先日他の囲碁ブログで「囲碁ボケ」のお題に初めて投書させて戴きまして、出来は自分でも恥ずかしかったのですが、初回記念みたいに新人賞を頂きました。
子供の頃から、ボケたり突っ込んだり、ダジャレやら落とし話が好きでしたので、たいていの人から呆れられていましたから、賞を頂くなんて嬉しいことです。
デキについてはだいぶオマケ付きだろうと思います・・・初参加の奨励賞と言うところでしょう。
実を言うと、本当にボケていたようなところがあります・・・
NHK囲碁講座が題材で、横田先生と稲葉さんの話の場面
横田先生が稲葉さんに何か言う場面で台詞を考える・・・横田先生「あなたが驚いてのけ反ったらイナバウワーです」・・・後で読んでみると余りにも恥ずかしい。
それはともかく、本当は続きがあって、稲葉さんの台詞が抜けています。
稲葉さん「私は怒っているので、イナバウワウなんです」と続く予定でしたが、何故か半分で送信してしまいました。
尤も通して見ても余りで出来が良いとも思えませんで、それなら短い方で良かったのかもしれません。
この次はもう少し・・・但し次はビギナーズラックは無いでしょう。
ボケる・冗談好きは子供時代から始まっています・・・当時はラジオの時代でしたが、好きな番組は落語の名人特選会とか寄席中継でして、町内会のバス旅行では車内で歌の代わりに落語。
まだ古典落語・世話物などは出来ませんから新作もので柳亭痴楽の痴楽綴り方教室などをやっていました。
話は横道にそれますが、それから30年後に出会った囲碁仲間が痴楽師匠の縁者だったり・・・それだけのことではありますが、縁と言うものは面白いです。
さてそういう変な子供でしたが、母方の祖母が喜んでくれるのが励みになっていました。
この人は、当時の女の人にしては大柄な人で、踊りが大好きでしたがそういう体型でしたのでいつも男役・・・陽気なおばあちゃんで私の好き理解者。
尤も祖母の家はベーカリーでしたので、おやつにパンを貰えるという実利もありました。
最近は努力をしないでもボケられる危ない年になってきていますが30才頃の話です。
当時ロッキード事件がありました・・・(この時流行語になった言葉に関連)。
その頃私は小さな商事会社で働いていまして・・・本社は東京ですが私は千葉勤務・・・小さな会社ですから就職に際しても社長と話し合ったくらいで、その後も時折社長から直接指示が来るような感じでした。
若い社員で幹部社員と言えば聞こえが良いが、パートさんとか臨時社員が多い会社でしたから正社員=幹部みたいなもので、今の「名ばかり店長」と変わらない感じです。
ある時社長から電話がありまして「俺だけれど、この間話しておいた件はどうなった?」
私「?・・・」何のことかさっぱり『突然そんなことを言われても何のことやら・・・』
私はその時何か答えたらしいが何を言ったかまるで憶えていません。
(後から考えるともしかするとそういうのが社長のテストだったのかも知れないと・・・こちらの反応テスト?)
ただひたすら『私には覚えのないことです』『俺は無実だー』と思いながら、電話を切るわけにもいかず汗をかいていたという記憶はある。
さて実際は社長が誰かに話したことを私に話したと思い込んでいたのかもしれないし、指示したつもりがまだしてなかったのかもしれません。
それでも「私の記憶違いだった」とか「勘違いだった」とは言ってくれません。
後日、社長から「こいつはなー(私のこと)俺に堂々と『記憶にございません』と言いやがった」・・・マア面白がっていたのですが、本当に私がそう言ったのかどうか”記憶にない”。
当時は、まだ子供がいませんで、平日の昼間は仕事ですが、夜は誘われれば麻雀、土日は中山時には府中と言う生活。
これでは何か寂しいと、市内で見つけた囲碁道場に通い始めた頃。
その後、取引先の重役に誘われて会社を移りましたが、そこの会社の社長が大の囲碁好きで、経営者のサークルで囲碁を楽しんでいる人。
私もまだまだ大した棋力でも無いのですが社長に4つ置かせたり・・・。
当時も囲碁人口は少ないので、仕事を越えて社長とは囲碁のつき合いが出来たり、社長が囲碁サークルに出かける時には送って行く役を頼まれたり・・・尤もそれで出世したり給料が多くなったりと言うことは無かったですから実利は無し。
でも居心地が良かったということは言えます。
ボケと囲碁でやってこれたようなところはありますね。
子供の頃から、ボケたり突っ込んだり、ダジャレやら落とし話が好きでしたので、たいていの人から呆れられていましたから、賞を頂くなんて嬉しいことです。
デキについてはだいぶオマケ付きだろうと思います・・・初参加の奨励賞と言うところでしょう。
実を言うと、本当にボケていたようなところがあります・・・
NHK囲碁講座が題材で、横田先生と稲葉さんの話の場面
横田先生が稲葉さんに何か言う場面で台詞を考える・・・横田先生「あなたが驚いてのけ反ったらイナバウワーです」・・・後で読んでみると余りにも恥ずかしい。
それはともかく、本当は続きがあって、稲葉さんの台詞が抜けています。
稲葉さん「私は怒っているので、イナバウワウなんです」と続く予定でしたが、何故か半分で送信してしまいました。
尤も通して見ても余りで出来が良いとも思えませんで、それなら短い方で良かったのかもしれません。
この次はもう少し・・・但し次はビギナーズラックは無いでしょう。
ボケる・冗談好きは子供時代から始まっています・・・当時はラジオの時代でしたが、好きな番組は落語の名人特選会とか寄席中継でして、町内会のバス旅行では車内で歌の代わりに落語。
まだ古典落語・世話物などは出来ませんから新作もので柳亭痴楽の痴楽綴り方教室などをやっていました。
話は横道にそれますが、それから30年後に出会った囲碁仲間が痴楽師匠の縁者だったり・・・それだけのことではありますが、縁と言うものは面白いです。
さてそういう変な子供でしたが、母方の祖母が喜んでくれるのが励みになっていました。
この人は、当時の女の人にしては大柄な人で、踊りが大好きでしたがそういう体型でしたのでいつも男役・・・陽気なおばあちゃんで私の好き理解者。
尤も祖母の家はベーカリーでしたので、おやつにパンを貰えるという実利もありました。
最近は努力をしないでもボケられる危ない年になってきていますが30才頃の話です。
当時ロッキード事件がありました・・・(この時流行語になった言葉に関連)。
その頃私は小さな商事会社で働いていまして・・・本社は東京ですが私は千葉勤務・・・小さな会社ですから就職に際しても社長と話し合ったくらいで、その後も時折社長から直接指示が来るような感じでした。
若い社員で幹部社員と言えば聞こえが良いが、パートさんとか臨時社員が多い会社でしたから正社員=幹部みたいなもので、今の「名ばかり店長」と変わらない感じです。
ある時社長から電話がありまして「俺だけれど、この間話しておいた件はどうなった?」
私「?・・・」何のことかさっぱり『突然そんなことを言われても何のことやら・・・』
私はその時何か答えたらしいが何を言ったかまるで憶えていません。
(後から考えるともしかするとそういうのが社長のテストだったのかも知れないと・・・こちらの反応テスト?)
ただひたすら『私には覚えのないことです』『俺は無実だー』と思いながら、電話を切るわけにもいかず汗をかいていたという記憶はある。
さて実際は社長が誰かに話したことを私に話したと思い込んでいたのかもしれないし、指示したつもりがまだしてなかったのかもしれません。
それでも「私の記憶違いだった」とか「勘違いだった」とは言ってくれません。
後日、社長から「こいつはなー(私のこと)俺に堂々と『記憶にございません』と言いやがった」・・・マア面白がっていたのですが、本当に私がそう言ったのかどうか”記憶にない”。
当時は、まだ子供がいませんで、平日の昼間は仕事ですが、夜は誘われれば麻雀、土日は中山時には府中と言う生活。
これでは何か寂しいと、市内で見つけた囲碁道場に通い始めた頃。
その後、取引先の重役に誘われて会社を移りましたが、そこの会社の社長が大の囲碁好きで、経営者のサークルで囲碁を楽しんでいる人。
私もまだまだ大した棋力でも無いのですが社長に4つ置かせたり・・・。
当時も囲碁人口は少ないので、仕事を越えて社長とは囲碁のつき合いが出来たり、社長が囲碁サークルに出かける時には送って行く役を頼まれたり・・・尤もそれで出世したり給料が多くなったりと言うことは無かったですから実利は無し。
でも居心地が良かったということは言えます。
ボケと囲碁でやってこれたようなところはありますね。