なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

ドングリころころ

2009-10-02 01:40:37 | Weblog
 囲碁のことを烏鷺と言いますが、白い方の象徴に例えられる(ナベヅルは灰色かな)だろうツルの仲間にクロヅルと言う名前のツルがいるそうです・・・ツルだけで白と黒が揃いますが、これは囲碁の話ではありません。
 先日NHKのクロヅルの渡りの番組の予告編を見ていて、いろんな事を思いだしたり、そこから枝分かれみたいに発想がつながったり。
 まずはクロヅルの話で言うと、スペインと北欧の間を渡る習性があるのだそうです。
 そういう生態学的なことも興味がありますが、私の中でいろんなことに話が膨らんで行くのはそういうマジメな学問的な部分だけでは無くて、今回の場合はクロヅルが渡りの途中で食べるものから、いろいろ考える事がありました。
 クロヅルは渡りの旅の途中で、ドングリなどを食べる・・・これが日本のマテバシイの木の実と同じかどうかは分かりませんが、ともかく放送ではドングリと言っていました。
 少なくともツルの食べ物にはなる事が分かりました。
  そう言えば北海道か青森ではクマ(ヒグマかツキノワグマか)もドングリを食べると言う事を聞いたことがあるように思う。
 山での食べ物が少ない年は麓に下りて来るとか言いますが、その食べ物の中にドングリも含まれているのでしょうか?。
 更にいつか聞いた話、人間だってドングリを食べる事が出来ると・・・
   子供の頃は、私の育った地方だけかも知れませんが「ドングリを食べるとどもり=吃音になる」と言われていたのです。
  これはドングリという名前のドの音との符合みたいなものかも・・・実際にドングリを食べてそういう症状が出たというは無いは聞いたことが無い。
  こういう場合、言い伝えを皆守っているのでそういうことが起きないのか、あるいは根拠のない言い伝えであるかのどちらかだと思いますが、自分が実験台になろうと言う気持ちは無いので、結局言い伝えだけが残って行くらしい。
 ともかく毒があるとか,酷い味とか、病気になるとかでは無いのです、吃音になると言うのです。
 ドングリの硬い殻をむくと見るからに渋そうな薄茶色の薄い皮があるので、ちょっとチャレンジする気にはなりませんでした。
 (今ならきっと「渋そうなアマカワ」なんていうダジャレを言いそうです)
 子供のことですから、そう言われると敢えてチャレンジはしません。
  植物で言うと「ヘビイチゴ」を食べようとは思わないのに似ていますね。
 これは具体的にどういうデメリットがあるのかは聞いたことがありませんが名前からして「ヘビのイチゴ」ですから食欲が出ませんし、誰も食べる人がいないからきっと美味しくないか食べない方が良いに違いないと感じている・・・食べるとヘビの祟りがあるみたいだし、危険を冒してチャレンジしたくなるほどでも無さそうなので、実際はどうかは分からなくても食べたりはしません。

 さて、もしドングリが美味しかったら、少々の迷信的な戒めがあっても隠れて食べると思うのですが、多分迷信を乗り越えてまで挑戦する気にはならないのだろうとは想像します。
 それに、飢饉の時に代用食とか増量の為の混ぜ物として使ったとかいうような記録があっても良さそうなのに聞いたことが無い・・・蘇鉄の実とか松の木のアマカワだって記録はあるのに・・・さてドングリはどうなのか。

  ドングリのドンは役に立たないという意味の語感でドンと言う命名なのか。
 仮に、ツルとかクマとかが食べるとしたら、私の住む地方のドングリは役に立つかも知れないのに相当な無駄をしていることになります。
 この辺りの街路樹ではマテバシイが一番多いようなので、夏の頃から大風が吹いた日とか、秋に台風が去った後など歩道にはドングリが散乱しています。
 当然時期が来れば実ったドングリは木の根元に散乱しています。
  そしてこれは手芸にも殆ど利用されないだろうし、学校のドングリ独楽とかヤジロベイになるのは極極僅かでしょう。(そう言えば最近松ボックリを拾う人も見かけなくなりました・・・)
 殆どは足で踏まれて粉々になるか、どこかに吹き寄せられて腐ってしまうか・・・つまりこれを食べる動物もいないし、利用する人もいない。
 街路樹のマテバシイですからどうなろうと構わないみたいなものですが・・・でもなんだか無駄にしているような気もします。

 私の子供時代に過ごした街にはマテバシイの街路樹はありませんでした。
  ヤナギとかポプラが殆どだった筈です。
 ですから、ドングリ独楽を作るためには父方の本家の神社の境内にあるドングリの木の周りを捜しまわったものです。
 結構競争率が高かったので、たくさん集めるのは大変だったと記憶していますが、それに比べ今はそれこそ幾らでも手に入るのに、拾っている人を見かけない。
 これも時代ですか?。
  (ドングリを探していて、ちょっと尖った形のシイノミを拾うと、食べることが出来る木の実を拾ったと言う事で、少し得をした気分になりましたが、実際には食べ方を知らないし食べたこともありません)

 木の恵みと言えば先日荒れ模様の日の翌朝、通勤自転車で走っていると、年配の夫婦が街路樹のイチョウの木の下で銀杏拾いををしていました。
 チョット小ぶりな感じはしましたが二人がそれぞれビニール袋に一杯手に持っていました。
  そこの街路樹はイチョウ並木なので時期が来ると何割かの木に銀杏が出来て、風が吹いた後に路上に落ちている・・・。
 神宮外苑だったか、ニューストピックで競争のように拾っているところを見たことがありますが、そこの実に比べここのは実が小さいらしいとは言え、ひと組の夫婦以外に拾う人がいない・・・他に銀杏が食べられるのを知っている人がいないわけでもないでしょうし、現に私だって食べられる事は知っているのに拾う気にはなっていない・・・そういう時代になってきたということか。
 銀杏も拾った後、実の周囲の果肉部分を腐らせて除去する作業があるから拾うのにも二の足を踏むのかも知れませんね。
 一種独特の臭いのする実ですから、拾ってくれる人がいるのがありがたい事なのかもしれません。

 木の実の思い出ついでにトチノミの思い出。
  初めて出会ったのが学生時代、尾瀬ヶ原の方から上がって来てバスに乗るために林道を歩いている時に道に転がっているのを見つけました。
 面白い形なので直ぐに拾い、先輩にトチノミだと教えて貰いましたが、私以外の人は興味がなさそうで誰も拾いません。
 栗の実に比べるとユーモラスな形だし、石つぶて代わりにはなりそうですが、利用できる事を知らなかったこともあったのでしょう。
  かなり後になって「トチ餅」と言うものに出会うまで食べられるのを知りませんでした。(尤も知っていても、食べられるようにするのが大変でしょうから実行できなかったでしょうが)
 トチノミの思い出は私にしては珍しく食いしん坊の思い出ではなくて、どうしてその時尾瀬に行ったかと言う事を思い出しました。
 一言で言うとアルバイトです。
  自然公園関係のパトロールなどアルバイトをやっていたので、山の中を歩き回るアルバイトを紹介されたり、情報などが入って来たりしていました。
 その時は尾瀬にVIPクラスが訪れると言う事で、貧乏学生には(馬鹿馬鹿しいけれど)ありがたいお仕事があったのです(知らない人には冗談みたいですが)。
 VIPの後ろを、もし疲れて歩けなくなった時の為に竹竿などで作った山駕籠が本人には内緒で随行する場合もある・・・これは森林組合の人が念の為に用意するだけで、実際に人を乗せるとなれば学生では無理。
 学生アルバイトの仕事は、VIPの歩くコースを30分くらい前に先行する仕事なのです。
 危険個所があれば当然その対処が必要ですが、メインの仕事はそれでは無い。
  片手にブリキの一斗缶に針金で持ち手をつけたもの、もう一方の手に鉄の火ばさみ=要するにシケモク拾いスタイルでコースを先行し、目につくゴミ、たばこの吸い殻を全て回収することが主たる任務・・・ミドリのお兄さんと言うか山の臨時清掃員。
 自然保護の観点から間違ったことではない・・・それどころかマナー違反の人がいる以上何らかの対処が必要ではあるから、やらなくてはいけない作業ではある。
 しかしVIPには汚いところを見せないのが目的であることはミエミエですから時代錯誤的な矛盾を感じつつ、でもアルバイト収入は欲しいと言ったジレンマはありました・・・マア私がやらなくても誰かはやっただろうし、貧乏学生には収入の方も大事でもある。
 VIPの動きを無線で連絡を取りながら30分前を歩く・・・アルバイトとはいえこういう仕事をしていると、割り切っているとは言えなんだか召使以下の身分になったような気分になるから不思議です。
 トチノミを見るとそういう気分まで思い出させられるのです。

 ドングリから随分脱線しました。
  ドングリは役に立たないクリですから、役に立たないジイサマはドンジイと言うことになりそう?。