8月21日土曜日・今日から夏休みの始まりだろうか?
隣の団地では早速夏祭りみたいで、朝から分けの分からないダンスミュージックがエンドレスで流れています。
当方は隣の団地の催しでもあるし、この種の音楽にも興味はないから全く迷惑なことだと心の中では叫びたい。
でもマアお互い様みたいな事だってもしかしたらあるかも知れないから我慢するしかない・・・でもギブ&テイクにしたって随分貸し越しだと思う。
それに今は恒例のビンゴ大会・・・あれはやる人は楽しいかも知れないけれど部外者には騒音でしかない・・・
ということで、ネットの観戦も対局も乗らないのでブログと取り組んでいます。
それと今日は生活習慣病内科クリニックの日なので、ついでに駅ビルの本屋で「NHK囲碁講座8月号」を買ってきたので、何とか外の騒音に耐えてみようと頑張っています。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」・・・んなわけには行かないけれど。
どう思おうと外から騒音は押し寄せますし。
今は分けの分からない音楽と、ただただ騒音としか思えない意味不明の人の声、
それに世話人さんらしき人のラウドスピーカー
んー、私はきっと隣の団地住民で当事者であっても我慢できなくて、何処かへ出かけるだろうな・・・無秩序的な音には耐えられない。
さて、「今日から夏休み?」・・・つまらない、どうでもいい疑問です
例えば今日明日は普通の土日で、週末の休日
だから夏休みは月曜から?・・・どうでもいいけれど、どっち?
<夏休み> <白い紙> <夜景> の三題話
コレは勤め先で使用済みA4角封筒を切り開いて再利用しています(私だけですが)
だから机の上にその白い紙を乗せて、「この紙で何が出来るかな」と想像する瞬間が楽しい時間でもある・・・一瞬ですが。
そしてお題の三つのテーマは今でも学校が夏休みになると必ず思い出す話なのです
今でもあると思うけれど昔は夏休みの宿題がどっさりあった
夏休みの前に生活スケジュールを立てて早めにコレを片付ける・・・筈
マア私は序盤・夏休みの出だしは模範的な子供でしたから、最初の1週間で宿題の8割は終わっていました。
後の2割・・・それが問題
ココから私は宿題は全くやらないで、毎日岸壁で泳ぐ、魚釣りに行く、近所の友達と自転車で遠征・・・などなどで、次に宿題に取り組むのは8月31日なのです
コレは毎年そうなっています
学科の宿題は概ね終わっていますがその残りと、「作文」「日記」「天気・気温記録」「工作」「習字」「写生」などが残るのです。
コレを1日でやってしまうのだから我ながら凄い! 自慢できないけれど
ともかく「やる」となったら「やる」
それでも、最後の習字・写生になる頃は夏とはいえ既にあたりは真っ暗
川に面した低い窓の側に机を置いてラストスパート!?
習字は周りが暗くても関係ないけれど、写生は困りますよね・・・
そこは開き直りのaizomechou毎年夜の風景を描いたのです
暗い夜の川に映る水銀灯・川につながる運河と船・くらい貯木池に浮か材木・石油精製塔の灯り・・・テーブルの静物を描いても背景の窓の外は夜景です
毎年夜景の写生ですから夜の風景が好きだと思われていた・・・止むを得ない事情もあったのです。
夏休みといえば8月31日以外の楽しい思い出と夜の風景画
それに、今年は何を書こうかなとテーブルに広げた白い画用紙
絵を描く前は軽い緊張感と何かしら期待感がある・・・数秒後には紙を汚してしまったという落胆に変わり、提出用のヤッツケ仕事に変わっていくけれど・・・
でも白い何も描いてない紙を前にすると、何か楽しくなります。
コレはホンノ少し碁盤を前にしたときの感じと似ているような気もする
毎日打っている時は余り感じないのですが、例えば退院後の初めの一局だったり、そこまでブランクがなくても2,3日ぶりだったり、あるいは出張明けだったり、そんなときには初めの1局は軽い緊張を覚える
ネットの時より、リアルで碁石を持つときのほうが感じます。
「久しぶり」という緊張感と「どういう碁になるやら」という期待と不安・・・
マア、ヘボのザル仲間ですから、たいていは1時間もしないうちに「何てヘボだ」とか「全く不注意」、「見るべきものを見て!」自虐的になるとしてももスタート時は「白い紙を前にした時」と同じでしょう。
大会等ではローカルの小さな大会でも最初の一局目の第一着を打つときは、軽く胴震いがしたり、指が震えたり・・・
気が小さな証拠ではあるけれど、私本人としては新鮮な気持ちの証拠だと思うことにしています。
いつもの昼休み碁・・・あれは足付き碁盤でリアル>>>震えが来ない>それは問題かも知れない!慣れ過ぎは良くないだろう。
隣の団地では早速夏祭りみたいで、朝から分けの分からないダンスミュージックがエンドレスで流れています。
当方は隣の団地の催しでもあるし、この種の音楽にも興味はないから全く迷惑なことだと心の中では叫びたい。
でもマアお互い様みたいな事だってもしかしたらあるかも知れないから我慢するしかない・・・でもギブ&テイクにしたって随分貸し越しだと思う。
それに今は恒例のビンゴ大会・・・あれはやる人は楽しいかも知れないけれど部外者には騒音でしかない・・・
ということで、ネットの観戦も対局も乗らないのでブログと取り組んでいます。
それと今日は生活習慣病内科クリニックの日なので、ついでに駅ビルの本屋で「NHK囲碁講座8月号」を買ってきたので、何とか外の騒音に耐えてみようと頑張っています。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」・・・んなわけには行かないけれど。
どう思おうと外から騒音は押し寄せますし。
今は分けの分からない音楽と、ただただ騒音としか思えない意味不明の人の声、
それに世話人さんらしき人のラウドスピーカー
んー、私はきっと隣の団地住民で当事者であっても我慢できなくて、何処かへ出かけるだろうな・・・無秩序的な音には耐えられない。
さて、「今日から夏休み?」・・・つまらない、どうでもいい疑問です
例えば今日明日は普通の土日で、週末の休日
だから夏休みは月曜から?・・・どうでもいいけれど、どっち?
<夏休み> <白い紙> <夜景> の三題話
コレは勤め先で使用済みA4角封筒を切り開いて再利用しています(私だけですが)
だから机の上にその白い紙を乗せて、「この紙で何が出来るかな」と想像する瞬間が楽しい時間でもある・・・一瞬ですが。
そしてお題の三つのテーマは今でも学校が夏休みになると必ず思い出す話なのです
今でもあると思うけれど昔は夏休みの宿題がどっさりあった
夏休みの前に生活スケジュールを立てて早めにコレを片付ける・・・筈
マア私は序盤・夏休みの出だしは模範的な子供でしたから、最初の1週間で宿題の8割は終わっていました。
後の2割・・・それが問題
ココから私は宿題は全くやらないで、毎日岸壁で泳ぐ、魚釣りに行く、近所の友達と自転車で遠征・・・などなどで、次に宿題に取り組むのは8月31日なのです
コレは毎年そうなっています
学科の宿題は概ね終わっていますがその残りと、「作文」「日記」「天気・気温記録」「工作」「習字」「写生」などが残るのです。
コレを1日でやってしまうのだから我ながら凄い! 自慢できないけれど
ともかく「やる」となったら「やる」
それでも、最後の習字・写生になる頃は夏とはいえ既にあたりは真っ暗
川に面した低い窓の側に机を置いてラストスパート!?
習字は周りが暗くても関係ないけれど、写生は困りますよね・・・
そこは開き直りのaizomechou毎年夜の風景を描いたのです
暗い夜の川に映る水銀灯・川につながる運河と船・くらい貯木池に浮か材木・石油精製塔の灯り・・・テーブルの静物を描いても背景の窓の外は夜景です
毎年夜景の写生ですから夜の風景が好きだと思われていた・・・止むを得ない事情もあったのです。
夏休みといえば8月31日以外の楽しい思い出と夜の風景画
それに、今年は何を書こうかなとテーブルに広げた白い画用紙
絵を描く前は軽い緊張感と何かしら期待感がある・・・数秒後には紙を汚してしまったという落胆に変わり、提出用のヤッツケ仕事に変わっていくけれど・・・
でも白い何も描いてない紙を前にすると、何か楽しくなります。
コレはホンノ少し碁盤を前にしたときの感じと似ているような気もする
毎日打っている時は余り感じないのですが、例えば退院後の初めの一局だったり、そこまでブランクがなくても2,3日ぶりだったり、あるいは出張明けだったり、そんなときには初めの1局は軽い緊張を覚える
ネットの時より、リアルで碁石を持つときのほうが感じます。
「久しぶり」という緊張感と「どういう碁になるやら」という期待と不安・・・
マア、ヘボのザル仲間ですから、たいていは1時間もしないうちに「何てヘボだ」とか「全く不注意」、「見るべきものを見て!」自虐的になるとしてももスタート時は「白い紙を前にした時」と同じでしょう。
大会等ではローカルの小さな大会でも最初の一局目の第一着を打つときは、軽く胴震いがしたり、指が震えたり・・・
気が小さな証拠ではあるけれど、私本人としては新鮮な気持ちの証拠だと思うことにしています。
いつもの昼休み碁・・・あれは足付き碁盤でリアル>>>震えが来ない>それは問題かも知れない!慣れ過ぎは良くないだろう。