なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

長考タイプ

2009-10-31 18:14:26 | Weblog
 今朝も休みなのに、いや休みだからこそ早起きで、4時半には目が覚めてしまい体はベッドのなかにあっても眠ってはいられ中途半端な時間。
 マア行儀は悪くてもごろ寝で観戦・・・但しこの時間ですから打つ人は少ない。
  深夜の方は行動パターンがやや深夜化してきているせいか、対局する人はそこそこいるのですが、早朝は少ない。
 宵っ張りは眠ってしまい、早朝に置きだす人はまだ出勤していない状態、あるいはぼつぼつ顔は見せていますがまだ臨戦態勢では無い時間帯です。
 それでも同じくらいの棋力の人たちの対局と初段クラスの対局の2局は始まっていました。
 対局室にはあと3局残っていましたが、実際は入室者が各1名・・・つまり対局者が居残っているか、観戦者が観戦中に寝てしまっているか・・・。
 
 そういうことで、棋力的に近い対局の観戦。
  対局者はどちらも対戦したことがあるので名前を知っています。
 特に黒番のS氏は私か見ると苦手な人・・・それなのに点数が下がっている。
  今私が手合わせ願うとなると、向こう2子になってしまうではありませんか!・・・これは驚きです。
 オーバーに言えば、一体何が起きたのか不思議です。
  単に今不調なだけでしばらくすれば又元に戻るかもしれませんが、その辺りの謎の解明?も含めて観戦と言うことにしました。

 観戦していて、疑問に思っていた事の回答では無いかも知れませんが、もしかしたら関連があるかも知れないあることに気がつきました。
 「時間」の問題です。
  この対局は持ち時間各45分で、時間を使いきったらそこからは1手30秒以内で打つことになり、各着手で30秒を越えたら時間切れ。
 アマとしては問題は無いと思う・・・普通のアマ大会では運営の円滑化のために秒読み無しで45分切れ負けですから、それに比べれば随分気が楽です。
 しかし比較するのはおかしいのですが持ち時間45分はプロ棋士は大変でしょう・・・規定によりNHK杯みたいな早碁もあり、トレーニングみたいな10秒碁もあるようで、そこはプロですからそれぞれの設定で打てるでしょうが楽ではない筈。
 そこのところが・・・「プロだから出来る」ことが要するにアマですから難しいと言うことになります。

 囲碁ですから考えることが問題で、考える深度については個人の頭の中のことなので外から見えませんが、消費機関で表わされる方は量的な問題なの消費時間として把握できます。
 それで時間を含めた戦い方=経営戦略的にタイムマネージメント的にある程度割り切って考えるか、常に絶対の一手を求めて1手入魂式で全力・時間を投入するかの問題があります。
 勿論その中間もあるでしょうから、そんなに極端に分けられるとは思いませんが。
 プロの場合昔、梶原、加田、杉内先生などは序盤から惜しげもなく時間を投入していくタイプでしたから、その反動が終盤に来ることもあった。
  最後の場面で時間切れで泣く、あるいは性格に読み切らなくてはいけない場面で時間が足りない・・・。
 逆に、序盤の「どう打っても一局」と言う場面でではそこまで時間を使わない、あるいはいろんな場面を想定して事前にシュミレーションをしておく、最善手と言えるかどうかは検証できなくても割り切って後半に使える時間を残して置く・・・「タイムマネージメント」ってこういう感じでしょうか。
  
 さてアマの場合にも芸術家肌と言うか、時間をどんどんつぎ込む人も中にはいるわけで、時間の消費が相手の3倍ペースの人もいる。
 Sさんもどうやらそういうタイプに属するようです。
  だから強いとも言えるのですが、序盤で形勢が傾かない・つまり中盤以降の勝負になると分が悪くなる傾向にあるのかも知れません。
 野次馬としては「こんなところで何を考えているのだろう?」と不思議に思うのですが、本人としてはいろんなこと、あるいは先の先を考えているのでしょうね。
 原則としてはそれは当然のことですが・・・一方で無い物ねだり的な部分もあるような気もします。
 「青い鳥を探している」とも言えるし「○○の考え、休むに・・・」かもしれないし、でも囲碁は考えるゲームでもあるし・・・。
 そう考えるとマネージメントと言う本来囲碁とは関係のない事が、囲碁の勝敗に関与して居るのかも知れないのですね。

 さてS氏の最近の苦戦状態はこういうあたりも関係があるかも知れないと思いましたが、そうだとすると難しい問題もある。
  マネージメント的な打ち方をしたらS氏は自分で自分らしさを失ったと思うかもしれないし、そうだとすると彼なりの囲碁の楽しさの割引になるかもしれませんし・・・。
 マネージメント的な考え方はある意味では合理的なんですが、囲碁の楽しみ方の本質とは少しずれた所にあるのに、囲碁のゲームとしての勝敗にはかかわって来る運用法みたいな・・・でも勝敗にかかわることだから無関係とは言えないし。
 そういう意味ではどちらか一方では無く、そのバランスが大事なんでしょうね。

 ところで「下手な考え休むにしかず(似たり)」に疑問があったので調べて見ました。
 「下手」を<囲碁的に下手>と考えるのか<ヘタな人>の意味なのか。
  もしプロから見て下(シタ)手=アマと言うことにしても成立しそうな言葉ですから、もしそうだとしたらこの格言は囲碁・将棋が発祥元なのかと疑問に思ったのです。
 説明によると下手=ヘタで考えにかかるのだそうで、下手(シタテ)では無く
「ヘタの横好き」と同じようにヘタなのだそうで、安心?しました。
  いくつか置いている対局で考え込んでも「シタテの考え休むに似たり」の図ではないことは分かりました・・・マア「ヘタな考え」ではあるかも知れないところが問題ですが。
 

巨匠の絵から

2009-10-31 03:27:38 | Weblog
最近ネットで絵の検索をしていましたらレオナルド・ダ・ヴィンチの絵に出会いました。
 なんでも絵の中に作者の指紋が残されているのだそうで、それがダ・ヴィンチの指紋に似ているとかで、ほぼ間違いなくダ・ヴィンチの作品と見られている。
 早速その何とか大公の娘の肖像画をネットで取り込んでパソコンの待ち受け画面にして楽しんでいます。
 審美眼・鑑賞力などと言うと自信などありませんが、羊皮紙に描かれているのだそうでなんとなく当時のムードがある絵ですね・・・マアそれだから素人は騙されやすいのかもしれませんが。
 ダ・ヴィンチという先入観かも知れませんが本物にしかないムードと言うものを感じるような気がします。
  本物とか、あるレベルのムードと言うものはあるでしょう・・・きっと。
 ダイアモンドの鑑定のプロになるには本物を見続けることで本物では無いものを感じることが出来るらしい。
 骨董の場合も同じようなことが言えるらしい。
  では、囲碁の場合は?
 考えるとそれに近い人と出会ったこともあります・・・。
  自分とたいして変わらないザル仲間の碁など眼中にない態度で、その分プロの碁の方は崇拝している感じ・・・確かに分からなくは無いけれど、眼中にない方に入れられると感じが良いとは言えません。(脱線して愚痴になっています)

 元に戻って
 囲碁であるとして、プロの場合は修業時代に古い碁も並べているでしょうから古棋譜などでも棋譜集に載っているようなものは直ぐに分かってしまうかもしれませんが、ともかくいろんなレベルの碁を対局者の名前・対局日などを伏せて再現した場合どういう風に見えるかと言う想像です。
 ヘボ碁でも「打ち出しはヘボでも小目なり」というものであっても、どこかで馬脚を現しているだろうし。
 プロ級の対局に違いないと分かるものと、これは素人の碁でしょうと思うものがあるに違いない・・・それと「`これはアマチュアの初段クラスの碁でしょうね」と言うように分かる筈なんですが・・・。
 イヤ、わからなくては困ると思うのです。
  つまりテストで獲得する点数みたいなもので段位は出来ていないと思うのです、それに具体的に”どういう技術が備わっていれば初段”みたいなものもありません・・・が、一方で殆どの人が初段ならこういう強さはあるだろうとか言うようなイメージは持っていると思われるのです。
 それは単なる一つの技術では無くていろんなものが積み重なったり混ぜ合わさったりしたムードみたいなものかもしれませんが、「初段のムード」と言うようなものがあるような気がするのです。
 さあそれがどういうものか・・・昔なら隅の1合マスが出来たら初段だったそうですが、今は4,5段くらいでも怪しいのだそうで基準が変わって来ているらしい。
 基準が変わったと言うより基準が無くなったのかも知れないので、明確な基準では無くて「イメージ」が残ったのかも知れません。
 すると、「初段臭さ」と言うような臭いか、「有段らしい」というイメージを、何か感じるものはありそうです。