「お前はやれば出来る子なのに・・・」子供の頃よく母親に言われていた。
面白いことに家の出来の悪い息子に女房殿が「お前はやれば出来るんだよ」と言っている。
出来の悪い息子は母親にそういわれるものらしい。
何だかおかしくて、笑うのも憚られたので、背中を向けてこらえていたものです
成績が悪い時の小言の常套句で「やれば出来る・やらなければ出来ない」と言う厳然たる事実を「脅かし半分」「励まし半分」で言っています。
コレは相当昔からある言葉と言うか論法?だろうか
「今時の若い者は・・・」の次くらいに古いかも
でもねやる気になればやる時は有る・・・但しその気になるものが母親の期待とは大きく違う
例えば競馬で双眼鏡など使わずに、向う正面での騎手の動きを観察できる・・・
マージャンで指でモー牌などせずに裏返したまま卓のラシャに擦って牌を感じ取るとか
馬鹿馬鹿しい所ではテーブルにコップを置いてその横に置いたスプーンを指1本でコップに入れるとか・・・
やりたいことと他人から見てやらなければいけないことが必ずしも一致しないということらしい
さて今日の昼休み碁、Fさんの向う4子局です。
対局会場の休憩室へ下りながらF・K対決デスマッチの近況
昨日は深夜近くまで十数局は打ったらしい。
こういうマッチは結果が偏るもので、一時4子まで行っていた置石がKさんの2子にまで寄せ返したらしい。
熱心なのは結構なんだけれど、こういうデスマッチで弊害も無いとは言い切れないのでは?と爺様の老婆心が出掛かるのですが、口には出せませんね。
さて今日の対局
中盤で黒の一団が切れると大石が凌げるかどうかの局面
私の読みでは黒コウにして凌ぐしかなさそうですが、その場合コウ立てが難しいから、このあたりで地合いが細かくなりそうな感じはしていた。
つまりその辺のことを考えながら打ってきているわけで、その場になって考えたのでもないのだが・・・。
私もいい加減な性格では有るけれど「切れる所はみんな切る」と言う乱暴ばかりでもないのです・・・自分ではそのつもり
さてFさんは勝負手のコウのコースを読んでいたかどうか、その前にアテコミで白に「切るぞ」と打ってきた。
コレは私の読みには無い手。
コウ味を消しつつ、攻め合い1手勝ちを確認・つまり切断は意味が無い
この辺りの一連の進行を確認するのに確かに時間は使った
しかし昼休み碁で有るし5分は使っていないでしょうが、Fさんから軽くではあるが非難されたのです
「白にあんなに考えられたら黒は勝てない」
まるで白は考えたらズルイみたいな言い方です
私「考えたというより考えて置いたところを、正しいかどうかチェックするのに時間がかかったのです」・・・何だか言い訳みたいで変ですね。
白には置石だけでなく考慮時間もハンデだというのかしら。
そういうのを碁と言うのだろうか?
頭でなく単に指先で打つだけみたいな。
確かに私が彼と同じペースで打ったら、仮に棋力差で8:2なら6:4くらいまで迫られそうな気もします。
でもそういう碁がお互いに楽しいとは言い難いと思うのですが・・・
だからここぞとばかりFさんに提案
「昼休みに打ち切るという暗黙の了解を一旦解消しましょう。打ち終わらなかったらこの部屋に碁盤をそのままにしておくか、磁石碁盤に写しておく。あるいは棋譜に採って置くか最初からパソコンで打つ。」「そういうのも楽しいと思いますよ」
しかし今の所Fさんは「必ずしも翌日打てるとは限らないし・・・」と及び腰
説得には時間がかかりそうです
さて今日は大プレゼントでFさんに「隅の石は外ダメが詰まると手がありそうですよ」とヒントを出しておいたのですが、そんなものは一切無視「手は無いでしょう」とダメ詰め。
3三に置いてセキだから本来手入れで8目の地が0に・・・
読んでいないか読み間違い!
こういうものはヒントとでも対局中には言ってはいけないと反省しました。
彼はきっと「白が手の無い所に手を入れさせるために脅かした」と思ったに違いないのです・・・私が信用無いのかも知れないけれど
いずれにせよ今日に限らず「考えない碁」の弊害は体験しているのに・・・どうも提案を受け入れる道のりは険しいようです。
彼も私もザル仲間ではあるけれど、考えて打てばそれなりに今までとは違う碁が経験できると思うのだけれど・・・それは今までとは一味違うはずなんだけれど
「君ならやれば出来る」と言ってもその気にならない人には無理か・・・
面白いことに家の出来の悪い息子に女房殿が「お前はやれば出来るんだよ」と言っている。
出来の悪い息子は母親にそういわれるものらしい。
何だかおかしくて、笑うのも憚られたので、背中を向けてこらえていたものです
成績が悪い時の小言の常套句で「やれば出来る・やらなければ出来ない」と言う厳然たる事実を「脅かし半分」「励まし半分」で言っています。
コレは相当昔からある言葉と言うか論法?だろうか
「今時の若い者は・・・」の次くらいに古いかも
でもねやる気になればやる時は有る・・・但しその気になるものが母親の期待とは大きく違う
例えば競馬で双眼鏡など使わずに、向う正面での騎手の動きを観察できる・・・
マージャンで指でモー牌などせずに裏返したまま卓のラシャに擦って牌を感じ取るとか
馬鹿馬鹿しい所ではテーブルにコップを置いてその横に置いたスプーンを指1本でコップに入れるとか・・・
やりたいことと他人から見てやらなければいけないことが必ずしも一致しないということらしい
さて今日の昼休み碁、Fさんの向う4子局です。
対局会場の休憩室へ下りながらF・K対決デスマッチの近況
昨日は深夜近くまで十数局は打ったらしい。
こういうマッチは結果が偏るもので、一時4子まで行っていた置石がKさんの2子にまで寄せ返したらしい。
熱心なのは結構なんだけれど、こういうデスマッチで弊害も無いとは言い切れないのでは?と爺様の老婆心が出掛かるのですが、口には出せませんね。
さて今日の対局
中盤で黒の一団が切れると大石が凌げるかどうかの局面
私の読みでは黒コウにして凌ぐしかなさそうですが、その場合コウ立てが難しいから、このあたりで地合いが細かくなりそうな感じはしていた。
つまりその辺のことを考えながら打ってきているわけで、その場になって考えたのでもないのだが・・・。
私もいい加減な性格では有るけれど「切れる所はみんな切る」と言う乱暴ばかりでもないのです・・・自分ではそのつもり
さてFさんは勝負手のコウのコースを読んでいたかどうか、その前にアテコミで白に「切るぞ」と打ってきた。
コレは私の読みには無い手。
コウ味を消しつつ、攻め合い1手勝ちを確認・つまり切断は意味が無い
この辺りの一連の進行を確認するのに確かに時間は使った
しかし昼休み碁で有るし5分は使っていないでしょうが、Fさんから軽くではあるが非難されたのです
「白にあんなに考えられたら黒は勝てない」
まるで白は考えたらズルイみたいな言い方です
私「考えたというより考えて置いたところを、正しいかどうかチェックするのに時間がかかったのです」・・・何だか言い訳みたいで変ですね。
白には置石だけでなく考慮時間もハンデだというのかしら。
そういうのを碁と言うのだろうか?
頭でなく単に指先で打つだけみたいな。
確かに私が彼と同じペースで打ったら、仮に棋力差で8:2なら6:4くらいまで迫られそうな気もします。
でもそういう碁がお互いに楽しいとは言い難いと思うのですが・・・
だからここぞとばかりFさんに提案
「昼休みに打ち切るという暗黙の了解を一旦解消しましょう。打ち終わらなかったらこの部屋に碁盤をそのままにしておくか、磁石碁盤に写しておく。あるいは棋譜に採って置くか最初からパソコンで打つ。」「そういうのも楽しいと思いますよ」
しかし今の所Fさんは「必ずしも翌日打てるとは限らないし・・・」と及び腰
説得には時間がかかりそうです
さて今日は大プレゼントでFさんに「隅の石は外ダメが詰まると手がありそうですよ」とヒントを出しておいたのですが、そんなものは一切無視「手は無いでしょう」とダメ詰め。
3三に置いてセキだから本来手入れで8目の地が0に・・・
読んでいないか読み間違い!
こういうものはヒントとでも対局中には言ってはいけないと反省しました。
彼はきっと「白が手の無い所に手を入れさせるために脅かした」と思ったに違いないのです・・・私が信用無いのかも知れないけれど
いずれにせよ今日に限らず「考えない碁」の弊害は体験しているのに・・・どうも提案を受け入れる道のりは険しいようです。
彼も私もザル仲間ではあるけれど、考えて打てばそれなりに今までとは違う碁が経験できると思うのだけれど・・・それは今までとは一味違うはずなんだけれど
「君ならやれば出来る」と言ってもその気にならない人には無理か・・・