なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

普通って・・・

2008-05-02 17:29:26 | Weblog
 女房殿が韓国ドラマファンの友達から借りてきたCDを見たのです・・・
 「冬ソナ」から始まって、ドラマのファンになった人、韓国文化に眼が向くようになった人・・・いろいろいるのでしょうが、のめりこむようなファンになったとしても、それはそれで・・・私みたいな碁キチと言うか囲碁オタクと言うか、そういうジイサマが何か言ったら”目クソ鼻クソ」の類でしょう。
 マアそれはともかく熱烈なファンが友達に居るおかげで、CDを貸してもらえるのですから、有り難いことです。

 初めに全20話くらいのうちの最初の1,2話を見ました。
 私の感想としては・・・
 「少しマンネリと言うか、似たようなパターンかな?」
 つまり導入部として幼い時代から話が始まり、事故・行方不明・記憶喪失、そして成人になっての偶然のすれ違いと再会、更に若いのに事業の中心で有ったり、ヒロインと男性2人、そしてオッパーと呼ばれ・・・
 こういう設定と言うか、ストーリ展開がヒットするための条件なのか?
 ちょっと似たような展開が多すぎないか?
  しかしこれはもしかしたら、私の考え違いかもしれないですね。
 長寿番組の水戸黄門だって、○○捕り物帳、暴れん坊○○、、、
 「越後屋おぬしも悪よのう」「そういうお代官様だって・・・」、、、
 ワンパターンなのに堂々と繰り返されている
 ということは、そのことが問題ではないのかも?
  寧ろストーリーが単純な方が安心感があるのかもしれない。

 事実女房殿はパターン化した展開は気にならないらしい。
  一作ごと違う気分で見て楽しんでいるのでしょうね
 私はついつい前に見たものと比較をしてしまう
  逆にヒロインについて、私は美人過ぎず普通っぽいところが良いと思うのだけれど・・・当然個性的では有るし、本当に普通ではなくてそれなりに輝いているだろうし、演技力は相当あるのでしょう。
  ところが女房殿から見ると、そこが問題なんですね。
 ヒロインが普通っぽいのがダメなのだそうです。
 主役は美男美女でなくてはいけないらしい(人は自分に無いものを欲しがる!)
  これが高校生時代からの映画ファンで外国映画をたくさん見てきたはずの人が言うのだからフシギです。
 非現実的なことをスクリーンの上で見せているのでしょうが・・・
 私の性格では「世の中そうそう変わったことばかり有るわけで無し」なのだけれど、それではドラマにはならないということでしょうか

 突然囲碁の話ですが
 私は気分として「普通を目指す」のですが、途中から普通で無くなるわけで
 それは私自身の技量の問題で、目指している方向とはかけ離れて行くのです。
  それでも今まで打った何千、あるいは万を越える棋譜がもし再現できるなら、さぞ同じような棋譜があるでしょうね
 まあ、相手が違うこともあるし、全く同じ棋譜は無いでしょうが・・・
 それでも似たような・・・これは平凡とも陳腐とも言える。
  もっとも棋理から言ったら平凡以下とも言えるか
 それでも飽きもせずせっせと精を出しているのですから不思議なことです。
 そういえば女房殿とも学生時代からの付き合いだから、相当長い付き合いです
 「スクリーン」とは関係ないから「普通なのはダメ」と切り捨てられなくて良かったです。
 お互い普通ではなくて、普通以下だったのが良かったらしい。
  ハラハラ・ドキドキに近いから長年飽きなかったのかも