水曜日は予定通り総合病院で季節的(3カ月ごと)な検診でした。
この病院までは自転車で片道15分足らずで検査などはここ、普段の診察とか治療は近所の医院と言うことになっています。
ですからこの病院は私のような患者と、開業医から紹介された患者が中心。
それと平日の夜間は市内の開業医の当番医による救急診察。
もし日曜日の緊急な場合は別のところ(こちらは自転車で20分)に救急医療センターがあり、自動車事故でのけがの場合は先ほどの総合病院の横が県の救急専門の医療センターになっています。
その他にも交通事故の医療センターとかもあり、そういう意味では恵まれている。
マア健康な人には関係ない話ですが。
ところで、最近は医療機関も電子化が進んでいるようです。
医事課の職員の人数も減らしているようですし、看護師さんの不足は慢性化しているでしょうし、医師の不足対策もあるでしょうから電子化による効率アップは必要なことでしょう。
元々緊急以外は予約患者と紹介された患者、入院患者しかいないのですから比較的電子化しやすいのではないかとは思います。
機械化により扱われていると言う負のイメージは感じませんからマアマア上手く言っているような気がします。
初めにカードで受付と予約確認をし、それぞれの診療科の前で待ちます。
この時受付シートに自分の受付番号が出ているので、いろんな課の累積の番号ではありますが概ね何番目かが分かります。
(予約患者は1番から始まり、それ以外の外来患者は千番台のようです)
そして診察室の前には電子掲示板があり、チャイムが鳴って番号が示され指定された人の診察室への入室が促されます(患者が気がつかない場合はマイクで放送)。
更に画面が切り替わり「現在どの先生が何番の患者を診察中か、次に呼ばれる予定の患者の受付番号が示される。
これって意外と感じが良いですね。
前の患者さんが診察室から出てきた時、次は自分かなと想像しながら待つのは場合によってはイライラするものです。
全体的な番号は分かっているし、次の人まで表示されているのでイチイチ気にすることは無くなります・・・マア9時と言う予約の場合は9時台診察と言う意味ですから何時間も待たされることは無いにしても、性格上待たされることには弱いので、自分の順番が予想できるということは私にとって良いことなのです。
性格上時間厳守で、約束あるいは列車の時刻などには余裕を持って行動しないとストレスになる性格なんですが、逆に理由がはっきりしないで待たされることにも弱いのです。
ところで肝心なのは診察結果及び24時間の心電図モニター。
場合によっては緊急拘束されるのですから・・・主治医も「あなたの場合は状況ではバイパス手術が必要になりますから、気をつけていないといけません。今回の結果では変化は無いようです。」と言う事で無罪放免では無く執行猶予みたいなものですがまあイイカ。
前任の主治医の場合は「あなたは将来必ずバイパス手術が必要になるので気を付けてください(出来たら仕事も控えて、すぐにでも手術を受けた方が良いくらい・・・で)と宣告されていますから、執行猶予と言うか情状酌量というか。
支払いも済ませて病院を後にする時は妙に晴れ晴れ・・・昔見たロバートレッドフォードの映画のラストシーン見たいな気分でした。
マア直ぐに元のしょぼくれジイサマに戻りますが一時的にはいい気分。
いい気分の時に反対の「失敗」のことを連想するのですから変な性格です。
「失敗は成功の母」とか「失敗から学んで成長する」とか・・・これは多分正しい筈です。
囲碁だって強い人が初めから強いわけがない、失敗を重ねて失敗をしなくなって強くなるわけです・・・アッ!ここに鍵があることに気がつきました。
失敗は良い、誰でも失敗することはあるのですから失敗そのものを恐れては何も出来ません。
これを恐れていてはソモソモ足を踏み出すことが出来ないわけで、問題は失敗の後にいかにそこから学ぶか、そして、別の失敗を起こさないように対策がとれるかと言うところ。
私のように同じような失敗を繰り返すと言うことは・・・成長していない証拠。
経験を生かすことが出来ないのでは何のための経験かと・・・
囲碁で我ながら足踏みが長いと感じているのは多分この部分ですね「失敗をどう生かすか」あるいは「今までにないことをどう取り入れるか」
そこのところで、今のレベルのフロアーにとどまるか、ステップを一つ上がれるかの分かれ目で、そこを続けられれば次のフロアーでしょう。(もっとも留まるにも努力はいるのでしょうから、階段の例えは間違いで正しくは川をボートで登る状況でしょうか)
さて仕事での話ですが・・・仕事で毎週市内の事務所を立ち入り調査をしていますが、ある事務所の調査を終ってビルから出たところで、左足を踏み出した下に着地する筈のフロアーが無かった!。
平らだと思っていたのが実際には階段で二段分も差があった。
見ていないで横に歩いている。
チャップリンの映画ならバナナの皮で滑るのがお決まりのシーンなのですが、私の場合は”御決まり”では無いにしても、普通人がやらないような馬鹿な失敗をする・・・囲碁でも実生活でも。
マア、柔道の受け身みたいなもので済みましたがしたたか腰を打ちました。
もう自分でも笑ってしまうしかないような・・・きっと同行者が他の人に話せば良い御茶の話にはなりそうです。
但し同行者は口の堅い人で、未だ話のタネになっていません。
マアしかし、この種の失敗は絶えない人間ではあることを自分で再確認しまして、これでよく60年以上生きてこられたものだと感心しています。
この病院までは自転車で片道15分足らずで検査などはここ、普段の診察とか治療は近所の医院と言うことになっています。
ですからこの病院は私のような患者と、開業医から紹介された患者が中心。
それと平日の夜間は市内の開業医の当番医による救急診察。
もし日曜日の緊急な場合は別のところ(こちらは自転車で20分)に救急医療センターがあり、自動車事故でのけがの場合は先ほどの総合病院の横が県の救急専門の医療センターになっています。
その他にも交通事故の医療センターとかもあり、そういう意味では恵まれている。
マア健康な人には関係ない話ですが。
ところで、最近は医療機関も電子化が進んでいるようです。
医事課の職員の人数も減らしているようですし、看護師さんの不足は慢性化しているでしょうし、医師の不足対策もあるでしょうから電子化による効率アップは必要なことでしょう。
元々緊急以外は予約患者と紹介された患者、入院患者しかいないのですから比較的電子化しやすいのではないかとは思います。
機械化により扱われていると言う負のイメージは感じませんからマアマア上手く言っているような気がします。
初めにカードで受付と予約確認をし、それぞれの診療科の前で待ちます。
この時受付シートに自分の受付番号が出ているので、いろんな課の累積の番号ではありますが概ね何番目かが分かります。
(予約患者は1番から始まり、それ以外の外来患者は千番台のようです)
そして診察室の前には電子掲示板があり、チャイムが鳴って番号が示され指定された人の診察室への入室が促されます(患者が気がつかない場合はマイクで放送)。
更に画面が切り替わり「現在どの先生が何番の患者を診察中か、次に呼ばれる予定の患者の受付番号が示される。
これって意外と感じが良いですね。
前の患者さんが診察室から出てきた時、次は自分かなと想像しながら待つのは場合によってはイライラするものです。
全体的な番号は分かっているし、次の人まで表示されているのでイチイチ気にすることは無くなります・・・マア9時と言う予約の場合は9時台診察と言う意味ですから何時間も待たされることは無いにしても、性格上待たされることには弱いので、自分の順番が予想できるということは私にとって良いことなのです。
性格上時間厳守で、約束あるいは列車の時刻などには余裕を持って行動しないとストレスになる性格なんですが、逆に理由がはっきりしないで待たされることにも弱いのです。
ところで肝心なのは診察結果及び24時間の心電図モニター。
場合によっては緊急拘束されるのですから・・・主治医も「あなたの場合は状況ではバイパス手術が必要になりますから、気をつけていないといけません。今回の結果では変化は無いようです。」と言う事で無罪放免では無く執行猶予みたいなものですがまあイイカ。
前任の主治医の場合は「あなたは将来必ずバイパス手術が必要になるので気を付けてください(出来たら仕事も控えて、すぐにでも手術を受けた方が良いくらい・・・で)と宣告されていますから、執行猶予と言うか情状酌量というか。
支払いも済ませて病院を後にする時は妙に晴れ晴れ・・・昔見たロバートレッドフォードの映画のラストシーン見たいな気分でした。
マア直ぐに元のしょぼくれジイサマに戻りますが一時的にはいい気分。
いい気分の時に反対の「失敗」のことを連想するのですから変な性格です。
「失敗は成功の母」とか「失敗から学んで成長する」とか・・・これは多分正しい筈です。
囲碁だって強い人が初めから強いわけがない、失敗を重ねて失敗をしなくなって強くなるわけです・・・アッ!ここに鍵があることに気がつきました。
失敗は良い、誰でも失敗することはあるのですから失敗そのものを恐れては何も出来ません。
これを恐れていてはソモソモ足を踏み出すことが出来ないわけで、問題は失敗の後にいかにそこから学ぶか、そして、別の失敗を起こさないように対策がとれるかと言うところ。
私のように同じような失敗を繰り返すと言うことは・・・成長していない証拠。
経験を生かすことが出来ないのでは何のための経験かと・・・
囲碁で我ながら足踏みが長いと感じているのは多分この部分ですね「失敗をどう生かすか」あるいは「今までにないことをどう取り入れるか」
そこのところで、今のレベルのフロアーにとどまるか、ステップを一つ上がれるかの分かれ目で、そこを続けられれば次のフロアーでしょう。(もっとも留まるにも努力はいるのでしょうから、階段の例えは間違いで正しくは川をボートで登る状況でしょうか)
さて仕事での話ですが・・・仕事で毎週市内の事務所を立ち入り調査をしていますが、ある事務所の調査を終ってビルから出たところで、左足を踏み出した下に着地する筈のフロアーが無かった!。
平らだと思っていたのが実際には階段で二段分も差があった。
見ていないで横に歩いている。
チャップリンの映画ならバナナの皮で滑るのがお決まりのシーンなのですが、私の場合は”御決まり”では無いにしても、普通人がやらないような馬鹿な失敗をする・・・囲碁でも実生活でも。
マア、柔道の受け身みたいなもので済みましたがしたたか腰を打ちました。
もう自分でも笑ってしまうしかないような・・・きっと同行者が他の人に話せば良い御茶の話にはなりそうです。
但し同行者は口の堅い人で、未だ話のタネになっていません。
マアしかし、この種の失敗は絶えない人間ではあることを自分で再確認しまして、これでよく60年以上生きてこられたものだと感心しています。