囲碁のプロの先生は数百人いらっしゃるのですが、やはり名前と写真でしか知らない先生と、じかに話したことがある先生、打っていただいたことがあるとか無いとかでは全くアンテナの反応が違ってきます。
これは何十局も打っていただいた先生の消息が気になる当たり前ですが、じかにお話しした事があるとか、出版される本のファンで、購入して読ませていただく先生とか、同じ地元に住んでいる先生、この土地の出身の先生、あるいはこの土地の知り合いの人と何かしらの関係があった先生とか・・・やはりアンテナ感度に優先順位があります。
そういう意味では森田、三村、高尾の三先生は気になる棋士です。
皆出身地が同じ千葉と言う事で、同じ先生(アマの田岡先生)に出会いその縁で藤沢門下になったと言う共通点があります。
森田先生とは4段当時に私が常連だった碁会所に来てくれまして4子で教えて頂いた思い出があります。
生意気にも「4つも置いたら行くしかない」みたいに先生の石を潰しに行きまして見事に潰された思い出です。
初めてプロの先生という人を見たのが津田沼で福井進先生で、初めて打って頂いたのが信田先生で森田先生は3人目・・・まだ先生と言うより青年でした。
高尾先生は地元の支部対抗戦に来てくれたことがあり、近くでお顔を拝見し声を聞きました。
希望者は打ち碁を見てくれると言う事でしたが、流石に大勢の前でもあり恐れ多くて出来ませんでしたし、指導碁を受ける機会も失ってしまいました。
マアそれでも私の先輩のK畑先生が高尾先生がこどものころに打ったことがあるのだそうで、そういう意味でも一方的ですが親近感があります。
三村先生の場合は、そういう具体的なエピソードは無いのですが、三先生のアマ時代の御師匠田岡先生との関連で思い入れがあるのです。
田岡先生は私が通っていた碁会所から2,3分のところに住んでいましたので、よく子供の指導にこの碁会所を利用することがありました。
子供を連れてやって来て「ちょっと借りるよ」と言う先生。
本当に会話はこれだけです。
(碁会所って言うのも面白いですね、先生から席料を貰うわけでも無し、御茶とか御茶受けを用意する・・・囲碁の繁栄みたいなことには何気なく協力させて貰う・・・そういう文化みたいなものが良いです)
先生は窓際の明るくて暖かな席に座り、相手の子供の棋譜再現を見るのです・・・指導は相手が子供でも相当厳しく批評していました。
ともあれ、三先生と言えば田岡先生、田岡先生と言えば三先生と言う具合に思い出すのです。
ところで三人の先生の中でブログをやっているのは三村先生と高尾先生。
ブログ検索ネットでは更新されていれば必ず拝見しています。
三村先生のブログは、24日は対局時計の写真・・・イヤーいろいろ持っていらっしゃる。
ところで、時計に関しては昔から疑問と言うか不満に感じていることがありましたので、思わず先生のところに「商品開発」みたいな書き込みをさせていただきましたが・・・本当は棋院の姿勢とメーカーも問題ですね。
私が欲しい対局時計は。
時計は普通白番あるいは上手の選択するサイドに置いて使用します。
ですから両者右利きの場合は黒番の人は右手で打った後、右腕は盤上を横切って左手の方向に移動して時計のボタンを押します。
「打った手でボタンを押す」ルールですからこうなりますが、慣れれば大したことが無いと言えるのか、もともと大した差は無いのかも知れませんが、私には大げさに言えば対等な条件で対局すると言う原理から言えばこれは理不尽な差別だと思うのです。
1局で280手打つとすれば140回は相手よりやりにくい作業をすることになる。
私の場合は左手で石を打ちますから相手が右利きでしたら何の問題もありませんが、仮に左利き同士だと同じ問題が発生します。
ところが時計はいろいろあっても全て「一体型」なのです・・・時計表示も押しボタンも二つとも一つの機械についている・・・これはどうして?
一つにまとめてあってコンパクトとも言えるけれど、一つにすることで弊害もあると思う。
仮に時間を表示する部分はどちらに置いたとしても、ボタンの部分は押しやすい所に、例えば自分の膝の前に置くことができれば問題は発生しない筈なのにそういう商品は見たことが無い。
仮にメーカーで作るとしたら・・・
①時間の設定、残り時間、秒読みの部分を表示する本体。
②対局者(白番)の押しボタン
③対局者(黒番)の押しボタン
これら3つをコードあるいはコードレスで接続すれば良い。
碁盤周りのコードの見てくれが問題なのか、あるいは大きな部屋で複数の手合い時計を同時に使う時にコードレスの電波が問題なのか、携帯とかパソコンなどに影響があるのかその辺はよく分かりませんが、でも対局者は出来るだけ平等な条件で戦うのが原則なわけで、製造上の理由とか見た感じと言うのは二義的な問題な筈なんで、不思議と言うか怠慢な感じがします。
三村先生ごめんなさい、先生のところに唐突な書き込みをしてしまいました。
これからもブログを拝見しに寄らせて頂きます。
これは何十局も打っていただいた先生の消息が気になる当たり前ですが、じかにお話しした事があるとか、出版される本のファンで、購入して読ませていただく先生とか、同じ地元に住んでいる先生、この土地の出身の先生、あるいはこの土地の知り合いの人と何かしらの関係があった先生とか・・・やはりアンテナ感度に優先順位があります。
そういう意味では森田、三村、高尾の三先生は気になる棋士です。
皆出身地が同じ千葉と言う事で、同じ先生(アマの田岡先生)に出会いその縁で藤沢門下になったと言う共通点があります。
森田先生とは4段当時に私が常連だった碁会所に来てくれまして4子で教えて頂いた思い出があります。
生意気にも「4つも置いたら行くしかない」みたいに先生の石を潰しに行きまして見事に潰された思い出です。
初めてプロの先生という人を見たのが津田沼で福井進先生で、初めて打って頂いたのが信田先生で森田先生は3人目・・・まだ先生と言うより青年でした。
高尾先生は地元の支部対抗戦に来てくれたことがあり、近くでお顔を拝見し声を聞きました。
希望者は打ち碁を見てくれると言う事でしたが、流石に大勢の前でもあり恐れ多くて出来ませんでしたし、指導碁を受ける機会も失ってしまいました。
マアそれでも私の先輩のK畑先生が高尾先生がこどものころに打ったことがあるのだそうで、そういう意味でも一方的ですが親近感があります。
三村先生の場合は、そういう具体的なエピソードは無いのですが、三先生のアマ時代の御師匠田岡先生との関連で思い入れがあるのです。
田岡先生は私が通っていた碁会所から2,3分のところに住んでいましたので、よく子供の指導にこの碁会所を利用することがありました。
子供を連れてやって来て「ちょっと借りるよ」と言う先生。
本当に会話はこれだけです。
(碁会所って言うのも面白いですね、先生から席料を貰うわけでも無し、御茶とか御茶受けを用意する・・・囲碁の繁栄みたいなことには何気なく協力させて貰う・・・そういう文化みたいなものが良いです)
先生は窓際の明るくて暖かな席に座り、相手の子供の棋譜再現を見るのです・・・指導は相手が子供でも相当厳しく批評していました。
ともあれ、三先生と言えば田岡先生、田岡先生と言えば三先生と言う具合に思い出すのです。
ところで三人の先生の中でブログをやっているのは三村先生と高尾先生。
ブログ検索ネットでは更新されていれば必ず拝見しています。
三村先生のブログは、24日は対局時計の写真・・・イヤーいろいろ持っていらっしゃる。
ところで、時計に関しては昔から疑問と言うか不満に感じていることがありましたので、思わず先生のところに「商品開発」みたいな書き込みをさせていただきましたが・・・本当は棋院の姿勢とメーカーも問題ですね。
私が欲しい対局時計は。
時計は普通白番あるいは上手の選択するサイドに置いて使用します。
ですから両者右利きの場合は黒番の人は右手で打った後、右腕は盤上を横切って左手の方向に移動して時計のボタンを押します。
「打った手でボタンを押す」ルールですからこうなりますが、慣れれば大したことが無いと言えるのか、もともと大した差は無いのかも知れませんが、私には大げさに言えば対等な条件で対局すると言う原理から言えばこれは理不尽な差別だと思うのです。
1局で280手打つとすれば140回は相手よりやりにくい作業をすることになる。
私の場合は左手で石を打ちますから相手が右利きでしたら何の問題もありませんが、仮に左利き同士だと同じ問題が発生します。
ところが時計はいろいろあっても全て「一体型」なのです・・・時計表示も押しボタンも二つとも一つの機械についている・・・これはどうして?
一つにまとめてあってコンパクトとも言えるけれど、一つにすることで弊害もあると思う。
仮に時間を表示する部分はどちらに置いたとしても、ボタンの部分は押しやすい所に、例えば自分の膝の前に置くことができれば問題は発生しない筈なのにそういう商品は見たことが無い。
仮にメーカーで作るとしたら・・・
①時間の設定、残り時間、秒読みの部分を表示する本体。
②対局者(白番)の押しボタン
③対局者(黒番)の押しボタン
これら3つをコードあるいはコードレスで接続すれば良い。
碁盤周りのコードの見てくれが問題なのか、あるいは大きな部屋で複数の手合い時計を同時に使う時にコードレスの電波が問題なのか、携帯とかパソコンなどに影響があるのかその辺はよく分かりませんが、でも対局者は出来るだけ平等な条件で戦うのが原則なわけで、製造上の理由とか見た感じと言うのは二義的な問題な筈なんで、不思議と言うか怠慢な感じがします。
三村先生ごめんなさい、先生のところに唐突な書き込みをしてしまいました。
これからもブログを拝見しに寄らせて頂きます。