ネットでオカルトを検索すると、家の近辺にも数箇所ある!
こういう記事がどの程度の信憑性があるのか、もしかしたらゲーム的な気分で書き込まれているのか分からないので、100%は信じないけれど全く否定する根拠も無い・・・
マアこういう話題は嫌いではないですね、積極的に好きではないけれど。
昔学生時代に行き来していた場所が、実は江戸時代追分・分かれ道で、ココが罪人の晒し首の場所だったとか。
歴史的な事実と、現在との関係でだからどうだとは思いますが、気の弱い人を脅かす材料にはなりますね、、、実際駅前なのに松林として取り残されているかんじですから、声を落として「実はね・・・」と始めれば効果がありそうです。
戦中の無線送信所のコンクリート作りの廃墟とか
戦前から療養施設のある小高いうっそうとした森
マア、だからどうだということですね。
私も小学校の頃は人一倍ビビリ屋でしたから、従兄弟や兄弟に面白いようにオカルトのターゲットにされませした。
それの改善?の為なのか、当時は夜のお使いは専ら私が行かされたものです、、、最年少なのに、、、児童への犯罪が無かった時代だったからか。
事件・事故現場、外套も無い寂しい道、、、今なら「児童虐待」と言われるし、こういうお使い自体批難されそうです
ともかく童謡「叱られて」の世界に近い
この世のもの以外とは出会わなかったし、「世の中では生きている人間が一番怖い」と言い聞かされたり
マア、その甲斐あってか、オカルト好きになったかも
ただ、”ほんもの”には出会ったことが無いので、”ある””なし”は保留中です。
これはアリバイと同じで、「ある」と言う証明は可能ですね、、、見たり、出会ったりすれば良いわけです。
「無い」と言う証明は難しい、、、未だ出会っていないだけかも知れないので、証明が出来ない。
高校生の頃不思議な体験をしている(本当は不思議かどうかも分からない)
夜中にたまに出かける海釣りの場所です
沖に向かって100mくらい突堤が出ていて、ここがクロダイ釣りのポイント
それで突堤の付け根辺りでリール竿を振っていた・・・
白い着物のおじいさんが突堤の先の方に歩いていった(ような気がしただけかも知れない)
かなりの時間が経っても戻ってこない
本当に見た事なのか、見たと思い込んでいるだけなのか・・・今となってはあやふやな。
これは経験と言えるかどうか分かりません・・・起こったことなのかどうかも定かではないのですから
囲碁では似たようなことが頻繁に起きますね
「勝手読み」というのがそれですね。
マア、何の前触れも無く幻が見えるということではなくて、「将来を、見たいように見る」ということでしょう。
自分勝手な進行を考えているわけで、相手の立場に立って最強な対応は抜け落ちている。
だから酷い時には、打った瞬間に頬をひっぱたかれて夢から現実に引き戻される
あるいは、こちらの欲だけで不完全な手を更に際立たせるような手で返されたり
ではこういう手は全て排除されれば良いか?
いやいや、もしかしたら応えは”否”かもしれない
もしも、こういう欲の皮が突っ張った手を打たなくなったら、かなり強くなってしまうに違いない
単純なミスをなくし、冷静な対応が出来れば高段者になれるかも知れない
つまりザルからの離脱・・・これは希望の実現ですが、もしかしたら良いことだけでは無いかも知れません。
尤も恐ろしい友達を無くすかも
夢は夢のままの方が世の中平和かもしれない
かくして、私は何時までも碁友達に愛されるのでした(ナンチャッテ)
そう言えば”幻”を見る他に”悪魔の囁き”と言うのがあります。
私としての語源はかなり昔の競馬ファン時代ですが、囲碁にも当てはまりそう
「起こりそうも無いけれど、もしそうなればかなりの高額配当」
これが悪魔の囁きになって耳の中に鳴り響く
ココでのポイントは「もしそうなれば」ですね
絶対は無いでしょうから確率は0ではない・・・ですから賭けてみる手はあるかも知れない
こういう事・射幸心=ロマンと勘違いして
1着・2着を当てるゲームと言うことを忘れてしまう
配当から馬券を考えたりするのは順序が逆なわけです
マア、囲碁の場合は確率ではないから「より正しい(らしい)」ことが中心になるはずが、「こうなって欲しい」「期待」を読みと勘違いする
こうなれば大儲けというバラ色路線で期待の一着を打った途端に読みから抜けていたリバウンドが・・・予想外?ではあるがよく考えれば当たり前の反発だったりして・・・それを境に悲しい話が始まったり。
どうも耳の後ろに悪魔が取り付いているらしくて、肝心な時に囁いてくる
時には悪魔のドンチャン騒ぎです。
してみると悪魔は確実に存在する!?
こういう記事がどの程度の信憑性があるのか、もしかしたらゲーム的な気分で書き込まれているのか分からないので、100%は信じないけれど全く否定する根拠も無い・・・
マアこういう話題は嫌いではないですね、積極的に好きではないけれど。
昔学生時代に行き来していた場所が、実は江戸時代追分・分かれ道で、ココが罪人の晒し首の場所だったとか。
歴史的な事実と、現在との関係でだからどうだとは思いますが、気の弱い人を脅かす材料にはなりますね、、、実際駅前なのに松林として取り残されているかんじですから、声を落として「実はね・・・」と始めれば効果がありそうです。
戦中の無線送信所のコンクリート作りの廃墟とか
戦前から療養施設のある小高いうっそうとした森
マア、だからどうだということですね。
私も小学校の頃は人一倍ビビリ屋でしたから、従兄弟や兄弟に面白いようにオカルトのターゲットにされませした。
それの改善?の為なのか、当時は夜のお使いは専ら私が行かされたものです、、、最年少なのに、、、児童への犯罪が無かった時代だったからか。
事件・事故現場、外套も無い寂しい道、、、今なら「児童虐待」と言われるし、こういうお使い自体批難されそうです
ともかく童謡「叱られて」の世界に近い
この世のもの以外とは出会わなかったし、「世の中では生きている人間が一番怖い」と言い聞かされたり
マア、その甲斐あってか、オカルト好きになったかも
ただ、”ほんもの”には出会ったことが無いので、”ある””なし”は保留中です。
これはアリバイと同じで、「ある」と言う証明は可能ですね、、、見たり、出会ったりすれば良いわけです。
「無い」と言う証明は難しい、、、未だ出会っていないだけかも知れないので、証明が出来ない。
高校生の頃不思議な体験をしている(本当は不思議かどうかも分からない)
夜中にたまに出かける海釣りの場所です
沖に向かって100mくらい突堤が出ていて、ここがクロダイ釣りのポイント
それで突堤の付け根辺りでリール竿を振っていた・・・
白い着物のおじいさんが突堤の先の方に歩いていった(ような気がしただけかも知れない)
かなりの時間が経っても戻ってこない
本当に見た事なのか、見たと思い込んでいるだけなのか・・・今となってはあやふやな。
これは経験と言えるかどうか分かりません・・・起こったことなのかどうかも定かではないのですから
囲碁では似たようなことが頻繁に起きますね
「勝手読み」というのがそれですね。
マア、何の前触れも無く幻が見えるということではなくて、「将来を、見たいように見る」ということでしょう。
自分勝手な進行を考えているわけで、相手の立場に立って最強な対応は抜け落ちている。
だから酷い時には、打った瞬間に頬をひっぱたかれて夢から現実に引き戻される
あるいは、こちらの欲だけで不完全な手を更に際立たせるような手で返されたり
ではこういう手は全て排除されれば良いか?
いやいや、もしかしたら応えは”否”かもしれない
もしも、こういう欲の皮が突っ張った手を打たなくなったら、かなり強くなってしまうに違いない
単純なミスをなくし、冷静な対応が出来れば高段者になれるかも知れない
つまりザルからの離脱・・・これは希望の実現ですが、もしかしたら良いことだけでは無いかも知れません。
尤も恐ろしい友達を無くすかも
夢は夢のままの方が世の中平和かもしれない
かくして、私は何時までも碁友達に愛されるのでした(ナンチャッテ)
そう言えば”幻”を見る他に”悪魔の囁き”と言うのがあります。
私としての語源はかなり昔の競馬ファン時代ですが、囲碁にも当てはまりそう
「起こりそうも無いけれど、もしそうなればかなりの高額配当」
これが悪魔の囁きになって耳の中に鳴り響く
ココでのポイントは「もしそうなれば」ですね
絶対は無いでしょうから確率は0ではない・・・ですから賭けてみる手はあるかも知れない
こういう事・射幸心=ロマンと勘違いして
1着・2着を当てるゲームと言うことを忘れてしまう
配当から馬券を考えたりするのは順序が逆なわけです
マア、囲碁の場合は確率ではないから「より正しい(らしい)」ことが中心になるはずが、「こうなって欲しい」「期待」を読みと勘違いする
こうなれば大儲けというバラ色路線で期待の一着を打った途端に読みから抜けていたリバウンドが・・・予想外?ではあるがよく考えれば当たり前の反発だったりして・・・それを境に悲しい話が始まったり。
どうも耳の後ろに悪魔が取り付いているらしくて、肝心な時に囁いてくる
時には悪魔のドンチャン騒ぎです。
してみると悪魔は確実に存在する!?