なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

中心性網膜炎

2008-05-05 14:37:18 | Weblog
 昨日の「日本平」に関連する発想は,これだった。
 Jの試合はともかく、私の贔屓チームの中心選手のHPを見ると、家族で日本平ホテルに泊まったと言う記事が出ていました
 もしかしたら、試合の前日?
 そして写真が貼り付けられていた・・・ホテルの庭から旧清水市街・駿河湾方向で富士山の移っている写真です。
 風景そのものは18才まではココで暮らしていたのですから、見慣れた・懐かしい風景ではあるのですが、ホテルの広い庭に驚いた。
 綺麗に一面の芝・・・日本平の山頂といえば昨日も書いたように、形は2位グリーンで、駐車場と言うか、バスなどのターミナルというか、殆どが土が出ていて緑の草が生えているところは少なかったような記憶だったから・・・
 この記憶がいい加減かもしれないし・・・あるいは記憶は正しいが、ホテルのところだけは鮮やかな緑なのかも

 これは自分の記憶と言うものへ発想が跳びます。
 昨日の高校時代の遠足の記憶ですが、部分的には妙に細かなところまで詳しく思い出せるのに、大きなところが曖昧な感じがする。
 例えば遠足の朝、高校のグランドに集合して西の方向を見ると、かなり遠くに300mの高さの丘が見えて、TV塔が並んでいるのが見える。
 「本当にあそこまで歩きでいくのかョ」と言う感じで眺めたのは妙にはっきり覚えている。
 しかし当日の服装が体操着だったのか、普通に制服(黒ズボンに白Yシャツ)でよかったのか思い出せません。
 行きは歩きだけれど、帰りは自由行動で乗り物は乗って良いし、真っ直ぐ帰宅自由なのですから、、、
 一番可能性があるのは「服装は個人の責任において体操服あるいは制服どちらも可だったかもしれない
 いずれにせよ思い出せない。
  私の記憶はそんなものかもしれない
 よく覚えているようでも、ボツボツ穴が開いている紙に記憶の絵が描いてある世言うなもので、詳しく細密画みたいな部分もあれば真っ黒と言うか真っ白な抜けもある。
 それで全体がなんとなく出来上がっていて、、、平均してボンヤリした絵になっているようなものかも。

 こういうたとえ話には、実はリアルな実例があるのです。
 私が働き盛りの頃・・・こういう表現は我ながら恥ずかしいのですが眼科医がそう言っていたので・・・目の異常に気がついた。
 マア、なんとなくおかしいと感じた程度ですが
 眼科の検診を受けると「中心性網膜炎」と言う診断です。
 一瞬ドキッとする病名ですね・・・やがて視力を失うような
 どういう病気かと言うと、原因は不明ですが”働き盛り”の男性に多いから、ストレスが原因と塑像できる・・・私の場合仕事のストレスか趣味の方のストレスかは判然としませんが。
 ともかく眼球の底にある網膜の中心付近がポツポツと炎症を起こしている状態
 どういう事かというと、例えば映画のスクリーンで中心付近に鋭い槍で突いた様な穴が開いている状態ですから、底だけ映画が映らない。
 結果見えているところと見えていないところが混在する
 ですから、全体として見えてはいるのですが、平均した見え方はボンヤリする
 この時左目がそういう状態でしたので、左だけで白い紙を見るとあたかも日の丸みたいに、、、中心が薄茶色の円になるのです。

 記憶と言うか物事の理解力はこんなものかも知れませんね。
 「分かった」と思っても実は部分的であったりしますから、どこかに落とし穴があったり。
 部分的にはキチンと見えているのですから、全体が分かったような錯覚を(自信を持って)したり。
 「よく分からない」という、全体が平均して低レベルなのも困りますが、錯覚を起こす方も危険ですね。
 「自信を持って、間違う」ですから、こちらの方が危険かも知れません。

 ともかく「日本平」「ホテルの庭」「中心性網膜炎」「囲碁での大失敗」と連想は続くのですから、GWに出掛けなくても退屈はしない性格?
 「元々退屈男」みたいなものかもしれません
 ところで、左目の中心性網膜炎ですが、その後十年くらいの間にいつの間にか元に戻っていた。
 自然の治癒力なのか、そういう病気なのか、、、一旦は片目失明か?とも心配したのですから人騒がせの症状です。
 ストレスの原因は仕事だったか?・・・その後ストレスのかからない生き方にシフトチェンジしていますから・・・それで直ったのかも知れません