前の日はブルーウェンズデイなどと泣き言を言っていたのが、次の日はハッピーフライデイですから、さっき泣いたカラスがもう笑っているようなものです。
良く考えたら・・・いや考えなくてもブルーな日は休みの後の日で、そのまた次の日は休みの前の日ですから、単純にハッピー。
全く単純にブルーとハッピーが一日おきにやって来ることになりますから、まさに”禍福はあざなえる縄のごとく・・・塞翁が馬”。
全く子ども時代から休み前の日はハッピー,月曜日はブルーの繰り返しでこの年まできましたから、成長が無い・・・これはきっと孫が出来ても、その孫は隔世遺伝でもしかしたら私のDNAを濃く受け継ぐだろうから、一緒になってブルー・ハッピーをやっていそうな気がします、まだ見ぬ孫はかわいそうですが。
それでも、どちらか一つしかないと言うよりは好い筈です。
ブルーだけでは困りますが、ハッピーだけでもきっと弊害があります。
私の母などは毎日の心配は無く、やらなくてはいけないことが無くなってスッカリ緊張感を無くしてしまいました。
子供たちには本を読めとかいろいろ言っていたのが、その子供たちが成長してしまい、連れ合いを亡くしてしまうとやることが無い・・・自分で楽しむことを持っていないのが問題でした。
確かに生きて行くだけでも大変な時代に子供を5人も育てたのですから、自分の楽しみは後回しだったでしょう。
だから無趣味を責めるわけにもいかないし、何ともつらいところです。
一転して、その息子の私はやらねばならないことなどがあっても、自分の趣味、やりたいこと優先みたいな人ですから、褒められることは無いにしてもやりたいことをやらないで我慢するストレスとは遠いところにいるようです。
さて今朝も起きてすぐにネットで囲碁と接続。
朝5時半頃なのにKさんが対局待ちになっています・・・私も打ちたいのはヤマヤマでしたが、目が覚めたばかりなので「ごめん!起き抜けなので見るだけ」みたいな感じです。
暫くして対局が始まったようで、良かった良かった。
誰も起きてこないようですと、ネットを覗きながら知らん顔をして素通りするみたいで、なんとなく責任を感じてしまいますから、「7時までに終局できそうなら・・・」などと言う仏心?が起きそうです。
イヤ他人の救済では無く自分が打ちたいのを我慢しきれなくなっていくだけです。
ところでこの近くの歩道、いつもの自転車通勤の道はどこも街路樹が植えてありまして、私の通勤路で一番長い直線は2,3キロにわたっては1種類の街路樹になっています。
海につながる水路があってそこが大きな交差点で、そこまではポプラ並木だったのがそこからナンキンハゼに変わります。
ハゼと言う名前がつくのでウルシの仲間だと思いますが、紅葉はそういう仲間の赤系一色ではありません。
丁度今少しづつ色がつき始めたところで、この木はいろいろな色に変わります。
赤は勿論、濃いめの赤に茶色に近い色、黄色黄緑などなどいろいろな色になるのです。
葉が薄いので僅かな風で揺れ動きますし、日の光を半分くらい通して明るい感じがするので、太陽に向かって走る時に紅葉しているナンキンハゼは光の中で点描画のような感じがするのです。
但し、ここ2年ほどは上手く色づきができなかったようで、それほどは良くなかったのですが、今年はなんとなく奇麗に紅葉しそうな予感がします。
そうなったらここは直線2キロは絵のような道になる筈。
でも、こういう風に期待して見ているのは私の他には少ないような気がします・・・地元で話題にならないのです。
皆気がついていると思うのだけれど、こういう身近なものを「美しい」と褒めるのは気が引けるのかな?。
良く考えたら・・・いや考えなくてもブルーな日は休みの後の日で、そのまた次の日は休みの前の日ですから、単純にハッピー。
全く単純にブルーとハッピーが一日おきにやって来ることになりますから、まさに”禍福はあざなえる縄のごとく・・・塞翁が馬”。
全く子ども時代から休み前の日はハッピー,月曜日はブルーの繰り返しでこの年まできましたから、成長が無い・・・これはきっと孫が出来ても、その孫は隔世遺伝でもしかしたら私のDNAを濃く受け継ぐだろうから、一緒になってブルー・ハッピーをやっていそうな気がします、まだ見ぬ孫はかわいそうですが。
それでも、どちらか一つしかないと言うよりは好い筈です。
ブルーだけでは困りますが、ハッピーだけでもきっと弊害があります。
私の母などは毎日の心配は無く、やらなくてはいけないことが無くなってスッカリ緊張感を無くしてしまいました。
子供たちには本を読めとかいろいろ言っていたのが、その子供たちが成長してしまい、連れ合いを亡くしてしまうとやることが無い・・・自分で楽しむことを持っていないのが問題でした。
確かに生きて行くだけでも大変な時代に子供を5人も育てたのですから、自分の楽しみは後回しだったでしょう。
だから無趣味を責めるわけにもいかないし、何ともつらいところです。
一転して、その息子の私はやらねばならないことなどがあっても、自分の趣味、やりたいこと優先みたいな人ですから、褒められることは無いにしてもやりたいことをやらないで我慢するストレスとは遠いところにいるようです。
さて今朝も起きてすぐにネットで囲碁と接続。
朝5時半頃なのにKさんが対局待ちになっています・・・私も打ちたいのはヤマヤマでしたが、目が覚めたばかりなので「ごめん!起き抜けなので見るだけ」みたいな感じです。
暫くして対局が始まったようで、良かった良かった。
誰も起きてこないようですと、ネットを覗きながら知らん顔をして素通りするみたいで、なんとなく責任を感じてしまいますから、「7時までに終局できそうなら・・・」などと言う仏心?が起きそうです。
イヤ他人の救済では無く自分が打ちたいのを我慢しきれなくなっていくだけです。
ところでこの近くの歩道、いつもの自転車通勤の道はどこも街路樹が植えてありまして、私の通勤路で一番長い直線は2,3キロにわたっては1種類の街路樹になっています。
海につながる水路があってそこが大きな交差点で、そこまではポプラ並木だったのがそこからナンキンハゼに変わります。
ハゼと言う名前がつくのでウルシの仲間だと思いますが、紅葉はそういう仲間の赤系一色ではありません。
丁度今少しづつ色がつき始めたところで、この木はいろいろな色に変わります。
赤は勿論、濃いめの赤に茶色に近い色、黄色黄緑などなどいろいろな色になるのです。
葉が薄いので僅かな風で揺れ動きますし、日の光を半分くらい通して明るい感じがするので、太陽に向かって走る時に紅葉しているナンキンハゼは光の中で点描画のような感じがするのです。
但し、ここ2年ほどは上手く色づきができなかったようで、それほどは良くなかったのですが、今年はなんとなく奇麗に紅葉しそうな予感がします。
そうなったらここは直線2キロは絵のような道になる筈。
でも、こういう風に期待して見ているのは私の他には少ないような気がします・・・地元で話題にならないのです。
皆気がついていると思うのだけれど、こういう身近なものを「美しい」と褒めるのは気が引けるのかな?。