・巻七・二十四・P.127」東洋文庫)
いずれの場合も飼い主のもとで長く飼われた老猫という共通点がある。先に上げた「耳袋」所収「猫物をいう事」とよく似ている。もしかすると人間社会とはまるで価値観の異なる世界が同時に重なり合って実在していることを知っているのかも知れないし知らないかも知れない。これまでそうだったようにこれからも常に謎めいた身近な存在であることに変わりはないだろうけれど。
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アメリカ留学中の熊楠が森林の中で植物を採集中、急な吹雪に襲われ走って逃げようとしている時。生後一ヶ月足らずほどの迷子の子猫を見つけて拾ったが何度もポケットから落ちて出てくるため、仕方なく通りかかった牧場の中へ放り込んで吹雪に埋もれるところを回避した話は前に引用した。
「小生二十二、三のとき、米国ミシガン州アナバという子市の郊外三、四マイルの深林に採集中、大吹雪となり走り廻るうち、生まれて一月にならぬ子猫が道を失い、雪中を小生に随い走る。小生ちょうど国元の妹の訃に接せし数日後で、仏家の転生のことなど思い、もし妹がこの猫に生まれあったら棄つるに忍びずと、上衣のポケットに入れて走りしも、しばしばそれより出て走る。小さいものゆえ小生に追いつき能わず哀しみ鳴く。歩を停めて拾い上ぐ。幾度も幾度もポケットに入れしも、やがてまた落ち出る。漢の高祖が敗走するに、その子恵帝と魯元公王とが足手まといになるとて、何度も何度もつき落とせしことを思い出し、終(つい)にその子猫をつかんで、ある牧場の垣の内へ数丈投げ込み、絶念して一生懸命に走り吹雪に埋もるを免れたり。その猫やがて雪中に埋もれ死せしことと今も惆恨致し候」(南方熊楠「女の後庭犯すこと、トルコ風呂、アナバの猫、その他」『浄のセクソロジー・P.496~497』河出文庫)
その時の悔恨を忘れられない熊楠は帰国後、熊野でずっと猫を飼って身近に置いたことは有名だ。さらに猫にまつわる説話に、十年以上も生きた猫は次第に人間の言語を習得することができるというものがある。これもまた以前に引用しつつ次のように述べた。
或る寺の和尚が、鳩を捕らえそこねた猫が「残念なり」というのを聞いて説明できるかと問う。猫はいう。
「猫の物をいう事、我らに限らず。十年余も生き候えばすべて物は申すものにて、それより十四、五年も過ぎ候えば神変を得候事なり」(根岸鎮衛「猫物をいう事」『耳袋1・巻の四・P.322』平凡社ライブラリー)
しかしこの寺を徘徊する猫はまだ十年も生きていない。なのにどうして物をいうことができるのかと和尚は重ねて問うた。猫は何でもない様子で答える。
「狐と交わりて生れし猫は、その年功なくとも物いう事なり」(根岸鎮衛「猫物をいう事」『耳袋1・巻の四・P.322』平凡社ライブラリー)
狐との混種なので十年に満たなくても物をいえるようになるとのこと。とても珍しい話に感心した様子の和尚はその猫にしばらくはここに居てもよいという。
「しからば今日物いいしをほかに聞ける者なし。われ暫くも飼い置きたるうえに何か苦しからん、これまでの通りまかりあるべし」(根岸鎮衛「猫物をいう事」『耳袋1・巻の四・P.322』平凡社ライブラリー)
許しを受けたにもかかわらずやがて猫は寺を出ていき、そのまま行方知れずになった。と、ここまで述べてきて、蛇、猫、狐、と共通して列挙することができるだろうと思う。すべて農耕文化の守護神として活躍する動物たちであるという点。さらに油成分の摂取という事情は現代の科学で明らかにされているように、古代・中世・近世の間、猫たちの餌は一貫して油成分の不足に悩まされていたと言われる。だから昔話に出てくる猫も狐も蛇も、しばしば油をなめる化け物の一種として考えられていたようだ。せっかく人間の米倉を守ってやっているのだから同等の価値を持っていてなおかつ身体にとって栄養となる食物に惹かれるのは自然生態系の維持にとって重要ではないかと。頭で考えているわけではなく、ニーチェのいうように人間のみならず、特に動物は、身体全体で考えているわけである。身体がそれを欲するのだ。
「より驚嘆すべきものはむしろ《身体》である。いくら感嘆しても感嘆しきれないのは、いかにして人間の《身体》が可能になったか、ということである。すなわち、〔身体を構成する〕各生命体は、依存し従属しながらも、しかも他方では、或る意味で命令し、そして自分の意志に基づいて行為しながら、そこに、これらかずかずの生命体のこのような巨大な統合〔としての身体〕が、全体として生き、成長し、そして或る期間存続することがいかにして可能であるのか、ということであるーーー、そして、これは明らかに意識によって起こるのでは《ない》!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・三四三・P.192」ちくま学芸文庫)
さて。昨日のことだが二月二十二日は「猫の日」でもあるらしい。いつからそうなったのか知らないが、言語の重層的使用・語呂合わせは日本語を用いる人々の得意分野とされる。例えば次の和歌。
「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」(「古今和歌集・巻第二・一一三・小野小町・P.45」岩波文庫)
歌の中に「ながめ」とある。
(1)眺め=見渡す
(2)長雨(ながあめ)
(3)眺め=物思いにふける
というふうに一言で意味が三重化されている。さらに言えば、「詠(なが)め」だけで既に「歌をつくる・吟じる」ことが含まれる。要するに言語は《貨幣のように》様々に変化する。言い換えれば、価値=意味を次々と置き換えていくことができる。ゆえに、二月二十二日は「猫の日」に《なる》ことができた。だからといってその逆に、猫自身の側は二月二十二日に《なる》ことはできない。二月二十二日に《なる》のは猫自身ではなくその「鳴き声」(=音声言語)だからだ。そしてまた音声言語は空気の振動の複合体であり、従ってそれは物質的なものである限りで始めて可能になる。
ところで、「踊る猫」のエピソードに触れておこう。一つは「手招きながら飛び跳ねる猫」、次に「二本の後足で立ち上がって踊る猫」を目撃したという話。この話が採集された「角筈(つのはず)村」は今の東京都新宿区新宿駅一帯の旧地名。江戸時代。第一は今の千葉県佐倉市でのエピソード。
「先年角筈(つのはず)村に住給へる伯母夫人に仕(つかゆ)る医、高木伯仙と云(いへ)るが話(はなせ)しは、我生国は下総(しもふさ)の佐倉にて、亡父或夜睡後に枕頭に音あり。寤(さめ)て見るに、久く畜(か)ひし猫の、首に手巾を被りて立(たち)、手をあげて招(まねく)が如く、そのさま小児の跳舞(とびまふ)が如し。父即枕刀を取て斬んとす。猫駭走(おどろきはしり)て行所を知らず。それより家に帰らずと。然(しかれ)ば世に猫の踊(をどり)と謂(いふ)こと妄言にあらず」(「甲子夜話1・巻二・三十四・P.36」東洋文庫)
次は角筈(つのはず)村に住んでいた女性の飼い猫が、夜になるとしばしば踊り出したらしいとの内容。
「猫のをどりのこと前に云へり。又聞く、光照夫人の〔予が伯母、稲垣候の奥方〕角筈(つのはず)村に住玉ひしとき仕(つかへ)し婦の今は鳥越邸に仕ふるが語(かたり)しは、夫人の飼(かひ)給ひし黒毛の老猫、或夜かの婦の枕頭に於てをどるまま、衾引かつぎて臥(ふし)たるに、後足にて立(たち)てをどる足音よく聞へしとなり。又この猫、常に障子のたぐひは自ら能(よく)開きぬ。是諸人の所知なれども、如何にして開きしと云(いふ)こと知(しる)ものなしと也」(「甲子夜話1・巻七・二十四・P.127」東洋文庫)
いずれの場合も飼い主のもとで長く飼われた老猫という共通点がある。先に上げた「耳袋」所収「猫物をいう事」とよく似ている。もしかすると人間社会とはまるで価値観の異なる世界が同時に重なり合って実在していることを知っているのかも知れないし知らないかも知れない。これまでそうだったようにこれからも常に謎めいた身近な存在であることに変わりはないだろうけれど。
BGM1
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