前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。
或る時、九州の海浜でのこと。隣同士だが別々の家に仕えている使用人の女性が二人、いつものように浜辺の磯で貝や海藻類を拾いに出ていた。二人のうち一方の女性は二歳くらいの幼児を平らな石の上に載せ、やや年長の子を子守りに付けて置いていた。山間部が海岸のすぐそばまで張り出している箇所で、女性らが作業していると、いつの間にか一匹の猿が山から降りて獲物を探しに近くまで来ているのに気づいた。魚でも捕まえるつもりかと思い少し近づいて見物することにした。と、その猿は知ってか知らずか、浜辺で大きく口を開けてじっと獲物を待ち構えている大型の貝を見つけたようで生身(なまみ)を喰うつもりだろう、その貝の口の中に手を突っ込んだ。途端に貝は大きな口をぱくりと閉じて猿の手を挟み込んでしまった。猿が手を抜こうとしてもびくともしない。猿は慌てた様子で懸命に手を引き抜こうとしている。そのうち浜辺にはちょうど潮が満ちてきた。巨大な貝は猿の手をびしりと閉じ込めたまま浜辺の砂の中へぐいぐいもぐり込んでいく。
「此ノ猿ノ、取テ食(く)ハムトテ、手ヲ差入(さしい)レタリケルニ、貝ノ覆(おほひ)テケレバ、猿ノ、手ヲ咋(くは)ヘタレテ否不引出(えひきいだ)サデ、塩(しほ)ハ只満(みち)ニ満来(みちく)ルニ、貝ハ底様(そこざま)ニ堀入(ほりい)ル」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.374」岩波書店)
一人の女性はいう。今のうちに石で猿を打ち付けて仕止め、獲物にして持って帰ろう。すると子どもらも一緒に連れて来たもう一人の女性が反論した。いや、可哀想だよ。そういうと相手の女性から石を奪って捨ててしまった。猿を獲物にしようとした女性はもったいないなあと言うが、子連れの女性は頑なに助けてやろうと主張し、巨大な貝の口へ木の枝を差し込んでこじ開けてみると少しばかり貝の口が緩んだ。すると猿はなんとか手を引っ張り抜くことができた。
「此ノ女、強(あながち)ニ乞請(こひうけ)テ、木ヲ以テ貝ノ口ヲ差入(さしい)レテ剥(こじ)ケレバ、少シ恌(くつろぎ)タレバ、猿ノ手ハ引出デツ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.375」岩波書店)
猿は女性らから少し離れると何だかうれしそうな顔を向けて見せた。女性はいう。そこの猿、今にも石で打ち殺されそうなところを助けてやったんだから、獣の身とはいっても人の温情というものを覚えておきなよ。そう聞くと猿は山の側へ走っていき、助けてくれた女性が連れてきていた二歳ばかりの幼児を手で掻き抱き上げて山の中へ逃げ込んだ。女性は慌てた。あれれ、あたしの子どもに何をするのか、恩知らずな奴!
「彼(あ)ノ猿ノ我ガ子ヲ取テ行クハ、物思ヒ不知(しら)ザリケル奴(やつ)カナ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.375」岩波書店)
もう一人の女性はいった。そら、こんなことだと思った。あなたも思い知ったろう。獣ってのはそういうもんさ。打ち取っていたらいい儲けものだったし、あなたの子どもが連れ去られることもなかったろうに。それにしても憎たらしい猿だね。
「然(さ)テ懲(こり)ヨ、和御許(わおもと)。面(おもて)ニ毛有ル物ハ、物ノ恩知ル者カハ。打殺(うちころし)タラマシカバ、我レ所得(しよとく)シタル者ノ、和御許ノ子ハ不被取(とられ)ザラマシ。然(さ)テモ妬(ねた)キ奴カナ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.375」岩波書店)
とはいえ二人とも無駄に言い争ってはいられない。女性らは駆け足で猿の後を追った。猿は駆け足で逃げる。そしてこちらを振り返る。女性らが疲れて速度を落とすと猿も速度を落としてまたこちらを振り返る。猿に馬鹿にされているかのようだ。百メートルばかり走るともう山の中へ入り込んでしまった。女性はいう。何て嫌味な猿なのか。あいつの命を助けてやったというのに、まあ、人並みに感謝しろというのがそもそも無理だとしても、あたしの可愛い子を取って喰おうなんて。命が助かったんだからせめて子をこちらの手に渡しておくれよ。
人間の言葉の意味が伝わるのかどうかさっぱりだが、猿は子どもを抱えたままさらに山奥へ入っていき、大木の高いところへどんどん登ってしまった。母親が見上げると猿は大木の梢に留まっている。もう一人の女性はあなたの旦那さんを呼んで来るといって急いで家へ取って返した。母親は高い木の上を見上げることしか出来ず、もう泣き出してしまった。すると猿は子どもを脇に抱えたまま木の枝を引っ張りたわめ始めた。ゆらゆらと木の枝が揺れる。子どもは怯えてわあわあと大きな泣き声を上げた。泣き止むと猿はまた木の枝を引っ張ってたわめて揺すり幼児を怯えさせ泣かせる。しばらくすると子どもの泣き声を聞きつけた鷲がひゅうと飛び来たった。
「猿、木ノ枝ノ大キナルヲ引撓(ひきたわめ)テ持テ、子ヲバ脇ニ挟(はさみ)テ子ヲ動(はたら)カセバ、子、音(こゑ)ヲ高クシテ泣ク。泣止(なきやむ)レバ亦(また)泣カセ為(す)ル程ニ、鷲、其ノ音(こゑ)ヲ聞テ取ラムト思テ、疾(と)ク飛テ来(きた)ル也ケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.376」岩波書店)
木の下でその影を見た母親は気が気でない。もし猿に喰われずに済んだとしてもあんな鷲が来たからには今度こそ必ずあの鷲に持って行かれてしまうに違いないと。母親が泣いて見ているうちに鷲は大空を疾駆するがごとく猿のいる木の枝に向かって飛びかかってきた。すると猿は鷲を十分に引き寄せたところで、さらにたわめて曲げておいた木の枝をぱっと放して鷲の頭にぶち当てた。鷲は脳天に不意打ちを喰らって逆さまに落ちてしまった。すると猿はまたわざと子どもを泣かせてその大きな声で別の鷲を呼び寄せるや再びたわめて曲げた木の枝をぱっと放して鷲の頭に喰らわせ打ち落とす。
「猿、此ノ引撓(ひきたわめ)タル枝ヲ今少シ引撓テ、鷲ノ飛テ来(きた)ルニ合セテ放(はなち)タレバ、鷲ノ頭(かしら)に当(あたり)テ、逆様(さかさま)ニ打落(うちおと)シツ。其ノ後、猿、尚(なほ)其ノ枝ヲ引撓テ、子ヲ泣(なか)セケレバ、亦鷲ノ飛来(とびき)タルヲ、前(さき)ノ如クシテ打落シツ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.376」岩波書店)
泣きながら見上げていた母親は気づいた。何とあの猿は子どもを取って去ろうとしたわけではないんだ。助けてやったお返しをしようと鷲を打ち落としてくれている。
「早(はや)ウ、此ノ猿ハ、子ヲ取ラムトニハ非(あら)ザリケリ。我レニ恩ヲ酬(むくい)ムトテ、鷲ヲ打殺シテ、我レニ得サセムト為(す)ル也ケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.377」岩波書店)
猿は都合「鷲五ツ」を打ち落とした後、別の離れた木を伝い降りてその木の根元に子どもをそっと置くと再び木の上に登り体を指で掻いて何か合図しているかのようだ。母親は泣く泣く子どもに駆け寄って乳を飲ませてやった。そこへ息を切らしながらやっと夫が駆けつけてきた。それを見た猿は木から木へと伝ってどこかへ行ってしまった。
「其ノ後、猿、他(ほか)ノ木ヨリ下(おり)テ、子ヲ木ノ本(もと)ニ和(やは)ラ居(すゑ)テ、木ニ走るリ登て身打掻(うちかき)テ居(ゐ)ケレバ、母、泣々(なくな)ク喜(よろこび)テ子ヲ抱(いだき)テ乳(ち)飲(のま)セケル程ニゾ、子ノ父ノ男、走リ喘(す)タキテ来タリケレバ、猿ハ、木ニ伝ヒテ失(うせ)ニケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.377」岩波書店)
ところで猿が打ち落とした鷲は都合「五ツ」。その羽と尾とを切り取るとかなりの貴重品として売ることができる。夫はさっそくいい売り物ができたと鷲の尾と羽とを切り離して土産にした。武士の武具には欠かせない矢の羽根として用いられるからだ。それはそれとして一時は子どもを持ち去られようとした女性の心情はたまったものではなかった。
「然(さ)テ、夫、其ノ鷲五ツガ羽(は)・尾(を)ヲ切取(きりとり)テ、母ハ子ヲ抱テ家ニ返ニケリ。然(さ)テ、其ノ鷲ノ尾・羽ヲ売(うり)ツツゾ仕(つかひ)ケル。恩報(ほう)ズト云乍(いひなが)ラ、女ガ心何(い)カニ侘(わび)シカリケム」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.377」岩波書店)
報恩譚として考えられる。だが人間同士の場合とは明らかに異なる点がある。人間社会ではニーチェのいう通り。
「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫)
だが動物は恩義を感じたとしても人間と同じように恩返しするわけではない。与えた側と与られた側とに成立する債権者/債務者関係は著しく均衡を欠いている。
「動物はもと人間から、何らの行為を寄せられなかった場合にも、はやり往々にして昔話の主人公を援助している。栗福米福の継子が、継母に命ぜられた大きな仕事に困って泣いていると、沢山の雀が来て嘴で稗の皮を剥いてっくれる。西洋にはそれを実母の亡霊の所為の様にいうものもあるが、日本ではただ雀等が感動して助けに来るというのが多い。瓜子姫が柿の木の梢に縛られて居るのを、教えてくれたという鳥類は色々あったが、これもその時まで主人公と、何かの関係があったとも説かれて居らぬのである。それから同じ報恩という中にも、命を助けて貰ったなどはどんな礼をしてもよいが、たった一つの握飯を分けてやって、鼠の浄土へ招かれて金銀を貰ったり、あるいは蟹寺の如く無数の集まって大蛇と闘ったり、取ると与えるとの釣合いは少しもとれていない。これなどは禽獣蟲魚に対する我々の考え方がかわって、斯様に解釈することが比較的もっともらしくなったからで、こうしてまでも人が非類の物から、大きな援助を受けることがあるものだということを、永く記憶していたのは昔話の賜と言ってよい。人と動物とが対等な交際をした時代があったことを、伝えている歴史というものは昔話の他には無いのである」(柳田國男「口承文藝史考・昔話と傅説と神話・七十八」『柳田國男集・第六巻・P.119』筑摩書房)
柳田がいうように人間が動物を助けてやった場合、動物から与え返される報恩を見ると、「取ると与えるとの釣合いは少しもとれていない」。動物は債権/債務関係について人間のような均衡性を知らない。言い換えれば、人間社会の常識的均衡を破る。生態系の均衡は人間の目に映るものとはそもそも違っている。循環はただ単なるエコロジーとかエコノミーとかの用語で測り切れるものではそもそもない。その意味でこの「猿の恩返し」は、人間社会の営みを著しく逸脱した過剰性を全方向的に向けて投げ込むことで人間社会が作り上げた社会的均衡性をばらばらに引き裂き千切るアナーキーとして出現する。このように「引き裂き千切る」という場合の「千切る」に現わされているアナーキー性は、熊楠が「千人切りの話」で例として述べているように「無限・無数」を示唆する。
「田代如風(たしろじよふう)は千人切りして、津の国の大寺に石塔を立てて供養(くやう)をなしぬ。我又衆道にもとづき二十七年、その色をかへ品を好き、心覚えに書き留めしに、既に千人に及べり。これを思ふに、義理をつめ意気づくなるはわづかなり。皆勤め子のいやながら身をまかせ独り独りの所存の程もむごし。せめては若道供養のためと思ひ立ち、延紙(のべがみ)にて若衆千体張貫(はりぬき)にこしらへ、嵯峨(さが)の遊び寺にをさめ置きぬ。これ男好開山(なんかうかいさん)の御作(ごさく)なり。末の世にはこの道ひろまりて開帳あるべき物ぞかし」(日本古典文学全集「男色大鑑・巻八・三・執念は箱入りの男」『井原西鶴集2・P.580』小学館)
さらに。
「血書(ちかき)は、千枚(まい)かさね、土中(どちう)に突込(つきこ)み、誓紙塚(せいしつか)と名付(なつ)け、田代(たしろ)孫右衛門と、同じ供養(くやう)をする」(井原西鶴「諸艶大鑑〔好色二代男〕・卷八・五・大往生は女色の臺・P.305」岩波文庫)
そこには例えば李白が「飛流直下三千尺」というに等しい、留保なき風流がある。
「日照香爐生紫煙 遙看瀑布挂長川 飛流直下三千尺 疑是銀河落九天
(書き下し)日(ひ)は香炉(こうろ)を照(て)らして紫煙(しえん)を生ず
遥(はる)かに看(み)る瀑布(ばくふ)の長川(ちょうせん)を挂(か)くるを 飛流(ひりゅう)直下(ちょっか)三千尺(さんぜんじゃく) 疑(うたが)うらくは是(こ)れ銀河(ぎんが)の九天(きゅうてん)より落(お)つるかと」(「望廬山瀑布」『李白詩選・第二章・P.84』岩波文庫)
としてもなお「久米仙(くめせん)」とて落ちる時は落ちる。するとたちまち他の者すべてが上昇した《かのように》見える。
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或る時、九州の海浜でのこと。隣同士だが別々の家に仕えている使用人の女性が二人、いつものように浜辺の磯で貝や海藻類を拾いに出ていた。二人のうち一方の女性は二歳くらいの幼児を平らな石の上に載せ、やや年長の子を子守りに付けて置いていた。山間部が海岸のすぐそばまで張り出している箇所で、女性らが作業していると、いつの間にか一匹の猿が山から降りて獲物を探しに近くまで来ているのに気づいた。魚でも捕まえるつもりかと思い少し近づいて見物することにした。と、その猿は知ってか知らずか、浜辺で大きく口を開けてじっと獲物を待ち構えている大型の貝を見つけたようで生身(なまみ)を喰うつもりだろう、その貝の口の中に手を突っ込んだ。途端に貝は大きな口をぱくりと閉じて猿の手を挟み込んでしまった。猿が手を抜こうとしてもびくともしない。猿は慌てた様子で懸命に手を引き抜こうとしている。そのうち浜辺にはちょうど潮が満ちてきた。巨大な貝は猿の手をびしりと閉じ込めたまま浜辺の砂の中へぐいぐいもぐり込んでいく。
「此ノ猿ノ、取テ食(く)ハムトテ、手ヲ差入(さしい)レタリケルニ、貝ノ覆(おほひ)テケレバ、猿ノ、手ヲ咋(くは)ヘタレテ否不引出(えひきいだ)サデ、塩(しほ)ハ只満(みち)ニ満来(みちく)ルニ、貝ハ底様(そこざま)ニ堀入(ほりい)ル」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.374」岩波書店)
一人の女性はいう。今のうちに石で猿を打ち付けて仕止め、獲物にして持って帰ろう。すると子どもらも一緒に連れて来たもう一人の女性が反論した。いや、可哀想だよ。そういうと相手の女性から石を奪って捨ててしまった。猿を獲物にしようとした女性はもったいないなあと言うが、子連れの女性は頑なに助けてやろうと主張し、巨大な貝の口へ木の枝を差し込んでこじ開けてみると少しばかり貝の口が緩んだ。すると猿はなんとか手を引っ張り抜くことができた。
「此ノ女、強(あながち)ニ乞請(こひうけ)テ、木ヲ以テ貝ノ口ヲ差入(さしい)レテ剥(こじ)ケレバ、少シ恌(くつろぎ)タレバ、猿ノ手ハ引出デツ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.375」岩波書店)
猿は女性らから少し離れると何だかうれしそうな顔を向けて見せた。女性はいう。そこの猿、今にも石で打ち殺されそうなところを助けてやったんだから、獣の身とはいっても人の温情というものを覚えておきなよ。そう聞くと猿は山の側へ走っていき、助けてくれた女性が連れてきていた二歳ばかりの幼児を手で掻き抱き上げて山の中へ逃げ込んだ。女性は慌てた。あれれ、あたしの子どもに何をするのか、恩知らずな奴!
「彼(あ)ノ猿ノ我ガ子ヲ取テ行クハ、物思ヒ不知(しら)ザリケル奴(やつ)カナ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.375」岩波書店)
もう一人の女性はいった。そら、こんなことだと思った。あなたも思い知ったろう。獣ってのはそういうもんさ。打ち取っていたらいい儲けものだったし、あなたの子どもが連れ去られることもなかったろうに。それにしても憎たらしい猿だね。
「然(さ)テ懲(こり)ヨ、和御許(わおもと)。面(おもて)ニ毛有ル物ハ、物ノ恩知ル者カハ。打殺(うちころし)タラマシカバ、我レ所得(しよとく)シタル者ノ、和御許ノ子ハ不被取(とられ)ザラマシ。然(さ)テモ妬(ねた)キ奴カナ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.375」岩波書店)
とはいえ二人とも無駄に言い争ってはいられない。女性らは駆け足で猿の後を追った。猿は駆け足で逃げる。そしてこちらを振り返る。女性らが疲れて速度を落とすと猿も速度を落としてまたこちらを振り返る。猿に馬鹿にされているかのようだ。百メートルばかり走るともう山の中へ入り込んでしまった。女性はいう。何て嫌味な猿なのか。あいつの命を助けてやったというのに、まあ、人並みに感謝しろというのがそもそも無理だとしても、あたしの可愛い子を取って喰おうなんて。命が助かったんだからせめて子をこちらの手に渡しておくれよ。
人間の言葉の意味が伝わるのかどうかさっぱりだが、猿は子どもを抱えたままさらに山奥へ入っていき、大木の高いところへどんどん登ってしまった。母親が見上げると猿は大木の梢に留まっている。もう一人の女性はあなたの旦那さんを呼んで来るといって急いで家へ取って返した。母親は高い木の上を見上げることしか出来ず、もう泣き出してしまった。すると猿は子どもを脇に抱えたまま木の枝を引っ張りたわめ始めた。ゆらゆらと木の枝が揺れる。子どもは怯えてわあわあと大きな泣き声を上げた。泣き止むと猿はまた木の枝を引っ張ってたわめて揺すり幼児を怯えさせ泣かせる。しばらくすると子どもの泣き声を聞きつけた鷲がひゅうと飛び来たった。
「猿、木ノ枝ノ大キナルヲ引撓(ひきたわめ)テ持テ、子ヲバ脇ニ挟(はさみ)テ子ヲ動(はたら)カセバ、子、音(こゑ)ヲ高クシテ泣ク。泣止(なきやむ)レバ亦(また)泣カセ為(す)ル程ニ、鷲、其ノ音(こゑ)ヲ聞テ取ラムト思テ、疾(と)ク飛テ来(きた)ル也ケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.376」岩波書店)
木の下でその影を見た母親は気が気でない。もし猿に喰われずに済んだとしてもあんな鷲が来たからには今度こそ必ずあの鷲に持って行かれてしまうに違いないと。母親が泣いて見ているうちに鷲は大空を疾駆するがごとく猿のいる木の枝に向かって飛びかかってきた。すると猿は鷲を十分に引き寄せたところで、さらにたわめて曲げておいた木の枝をぱっと放して鷲の頭にぶち当てた。鷲は脳天に不意打ちを喰らって逆さまに落ちてしまった。すると猿はまたわざと子どもを泣かせてその大きな声で別の鷲を呼び寄せるや再びたわめて曲げた木の枝をぱっと放して鷲の頭に喰らわせ打ち落とす。
「猿、此ノ引撓(ひきたわめ)タル枝ヲ今少シ引撓テ、鷲ノ飛テ来(きた)ルニ合セテ放(はなち)タレバ、鷲ノ頭(かしら)に当(あたり)テ、逆様(さかさま)ニ打落(うちおと)シツ。其ノ後、猿、尚(なほ)其ノ枝ヲ引撓テ、子ヲ泣(なか)セケレバ、亦鷲ノ飛来(とびき)タルヲ、前(さき)ノ如クシテ打落シツ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.376」岩波書店)
泣きながら見上げていた母親は気づいた。何とあの猿は子どもを取って去ろうとしたわけではないんだ。助けてやったお返しをしようと鷲を打ち落としてくれている。
「早(はや)ウ、此ノ猿ハ、子ヲ取ラムトニハ非(あら)ザリケリ。我レニ恩ヲ酬(むくい)ムトテ、鷲ヲ打殺シテ、我レニ得サセムト為(す)ル也ケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.377」岩波書店)
猿は都合「鷲五ツ」を打ち落とした後、別の離れた木を伝い降りてその木の根元に子どもをそっと置くと再び木の上に登り体を指で掻いて何か合図しているかのようだ。母親は泣く泣く子どもに駆け寄って乳を飲ませてやった。そこへ息を切らしながらやっと夫が駆けつけてきた。それを見た猿は木から木へと伝ってどこかへ行ってしまった。
「其ノ後、猿、他(ほか)ノ木ヨリ下(おり)テ、子ヲ木ノ本(もと)ニ和(やは)ラ居(すゑ)テ、木ニ走るリ登て身打掻(うちかき)テ居(ゐ)ケレバ、母、泣々(なくな)ク喜(よろこび)テ子ヲ抱(いだき)テ乳(ち)飲(のま)セケル程ニゾ、子ノ父ノ男、走リ喘(す)タキテ来タリケレバ、猿ハ、木ニ伝ヒテ失(うせ)ニケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.377」岩波書店)
ところで猿が打ち落とした鷲は都合「五ツ」。その羽と尾とを切り取るとかなりの貴重品として売ることができる。夫はさっそくいい売り物ができたと鷲の尾と羽とを切り離して土産にした。武士の武具には欠かせない矢の羽根として用いられるからだ。それはそれとして一時は子どもを持ち去られようとした女性の心情はたまったものではなかった。
「然(さ)テ、夫、其ノ鷲五ツガ羽(は)・尾(を)ヲ切取(きりとり)テ、母ハ子ヲ抱テ家ニ返ニケリ。然(さ)テ、其ノ鷲ノ尾・羽ヲ売(うり)ツツゾ仕(つかひ)ケル。恩報(ほう)ズト云乍(いひなが)ラ、女ガ心何(い)カニ侘(わび)シカリケム」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十九・第三十五・P.377」岩波書店)
報恩譚として考えられる。だが人間同士の場合とは明らかに異なる点がある。人間社会ではニーチェのいう通り。
「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫)
だが動物は恩義を感じたとしても人間と同じように恩返しするわけではない。与えた側と与られた側とに成立する債権者/債務者関係は著しく均衡を欠いている。
「動物はもと人間から、何らの行為を寄せられなかった場合にも、はやり往々にして昔話の主人公を援助している。栗福米福の継子が、継母に命ぜられた大きな仕事に困って泣いていると、沢山の雀が来て嘴で稗の皮を剥いてっくれる。西洋にはそれを実母の亡霊の所為の様にいうものもあるが、日本ではただ雀等が感動して助けに来るというのが多い。瓜子姫が柿の木の梢に縛られて居るのを、教えてくれたという鳥類は色々あったが、これもその時まで主人公と、何かの関係があったとも説かれて居らぬのである。それから同じ報恩という中にも、命を助けて貰ったなどはどんな礼をしてもよいが、たった一つの握飯を分けてやって、鼠の浄土へ招かれて金銀を貰ったり、あるいは蟹寺の如く無数の集まって大蛇と闘ったり、取ると与えるとの釣合いは少しもとれていない。これなどは禽獣蟲魚に対する我々の考え方がかわって、斯様に解釈することが比較的もっともらしくなったからで、こうしてまでも人が非類の物から、大きな援助を受けることがあるものだということを、永く記憶していたのは昔話の賜と言ってよい。人と動物とが対等な交際をした時代があったことを、伝えている歴史というものは昔話の他には無いのである」(柳田國男「口承文藝史考・昔話と傅説と神話・七十八」『柳田國男集・第六巻・P.119』筑摩書房)
柳田がいうように人間が動物を助けてやった場合、動物から与え返される報恩を見ると、「取ると与えるとの釣合いは少しもとれていない」。動物は債権/債務関係について人間のような均衡性を知らない。言い換えれば、人間社会の常識的均衡を破る。生態系の均衡は人間の目に映るものとはそもそも違っている。循環はただ単なるエコロジーとかエコノミーとかの用語で測り切れるものではそもそもない。その意味でこの「猿の恩返し」は、人間社会の営みを著しく逸脱した過剰性を全方向的に向けて投げ込むことで人間社会が作り上げた社会的均衡性をばらばらに引き裂き千切るアナーキーとして出現する。このように「引き裂き千切る」という場合の「千切る」に現わされているアナーキー性は、熊楠が「千人切りの話」で例として述べているように「無限・無数」を示唆する。
「田代如風(たしろじよふう)は千人切りして、津の国の大寺に石塔を立てて供養(くやう)をなしぬ。我又衆道にもとづき二十七年、その色をかへ品を好き、心覚えに書き留めしに、既に千人に及べり。これを思ふに、義理をつめ意気づくなるはわづかなり。皆勤め子のいやながら身をまかせ独り独りの所存の程もむごし。せめては若道供養のためと思ひ立ち、延紙(のべがみ)にて若衆千体張貫(はりぬき)にこしらへ、嵯峨(さが)の遊び寺にをさめ置きぬ。これ男好開山(なんかうかいさん)の御作(ごさく)なり。末の世にはこの道ひろまりて開帳あるべき物ぞかし」(日本古典文学全集「男色大鑑・巻八・三・執念は箱入りの男」『井原西鶴集2・P.580』小学館)
さらに。
「血書(ちかき)は、千枚(まい)かさね、土中(どちう)に突込(つきこ)み、誓紙塚(せいしつか)と名付(なつ)け、田代(たしろ)孫右衛門と、同じ供養(くやう)をする」(井原西鶴「諸艶大鑑〔好色二代男〕・卷八・五・大往生は女色の臺・P.305」岩波文庫)
そこには例えば李白が「飛流直下三千尺」というに等しい、留保なき風流がある。
「日照香爐生紫煙 遙看瀑布挂長川 飛流直下三千尺 疑是銀河落九天
(書き下し)日(ひ)は香炉(こうろ)を照(て)らして紫煙(しえん)を生ず
遥(はる)かに看(み)る瀑布(ばくふ)の長川(ちょうせん)を挂(か)くるを 飛流(ひりゅう)直下(ちょっか)三千尺(さんぜんじゃく) 疑(うたが)うらくは是(こ)れ銀河(ぎんが)の九天(きゅうてん)より落(お)つるかと」(「望廬山瀑布」『李白詩選・第二章・P.84』岩波文庫)
としてもなお「久米仙(くめせん)」とて落ちる時は落ちる。するとたちまち他の者すべてが上昇した《かのように》見える。
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