なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

瞼閉じれば

2007-07-10 17:45:19 | Weblog
 「瞼の母」:このタイトルは若い人にはわからないでしょう。
 私と同じ世代でももしかしたら相当怪しい気がします。
  ヒントとして「番場の忠太郎と言えば?」・・・「長谷川伸」・・・いやますます分からないかも知れない。
 舞台演劇がまだ盛んだった頃・・・そうですねTVが白黒だった頃には「舞台中継」という番組があって”新派”とか”新国劇”とかが中継されました。
 「女剣劇」もあった・・・一時野球の監督の奥さんとトラブッて民放のニュースを騒がせた女座長の若い頃です。
 TVカメラが当時のことですから、多分一台で観客席の中央から中継します・・・こういうのは固定カメラですからズームは出来るものの角度に大きな変化は無いから迫力が無い代わりに、目は疲れないですね。
  その時代「一本刀土俵入り」とか「国定忠治」とか・・・ますます年が!!
 しかもそういう番組も既に同世代の子供たちでさえ見なかったような・・・その頃既に年配者しか見なかったような気がします。
 マア無理に例えれば宝塚の「ベルバラ」をTVで中継しているような番組です・・・但しこれは若い人も見るかな?。
  タイトルはそこから取りましたが、話としてはそういう劇の話ではありません。
 単に”瞼を瞑ると浮かんでくる”と言うことが共通点なだけです。

 で、懐かしい人とか、昔あこがれていた人を思い出すときに瞼を瞑ると浮かんでくる・・・と言うのは本当だろうか?
  「クリスマスキャロル」みたいにマッチが燃えている間だけははっきり見えるような便利なものがあれば目を瞑らなくても見えるのですが
 私自身の感じでは、はっきりとした映像が浮かぶのではなくて、何だか白い霧のような曖昧な像が見えるような見えないようなという感じです。
 しかし、何だか浮かび上がような気がする
  瞼を瞑っても瞼の裏に映る訳はないし、眼球の裏のスクリーンにだって映っているはずは無いと思うのですが不思議。
 ここは実像があって初めて映るのでしょう?いや網膜に映る事自体”虚”か?
  脳の中に画像解析したり再現する機能があって、記憶を頼りにイメージ化しているということだろうか?
 脳の中に意識的に鮮明な画像を浮かべることが出来たら凄いです
  一度見たものの特徴を捉えて絵を描けるのも・・・特徴を捉える・想像で再現できる・絵として表せるのだから

 ところで、棋譜を憶える、あるいは棋譜を再現できると言うのはどういう脳の働きだろうか?
 これは、棋譜という座標の出現順を憶えているということだろうが、もしかしたらそこに画像が伴っているのだろうか?
 以前ダスティンホフマンの「レインマン」のモデルになった人をテレビで見たことがある・・・実在する人がモデルということは床に散乱したマッチの数が瞬時に分かるのだから、盤上の石の配置が瞬間的に判る人が居ても不思議ではない・・・
 レインマンが碁を憶えたら・・・
 
 昔、ビジネス特訓と言う研修が流行っていた時に2週間缶詰と言うものに参加(させられた)したことがあります。
 朝5時起床ですから夜は10時消灯で、周りには何にも無い山の中です。
  新聞・TV・ラジオなどなし・・・一切の娯楽・情報は無し
 毎日の課題が多いけれど睡眠をとらなくては精神的・体力的に2週間は持たないので消灯後は直ぐに眠らなくてはいけません。
 隠れて懐中電灯などで勉強する人もいたけれど、これは禁止事項だし、そんなことをしたって翌日は体力的についていけないから続きません。
 ですから、唯一の楽しみは消灯後に目を瞑ってからの棋譜並べでした。
  私の場合はこれがあったから長丁場を体力も精神も安定させて乗り切れたと思っています。
  さて、素人の棋譜並べですからどれだけ正確だったか分かりませんが
 この棋譜を憶えて、棋譜を再現すると言うことはどういうことを脳はやっているのだろうか?
 座標を覚えているのか、多少とも画像を伴った絵で憶えているのだろうか?
  と言うのは、画像が全く無いとは思えないのです。

 唐突ですがソルジェニーツインの話です。
  彼は収容所で強制労働をしながら、頭の中で何篇も著作をしていた。
 つまり紙も鉛筆も自由にはならないから、頭の中に話を書いていったのだそうです。
 時々初めから思い出して、直したり忘れないように点検したりするのだそうです。
 重労働でも単純作業中ならばそういうときに頭の中で下書きをしたらしい
   収容所の囚人はキビキビと動かないそうですから、ノロノロの動作の裏で頭の中はフル回転していたのでしょう
  話を覚えておくと言うのも凄い
   「古事記」の語り部で伝えられていた時代のような気がします。
  これらは言葉での記憶でイメージとは別物か?
 私自身は、さっきの特訓の際に、約7分のスピーチを4本覚えることは出来ましたから、ある程度はできるはずなんだけど、どれだけできるかの限界は分からない
  しかし、こういう記憶と棋譜を憶えることとか、イメージを頭の中で自在に浮かべることは訓練次第ではできるのだろう・・・
 さて、ジイサマになって気力も頭の性能にも自信が無い