なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

言わぬが花

2008-05-31 09:27:11 | Weblog
 子どもたちが幼い頃、学校の宿題かどうかは知らないけれど、自分たちの両親がどういう何故・どういう経過を辿って結婚したかに興味を持つ年頃があるようです。
 それも成長の一種かも知れませんが・・・「父さんと母さんはどうして結婚した?」という質問・・・これが思春期、青年期でもあるということは、家の子どもたちの成長に問題があるか、余程のミステリーなのか。
 多分後者のような気がします。
  この見てくれがさえないジイサマが若かった頃とは言え、若かった頃のバアサマが・・・子どもたちには想像を絶することらしい。
 バアサマは昔から、例の質問に一切ノーコメントもしくは別の話に誤魔化すかすかして応えたことが無い。
 だから成り行きとして子どもたちの質問は私に向かう
 「そりゃア、母さんが父さんに惚れたからに決まっている。同じ大学の2年後輩だったからね」
  この答えでは子どもたちは納得しないのだけれど、それ以上は私としても説明できない。
 もし事細かに”暴露”したならばバアサマから強烈な抗議が来ることは間違いないから、それ以上は恐ろしくて言えない。
 
 しかし、子どもたちが感じるように、出世もしないし、そういう面での向上心をカケラも持ち合わせず、稼ぎが善い訳でもなく、さりとて”所謂家庭的”でもないから家事など殆ど手伝わず、暇があれば自分の読みたい本を読むか、囲碁を打ちに出かけるか、ネットで碁を打つだけ・・・
 家の居間でTVを見るのも、自分が見たいものがある時だけで、それが終われば引っ込んでしまう。
 女房殿がもし子どもたちの質問に落語的に答えれば「だって、寒かった」「家の重石代わりでしょう」・・・現実には何も言わないけれど。

 さて、今朝4時半の出来事
 例によって私の部屋の戸が音も無く少し開いて・・・そこから女の手は出てきたと思って下さい。
 そして戸の隙間からベッドで寝ている私の方をチラッと覗って・・・部屋の電気のスイッチをパチッ!・・・「寝ているんでしょう?、節電ね」
 これが殆どの朝に日課的に繰り返される
  こういう時、バアサマの発言内容と事実が多少違っていても決して文句を言ってはいけないのです。
  特に今朝の場合は事実誤認なのです
 いつもは、確かにネットで碁を観戦しながら正体不明になり寝てしまい朝を迎えるので、部屋の電気は明るいままでパソコンはスリープ状態なので、バアサマの指摘通り。
 そういえば、部屋の灯りをつけたまま眠るのは高校時代からの習慣ですから40年以上か続いている。
 昔は灯りをつけたり消したりするのにリモコンなんてなかったから、普通は眠る前に電気を消す、、、眠る予定で電気を消す。
 ところが私は布団の中で本を読むのが好きだったから、読んでいて眠くなれば眠るし、眠くならなければ朝まで本を読む。
 マア、電気を消すために立ち上がるのが面倒だっただけでしょうが
 そんなことで眠ることと部屋の電気を消す事の因果関係?なくなってしまい、何時しか明るいところの方が安心して眠れるようになってしまったらしい。
 医学的にどちらの方が健康に良いかというデータはあるにしても、私はくらいところでは眠りに入りにくい気がしている・・・錯覚かも知れないけれど

 ともかく今朝に限っては違う状況
 マア、部屋の灯りはつけたまま眠っていたけれど、、、目が醒めたのが4時頃で、パソコンを起こしてネット碁を観戦していた。
 横になっての観戦ですから、どちらかと言うと眺めていたということでしょうが、、、いずれにせよ中盤の勝負どころ、もし自分が対局者ならこの場面でどうしたものかとかなり真剣に考えていたつもり。
 こういうとき瞬間目を瞑って考える、あるいは決断を下す前に目を瞑る時間がある、、、皆そうかどうか分かりませんが、自分の癖としてあるようです。
 この僅かなタイミングに女房殿の手が戸の隙間から現れた。
  和風な見てくれの戸ですが、レールに車輪がついていているので、音も無く静かに開き、スーッと手が伸びてくる・・・まさにミステリーの場面です
 ともかく事情はどうであれ「節約に協力」と言う言葉に逆らってはいけない
 もし「起きていたのに」という抗議を発したならば、「今朝は知りませんが、いつもはそうではありませんよ」と日常の生活がジイサマはいかにだらしないかと言う話に拡大されてしまうはず。
 全く昔は向こうに「惚れた弱み」があったはずなのに、今では「居候の弱み」