なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

ボランティア

2008-05-15 18:25:10 | Weblog
 先日まことに不本意ながら60回目の誕生日を迎えてしまいました。
 「不本意」と言う言葉には、照れ・見得だけでなく本当の不本意も入っています。
 若い頃には、やりたいことをやりたいようにやって、その結果寿命を縮めても構わないと思っていましたから、60まで生きているというのは想定外・・・
 ジイサマになって生活しているなんてイメージに無かったことです。
  マア、出だしの「やりたいことを・・・」の部分から狂っていますが
 社会的にあまり褒められるようなことではないから、結婚して子どもが出来て、、、しかも2人も出来て、、、だんだん無難路線に進路が変更されます。
 それでも、私などはどちらかと言うと自分本位で趣味の世界に浸って、勝手なことをやってましたが
 
 ともかく、その日の夕食を取りながら『そういえば、今日は誕生日だった』と思い出したに過ぎない・・・ニュースのアナウンサーが日付を言ったので。
 勿論私のは心の呟きであって、口には出しません。
 普段から「誕生日なんて、ほっといても来るんだからわざわざ祝うことも無いよ」宣言しているので、ココで急に気がついたみたいな発言をすれば、後出しの催促みたいで格好悪い。
 女房殿も長年連れ添った亭主の性格は分かっているから、多分気がついていても知らんふりのはず。
 もしかしたら、長年の習慣で、亭主の誕生日は意識・記憶から消えているという疑いは大いにあるが。
 仮に祝うとしても、ご馳走とかケーキは生活習慣病の大敵ですから、お祝いされる当人のお皿には乗りそうも無い、、、
 ケーキなど女房殿の大好物ですから、あちらのお皿に二人分乗るでしょう、、、私には良くて一口分、、、
 それに、ドラマとかニュースで目にする赤い頭巾にチャンチャンコ!、、、アレは願い下げですから、そういう事に気が回る人が周囲にいなくて良かった。
 私の家族ですから,そこまで気が利く人はいません

 ともかく60と言うのは還暦はともかく停年の年令ですから、再雇用・嘱託などを経て65才の年金満額までをどう繋ぐかという事が現実の問題となってきます。
 今までちゃらんぽらんと暮らしてきたので、今更真剣になるのも恥ずかしいようなものですが、生活のための収入はともかく(”ともかく”と言ってしまうところが我ながら怖い・・・)今でも一年の半分は日曜日みたいな気分で暮らしているのが、近い将来完全に年中日曜日となる。
  これは多分大変なことだと思う
 1日中家でネット碁を打つ?・・・初めの1ヶ月はいいだろうが
 私が完全失業者になる頃、女房殿も停年になるので、老夫婦が毎日家で顔を!
  あるいは、あちらは念願の旅行三昧で私一人が留守番ジイサマ
  あるいは女房・バアサマは孫の面倒で出歩いて・・・どうもあまり明るい未来は浮かんでこない。

 私も家に閉じこもっていてはいけないでしょうね
 目的も無く出歩くとか、1日公園のベンチを暖めるのも考えもの
 となると、私にできることは、、、県内の図書館巡りか碁会所巡礼くらいか
  図書館の場合は別の地域の図書館に行くわけだから、そこの閲覧室で読むことになるでしょうね・・・メモ用のノートを持って。
 碁会所の方も、まずは棋院を振り出しに取り敢えずは関東南部を回ってみたい、、、
 こういうものとは別にボランティアみたいなアイデアもあるのだけれど・・・現実味はあるだろうか?
 ネットの無い人・外出して碁を打てない人からりクエストがあれば、対局の出前です。
 いろんな棋力の人を登録しておいて、要望に応じて訪問対局。
  場合によっては道具も持参。
 自宅・病院・介護施設・・・もっともニーズはあるのか無いのか
  いずれにせよ人のためではなくて自分のためです

 それに囲碁を伝えることも・・・長くなるのでこれはまた次回に