この言葉は勝負事においては絶対ではないにせよ、かなりの確率で正しいような気がしています。
スポーツにしても先に相手にポイントを与えて、それが自分に有利な展開になるというゲームは思い当たらない。
僅かにマラソンみたいなレースで、マークする相手を先に行かせて、その後につくみたいなのはあるかもしれないが、、、
野球・サッカー・バレーなどのポイントを争うゲームで、先にポイントを上げて、そのあとの展開を楽にするというのがセオリーで
たまに、途中で追いつかれる展開になり、「追うものの強み」などというのは結果論みたいなもので、ヤハリ逃げる方が楽な気がします。
さて「先んずれば人を制す」
これがゲームだから良いのですが、実生活で直面すると、ゲームの王道=人生のセオリーとは言いにくい気がするのです。
昔・3年ほど一緒に仕事をした人がいるのですが、この人の処世訓・座右の銘が「先んずれば人を制す」だった、、、これは本人が話してくれたのですから間違いないでしょう。
「一流ブランド好み」「スタンドプレイが好き」「少しでも利益が上がることに敏感でコツコツ貯める・・・」
ソレ、何処が悪いのかと言うと、、、悪くは無い
要するに私と全く性格が違うということですね。
私の口癖は「マッ、好いか」ですから、彼の積極性・計画性の反対で、自分でも無責任の臭いがします
私の方は物事がうまく行っても、思わしくなくてもどちらも受け入れて「マッ好いか」ですから、よく言えば温厚に近いけれど覇気が無い。
彼の方は積極的ではあるが印象としては「セコイ」「嫌な奴」
さて温厚で人と摩擦を起こさないけれど、どちらかと言うと「清く貧しく(美しいかどうかはかなり疑わしい)」生きるのが良いか、多少のトラブルは起こりうることとして多少豊かになるのが良いか
いずれにせよ、どちらか100%は無くて、どちらの要素が多いかどうか、あるいは問題別にどちらの傾向が強いかということでしょう。
仕事などで、例えば上司から何かのテーマが与えられた時
どういう事が期待されているか透けて見えるような時がありますね。
期限を守るのは当然として早ければ早いほど良いのか、テーマの中で何処に力を入れて回答するのが良いか、独自性が問われているのか・堅実なものが良いのか
こういうときテーマを出した上司と疑問を感じることなくシンクロできる人は強いでしょうが、私の欠点はここにも在ります
何かの意図を感じた時、あえて意図を外したくなる・・・天邪鬼とまでは言いませんが「そうそう言いなりにはなりませんよ」の気分になってしまう。
私の子供時代は「ギブミィ チョコレートの時代」・・・これ分かりますか?
私の育った所は港町だったので米軍艦船が入港した。
岸壁に子どもが群がって「ギブミィ チョコレート」と叫ぶ・・・
高い甲板の上から水兵さんがチョコレートとかガムをばら撒く・・・
こういうところを見るのも嫌だったので”危険な場所”には近づかなかった
並んで何かを貰うにしても、急いで並ぶということは敢えてしなかった
「早く並ばないと、もしかしたら貰えない」・・・そういうことを心配してなりふり構わず並ぶ人・・・ソレが出来ない性格。
自分のやっていることを冷ややかに見ている自分がいる。
もし大災害などで被災して、救援物資を貰う時・・・そういうのんびりした性格が一変してしまうだろうか?
その時にならないと分からないけれど、、、予想では「マッいいか」の性格は大きくは変わらないと思う。
ところで避難所では災害復旧が軌道に乗るまではやれることは少ない
現実に行動範囲も限られているし、寧ろあまり動き回らない方が良いこともあるでしょう
それに余りに突然の災害なので気持ちが動転しているはずです
避難所でジッと動かない人が多いのは、仕方ないし当然でしょう
地震などで復旧作業が必要な場合は別として、、、
さて現実にやれることが少ないけれど、もし避難所などに碁盤を置いて棋譜など並べていたら・・・
碁敵と一日中碁を打っていたら・・・
私はやりそうなんですが、もしかすると外から見えないように衝立で目隠しされそうですね。
被災者は深刻な顔をしていなくてはいけない
同じ絶望的な顔をするにしても、碁盤ではなく出来事に対して・・・
不真面目な被災者として批難されそう・・・救援される資格を疑われる
お腹がすいたら「ギブミィ チョコレート」と叫ばなくてはいけないかも
チャンスがあったら、一番前に並んで配給を貰わなくてはいけないかも
何かあったら素直な反応をしなくてはいけないかも
「大地震も大きな台風も来ませんように!」
スポーツにしても先に相手にポイントを与えて、それが自分に有利な展開になるというゲームは思い当たらない。
僅かにマラソンみたいなレースで、マークする相手を先に行かせて、その後につくみたいなのはあるかもしれないが、、、
野球・サッカー・バレーなどのポイントを争うゲームで、先にポイントを上げて、そのあとの展開を楽にするというのがセオリーで
たまに、途中で追いつかれる展開になり、「追うものの強み」などというのは結果論みたいなもので、ヤハリ逃げる方が楽な気がします。
さて「先んずれば人を制す」
これがゲームだから良いのですが、実生活で直面すると、ゲームの王道=人生のセオリーとは言いにくい気がするのです。
昔・3年ほど一緒に仕事をした人がいるのですが、この人の処世訓・座右の銘が「先んずれば人を制す」だった、、、これは本人が話してくれたのですから間違いないでしょう。
「一流ブランド好み」「スタンドプレイが好き」「少しでも利益が上がることに敏感でコツコツ貯める・・・」
ソレ、何処が悪いのかと言うと、、、悪くは無い
要するに私と全く性格が違うということですね。
私の口癖は「マッ、好いか」ですから、彼の積極性・計画性の反対で、自分でも無責任の臭いがします
私の方は物事がうまく行っても、思わしくなくてもどちらも受け入れて「マッ好いか」ですから、よく言えば温厚に近いけれど覇気が無い。
彼の方は積極的ではあるが印象としては「セコイ」「嫌な奴」
さて温厚で人と摩擦を起こさないけれど、どちらかと言うと「清く貧しく(美しいかどうかはかなり疑わしい)」生きるのが良いか、多少のトラブルは起こりうることとして多少豊かになるのが良いか
いずれにせよ、どちらか100%は無くて、どちらの要素が多いかどうか、あるいは問題別にどちらの傾向が強いかということでしょう。
仕事などで、例えば上司から何かのテーマが与えられた時
どういう事が期待されているか透けて見えるような時がありますね。
期限を守るのは当然として早ければ早いほど良いのか、テーマの中で何処に力を入れて回答するのが良いか、独自性が問われているのか・堅実なものが良いのか
こういうときテーマを出した上司と疑問を感じることなくシンクロできる人は強いでしょうが、私の欠点はここにも在ります
何かの意図を感じた時、あえて意図を外したくなる・・・天邪鬼とまでは言いませんが「そうそう言いなりにはなりませんよ」の気分になってしまう。
私の子供時代は「ギブミィ チョコレートの時代」・・・これ分かりますか?
私の育った所は港町だったので米軍艦船が入港した。
岸壁に子どもが群がって「ギブミィ チョコレート」と叫ぶ・・・
高い甲板の上から水兵さんがチョコレートとかガムをばら撒く・・・
こういうところを見るのも嫌だったので”危険な場所”には近づかなかった
並んで何かを貰うにしても、急いで並ぶということは敢えてしなかった
「早く並ばないと、もしかしたら貰えない」・・・そういうことを心配してなりふり構わず並ぶ人・・・ソレが出来ない性格。
自分のやっていることを冷ややかに見ている自分がいる。
もし大災害などで被災して、救援物資を貰う時・・・そういうのんびりした性格が一変してしまうだろうか?
その時にならないと分からないけれど、、、予想では「マッいいか」の性格は大きくは変わらないと思う。
ところで避難所では災害復旧が軌道に乗るまではやれることは少ない
現実に行動範囲も限られているし、寧ろあまり動き回らない方が良いこともあるでしょう
それに余りに突然の災害なので気持ちが動転しているはずです
避難所でジッと動かない人が多いのは、仕方ないし当然でしょう
地震などで復旧作業が必要な場合は別として、、、
さて現実にやれることが少ないけれど、もし避難所などに碁盤を置いて棋譜など並べていたら・・・
碁敵と一日中碁を打っていたら・・・
私はやりそうなんですが、もしかすると外から見えないように衝立で目隠しされそうですね。
被災者は深刻な顔をしていなくてはいけない
同じ絶望的な顔をするにしても、碁盤ではなく出来事に対して・・・
不真面目な被災者として批難されそう・・・救援される資格を疑われる
お腹がすいたら「ギブミィ チョコレート」と叫ばなくてはいけないかも
チャンスがあったら、一番前に並んで配給を貰わなくてはいけないかも
何かあったら素直な反応をしなくてはいけないかも
「大地震も大きな台風も来ませんように!」