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来年の話をしたら地獄の鬼が高笑いするでしょうからね、せいぜい2,3日先のことしか現実味が無いですね。
それでも眠ってから見る夢の方は相当古い夢を見るものです。
さて昨日は悲しい話をしましたが、実はそれに先行する話がありました・・・と言ってもごくごく個人的なことで、単なる符牒あわせみたいなものですが。
昨日の朝と言うか、感覚では一晩中夢を見ていたような気がする・・・それが「最近よく見る夢」なんです。
ストーリーは一つではありません・・・が、登場する人物は同じで展開も似ています。
ある女性が登場して来て(何もドラマチックなことは起きないのですが)、私はその彼女を意識しながら自転車で走り続ける・・・ただそれだけなんですが、一晩中自転車を走らせていたような、この場合は一晩中走っている夢を見ていたような感じが残る。
この朝の夢の記憶ではそのパターンで、自転車がランニングに変わっていた・・・あり得ないことなのにね。
但し疲労感は残っている(疲れているからそういう夢を見るのか因果関係は分からないのですが)のだから夢の世界では走っていたに違いない。
走っているコースは、自転車の時もランニングの時も、水戸から鉾田に出て北浦、麻生から潮来、佐原に向かう道で霞ヶ浦近くの道、成田・千葉へと続きます・・・かなり高低差があるし距離もある・・・このルートは若い頃10年近く週のうち半分は車で通っていた記憶の残滓なんでしょうね。
ともあれ、過去に何事も起きなかったのに30年以上も経ってから、夢に出てくるのです・・・きっと脳の何処かに「思い」みたいなものが沈殿しているのでしょう。
もとより何も起きなかったことではあるが、こういうことは誰かに話すようなことでは無いですね。
例えば、息子が失恋して落ち込んでいる時に「オヤジだって昔こういう事が・・・」と言うような類な話にはならないし、女房にも話したくは無い。
どちらかというと表現はオーバーだけれど「墓場まで持って行って、一緒に埋めてもらう」部類でしょう。
そんなことを考えながら、その朝は「墓場まで持っていく話」をテーマに頭の中で原稿の下書きみたいなことをしながら自転車で出勤したのです。
「殊更他人に話すことは無いだろう話」がテーマです
そこで、若い同僚の訃報に接したと言うことで、起きたことと、見た夢と、考えていたテーマとの直接の関連性は無いのですが何となく符合するみたいで気持ちが落ちつかなかった。
さて大きく出ますが「人生において」振り返って満足するにせよ後悔するにせよ、「起きたこと」についてが多いですよね。
でも、あの見た夢は「起きなかったこと」に起因しているような気がします。
生きてく途中で、いろんな所に分岐点があって選択をするのですが、選んだことについては結果が出るのだから、後で評価も出来る。
ところが選ばなかったことについては分からないわけです。
選択することは常に一つづつで、選択しなかった事はかなりの量です
これは人生もスポーツも同じで「○○にモシモは無い」ということです。
ところが囲碁(他にもありますが、ここは囲碁の話で)には、終局後並べ直して、別の道を辿ったらどうなったのか、大よその推測は出来る。
結果は変わらないにしても「もしも」の先が推測できる!
人生がもう一度出来たら・・・同じ道を辿るだろうか?
若い頃にやったことへの反省、やらなかった事への後悔・・・そんなものを突き混ぜて考えると・・・同じにはならないでしょうね。
同じでいいという人はかなり幸せな人かな
マア自分を決して不幸だとは思いませんが、もう一つの人生が経験できるなら別のものもいいです
囲碁に関してはザルではあるけれど結構楽しませていただいているから、これはどういうコースであっても変わらないです。
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