ミャンマーのサイクロン被害、中国の四川大地震、アフリカの難民・・・海の向こうにも国内にも支援が必要に人はいます。
要するに善意の問題ですが、これ以外にも人の意識の問題があるように思います。
余裕さえあれば、その気があるならば多少のお手伝いはしたい事の他に、人それぞれというものもあって、これが少々厄介です。
例えば私の自転車での通勤路での出来事
千葉の港湾から続く幅10mくらいの掘割みたいな水路があって、両側に5,6mの緑地がついています。
その緑地に最近、傘の透明ビニールを利用したようなミニテントがあるのです。
ミニサイズですから人は住めませんし、歩道脇ですし透明なビニール
そして、刈ってきた草などを並べていくらか目隠しになってる・・・さて何だろうと思っていた。
まさかペットのお墓ではないだろうが・・・とは思っていたところ、今日の会社からの帰り道にそこを通って、事情が分かりました。
ダンボールで看板が出ている・・・それによると「巣から落ちたカラスのカーコです・・・」・・・なるほど中で黒い鳥が動いている。
さてこの避難所を作った人は・・・多分善意からでしょう
しかしそういう善意は、それで良いのだろうか?
落ちたカラスの雛は親に見捨てられて育ちにくいのは事実でしょうが、それを人間の手で助けるのが果たして、良いことなのか?
もし、そうなら食物連鎖にも介入しなくてはいけないし・・・
もう一つ、絶滅危惧種・保護対象動物なら助けなくてはいけないが、カラスはどうかという問題もあるでしょう。
ですから仮に、その場でこの避難小屋を壊すのも私の主張の表現なんですが、もしそれをやったとすると、最近あった花壇の花を切り捨てたり学校のペットを虐待するような種類の人間の行為とされるような気がする。
ですから、散歩していて目の前に落ちてきたカラスの雛を助ける行為は善意に満ちた人間的な行為で、見て見ぬ振りをするのは冷たい人間・・・で、更にこのビニール小屋を壊すのは人扱いでしょうね。
ですから私は自分の考えは実行できませんでしたが・・・
さて、つい先程家の外での出来事です
中学生が数人帰宅中で、道端にある道路標識をけるのが楽しいらしい
道路と言ってもマンションの敷地内ですから私道でして、そこの道端にパイプ状のものが設置されていて、その上にプラスチック上の筒がかぶせてある。
この筒を蹴飛ばすのが面白いらしい・・・マア中学生の男の子の年令ではそうかもしれませんが
怪我をすることは無さそうですが、時折プラスチックの50cmくらいの筒が本体から外れて飛ぶのが困る。
周りは駐車場だし、外れた筒を蹴りながら歩いて行きそう
これが私の部屋の直ぐ下の道路で起きるのです
その度に「おーい中学生!、元通り直して行きなさい!」と怒鳴るのが私の役目? やりたくは無いけれど、現実に道路の施設が壊されるのを黙って見ているわけには行かないし、注意しなくてはいけないことは断固言わなくてはいけないという義務感です
多分中学生たちには、アソコの二階にはうるさいジイサンが居ると言われているに違いない・・・それでも必要ならば嫌われ役も・・・それにいちいち中学校に連絡するのも嫌ですし
「中学生」と言う呼びかけも多少気がさしますが、マア仕方ない
今のところ、100%戻ってきて直して行きます・・・同じ子が二度はやっていないはずです。
いずれにせよ、善意でしたことと・・・他の人の善意と私の価値観がぶつかることはあるはずです。
それに、善意でしていることで、評判の悪い意地悪ジイサンになることもあるでしょう。
ですから自分の善意に拘れば、志とは違って他人との争いになる可能性が
「情に棹差せば流される・・・とかくこの世は生きにくい」
要するに善意の問題ですが、これ以外にも人の意識の問題があるように思います。
余裕さえあれば、その気があるならば多少のお手伝いはしたい事の他に、人それぞれというものもあって、これが少々厄介です。
例えば私の自転車での通勤路での出来事
千葉の港湾から続く幅10mくらいの掘割みたいな水路があって、両側に5,6mの緑地がついています。
その緑地に最近、傘の透明ビニールを利用したようなミニテントがあるのです。
ミニサイズですから人は住めませんし、歩道脇ですし透明なビニール
そして、刈ってきた草などを並べていくらか目隠しになってる・・・さて何だろうと思っていた。
まさかペットのお墓ではないだろうが・・・とは思っていたところ、今日の会社からの帰り道にそこを通って、事情が分かりました。
ダンボールで看板が出ている・・・それによると「巣から落ちたカラスのカーコです・・・」・・・なるほど中で黒い鳥が動いている。
さてこの避難所を作った人は・・・多分善意からでしょう
しかしそういう善意は、それで良いのだろうか?
落ちたカラスの雛は親に見捨てられて育ちにくいのは事実でしょうが、それを人間の手で助けるのが果たして、良いことなのか?
もし、そうなら食物連鎖にも介入しなくてはいけないし・・・
もう一つ、絶滅危惧種・保護対象動物なら助けなくてはいけないが、カラスはどうかという問題もあるでしょう。
ですから仮に、その場でこの避難小屋を壊すのも私の主張の表現なんですが、もしそれをやったとすると、最近あった花壇の花を切り捨てたり学校のペットを虐待するような種類の人間の行為とされるような気がする。
ですから、散歩していて目の前に落ちてきたカラスの雛を助ける行為は善意に満ちた人間的な行為で、見て見ぬ振りをするのは冷たい人間・・・で、更にこのビニール小屋を壊すのは人扱いでしょうね。
ですから私は自分の考えは実行できませんでしたが・・・
さて、つい先程家の外での出来事です
中学生が数人帰宅中で、道端にある道路標識をけるのが楽しいらしい
道路と言ってもマンションの敷地内ですから私道でして、そこの道端にパイプ状のものが設置されていて、その上にプラスチック上の筒がかぶせてある。
この筒を蹴飛ばすのが面白いらしい・・・マア中学生の男の子の年令ではそうかもしれませんが
怪我をすることは無さそうですが、時折プラスチックの50cmくらいの筒が本体から外れて飛ぶのが困る。
周りは駐車場だし、外れた筒を蹴りながら歩いて行きそう
これが私の部屋の直ぐ下の道路で起きるのです
その度に「おーい中学生!、元通り直して行きなさい!」と怒鳴るのが私の役目? やりたくは無いけれど、現実に道路の施設が壊されるのを黙って見ているわけには行かないし、注意しなくてはいけないことは断固言わなくてはいけないという義務感です
多分中学生たちには、アソコの二階にはうるさいジイサンが居ると言われているに違いない・・・それでも必要ならば嫌われ役も・・・それにいちいち中学校に連絡するのも嫌ですし
「中学生」と言う呼びかけも多少気がさしますが、マア仕方ない
今のところ、100%戻ってきて直して行きます・・・同じ子が二度はやっていないはずです。
いずれにせよ、善意でしたことと・・・他の人の善意と私の価値観がぶつかることはあるはずです。
それに、善意でしていることで、評判の悪い意地悪ジイサンになることもあるでしょう。
ですから自分の善意に拘れば、志とは違って他人との争いになる可能性が
「情に棹差せば流される・・・とかくこの世は生きにくい」