















風呂から上がって、遺影のある和室の雨戸を閉めてから、何気なくファンシーケースを開けてみた。
中につれ合いのFが着ていた服が吊るしてある。
Fは15年前に最初の脳内出血で倒れて、でもリハビリを頑張って、私が付き添ったら自力で二階に上がれるようになった。
なので、季節の変わり目ごとにFが2階の寝室にある洋服ダンスに行って服を選び、それを私が持って降りて、和室のファンシーケースに吊るしていた。
でも今から6年ぐらい前からは、さすがに危険なので、私が適当に見繕って持って降りた服の中からFが選ぶという形になっていた。
2年前の1月、二度目の脳内出血で倒れ、それ以来、そこには冬服が入ったままになっている。
ファンシーケースを開けてみたのは、どうなっているかなという軽い気持ちだった。
でも見た途端、去年の2月、Fが亡くなった当時の悲しみが一気に蘇ってきて、涙が止まらなくなった。
まったくの不意打ち。
服をざっと見ただけで、それらを着て出かけた折々のFの記憶が生々しく眼に浮かんできて、打ちのめされた。
一昨年の1月から1年余り、Fは病院のスタッフも驚いたほどの頑張りで病魔と闘ってくれた。
彼女を看取って、ささやかな葬儀をして、その後、Fとかかわってくれた、多彩な分野の人たちのおかげで偲ぶ会もできた。
でもしばらくは、私は生きていることの意味が見えなくなっていた。
何度も、早くFのところに行こう、行ったらきっと楽になれると思い続けていた。
でもだんだん、周りの人たちにも支えられて、なんとか一人暮らしができるようになってきた。
いろんなことも始めたりして、一人残されたという気持ちも薄れてきて。
でも、今日Fの服を見た途端、1年前の自分にリセットされてしまった。
なので、ほんの少し前までは、見なければよかったと思ったけど、でも、今は見てよかったのかもしれないとも思えてきた。
これが現実だからね。
直視しなければね。
食卓の横にはいつも笑顔のFがいて、励ましてくれているし。
昨日3日金曜日は、ほぼ終日、曇り空。
馬見に行く気分でもないし。
昼にガスメーターの交換が来たり、その後玄関前に散らかった椿を片付けたり、パンを焼いたり、ヨーグルトを仕込んだりのさえない1日。
でも、近所の公園の桜は満開。
この公園は、いつも鳥見に行く公園とは180度逆の方向で、車道を50mほど上がった、家から見える至近距離です。
毎年満開時は花の下で飲食している客がいるけど、今年は無観客。
せっかくの桜なのに、本当にむなしい。
それでもたまに近所の人がスマホで撮りにくるけど、すぐ帰っていくし。
あまりにも桜がもったいないので、重いP1000(オイ?!)をぶら下げて、撮りに行くことにしました。
しかし、桜は晴天だと華やか・あでやかだけど、曇天だと一転して陰気な感じですね。
でもせっかくだしとパチパチ撮っていたら、上空を旅客機が通過、
(最近いつも思うけど、何人乗っているんでしょうね。)
↓ (屋久島から飛んできたATR-42。このあと午後4時前に伊丹に着陸したとのこと)
喜んで撮っていたら、ヒヨドリが飛んできました。
ヒヨドリは自意識過剰な鳥です。
いつもそう思う。
だれも撮ろうと思わないのに、少しでも近づくと大騒ぎ。
ピーピーうるさく鳴いて、「また私を撮りに来た!!、美人はこれだから困るのよね」みたいに騒ぎまくります。
つれ合いの職場の友人にも、ヒヨドリみたいな人がいました。
つれ合いは、その友人と、仕事の日は毎日待ち合わせて、一緒に昼食をとっていました。
腐れ縁みたいな感じで。
でも彼女は、いつも「わっ、いやや、また○○さんがこちらを見てる!」とか、「あ、✕✕さんがこちらに来る、ねぇ、この店出ない?」とか、いつもソワソワして話も上の空、つれ合いもウンザリだったそうです。
「誰も見てないし」というつれ合いの言葉は、私もまったく同感でした。
見たらこちらの方が恥ずかしくて赤面するという。(殴)
で、ヒヨドリもそんな感じの鳥です。
誰も見たり追ったりしないのに、どこに行ってもピーピー逃げ回ってうるさい。
ところが今日のヒヨドリは、だまって黙々と桜の蜜を吸っていました。
今日は自意識もどこかに置いてきたのか、ひたすら蜜を求めて飛び回っていました。
十分に桜も飛行機も撮ったので、帰ろうと坂道を下っていると、なにやら鳥が。
見ると3羽のメジロが桜の蜜を吸っていました。
下の鳥見の公園から飛んできたのでしょうか。
人も少ないからメジロが来るかもと思いながら歩いていたので、予感が当たってうれしかったです。
帰宅してから、近隣市の施設にいる母に焼き菓子の差し入れを持っていきました。
面会はまだ禁止ですが、物は取り次いでくれるので、職員さんに手渡して帰ってきました。
今日の母からの電話で、その職員さんと一緒にお茶しながら、差し入れを楽しんでくれたとのこと。